第32話 脱出1
「レ、レネ……?」
どこからともなく、レネが目の前に現れた。
祈りの丘は立ち入り禁止だ。聖騎士たちが丘のふもと、神殿周りをぐるりと取り囲み、誰もが入れないようにしている。
神殿は力の強い者、希少な力を持つ者を取り込んできた。だから、聖騎士たちの中には馬でも追いつけないほど速く走れる力を持った者もいるし、誰も敵わぬほど剛腕な者もいる。
この闇の中でもよく見える目の力を持つ者、十人の言葉を聞き分けられる耳の力を持つ者だっている。
そんな彼らの目を掻い潜ってここまで来たというの?
それとも、私は夢を見ているのだろうか。
こちらを見ているレネの後ろにあの闇が迫っている。
頭の中は混乱して、全く今の状況が理解できないけれど、レネの体に遮られて見えていなかったあの闇が再び目に入った瞬間、叫んだ。
「よけて!」
「え?」
私の言葉に反応して、レネが少し横にズレて何事かと振り返る。
間一髪レネは闇を避けたけれど、口を開いたレネは驚くべきことを言った。
「なんだー、脅かすなよ。何にもいねぇじゃん」
「は? レネ右!」
「右?」
「ばかぁ! レネ、あの闇が見えてないの?」
レネは空から伸びてくる闇が見えていないようで、私の言葉に合わせて一応は闇を避けつつ、悠長にこちらにむかってくる。
「とりあえず、セイに会えて良かった。立てるか?」
腰が抜けて動けない私に手を差し出す。
腕まで震えているが、なんとかレネの手を握ることができた。
だがその時。
「レネ! 後ろ!」
レネが、だからなんだよといった感じで渋々振り返る。
「な、なんだこれーー!」
今度はレネも見えたらしい。
咄嗟に手を握る私を引き寄せ、脇に転がった。
「セイ! なんだよ! あの化け物は!」
「だからさっきから避けてって言ってるじゃない!」
闇は私たちを見失ったのか、祭壇中央あたりをうろうろしている。
レネが少し冷静になって、口を開く。
「周りに聖騎士はいないのか? こんなんじゃ儀式なんてできないだろ? 救援を呼びに行こう」
「む、無理よ。私がアレに飲まれるのが儀式だもの。だからレネだけでも」
「は? 何言ってんだ?」
レネが来るまで、助けて、誰か助けてと思っていたくせに、冷静になると心とは裏腹な言葉が出てくる。
あー本当に私は弱い。
本当は助けて欲しいのに、本当はレネが来て嬉しいのに。
それでも私のせいでレネが死ぬと思ったら、助けてとは言えなくなっている。
レネの死の責任もとることはできず、自分から闇に身を投げ出すこともできない。
私の言葉を遮って、口を挟んだレネが静かに怒りながら再び口を開く。
「セイ、今のどういう意味だよ?」
「聖女はね、生贄なの。私が死なないと闇は晴れない。だからね、もういいんだ。レネが来てくれて嬉しかった。助けてって言っちゃったけど、本当は助けられたらダメなんだ。でも……守ってくれてありがとう」
まだ闇に飲まれる勇気は出ない。
でもここで逃げ回っていたって、いつか力尽きる。
力が尽きたら、闇にも飲まれるだろう。
そうしたら闇も晴れる。
私には勇気も覚悟もなく、結局目指した勇者にはなれなかったけれど、私に逃げる術はない。
だから私に勇気や覚悟がなかったって、いつかは役目が果たせるはずだ。
黙り込んだレネを見て、笑ってみる。
大丈夫だよって伝わればいいけど。
「いやだ」
「レネ!? 聞いてなかったの? 私が死ななきゃ闇は晴れないんだよ! それに私と一緒にここから出るなんて無理よ!」
「いやだ! 絶対俺が助けてやる!」
レネの声がビリビリと響いた。
レネは塀の上から飛び降りてきた。
祭壇に登れる場所なんてないはずだからきっと塀の上まで飛んできたのだろう。
でもそうだとすると、レネは足の力。
人より少し速く走れる、人より少し高くジャンプできる力。
