06 超ホワイト・シエスタ作戦
翌朝。太陽が稜線を越える前から農園に集まってきた村人たちは、そこで目にした異様な光景に足を止めた。
「おっはよー! みんな、今日も天気いいけどよろしくね!」
そこには麻の服を纏い、麦わら帽子を被った農夫姿のシグリッドが満面の笑みで立っていた。
その背後に控えているのは苦虫を噛みつぶしたような顔をしたトーマスだ。ゼイニークに至っては農園までの坂道を下り終えただけで力尽きたのか、陸に上げられた魚のように口をぱくつかせている。
「ぜぇ、はぁ……。シ、シグリッド様、本当に私までこのような真似を……」
「当たり前じゃん。ウエニタツモノが現場を知らないでどうすんのさ。ほら、いつものあげるから体でも冷やしなよ」
「ひっ、冷たっ!?」
息を切らすゼイニークの首筋に、シグリッドが生み出した氷が無理やり押し込まれる。彼が情けない悲鳴を上げる中、王族らしからぬ軽薄な振る舞いに村人たちは呆然とその光景を見守るばかりだ。
その微妙な空気を切り裂くように、アルフレッドが鋭い眼光を向けて前に出た。
「……何の真似だ。この間もぶっ倒れたくせに、まだ懲りねぇのか」
「あんときはほんとごめんね? こんくらいの暑さなら余裕だと思ったんだけど、この身体が慣れてなかったみたいでさー」
悪戯を叱られた子どものようにシグリッドは笑うと、集まった村人たちに向けて勢いよく手を叩いた。
「ええっと、みんな聞いて! 今日からこの農園の働き方を変えます! 名付けて『超ホワイト・シエスタ作戦』!」
村人たちがざわめく中、シグリッドはよく通る声で高らかに宣言した。
「まず、これから一番日差しが強くなる時間は作業禁止! 全員、屋内か日陰でしっかり休むこと。作業は今の涼しい時間にやって、夕方からまた再開ね。無理して倒れたら元も子もないから。それと……はい、これ!」
シグリッドは、傍らに用意させていた水入りの木樽に両手をかざした。
「……あ、俺の手に直接触れてるわけじゃないから大丈夫、汚くないからね?」
妙な気遣いを見せながらも彼が指を鳴らした途端、虚空から無数の氷が生み出され、音を立てて樽の中へと注ぎ込まれた。魔法などほとんど目にしたこともないのだろう。村人たちは驚きを隠しもせずに樽へ降り注ぐ氷を見つめている。樽の表面には瞬く間に結露が浮かび、清涼な冷気が熱を帯びた村人たちの体を優しく撫でた。
「これからどんどん暑くなるんだから、休憩中はこの冷たい水でしっかり水分補給すること! これは領主としての絶対命令ってことで。……ほら、アルも飲んでみてよ」
「なっ……」
勢いよく差し出された木製のコップを受け取ったアルフレッドは困惑した表情を見せた。だが、険しい道のりで乾ききった喉と、氷の浮かんだ水の誘惑に抗う術などあるはずもない。
彼は恐る恐る口をつけて——。
「……っ」
アルフレッドが勢いよく喉を鳴らして飲み干す傍らで、シグリッドはにんまりと笑いながら他の村人たちにも手招きをした。互いに顔を見合わせた彼らは恐る恐る列を作りだす。
シグリッドがひとりひとりにコップを手渡す。恐れ多そうに恭しく受け取った彼らは、水を飲んでほんの少しだけ目を瞠り、頬を綻ばせる。
トーマスは、その光景を静かに観察していた。
村人たちの顔にはまだ困惑が浮かんでいる。が、ほんの少しだけ緊張が和らいだように見える。計算か、天然か。いずれにせよあの傲慢を極めた王子が自ら民に奉仕するなど、未だ信じがたいことである。
「……つまり、休んだ分は夜まで働けってことですか……?」
ゼイニークと同じ発想に至ったのか、誰かが疑わしげに声をあげた。それも無理からぬことだろう。彼らはこれまで働けと命じられることはあれど、休めと労われることなど皆無であろうから。
「違う違う。夕方の作業も日が落ちる前までにしてもらうよ。休んで効率が上がるか試したいんだから、時間を延ばしたら意味ないっしょ?」
「効果がどこまで出るかは記録を見ねば分かりませんが……少なくとも、暑さによる体調不良や過重労働への対策にはなりましょう」
「ま、これまでみたいな無茶はしないでねってこと」
茶目っ気たっぷりにウインクするシグリッド。それでもまだ村人たちは戸惑いの目を向けてくるが、それも仕方のないことだろう。すんなりと理解してもらえるとはトーマスとて思っていない。やってみて、それで効果を実感してもらうほかないのだ。
「問題は……コフィの木ですな」
昨夜、館の書庫で見つけた植物図鑑を遅くまで紐解いたところ、コフィは直射日光に弱い植物だと判明した。元々この地で育てるには最適とは言い難いのだ。この土地特有の苛烈な太陽に無防備に晒されれば、枯死するのも道理であった。
