第二話 異世界の定義
入学式を終えた私たちは、教室で、担任の教師らしい人物から衝撃の事実を告げられた。
ここは異世界で、何故、異世界なのかを明らかにしなければ、私たちの時は巻き戻って、もう一度、一年生をやらなければならない。らしい。
そう言って教室を出ていったその教師を、私は追いかけてみた。特に意味のない好奇心だった。そして職員室に入ったのだけれど、彼の姿はどこにもなくて。そこに居た教師たちも、詳しい事情は持ち合わせておらず。ただ、ありふれた日常を過ごすしか方法はないのだと言った。
私はなんとなく帰る気になれなくて。鞄を取りに教室に戻る気にもなれなくて。少し、学校の中を彷徨った。
二階建ての、そこまで大きくはない校舎。教室は一階に二つ、二階にそれぞれ一つがあって、メインで使うのは一階の玄関から入って左手にある。職員室は向かい。右手には教室と、保健室やら倉庫やら。
二階には図書室と理科室、音楽室があって、残り一つの教室も、パソコンが置かれた実習室となっていた。一階に教室が二つ残っているのは、体育や水泳などの際に着替えるためだろう。パンフレットにも、更衣室のようなものは載っていなかった。
廊下の踊り場から外を覗くと、体育館とプールが並行して並んでいる。そこへと続く渡り廊下はトの字になっていて、分かれ道の先には美術の授業などで世話になる、実習室。
グラウンドは玄関側。屋上は進入禁止。グラウンドを取り囲むように植えられた桜を見物するのに、屋上を使えないのは勿体ないと思った。
私の足は図書室へと向いていた。
あの教師の言葉の通りに、この世界が異世界だとしたら、何かおかしな部分が歴史だったり、あるいは人の創作に表れているのではないか。
そう思ったのだけど……、なんだか、そんな自分を笑いたくなった。
実のところ、ここが異世界である理由は、私自身が一番、よく判っていた。何故なら私は、少し前には『僕』だったのだから。
幼い頃から病気を患っていて、その殆どを病室で暮らしていた男の子だった。学校に憧れて、友達とゲームをして、そんな生活に憧れる男の子だった。憧れて、憧れるだけで終わるんだ、って。
なのに、何故か気が付いた時には女の子になっていて、この学校に通うことになっていたのだから驚きだ。
病気にもなったことがない、容姿は少し幼気だけど、健康的な女の子だった。
だから、ここは異世界。それは間違いない。それに、シエルという女性。彼女は何者なのだろうか。艷やかな銀髪は、おそらく地毛だろう。けれど、その容姿は日本的で、どこか違和感を持ってしまう。
図書室のドアを開ける。正面の読書スペースの奥、ドアから見て左側に本棚が並んでいた。窓際の一番奥の席に銀髪が見える。
彼女の碧い瞳が、私を捉えた。
「あなたは、私の存在が異世界である証拠だと思う?」
その発言に、ドキリとした。
「逃げないで」
思わずドアを閉めようとしていて、その声を聞いて慌てて止める。大人しく、図書室に入るしかなさそうだった。
「確かに、私はこの日本という国の、地球なんて星の出身ではない」
あれ、と思った。てっきり、彼女のような存在が当たり前にいる世界だと思っていた。
彼女の前の席へ腰を下ろすと、パタンと本が閉じられる。
「もしかしたら、あのクラスに集められた全員が、その様な状況に陥っているのかもしれない。けれど、教師はみんな無関係かな。そこはまだ分からないけれど」
肘をついて、顎を手に乗せる。彼女の瞳は、真っ直ぐに私を貫いている。
「でも、きっと。それはここが異世界である証にはならないと思うの。だって、そうでしょう? 私たちにとって、ここが異世界だとしても。この世界にとってはそうではないかもしれない」
「この世界にとっては?」
「そう。何をもって異世界というのか。という話」
彼女は二冊の本を平行に置いた。
「これらは日本を舞台にした小説なのだけど、あなたはこれを、同一の世界だと言える?」
方や時代小説。方やミステリー。ミステリー小説に描かれる世界の過去に、時代小説の様な歴史があったのだろうか。なんて、真面目に考えてみる。
「どちらも別の世界の話だと、私は認識できる。そう、認識する者がいる世界がある。その世界を本来のものとするのなら、そこから観測できる世界が異世界となる。私は、そう思うの」
「つまり、ここが異世界だとしたら、それを観測している人がいる。ってこと?」
よく分からないけれど、言いたいことはそんな、単純なことだと私は思った。
「だとすると、真っ先に怪しむべきは担任教師。彼だけが明確におかしい。入学式にも居なかったわけだし」
なるほど、と思う。
「大事なのは、どんな質問をするべきなのか。私たちにとっては、既にこの世界は現実よ。だからこの世界のことを知って、本来の世界とどんな事が違うのかを問いたださなければならないと思うの」
「私は、一応日本の生まれだよ。今も、昔も」
「そう……。なにか、違和感はない?」
「こんな高校を作っちゃうって言うのが違和感」
「そう……。でも、あなたが元々居た世界が本物の日本だと言う証拠はあるの?」
そう言われると、頭が痛い。『僕』が生きていた世界が異世界で、『私』が生きる世界が本物の日本で。でも、ここが異世界で。
なんだかもう、訳がわからない。
「だからこそ、質問が大事。教室に残っている人たちは、もう質問を書いてしまったのかな」
「戻って知らせたほうがいいのかな?」
「ふふっ。ただここに居ても、カナカナと虫のように鳴くだけね。でも、それでいいと思うの。どうせ、正しい選択なんてできようもない。私たちはまだ、ここのことをよくは知らないのだから」
