第30話 本物の勇者、本物の聖女
朝から神官たちに囲まれて、湯船につかり、化粧をされ、髪を整えられる。
「聖女様、とても素敵ですわ」
「うふふ。皆のおかげね。ありがとう」
今日は闇晴らしの儀式の日。
聖女である私は民の前に姿を現し、その後闇晴らし為の儀式を執り行うことになっている。
儀式の前に神殿の重鎮たちが会いに来た。
神官たちに飾り立てられた私を見て、皆美しいだの、頑張ってくださいだのとうきうきとした調子で言った。
「儀式が始まる前から聖女様を疲れさせないでください!」
アスラが一人そう言って、会いに来た重鎮たちをさっさと帰していく。
アスラには陰口をたたかれていた私が認められてうれしい気持ちと今まで知らんぷりしていたくせにという面白くない気持ちがあるようだ。
儀式の時間が迫り、鏡の横にかけられたローブを羽織り、鏡の中の自分を見る。
唇に引いた紅は死に化粧、豪奢なローブは今宵私の死に装束となるだろう。
かがり火がたくさん焚かれた神殿前。
ドンドン、ドドンと鳴った太鼓の合図で王と神殿の長であるジジ様、そして聖女の私が姿を現す。
かがり火に照らされた最前列の民たちの顔は期待、いや希望に満ち溢れている。
その顔を心に刻み付け、逃げ出したくなる気持ちをなんとか抑えた。
王が一歩前に出て、民を盛り上げるべく闇晴らしの儀式の話をする。
とても大事な話のはずなのに、私はどこか現実ではない気持ちのまま王の言葉を左から右に受け流した。
ただ王の横に立っているだけでなんとなく時間が過ぎていく。
最後に王が私を見る。
王は少し目をつむり、ゆっくりと頷いた。私もうなずいた。
――すまない。頼む
――大丈夫。わかっています
そんな声には出せない会話の後、王は集まった民衆へと声を張り上げた。
「これより聖女様は闇晴らしの儀に入られる。何人たりともこの先の祈りの丘には立ち入れぬ。我らに光を」
王の言葉に集まった人たち、神殿の重鎮たちも皆が膝をつき「光を」と祈りながら私を送り出した。
ジジ様が先頭に立って神殿の中へと入っていく。
横からさっと聖騎士が私の脇を固め、私もジジ様の後を追って神殿内部へ。
後ろから時折「聖女様!」「うぉぉぉぉ!」など興奮した民たちの声が聞こえたが、入り口が遠ざかると、それらの声も全く聞こえなくなった。
ジジ様について神殿の奥へ奥へと歩いていく。
祈りの間に続く廊下の扉の前まで来ると、そこにアスラが待っていた。
いつもと同じように扉を開け、いつもと同じように祈りの間まで進む。
そして、またいつもと同じように祈りの間の扉を開け、腰を折った。
「では、聖女様いってらっしゃいませ」
「いってきます」
いつもは私とジジ様以外に入れぬ祈りの間に、聖騎士たちも共に入る。
いつも祈りをささげるベンチも通り過ぎ、最奥のガラス張りの所までジジ様が進む。
聖騎士たちは見たこともないルシフェイラの咲き誇る眺めに、目を奪われているようだ。
ガラス窓の脇、分厚いカーテンに隠されるように扉があった。
ジジ様の持つ鍵を使って、そこから外へ。
いつも祈っているベンチからは見えなかったが、扉のすぐ先にまっすぐ祈りの丘頂上まで続く階段があった。
コツン。
ジジ様に続いて最初の一段を上った。
コツン、コツン。
もう後戻りはできない。
大丈夫、心づもりはできている。
コツン、コツン、コツン。
いつものブーツと違って少し低いヒールの音が鳴るたびに、取り返しのつかない場所へ行っているような気がしてならない。
怖くて逃げそうになる自分に大丈夫、大丈夫と言い聞かせると同時に、とうとうレネに本当のこと話せなかったなとも思う。
もし話していたら、どうなっただろうか。
――で、聖女様はどうしたいんだ?