「そこはさ、バナナの木を日除け代わりに植えてみない?」
「バナナ……とはバナニーニバナーガでございますか? 理にかなってはおりますが、あれは他国からの輸入品。王都でも高値で取引される貴重な果実です。コフィの木を覆うほどの苗など、到底手に入りませんぞ」
トーマスの指摘に、シグリッドは意外そうに目を丸くした。
「そうなの? 馬車の中に大量に入ってたじゃん。てか、バナニーニ……何? 名前長すぎ。バナナでいいよ。見た目も味もバナナだったし」
「……まぁ、それでよろしいのですが。あれは陛下からの餞別でございます。シグリッド様の大好物でいらしたでしょう?」
親馬鹿で知られる国王は辺境へ送られる息子を不憫に思い、傷みやすい南国の珍果を保冷の魔導箱へ詰めて持たせたのだ。魔道具の貴重さを思えば異例の対応である。
「そうなんだ。確かに俺も好きだけどさ。安いイメージだったんだけどそんなに手に入らないものなの?」
「……手に入らないこともありませんぞ。私には、商人の伝手がございますので」
「おっ、マジで? 流石ゼイニークさん、顔が広いね!」
「あまり褒められた話ではございませんがね」
ゼイニークは周囲を憚るように声を潜めた。
「そもそもこの村に植えたコフィの苗も、私が個人的に懇意にしている商人から直接買い付けたものです。その男を通せばバナニーニバナーガの苗も手に入るやもしれません」
「直接買い付けとは……きちんと記録に残しているのでしょうな?」
「そ、その程度の手続きはしているとも! 王都の商会を通しておりませんから、多少顔向けしづらいところはありますが……」
「悪いことしてないならいいじゃん。そういうコネはガンガン使っていこうよ。で、その商人さんはすぐ呼べるの?」
「手紙を出せば、数週間のうちには。ただ、足元を見てかなりの額を吹っかけてくる男ですがね」
相手も相当なやり手なのだろう。ゼイニークは忌々しそうに吐き捨てた。
「金なら……なんとかしよう!」
「なんともなりませんぞ。雨季の備蓄を除けば、この村に自由に使える金などほとんどありませんからな」
「マジで? じゃあ売れそうな物でも探してみようかな。まずはその人にバナナの苗がどのくらいの値段か聞いてみてよ。ついでに砂糖とかミルクも手に入ると最高なんだけどな〜」
不釣り合いな高級品の指定にゼイニークは頭を抱えた。我儘王子の本領発揮だとでも思っているのかもしれない。そんな苦悩など意にも介さないシグリッドの瞳は何やら楽しげに輝いている。
「ですが……苗が手に入ったとしても、十分な影を作るまでには時間がかかります。当面の日除けは別に用意せねばなりません。それに乳と簡単に言いますが、この暑さの中で運べば到着する前に腐りましょう」
「それもそっか。うーん……じゃあ、枝で骨組み作って、藁とか葉っぱを載せる感じでどう? バナナは将来のためってことで! ミルクは……うん、考えておくよ」
当面の代替としてはそうする他ないだろう。トーマスが頷くと、シグリッドは両手をパンッと軽快に打った。
「苗を仕入れる当てはついたし、当面の日除けも作らないとだけど……俺たちも一仕事しますか! さ、ゼイニークさん、一緒に枝を運ぼう!」
「ひぃっ!? まさか本気だったとは……! きゅ、急に眩暈が……!」
「仕方ないなぁ。今日は休んでていいよ。明日からが本番ってことでね」
「た、助かります……」
自分にない伝手や能力を活用しようとする柔軟さ。そして、周囲を否応なしに巻き込んでいく不思議な引力。
やはりこれまでのシグリッドとはまるで違う。では何なのかと問われれば、いまだ答えに窮するのだが——。
「……おい」
不意に背後から声がかかった。
視線を向ければ、空のコップを握りしめたアルフレッドが複雑そうな表情でトーマスを睨んでいる。
「あいつ、なんなんだよ。……本物の王子様、なんだよな?」
「ええ。少なくとも、血筋だけは間違いなく」
「意味がわかんねぇ。何を企んでやがる」
疑念を隠さぬ言葉に、トーマスは肩をすくめてみせた。
「私にも分かりません。ですが……少なくとも今のところ、物事は悪い方へは進んでいない。そうは思いませんか?」
アルフレッドは舌打ちを一つ残し、背を向けて農園へと向かっていった。その足取りは昨日までよりも僅かに軽い。村人たちの動きにはほんの少し余裕が生まれているように見えた。
トーマスは懐から帳面を取り出し、その日の作業開始時刻と参加人数を書き留めた。夕刻には収穫した箱の数と、途中で体調を崩した者の有無も記録する予定である。
シグリッドがアラピカで初めて打ち出したこの施策が村にどのような変化をもたらすのか。それを見定めるために。