「シエル、さんは、どうしたらいいと思う?」
「シエルで結構。正直なところね、何かをしなくてはならない、ということでもないと思うの。私たちは、ただこの場所で過ごしていくしかない。そうした中で、日々質問の精度を上げていく。その途中で、きっと気付きもあると思う」
ゲームで例えるなら、と続く。
「まだまだ、チュートリアルの段階ね。先ずは動き方を学ばないと」
「この世界の生まれじゃないのに、そんなことも知っているの?」
「本を、読んだから」
私によく見えるように、手元の本が立てられる。『ロールプレイング殺人事件』。少しだけ、興味のそそられるタイトルだった。
「あ、ここに居たー!」
ビクッと、肩が跳ねた。勢いよく開けられたドア。元気のよい声。ドタドタと近寄る足音。
「相川さん。図書室ではお静かに」
「あ、シエルさん、ごめーん。でも、高まらない? こう、高まってこない? こんな未知数な体験、なかなか出来ないもの!」
「でも、図書室なのよ?」
「それは申し訳ねぇ!」
「あと、私はシエルで結構」
「おおっ、思いの外フレンドリー。アタシも愛で良いよ。えっと、桜木さんも……」
「私も、歩でいいよ」
「アユで良い? アタシもアイって呼んでいいからさ」
「あ、はい」
こんなコミュニケーション、未知数な体験だ。
「でさぁ、教室では男子達が質問を書いちゃったのよ。先生の名前は、ってね。アタシはみんなの意見を訊いたほうがいいのかなぁ、って思って二人を探しに来たんだけど、まぁ、もう遅いよね」
「ええ。でも、最初の質問はその程度のもので十分だと思うわ。ね、歩さん」
「え? あ、そうだね。私としては、もう少しルールを知っておきたいかも、って思ったけど」
ルール? いったい何のこと? と相川の頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。
「うん。例えば、答えられない質問があったとして、それはどのような質問が該当しますか、とか」
「あ、そっか! そもそも、名前も教えてもらえないかもしれないんだ!」
頭良いね、と撫でられる。
「はぁ、これで答えが貰えなかったら、一日無駄にしたことになるのかぁ。もう、猫の手でも借りたーいっ! きっと、男子よりも役に立つよ?」
「猫の手って……。流石に助言はくれないんじゃ?」
「そこは、ほら、よくテレビのバラエティー番組で喋る動物を取り上げてるし……」
「猫より犬のほうがよく見かけると思うけど」
そもそも、喋るとコミュニケーションは違うと思うんだけどなぁ。
「ふふっ、面白いことを言うのね。でも、どちらにせよデメリットはないでしょう? 一年間無駄足でも、また一年生を繰り返すだけ。私たちにはね、何のデメリットもないの。だったら、無理に急ぐ必要もないわ。まぁ……、あの人の言葉を信じるなら、だけど」
「あー、なるほど。焦り出すころには、こちらに手札は揃っている! ってやつだ」
飲み込み早いね、と私は立ち上がって相川の頭を撫でる。座らせたうえで。
「相川さん、見つかった?」
廊下から声がかけられる。振り返ってみると、そこには名嘉が立っていた。
「おーう、見つかったぜー。でも、質問はなんでも良さそうよ」
「そう。なら安心。私も正直、なんでも良かったもの。みんなもそろそろ帰るらしいから、私も出るわ」
「りょーかい。……ところで、カナは右? 左?」
「左」
「あらら、残念」
いつの間に、そんなに仲良くなったの? という疑問と、右と左って何? という疑問が、今のやり取りを聞いていて湧いてでてきた。
シエルの方を見ると、「私も左」と言う。その後に、「校門を出て」。その言葉で、やりとりの意図が分かった。
「私は、右」
「おわーっ! お仲間発見! アタシも右なんだぁ。校門を出て右に曲がって、川沿いにある家。そこ、二軒だけなんだよねぇ」
たしか、冬はより冷え込むために人気がなかった物件だ。貸し出される物件はリフォームされているそうだけど、それはあくまでも最低限で。実物を見て、そんなものかと素直に思った。
こういうものは高望みしない方がいいものね。精々、キッチンとお風呂、エアコン周りはちゃんとしたよ。ってくらいが関の山。まぁ、他にも目につく所はあったけれど。
「夏になったら川でスイカを冷やして、家の前でバーベキュー。内見をしたときからね、そんなビジョンが見えていたのよ! ……アユは?」
「えっと、川が好き、だからかな?」
その発言で、一つ気がついたことがある。名嘉も一瞬、大きく目を開いたように思う。
私は、家を選んではいない。既に家は選ばれていて、荷造りをする前夜に、『私』が気が付いた。川が好きなのは事実なのだし、その選択をした『私』も、確かに『私』なのは事実である。
記憶もしっかりある。ゲームが好きな両親。一緒に遊ぶのが好きだった。小学校では、男子とゲームの話で盛り上がった。中学に上がってからは、男子と話すのは少し恥ずかしくなって。運動が苦手だった『私』は、なんだか競い合うのが嫌になってしまって。
そうして、この学校の話を聞いて、のんびりと、マイペースに生活が出来ることを願って、受験をした。
意識の表れというのか、そのタイミングも関係あるのか、ないのか。分からないことだけが、どんどんと積み重なっていく。
「考えるだけ、無駄なのね。少なくとも、一年はのうのうと過ごしていても問題ないでしょう」
シエルの言葉に、私と名嘉は頷いた。




