第2話:傷だらけの魔獣
森の奥は、静かすぎた。
いつもなら聞こえる鳥の声も、風に揺れる葉の音もない。
あるのは——
重たい、息苦しい空気。
「……こっち」
ユノは、迷わなかった。
精霊たちが、道を教えてくれる。
ふわり、ふわりと、少し先を飛んで——
ときどき振り返る。
“こっちだよ”と、言うみたいに。
「ありがとう」
小さく答えながら、足を進める。
地面の色が、少しずつ変わっていく。
枯れている。
草も、花も。
触れていないのに、命が抜けたみたいに。
「……やっぱり、さっきの黒いの」
胸が、ざわざわする。
怖い。
でも、それよりも——
“誰かが苦しんでる”気配の方が、強かった。
そして。
開けた場所に出たとき——
それは、いた。
「……っ」
思わず、息をのむ。
大きな狼だった。
ユノの何倍もある体。
灰色の毛は、本来ならきれいだったはずなのに——
ところどころ、黒く染まっている。
そして。
身体には、いくつもの傷。
その傷から、黒い霧がにじむように溢れていた。
「……これ……」
見たことがない。
でも、わかる。
“よくないもの”だと。
狼は動かない。
ただ、荒い呼吸を繰り返している。
生きてる。
でも、このままじゃ——
ユノは、一歩だけ前に出た。
その瞬間。
ぎろり、と。
狼の目が、開いた。
「……!」
黄金色の瞳。
鋭くて、強い光。
普通なら、それだけで逃げ出す。
食べられるかもしれない。
襲われるかもしれない。
でも——
ユノは、止まらなかった。
「……だいじょうぶ」
自分に言い聞かせるように、つぶやく。
さらに一歩、近づく。
精霊たちが、少しだけ後ろに下がった。
それでも、逃げない。
ユノの周りで、揺れている。
「……痛いよね」
ゆっくり、しゃがむ。
視線を合わせる。
狼の呼吸が、一瞬だけ止まった。
「……助ける」
小さな声。
でも、はっきりと。
ユノは、袋から薬を取り出す。
まだ未完成のもの。
効くかどうかも、わからない。
それでも——
「……これしかないから」
手を伸ばす。
震えているのが、自分でもわかった。
怖くないわけじゃない。
でも。
目の前で苦しんでいるものを、見ていられない。
そのとき——
ぐるる、と。
低い唸り声が、響いた。
「……うん」
ユノは、止まらない。
「噛んでもいいよ」
まっすぐ、言う。
「でも、その前に——」
もう少しだけ、手を伸ばす。
狼の傷口に、触れられる距離まで。
「これ、やらせて」
ほんの一瞬。
時間が止まったみたいに、静かになった。
精霊も、風も、全部。
そして——
狼は、動かなかった。
噛みつきもしない。
ただ、じっとユノを見ている。
「……ありがとう」
小さく息を吐いて、薬を傷に当てる。
じゅ、と。
嫌な音がした。
黒い霧が、わずかに揺れる。
「……やっぱり、これ……普通の怪我じゃない」
薬だけじゃ、足りない。
でも——
ここでやめるわけにはいかない。
ユノは顔を上げる。
「……お願い」
周りにいる精霊たちへ。
「力、貸して」
光が、ひとつ。
ふたつ。
ゆっくりと、集まり始める。
そして。
傷口に、淡い光が触れた瞬間——
黒い霧が、わずかに“嫌がるように”揺れた。
「……やっぱり」
確信する。
「これ、抜ける」
でも——
簡単じゃない。
ユノの小さな手には、少し重すぎる。
それでも。
「……やる」
ぎゅっと、唇を結ぶ。
目の前の命を、見捨てないために。
そのとき。
狼の尻尾が、ほんのわずかに動いた。
それはまるで——
“任せる”と、言ったみたいだった。




