05 働き方改革推進します!
アラピカへ到着してから半月が過ぎた。
貴族然とした絹の衣を脱ぎ捨てて麻の服に袖を通したシグリッドは、毎日飽きもせずに寂れた村を巡っては村人たちとの交流を重ねている。
慣れというものは恐ろしいものだ。あるいは拒まれても懲りずに挨拶を続け、実際に汗を流す彼の姿が村人たちの警戒心を少しずつ解き始めたというべきか。挨拶を投げれば稀にではあるが返事が戻るようになった。子どもたちは彼の姿を見つけると面白がって後をついて歩き、老人の中には彼が通るのを待って声をかける者もいる。若い娘たちに至っては、村では見かけぬ美しい顔立ちと人当たりのよさに、ぽっと頬を染める者まで現れ始めていた。
「それで、名前は概ね把握されたのですか?」
「まぁね。でもいつまで経っても教えてくれない人もいるからさ、ゼイニークさんに名簿を借りたんだ。家族構成とか結構細かく書かれてたから助かったよ」
「それはまた……ずいぶんと熱心なことでございますな」
その勤勉さを王都にいた頃に少しでも発揮してくれていれば。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、トーマスは皮肉混じりの笑みを浮かべた。
「よし、じゃあそろそろ次の段階に進もっかな。ねえ、センセー。コフィってさ、どこでも飲めるの? 庶民向け?」
「いえ……稀少ですから一部の地域に限られます。王都で流通しているものも主には他国からの輸入品で、未だ高級品の域を出ません。そもそも苦いだけの薬なんて、誰も好んで飲もうとは思わないでしょう」
「そっかー。ってことはさ、これってめっちゃビジネスチャンスじゃね?」
「……ビジネスチャンス、ですか?」
思わず問い返してしまったが、いったい何を企んでいるのやら。
その答えは朝食の席で明らかになった。椅子に腰かけるなり、シグリッドがゼイニークへにこやかに切り出したのだ。
「ねぇねぇ、ゼイニークさん。俺さ、コフィの農園をもうちょっとどうにかしたいんだけど、いい?」
「……いや、いい? と唐突に問われましても。あれは村の貴重な収入源。勝手な真似をされては困ります」
「でもさ、もっと稼げるようになるかもしれないじゃん? ゼイニークさんだってお金は嫌いじゃないでしょ?」
「……と、申されますと?」
ゼイニークは小馬鹿にしたような視線を向けていたが、金という言葉が出た瞬間にその目がぎらりと輝いた。にんまりと口角をつりあげたシグリッドが机に身を乗り出す。
「働き方改革ってやつがしたいんだよね。あんな炎天下でむやみやたらに働かせるのは絶対効率悪いって。俺のバ先だってもうちょいホワイトだったよ?」
「バさき……?」
「仕事場のこと。……でさ、俺って今、この村の領主なんだよね? ちょっと試してみるくらい、いいよね?」
口調こそ軽いものの有無を言わさぬ圧がある。そもそも断れば王族の意向に逆らうことになる。ゼイニークは低く唸りながらも採算を測るように目を細めた。
本来ならばゼイニークは、シグリッドには名目上の領主として館で大人しくしてもらい、自分が従来どおり実権を握るつもりだったのだろう。
だが蓋を開けてみれば王子は村に深く入り込み、あろうことかこの村の運営にまで口を挟もうとしているのだから目論見が外れたに違いない。さらには何かを仕掛けようとしているとあらば、警戒するのも当然ではある。
王族としての天賦の才がようやく目覚めたのか。それとも思いつきで物を申しているだけか。
ゼイニークは滴る脂汗を拭い、苦渋を煮詰めたような顔でもったいぶった声を漏らした。
「……具体的には何をお考えなのですかな?」
「それなんだけどさ。今、村の人たちは何時間働いてるの?」
「さあ。日の出から日没まで、ではありませぬかな」
「なにそれ超ブラックじゃん! このクソ暑いのに、死人が出るって!」
日の出から日没まで、およそ十二時間。収穫後の下処理を含めれば拘束時間はさらに延びるはずだ。
鞭ばかりでは人は動かぬし、疲れ果てた心身では効率も上がるはずがない。シグリッドはそう断じたいのだろう。……たぶん。
「じゃあさ、今日から一番日差しの強い昼間は全員休み! 朝の涼しい時間にパパッとやって、昼のクソ暑い時間は長めの休憩——シエスタってやつにしよう!」
