第17話 挑戦者
その日から私の日課の走り込みは、さらに激しくなった。
髪を一つに束ねて、息を吸う。
よし、やる。やってやる。
限界、超える!
一本、二本、三本……。
もう息が苦しいが、「まだまだ! こんなんじゃ勇者なれない! お前、俺様のライバル、もっとできるはず!」というチリーの声が聞こえて、足を前に出す。
勇者を目指す私は、隠れ勇者チリー様のライバルだそうだ。
「俺様のライバルになれるなんて、お前なかなかやるな」とチリーが言っていた。
四本目を走り切る。脚がガクガクする。
もう無理。もう無理。一歩も動けない!
地べたに座り込んで、息を整える。四本、たった四本なのにすごくきつい。
――けど、勇者は無理だ。
レネの言葉を思い出す。
むぉー! あんな言い方ないじゃない! もう一本!
フラフラになりながら再び立ち上がる。
足を前に出すんだ。どんなに遅くたって私が諦めず足を前に出したら、十本でも二十本でも走れるはずだ。
走るというのは、ただ足を前に出すだけ。前に、前に、前に!
心ではそう思っているのに、私の足は結局六本目の途中で完全に止まってしまった。
はぁ、これは本当に一歩も動けないな。
――俺の夢に聖女様は関係ない。闇の中だろうと外だろうと俺は行くんだ。もう決めたんだ。
レネの言葉を思い出す。
なんか、レネは強いなぁ。
勇者なんか目指してないのに、戦っているところなんか見たことないのに、いつだってすごく強い。
それに比べて私は、迷ってばっかで弱い。
強さ、強さが欲しいな。
――いつか聖女様が闇を晴らしてくれるはずですから、これ以上闇の外へ行く人を出したくないんだと思います。
ジェーダの言葉も思い出した。
絶対、絶対勇者にならなきゃ。勇者みたいに勇気のある人に……。
ジェーダとバルケル様の歌を聞きに行く日になった。
約束のミトさんのスープ屋でジェーダを待つ。
少しして、ジェーダがやってきた。
「あれ、今日はジェーダかい?」
「今日はバルケル様の歌を聞きに行くの」
ミトさんはジェーダとも顔見知りなのか、私を迎えに来たジェーダを見てびっくりしている。
「なるほど。敵情視察だね?」
ニヤリと笑って、ミトさんは私たちを送り出した。
時計塔の下に行くといつも通り大勢の人が時計塔を取り囲んでいた。
「セイ、もっと前に行かなくてもいいんですか?」
「ううん、いつも私後ろでひっそり聞いているの」
そう言って二人で聴衆の最後尾に着く。
チリーは相変わらず私の耳元でこっそり「俺様、人混み大きらーい」と言って、時計塔の上に飛んで行った。
今日のバルケル様の歌はレネとも一緒に聞いた森に捨てられた心優しい女の子の歌『森姫』だった。レネはこの歌を「つまらない」と言っていたけれど、ジェーダはどう思ったんだろう?
そう思って、歌が終わってちらりとジェーダの方を向き、ドキッとした。
「ジェ、ジェーダ? 大丈夫?」
音もなく涙を流すジェーダに驚きながら、聴衆たちが帰る前にこの場を離れる。
「さすが今一番の詩人です。これは仕方ない。人気が出るのも納得です」
涙をぬぐったジェーダが言う。
「でも、レネは待っているだけなんてつまらないって言ってたよ」
「それは、まぁ……レネですから」
「どういう意味?」
ジェーダは歌を聞く人によって受け取り方が変わってくると前置きした後に語り始める。
「レネは自分で生きてきた人ですから、困難は自分で切り開くのが当たり前なんでしょう」
「自分で生きてきた?」
「レネに親はいません。今日食べるもの、着るもの、お金や時間を何に使うのか……小さなことから大きなことまで、レネは自分で決めて生きました。そりゃあ自分の力で自分の道を進む勇者や冒険者の方が好きでしょう」
私の家で英雄たちの話を聞いて育ったことも大きいと思いますけどねとジェーダが付け加える。
「だからレネは持っている人なんですよ」
「持っている?」
「そう、自分の人生は自分で決めるっていう感覚をね。『森姫』に出てくる女の子はあんまり持っていないでしょう」
虐げられて、あれをして、これをしてと頼まれる毎日。森で暮らすという彼女の人生での一番の転機も彼女自身が決めたわけではない。理不尽に追い出されただけ。
彼女には彼女自身の人生の決定権が少ない。
そんな彼女が決めた唯一のこと。
復讐するのでもなく、自暴自棄になるのでもなく、自分ができる範囲で幸せに暮らすこと。希望を捨てず日々を乗り切ることだ。
レネは言っていた。
森姫に出てくるあの子が勇者だったら、森を平定して人を助けただろうと。
でも現実は誰もが勇者のようには強くない。
強くないなら、強くなればいいと言う人もいるだろうけれど、様々な理由でなれない人はたくさんいる。
「どんな人にも不得意なことはあります。周囲の環境によってもいろんな制限があるでしょう。出来ること、出来ないことがある中で、よりよい未来のために挑戦する。それが勇者にとっては怪物を倒すことであり、あの子にとっては森の中でも、たった一人でも幸せに暮らすことだっただけです」
『森姫』は、勇者のように強くない、お金もない、特別な技術も、味方さえもいない彼女の最大の挑戦の物語だと言ってジェーダは再び涙ぐんだ。
