第五話 不思議がいっぱい
目が覚めて、スマートフォンの画面をぼーっと眺めた。なにか、こう、違和感がある。えーっと、あぁ……。午前十時だ。休日だ。
だから、こんなにのんびりとして……。
でも、あれ? アラームは? 一応、毎日セットしてあるものだから、今日も変わらずに鳴ったはず。ん……。消したことを忘れているのだろうか。寝ぼけている? まぁ、微睡んではいる。
でも、そろそろ起きないと。スマートフォンの中に入っているゲームアプリの一つで、今日から周年イベントが始まるのだ。二十日連続、十連ガチャ無料。あぁ、魅力的。涎がでそう。ここで運を味方にできさえすれば、無課金でも一気にサイキョーに。
夢が……、ある……。
ところで、朝食を兼ねた昼食って、何を食べるべきか悩んでしまうのは私だけだろうか。
学校で菓子パンばかり食べていたら、もっと栄養のあるものを食べなさい。って、相川に怒られたし、それからは冷凍食品を弁当箱に詰めたり、不格好なおにぎりを作ったりと、涙ぐましい努力をした。
寝起きに、手の込んだ料理の準備は出来そうもないなぁ。私には。でも、世のお母様方は朝食の準備もしっかりとしてくれたりもするのだし、ほら、焼き魚を焼いたり。卵焼きを焼いたり。
あぁ、そう言えば冷蔵庫の中にロースハムがあった。あれに醤油と砂糖を少しかけて、レンジでチンして食べるのが大好きなのだ。
でも……、卵もあるし、折角だからハムエッグというものを作ってみようか。
料理という刺激で、脳を覚醒させてやる。
「ま、どうせ火が入ってなくても食べられるものしか使っていないんだし」
焼きすぎるよりは、早めにっていう予防策。
白身が文字通り白くなったら、フライ返しでお皿に移す。白いお皿に乗ったハムエッグ。どこか寂しげ。彩りというものが足りないのだろうけれど、野菜なんて気の利いたものはこの家にはないし。
あぁ、でもそんな生活をしていたら絶対に怒られる。色んな人に怒られる。
マナーはだいぶ悪いだろうけれど、キッチンでハムエッグを頬張りながら、スマートフォンをポチポチ。結果は散々。気分転換に、スーパーにでも行ってみようか。
軽く着替えて玄関を出る。
折角の休日。洗濯やら掃除やらと、やることはいろいろとあるのだろうけれど、田舎ということもあって、近隣に住宅がないことをいいことに。夜中でも平気で掃除機をかけたりできるのは、とても助かっている。もしも苦情が来たらやめるつもりだし。
それにしても、昔ながらの家だからか、間取りなんかはほとんど変わっていないせいか、敷居などの段差が多くて、ロボット掃除機を導入できなかったのが少々痛い。
あれは便利なんだけどなぁ。便利なんだけど、廊下専用、居間専用と、何台も揃えるのも大変だし。早いところ四足歩行にでもならないかなぁと。私は玄関の前で座っていた犬を眺めた。
「野犬?」
「違うよ?」
怖い……、喋った。
その犬は鳴き声を一つ上げて去っていく。
なんだろう、急にホラーの世界に迷い込んだのだろうか。四話くらいを真面目な説明に使って、五話からコメディ路線に切り替える世界観ではなかったのだろうか。
だいぶ混乱しているのか、頭の中でメタが回る。
「せ、せめて、国民的アニメ映画の世界観でいてください、ね? ほら、三週連続放送とか、定期的にやるやつ」
独り言を呟きながら、おっかなびっくり鍵を閉めて、敷地を出ようとすると……。
「おい、挨拶はなしかよ」
今度は渋い声が聞こえてきて、私の肩はビクッと跳ねて固まった。
発生源は、背後から、かな? 恐る恐る振り返っても、人影のようなものは見当たらない。なんだろう、誰かのいたずらだろうか。まさか……、振り返っても何もいない。でも、さらに振り返ると何かがいる、というホラー?
「なにを固まっていやがる。こっちだこっち」
声は、確かに聞こえてくる。忙しなく動く視線。すると、鶏小屋の中で動く何かが見えた。
恐る恐る、近寄って行く。段々とその輪郭が見えてきた。黒いスーツ。黒いカウボーイハット。ウォレットチェーンは鈍く光る。やたら低いところから立ちのぼる、煙草の煙が目に染みた。
「俺は、小さなおじさんだ。そう言えば通じると、ありがたいね」
思ったのと全然違う。それが、素直な感想だった。
「――と言うことがあったんだけど」
「なにそれ」
エプロン姿の相川に、先程あったことを話した結果。彼女は料理の支度を中断して、私の後について坂を登った。
近道である河原を使わなかったのは、きっとどちらも、混乱していたからだろう。
「よう、女性が一人増えたじゃねーか。不安なことがあったら言いな。俺が撃ち抜いてやるからよ」
人差し指でハットのツバを上げる仕草は、どこからどう見てもダンディだった。
「イメージと違いすぎるんだけど」
「私、ビール腹の変態おじさんをイメージしてた」
「アタシも」
「けっ、そんな奴らと一緒にしないでもらいたいね」
この小さなおじさんは、なんなんだろう。どこから来たんだろう。何故、鶏小屋に居るんだろう。様々な疑問があるけれど、とりあえず……。
私たちはその場を離れた。
「それで、あとは喋る犬が居たんだっけ?」
「そう。玄関の前に居たの。怖かったぁ」
「そりゃ怖いわぁ。アタシんとこは猫が喋ったけど」
わぁお。
「この地域って、動物が喋るのかな?」