うん。言いそう。
――ばかじゃねぇの。逃げればいいじゃん
そう一言で切り捨てられるかもしれない。
いや、レネは私が勇者になりたがっているのは知っているのだし、「これで聖女様も勇者だな!」なんて言うかもしれない。
それは、ちょっとショックだ。
勝手に想像して、勝手に傷つく自分に嫌気がさす。
全くこんな時に何をしているんだろう。やめだ、やめ。
どんなに考えても、どうせレネの答えは分からないのだから。
レネといた日々は楽しかった。ジェーダの歌は心躍った。ミトさんの傍は安らいだ。
それだけでいい。
考え事をしているうちに最後の一段まで来てしまった。
「聖女様」
一緒に上ってきた聖騎士が足を止めた私に最後の一段を登るように促す。
ポタリ。
汗が足元に落ちた。
目の前には大きな扉。扉の周囲にある塀は高く、何者も逃がさぬと言っているようだ。
「聖女様」
不審げに聖騎士が私を呼ぶ。
私は勇者、勇者よ。だから私がみんなを守るの。
覚悟を決めたはずだ。
今日私は闇を晴らすために生贄となる。
勇気をもって生贄になれば、私はなれるだろうか。
本当の勇者に、本当の聖女に。
私は勇者。
勇気をもって、他の人ができないことをする人。人を助ける人だ。
できる、できる、私ならできる。
これが私の仕事だ。これが私の役目なのだから。
震えながらも最後の一歩を踏み出し、中へと入る。
背後でバタンと扉が、鍵が閉まった音がした。
扉を押してもうんともすんとも言わない。
ズルズルズルと座り込む。
とうとうここまで来てしまった。
あの日、ジジ様に予言のことを問いただしたあの日。
聖女である自分は闇を晴らすための生贄と知った。
それを知って、神殿から逃げてやる、聖女なんてやめてやるって思ったのにな。
逃げないまま、ここまで来てしまった。
逃げられなかったのは、急に私のことがバレたからだけじゃない。
心の奥底で、逃げることに負い目を感じる私がいたからだ。
本当に逃げていいの?
こんなにみんな光を待ち望んでいるのに、私が役目を果たさなければずっと闇の中なのに、と。
だからたぶん……勇者になりたかったんだ。
逃げ出したい弱っちい私は、堂々と生贄になれるほどの勇気が欲しかった。
そこまで考えると、少し勇気が湧いてきた。
そう、私は勇者。
勇者なら、諦めず頑張らないと。
ジジ様も聖騎士たちも帰っていったのか、物音ひとつしない。
勇者なのだからと自分を鼓舞して再び立ち上がる。
生贄ということは、食料が尽きて死が来るまで、ここに居ればいいのだろうか。
それならば、少しこの祭壇を見て回ろう。
そう思い、祭壇の中央に向かって一歩踏み出した時だった。
ぞわり。
髪の毛が逆立つ。
突然の恐怖に足ががくがく震える。
そろり空を見上げると、真っ暗な空からさらに暗闇を煮詰めたような恐ろしい闇がこちらに伸びてきていた。
「嘘……」
もっといろいろと言いたいことが頭に廻ったはずだけれど、どれも口から出ることはなく、がくがく震えていた足はついに力が入らなくなって、地面にへたり込んだ。
恐ろしい闇は迷うことなくまっすぐこちらに向かってくる。
力の入らない足を必死に動かし、後ずさろうとするが、足はバタバタ動くばかりで、私の位置は全く変わらなかった。
「ひっ……きゃっ、ぎゃぁぁぁぁ!」
いつからだろう。
怖くて怖くて、声をあげていた。
臆病な自分が逃げ出さぬよう胸にしっかり抱いていたはずの勇気も希望も覚悟も全て闇が近づいたときに投げ捨ててしまった。
無理、無理、無理!
やっぱり勇者なんて、生贄なんて……無理。
怖い、怖いよ。
「誰か……助けて」