確かに『森姫』に出てくるあの子が、虐げられたことを恨んで、森に捨てられたことに絶望して、森の中で文句を吐きながら毎日無為に過ごしていたら、私はどう思っただろう。
「挑戦無き人生は、レネの言う通りつまらないでしょう。けれど挑戦は勇者のように強者と戦うことだけじゃない。自分の圧倒的不利な境遇に立ち向かうことだって挑戦ですし、新しいことを始める事だって挑戦です。そして、いつの時代も、どんな人でも。何かに挑む人からは目が離せないものです。だから彼女は王子の目に留まったし、だからバルケルの歌う彼女の物語はこんなにも心に響く……」
ジェーダがゆっくりと胸に手を当てる。
きっと『森姫』の余韻に浸っているのだろう。
私はその間にジェーダの言葉について再び考える。
ジェーダの言葉を信じるならば、レネや勇者や冒険家たちとバルケル様の歌に出てくる女の子たち、みんなそれぞれ何かに挑んでいる。
確かにそれはそうなのかもしれない。
後がない彼女たちと違って、彼らは勇者にならなくても、冒険などしなくても生きていける力がある。それなのに冒険家たちは何があるかわからないところへ向かうのだ、勇者は自分で倒せるかどうかわからぬ相手に挑むのだ。
「怖く……ないのかな。あの冒険に出て行った船乗りたちやレネも。怪物退治や未知への冒険は死ぬかもしれないのに。なんであんなに自信を持って決められるのだろう」
「セイ、多分ですが死ぬかもしれないなんて考えていないです。可能性がゼロでない限り、それはできないことじゃない。死ぬかもしれないなんて考える暇があったら、どうやったら成せるのかを考える。勇者や冒険家、そしてレネもそういう考えなんですよ。やると決めて、本当にやる。たとえ駄目でもあきらめない。ただそれだけなんです」
ジェーダは再び流していた涙を拭って、一息つく。
「だからレネも。冒険家になると決めたんです。だからやる。それだけです」
「でも……聖女様は未だに闇を晴らせていない。レネは聖女様なんて関係ないって言うけれど、闇の中では冒険家になんてなれないんじゃない? だって……誰も帰ってきていないんでしょう」
最後の方は心なしか声が小さく震えていた。
ジェーダは困ったなと言うように頬をかきながら、口を開く。
「セイ、なれるかどうかはただの結果です。レネが冒険家になると決めたところで本当になれるかどうかはわかりません。ただ冒険家を目指すとレネが決めたからには、聖女様が闇を晴らせなくても、親友である私が大反対しても、冒険に出るために最善を尽くす。結果は、その後に出るものですから」
あぁ、わかってしまった。
ジェーダはもう何度もレネに冒険家をあきらめるよう言っているのだ。
でもレネは行く。
「そっか」
何の経験もない、何にも知らない甘ったれな私は、なんて言ったらいいかわからなくて、そんな言葉しか出てこなかった。
強い。
レネだけじゃない。何度もぶつかって夢を応援すると決めたジェーダも強い。
決めたらやる。ただそれだけとジェーダは言う。
私の目指す勇者もそうだったのかもしれない。
最初は体が動いただけかもしれない。ただ名誉欲があっただけかもしれない。
けれど、どこかで人を守ると決めた。
だからひたすら守れるだけの強さを求め、どんな相手にも向かっていく。
今、名が残っている勇者の他にも同じように人を守るために戦った人がいっぱいいたのだろう。
ただ勇者という結果にならなかっただけで。
私は……勇者を目指す。
勇者のような勇気ある人になりたいと決めた。
決めたらやるだけだ。かつての勇者、冒険者、そしてレネのように。
思うように人助けできないなら、出来るまで助ければいい。
ジェーダの言うように、人には出来ること、出来ないことがある。
訓練し始めて薄々気が付いていたことだけど、私には力がない。
だから勇者のように剣を振って怪物を倒すのは無理かもしれない。
けれど、私は人を助けることをあきらめない。
だって、私の目指す勇者はどんな時もあきらめないのだから。
レネとは違って、私は今まで何一つ自分で決めたことなんてなかった。
聖女を辞める。私が決めたことなんてそれくらいだ。
そんな私にできるだろうかと今だって思う。
でも、結果はやってみなければわからないのだ。
できるだろうかじゃない、やる。ただそれだけ……か。
口では簡単に言えることだけど、難しそうだなぁ。
でもやらないと。
よほど気難しい顔をしていたのだろうか、ジェーダが私の肩に手を載せた。
「セイ、レネと比べないでくださいね。もし今の話を聞いて、セイが自分で自分のことをあまり決めたことがないと思っているのなら、それは守られているということでもあるのですから」
「うん、わかってる」
レネが自分で決めてきたのは、子供だったレネを保護すべき親がいなかったからだ。
私にも親はいない。
けれど、私は闇を晴らせていないこと以外は何不自由なく、何の不安もなく生きてきた。
それはきっとジジ様やアスラ、神殿の皆、いやもっともっと言えば、平和なこの国を築いてきてくれたこの国に住むすべての大人たちに大事に守られてきたからだ。