「さぁねぇ。とりあえず……、学校へ行って先生に訊いてみる? 出勤している人もいるだろうし、それで分からなかったら、日誌に書いてみるのもいいかも」
「あ、それ良いね。でも、休日でも質問は有効なのかな?」
「それも確かめてみないと、だもの」
森の中から突然野生動物が現れて、私たちに向けて話しかけてくるのではないか。そんな不安を持ちながら、なんとか無事に、学校まで辿り着いた。
玄関で上履きに履き替えて、職員室へ向かう。中には伊藤乃愛教師が居た。
「こんにちは〜。伊藤先生、ちょっと質問いいですか」
相川が話し掛けると、伊藤教師は顔を上げて、笑顔を浮かべた。
「こんにちは、相川さん。桜木さん。どうかした?」
「えっと、この地域の動物って……、喋るの?」
「え? えっと……、喋らない、のかな? あれ、どうなんだろう。マニュアルに何か書いてあったのかなぁ」
マニュアル? 彼女の口から出た言葉に、私たちは首を傾げた。
「私も雇われているだけだから、あまり把握していないんだけど……、何かは起こるけど安全は保証されている。そう書かれていたのは確かね」
「じゃあ、喋る動物も小さなおじさんも、アタシたちを襲ったりしないんだね?」
「小さなおじさん? えっと、そう、なのかな。多分。不安だったら、日誌に書いてみると良いかも」
お礼を言って職員室を出る。そのまま向かいの教室に入って日誌を確認すると、まだ質問は書かれていなかった。
「アユ、昨日の質問ってなんだったっけ?」
「えっと、競馬の着順はループしても変わらないかどうか」
「答えは?」
「気になるなら、確かめてみれば。だって」
「株の時と答えは同じかぁ。こりゃ、まったく同じことを繰り返す訳じゃなさそうだね」
同じく教卓の中に入っていたボールペンを使って、日誌に質問を書いていく。
「『喋る動物や小さなおじさんはなんなんですか』と。これで良いかな?」
「とりあえずはねぇ。質問がちょっと漠然とした感じだし、明確な答えは返ってこないかもだけど」
そこは、時間が経つにつれて、質問の精度も上がっていくことを願うだけだ。
ボールペンと日誌を教卓の中に戻し、私たちは適当な机に腰を預けた。二人して、息を吐く。質問をすると、何故か安心するような気がする。この異常なものを、誰かと共有できている気がするのだろうか。
「なんか、ここが異世界だって思うことが、いっぱいあるよね。テラスにいた猫が喋った時は、驚いたなぁ」
「うん。私も犬には驚いた。小さなおじさんも。一年も待たずに、すぐにでも杏仁先生に言ってみたいよ」
「その杏仁先生、どこに居るんだろうね。入学式の日以来、姿を見せないし。ほーんと、怪しい」
あの人の居場所を突き止めるのも、異世界の証拠だったりして。そんなことを話していると、教室のドア、二つあるうちの教卓から遠い方のドアが開いた。
「あれ、お前ら、なんでこんな所にいんの?」
顔を覗かせたのは、線の細い、中性的な印象を持つ男子。武藤旺佑だった。
「おっす、武藤くん。アタシらはね、ちょっと日誌に質問を書きに」
「へぇ。じゃあ、お前らも喋る動物動物を見たのか?」
「あら、じゃあ君も?」
仲間がいたことが嬉しかったのか、笑顔を浮かべて近寄ってくる。私が腰を預けていた机の席に、着席をした。
「庭にさ、狐が居たんだよ。初めて見るし、可愛いと思って触ろうとしたんだけどさ。そしたら、『触っちゃだめ! 常識でしょ!』って」
「野生の狐が優しすぎる件」そう言って相川は笑う。
「な! 俺、ビックリしてさ。慌ててスマホで調べてみた。エキノコックスだっけ? 危なかったよ」
「あ、調べるのはそっちなのね」私は呆れて言う。
「で、お前らは?」
「アタシは猫」
「私は犬」
「犬? どんな奴だった? 大きい?」
「えっと、盲導犬なんかでよく見る感じ、かな?」
「ラブかぁ。良いよなぁ。でも、俺的には長毛が好き。撫で心地が良いんだよなぁ」
どうやら、武藤は犬が好きらしい。「飼っていないの?」と相川が訊くと、「家を空けたくなくなる」と笑った。
「そういや、お前ら暇? どっか行く?」
「いや、アタシは料理の途中だったから。オムライスのために、美味しいケチャップライスを作ろうかと」
「うっわ、オムライス羨ましい。スーパーには売っていないんだよなぁ。桜木は? 何か食った?」
「ハムエッグを食べた」
「……だけ?」相川の目が真ん丸になる。
「だけ」
「朝飯は?」どんどんと真ん丸になる。
「さっき起きたから」
そこで、少し沈黙。
「アユ、うちに食べに来なさい。武藤くんはどうする?」
「旺佑でいいよ。ご馳走になります」
「あ、じゃあコーラを持っていくね」
「それじゃあ、俺はポテチでも持っていくか」
「それならアユ、何かゲームを持ってきてよ。ボードゲームとかパーティーゲームとか、色々と持っているんでしょ?」
「お、そうなん?」
「うん。ゲームのコレクションが趣味だから」
「うっわ、今度、家に行っていい? 見てみたいわぁ」
「コーラを持ってきてくれるのなら」
「はい、大好物を把握しました〜」
「酒も飲めねぇガキどもが」
え……、と驚きた私達は、勢いよく窓の方を振り返った。
ダンディな小さなおじさんが、ニヒルに寄りかかって手を振っている。
「……ストーカー?」
「アユ、変なのに好かれちゃったね」
「これが女の人だったら、俺も付きまとわれてぇ」
なんとも言えない、教室での一時。