「……なるほど。その埋め合わせとして深夜まで働かせよと。そういうことですね?」
「え? ちょっと考え方が社畜過ぎない? 夕方涼しくなったらまたちょっとだけ作業して、日が暮れる前に家帰って飯食って寝るの。それが新しい働き方。日差しが強い間は日陰で休んだ方が作業効率も上がるって。どう?」
「甘い、甘すぎますぞ! そんなことをすれば、収穫量が——」
「最初は減るかもね。でも、倒れる人が減れば結果的にプラスになるっしょ? ダメだったらまた考えればいいじゃん。とりあえず一緒にやってみようよ」
にっこりと。人たらしの笑みを向けられて、ゼイニークは言葉を失った。トーマスはと言えば、提案自体は理にかなっていると内心で深く頷いていた。
シグリッドも何の考えもなしにこんな提案をしたわけではない。先日農園に顔を出した彼は、強い日差しにさらされて倒れたのだ。
館まで担いで運んできたのは他ならぬアルフレッドだったのだが、彼は寝台へ放り出すなり吐き捨てた。
『自分が倒れてちゃ世話ねぇだろ。俺たちの仕事を分かった気になる前に自分の身体のことを分かっとけよ、王都育ちのお坊ちゃんが』
手厳しい言葉を受けて力なく笑ったシグリッドの顔は、血の気を失って真っ青だった。
あの日はトーマスも肝を冷やしたものである。本人曰く「氷出すのも忘れるくらい集中しちゃってさー」とのことだったが、王族としての自覚がまるでないと言わざるを得ない一件であった。
あれ以来トーマスが必ず付き従い、また農園で倒れられては迷惑だとでも言いたげにアルフレッドも遠巻きから目を光らせるようになったのだが——その経験があるからこそ言っているのだろう。
「ううむ……では、まずは一部の作業班だけ昼の休息を長くして試してみてはいかがですかな?」
「だめだめ。一部だけなんてしたら『不公平だ』って余計に不満が溜まっちゃうよ。ゼイニークさんだってこれ以上恨みを買って夜道で頭を耕されたくないでしょ?」
さらりと恐ろしいことを口にするシグリッドに、思い当たる節しかないのであろうゼイニークは低く呻いた。不満の偏りは一揆の火種となる。その危うさは理解しているらしいが、それでも決めかねている様子だ。
「……それならば、全員同じように休ませたうえで、作業時間と日々の収穫量を記録するのはいかがでしょうか。前年同時期の数字と比べれば、効率が上がったか判断できましょう」
膠着した空気を断ち切るようにトーマスが提案すると、ゼイニークは苦渋の決断と言いたげにゆっくりと頷いた。
「……次の収穫期が終わるまで。ええ、試して差し上げましょう。ただし、収穫量がこれまでよりも大きく下回るようなら、即刻見直していただきますぞ」
「おっけー。いや~、ゼイニークさん、めっちゃ話の分かる人じゃん! センセーも、フォローありがとね!」
満面の笑みで親指を立てるシグリッドに、ゼイニークは顔を引きつらせながらもどこか毒気を抜かれたように口元を緩めた。……存外、罵られることこそあれど賞賛には慣れていないのかもしれない。
「じゃ、ゼイニークさんも明日から農園で一緒に働くってことで」
「……聞き間違いですかな? 私にまで畑仕事をしろと、そう申されましたか?」
「うん! 一緒に動いて汗をかいた方が楽しいし、いい運動になるでしょ? 痩せるかもよ〜?」
唖然とするゼイニークに、トーマスは思わず鼻で笑ってしまった。
不健康に肥えたその身体をどうにかするよい機会に違いない。それにこれまで村を治めてきたゼイニーク自らが土にまみれれば、村人たちの鬱憤も幾分かは霧散するはずだ。
そう一歩引いて眺めていたトーマスに、シグリッドが笑顔を向けた。
「で、センセーは俺にコフィの育て方、教えてね? あんな直射日光ガンガンだから木が枯れちゃうと思うんだよねー。ビニールハウスは無理にしても、なんか日陰作った方ががいいんじゃない?」
「……聞き間違いですかな? 私も農作などしたこともございませんが?」
「じゃあ調べておいてよ。センセー、頭いいんだからちょっと調べたらすぐわかるっしょ?」
なんとも無茶な要求にトーマスとゼイニークはそろって顔を見合わせる。
そんな二人をよそに、シグリッドは食後に用意させたコフィをくいっと傾けて、「まっず!」と盛大に顔をしかめて笑っていた。