私を塀の外へ投げ飛ばす力も抱えてジャンプする力もないはずだ。
聖騎士レベルの足の力ならこの塀も飛び越えられるかもしれないが、そうでなければ私という重りを担いでこんなに高くは飛べないはず。
「レネ、レネ一人ならここから出られるんでしょ? だから今のうちにさ」
「セイは勇者を目指してたんじゃなかったのかよ」
「目指してたよ」
レネが立ち上がり、グッと拳を握りしめる。
「じゃあなんでもう諦めてんだよ!」
「諦めてなんかないわよ! だから私はここにいるの! 生贄になる勇気が欲しくて勇者を目指してたの! 私は……私はここで死ぬ。でもそれで闇が晴れる。それでいいの。たくさんの人が助かるのよ!」
「でもセイは助からない!」
レネの言葉が胸に突き刺さる。
言葉が出ない。何かが胸の奥から迫り上がってくるのを、唇を噛んで必死に押し留めた。
「セイ、俺は闇の中でも冒険に出るつもりだった。人はそれを無謀だと言うし、今まで戻ってきた人はいない。でも俺は死ぬつもりなんかない。勇者だって死ぬつもりで戦っていたわけじゃない」
今口を開くと、とんでもないことを言いそうで黙り込んだままレネを見つめる。
鼻の奥がツンとしてきた。
「みんな可能性を信じて挑み、生きて勝ち取るために努力するんだ」
レネの言葉が大きく響く。
唇を噛んだくらいでは足りなくて、口を閉じたまま肩を振るわせ、鼻を啜る。
「セイ、助けてって言った言葉は嘘じゃないだろ。生きたいはずだ。命を投げ出すための勇気なんて言うなよ!」
ついに涙まで出てきて、噛んだ唇は意味をなさなくなってきた。
立っていたレネが膝をつき、私の背に手を回す。
その瞬間に必死に涙を押し留めていたなけなしの力も抜け、目から大量の涙が流れた。
「レネ……わた、私、じ、死にだぐ、ないよぉぉぉ」
レネの背中に手を回し、しがみつく。レネは涙でべちょべちょなのにも関わらず、されるがまま私を抱きしめた。
「セイ、俺がセイを助ける。勝つぞ。勝ってこんな闇、ぶっ壊してやろう」
大声で言い合っていたからだろうか。
闇が私たちに気がついた。
「こっちだ! 逃げながら、逃げ道がないか探そう!」
レネが再び私の手を引いて走り出す。レネのスピードはまだまだ速いはずだけど、今は私の手を引きながらだから、私と同じスピードだ。
速く走れない分最小限の動きで避けているようだ。
右、左と私が言わずとも、レネが手を引いて闇を避ける。
祭壇中央に行けば行くほど闇は私たちを見つけやすいようで、私たちは逃げながら祭壇の周囲の壁を調べた。
どこかに窓や棚といった足場があれば、ジャンプできずとも登れるのではないかと考えたからだ。
走り回って、扉の前に来た。
つまりぐるりと一周したわけだが、足場になりそうなものは一つもなかった。
ハァ、ハァと息が切れる。足もガクガク震えてきた。
「どうしたら……」
ぶわりと鳥肌が立ち、反射的に上を見上げる。
気がついたら闇が私たちの頭上に闇が広がっていた。
「チッ!」
レネが舌打ちして、後ろに避ける。扉を見ていた私たちの後ろは、祭壇中央だ。
広がった闇がそのまま二股に別れ、私たちを囲い込むように闇を伸ばしてくる。
「クソッ」
レネがまた走り出す。
けれど疲れ切っていた私の足はレネのスピードに合わせきれず、もつれて転んだ。
「セイ!?」
転んだ拍子に繋いだ手が離れる。
レネがすぐさまこちらに戻ってきた。転んで倒れた私の手を引っ張り、私を立たせる。
立ち上がったその瞬間、後ろから私たちは何かに体当たりされた。
再び地面に伏す。
「なんだ!?」
レネが声を上げ、私たちは顔だけ後ろを振り向く。
私たちに覆いかぶさるように伏せていた人のむこう側で、両側から近づいていた闇と闇がぶつかり合い、再び一つになっている。
その光景を見て、背筋が寒くなった。
さっきまで私たちが立っていた場所だった。




