04 村人は死なぬ程度でいいそうです
領主の館は村の貧しさからは想像もつかぬほど豪奢だった。もっとも、壁に残る肖像画の跡や食器に刻まれた古い紋章を見る限り、その多くは前領主から引き継いだものらしい。
そして招かれた晩餐の席には、目を剥くほどの贅沢な料理が並んでいた。
香ばしく燻された肉の盛り合わせに、焼きたてのふっくらとしたパン。彩り豊かな野菜のスープ、さらには果実を使ったデザートまで添えられている。アルフレッドあたりが目にすればまた手痛い皮肉が即座に飛んできそうな豪華さである。
とはいえ、よく見れば壁紙は色褪せて銀器も一揃いには足りていない。なんとも歪さを感じさせるものだった。
「わぁーっ、うっまそ!」
もちろん宮中で口にしてきた品々に比べれば見劣りするのは否めない。それでもシグリッドは笑顔でスプーンを握り、頬張るたびに「やばっ」「なにこれ神」と、品位に欠けた感嘆の言葉を漏らしていた。
ただ奇妙なことに、その所作の端々には王都にいた頃よりも洗練された気品が覗いている。しかし口から飛び出す言葉があまりにも俗っぽいためか、ゼイニークは嘲笑を隠しもせずに鼻で笑っていた。
「お気に召したなら何よりです。が、今宵は特別に提供したにすぎません。次はありませんので、そのおつもりで」
「そうなんだ。まあ、こんなの毎日食べてたら流石に贅沢すぎるよね。村の人たちも似たようなのを食べてんの?」
ナプキンで口元を拭いながらシグリッドが軽い調子で尋ねる。その問いにゼイニークは喉の奥で小馬鹿にしたように笑い、細い目を頬肉に埋もれさせた。
「まさか。そんなわけがありますまい。彼らには定められた量の物資を配給しております。雨季を越すための備蓄には限りがありますのでな」
どこか歪んだ言い回しに、トーマスも表情を曇らせた。
シアソレイユ王国におけるこの辺境の地は、乾季の猛暑と雨季の長雨という極端な気候を持つ。特に雨季は忍耐の季節と呼ばれ、作物が育たず疫病も流行りやすいために領主による備えが村人の命綱ともいえた。
そんな事情を知ってか知らずか、シグリッドはあくまでも陽気な笑みを絶やさない。
「へぇ。じゃあこのご馳走は領主様の元気の源ってわけだ。いいと思うよ。上に立つ者が元気じゃないと、ついていく人たちも不安になるもんだよね」
「……左様。さすがに理解されているご様子だ。我ら為政者が倒れては元も子もありませんからな。余分を与えて怠け癖がついても困ります。村の人間など、死なぬ程度に気を配ればよいのです」
自らを清廉潔白だと思ったことは一度もない。貴賤の差もあって然るべきだろう。だが、上辺を飾るでもなくこうも露骨に突きつけられると流石に不快感が込み上げる。
教育者として歩んできたために領地経営の知識は最小限に留まるが、それでも、肥え太ったゼイニークと干からびた村人たちの対比を見せつけられては、この村の抱える問題など容易に想像がついた。
果たしてこの地の新たな主となるシグリッドはいかなる采配を振るうつもりなのか。本来ならばゼイニークなど即座に罷免して然るべき立場でありながら、共同領主という奇策に打って出た真意は何処にあるのか。
かつての馬鹿王子であれば面倒事などすべて他人に押し付け、放蕩の限りを尽くす未来も容易に想像できたのだが——。
「なるほどね。でも『死なぬ程度』って……そんなブラックな村、嫌すぎない?」
「ふむ……? もしや王都への返り咲きを狙って何かを成そうとしておられるのですか? それならば無駄な足掻きはやめた方がよろしい。この村でシグリッド様にできることなど、何もしないことくらいでしょうからな」
「あはは、それは無理だなあ。だって俺、じっとしてると死んじゃうタイプだからさ〜。まあ難しいことは任せるけど……せっかく同じ村に住んでる仲間なんだからさ。みんな元気に楽しく過ごしてほしいじゃん?」
予想だにしなかった言葉なのだろう。ゼイニークはぽかんと口を開いて、嘲笑を隠しもせずに口元を歪めた。
「同じ村に住む仲間、ですと? 何を仰っているのやら。相手は平民ですぞ」
「俺も平民でしょ? 王子様じゃなくなったらしいし」
「いえ、シグリッド様はあくまで王家の御血筋。王太子位を剥奪されたとはいえ、平民ごときと並び立つような存在ではありません」
これまで沈黙を守っていたトーマスであったが、そこで初めて口を挟んだ。
かつてのシグリッドは、廃嫡されてもなお傲慢さを失わなかった。臣籍降下まではされなかったという驕りもあったのだろうが、軟禁されていた自室の中でさえ王家の血筋を盾に虚勢を張り続けていた。
それを目の当たりにしていたからこそ、それすらも忘却したように首を傾げる今の彼の姿に、薄気味悪さにも似た違和感を覚えてしまう。……そうだ。いつの間にか彼のペースに飲まれてしまったが、この『何か』が何なのか、まだ棚上げしたままであった。
——が、今は目の前の豚に太い釘を差す必要があるだろう。
「とはいえ、シグリッド様はこの村の領主となられた身。村と民を守り導く責務がございます。……貴殿も、くれぐれも足を引っ張るような真似はなさらぬよう」
「それはこちらの台詞ですな。この村にはこの村なりのやり方というものがございます。余所者に掻き回されては困るのですよ」
「不敬ではありませんか? 仮にも王族に向かって『余所者』とは」
「……失礼。言葉が過ぎましたな」
ゼイニークが探るようにシグリッドを見つめる。だが当の本人は気にする素振りもなく、「あ、いいよいいよ」と笑って軽く手を振る。その邪気のない物言いに毒気を抜かれたのはゼイニークの方であった。
「……とにかく。シグリッド様もお疲れでしょう。しばらくは静養なさるのが最善です。いずれ時が経てば、王都への帰還も叶うやもしれませんからな」
「王都ねぇ……。ま、それはおいおい考えるとして。とりあえずはお言葉に甘えて様子を見させてもらうよ。まずはみんなの顔と名前を覚えたいし」
「みんな、と申されますと?」
「村の人たちに決まってるじゃん。これから一緒に暮らすんだから早く覚えないとね」
あっけらかんと言い切るシグリッド。返答に窮した様子のゼイニークは不審げにトーマスへ視線を向ける。『一体これは何なんだ』とでも言いたげに。
そんなこと、こちらが知りたいくらいである。
トーマスもまた、知らぬ顔でそれを受け流した。
豪奢な館ではあったが、まともに手入れされている客室は一室しかないらしい。それか手間を惜しんだだけかもしれぬが、まさかの同室という待遇に心の中で毒づきながら、トーマスは窓ガラスに映るシグリッドを見つめていた。
本当にあの青年はシグリッドなのだろうか。
使用人を不敬罪で次々と追放していた王太子と、村人に気さくに語りかけていた青年。二つの人物像がどうしても結びつかないまま、夜が更けていく。
翌朝、まだ肌寒さを覚える時分。勢いよくカーテンが開けられた。
「よしっ! 今日もいい天気!」
シグリッドは宣言通り、農具入れのなかにあった麦わら帽子を被ってさっそく広場へ向かった。すれ違う村人に自ら名を名乗り、誰彼かまわず声をかけていく。
「君は……ラウラちゃん? まだ小さいのに手伝ってて偉いねぇ〜!」
「初めまして、俺はシグリッド。——あ、王子様はナシで。様付けもいらないからさ!」
「あれ? アルじゃん。何してんの? ……って、ちょっと待ってよ、無視は酷くない!?」
案の定、村人たちの反応は冷ややかだった。戸惑いの眼差し、気まずそうな愛想笑い、露骨に距離を取る仕草。それでもシグリッドは笑顔を崩さない。
子どもには腰を屈めて同じ目線で話し、老人には声の調子を落としてゆっくりと尋ねる。無遠慮に距離を詰めるばかりかと思えば、怯える者にはそれ以上近づこうとしなかった。
トーマスは少し離れた場所から、その様子を眺めていた。
幸い、廃嫡されたという噂以上のことはこの村まで伝わっていないようだ。だがそれ以前に『王族』という存在そのものが村人にとっては一歩引かれて当然のものであった。
そしてトーマスは、村の惨状にも目を細める。
刃の欠けた農具、傾いた屋根、雨季を前に土砂で埋まりかけた排水溝。赤土の道には、過去の雨で削られたような深い溝がそのまま残っている。
村は、表面的な笑顔だけで変えられるほど甘くはなさそうだ。
「……課題は山積み、ですな」
けれども、木箱を担ぎ上げたシグリッドの笑顔には一片の曇りもない。
「なんとかなるっしょ。ね、センセー!」
為政者たるもの、自ら汗を流す必要はない。むしろそれは威信を損なう愚行とさえいえる。
かつてのシグリッドも、そう豪語していたはずなのに。
「うわっ! 鍬が抜けないんだけど!? ねえアル、ちょっと俺のこと引っ張ってくんない?!」
声を掛けられたアルフレッドは無視しようとしたものの、本当に鍬を折りそうなので仕方なく手を貸している。
「どんくさい奴だな」と悪態をつかれて照れくさそうに笑うシグリッドに、思わず、といった様子で一人の子どもが笑い返した。




