03 これが噂のブラック領地です
「へぇ~。家って全部、木でできてるんだ。なんかいいよね、こういうの。風通しも良さそうだし」
さっさと涼しい館へ引っ込むかと思われたシグリッドであるが、己の首筋に氷を当てて涼を取りながら、ふらふらと村の中を散策し始めた。興味津々といった様子で辺りを見渡していたかと思えば、道端に立っていた痩せた女にも気安く声をかける。
「お姉さん、暑くない? なんかちょっと疲れてるっぽいけど——」
シグリッドが一歩近づいただけで、女は顔色を変えて身をすくめた。こんな辺境の村では王族はおろか貴族と関わることも少なかったのであろう。怯えたように小刻みにその身を震わせている。
「あ、ごめんごめん。びっくりさせちゃったね」
ちょっと困った顔を見せたシグリッドは「またね」と軽く手を振る。女が呆然と見送る中で、その後ろを歩くトーマスも黙ってついていくしかなかった。
ゼイニークはといえば予想外の振る舞いにすっかり翻弄された様子で、時折トーマスに助けを求めるような視線をちらちらと送ってくる。……だが、正直に言えば説明できることなど何もない。トーマス自身だってまだ、この『何か』の扱いを決めあぐねているところだ。
村の外れにある広場に差しかかったとき、シグリッドはふいに鼻をひくつかせて足を止めた。
先ほどからこの村全体にうっすらと漂っていた、鼻を突く酸っぱい匂い。その発生源に行き着いたらしい。
視線の先の地面には泥に汚れた麻布が敷かれ、収穫された小さな実が無造作に広げられていた。赤く熟したもの、青いままのもの、黒く腐りかけたもの。すべてがごちゃ混ぜになっている。
その傍らでは、果肉を取り除いたらしい種を一人の男が煤けた鍋で煎っていた。焚き火の熱に炙られ、男は滝のような汗を流しながら作業に没頭しているが——煎っているというよりは、ただ炭になるまで焼き尽くしているようにしか見えない。
香ばしさの欠片もない焦げた匂いが辺りに立ち込める。これまで陽気に笑っていたシグリッドの表情から初めて笑顔が消えた。
彼は作業風景をまじまじと見つめ、やがて信じられないといった顔でゼイニークへと振り返る。
「ねえ、ゼイニークさん。あれってこの村の特産品か何か?」
その声には、先ほどまでの軽薄さがすっかり消えている。射抜くような眼差しに一瞬たじろいだゼイニークは、咳払いをひとつしてから答えた。
「さようでございます。コフィの実と申します。眠気覚ましの薬として重宝されており、この村にとっては貴重な収入源でございますな。黒くなるまで煎るほど、薬としての苦みが増すのです」
「コフィ……?」
聞き慣れない単語に首を傾げるシグリッドの耳元で、トーマスがそっと補足した。
「そのまま食すこともできますが、中の種を煎じて飲用するのが一般的です。ほら、あの黒い液体の飲み物ですよ。以前に公務があるにもかかわらず眠たそうにしていたシグリッド様にお出ししたところ、『にっっっが!』と仰って吐き捨てられた、あれでございます」
「……あっ、もしかしてコーヒーのこと? うわ、まさかこんなところで育ててるなんて!」
いまいち発音が聞き取れなかったのか、トーマスが「コフィです」と訂正するも、本人は何やら興奮した様子でまったく聞いていない。
ゼイニークは呆れたように溜息を吐き、ハンカチで顔を拭った。
「私も多忙の身ゆえ。後ほど迎えを寄越しますから、どうぞごゆるりと」
どうやら付き合っていられないと判断したらしい。彼はそれだけ告げると、でぷでぷと重たい身体を揺らして早々に館へ引き返していった。
その背を見送り、シグリッドとトーマスは村の裏手にある小高い丘へ登る。
最初は目を輝かせていたシグリッドであったが、しばらくその風景を眺めたのち、ぽつりと漏らした。
「……なにこれ。めっちゃひどいじゃん」
眼下に広がっていたのは、黒く乾いた土に雑然と植えられた木々だった。実物を見るのはトーマスも初めてであるが、きっとあれがコフィの木なのだろう。本来なら青々と茂っていてよさそうであるが、その葉はあちこちで枯れかけている。ねじくれた枝が空に向かってひょろひょろと伸び、地面には蔓草がはびこっていた。
「……うわ、あんな小さい子まで働いてんだ」
農園の一角では、まだ幼い子どもたちが日差しを浴びながら実を一粒ずつ摘んでいた。子どもが働くこと自体は地方でならさほど珍しくもない光景であるが、今のシグリッドには耐え難いものに映ったらしい。
はたして何を考えているのか。見定めようとその横顔を眺めていると——背後から、不躾な声がかかった。
「……あんたが、新しい領主様ってやつか?」
振り返ると、日焼けした青年が立っていた。
茶色い布を頭に巻き、作業服からは砂にまみれた肌が覗いている。そして鋭くつり上がった瞳にはじっとりとした猜疑の色が宿っていた。
「そーらしいけど、君は?」
「アルフレッド。……この村の人間だ」
「へぇ、アルか。俺はしぐれ——シグリッド。よろしく!」
当然のように略称で距離を詰めてくる彼に、アルフレッドは眉をひそめる。
「随分と軽い王子様だな。……なんか企んでんのか?」
「いや、なんも企んでないよ! ってかさ、なんかみんな冷たくない? 俺は仲良くしたいんだけど」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ。お貴族様って時点でもう敵なんだよ、こっちじゃな。しかも王都から追放されたって話じゃねぇか。そんな得体の知れない奴の相手なんかしてられっかよ」
ぴしゃりと言い放たれ、シグリッドは目をぱちぱちと瞬かせる。
「前の領主も、その次に来たあのデブも、俺たちに無茶を押しつけるだけだった。ここに流されてくる貴族なんざ碌でもない奴ばかりだ。……お前もそうなんだろ? 随分と綺麗な服を着てんもんなぁ?」
場の空気が、ぴんと張り詰める。
為政者に何を求めているのやら。そうトーマスは内心で鼻白んだが、シグリッドはどこ吹く風といった様子でにこりと笑った。
「実は俺、スローライフに憧れてたんだよね。だからここでは汗水流せたらいいなって思ってるよ。……で、アルたちはここで働いてるんだよね? 若いのに偉いな〜」
「……馬鹿にしてんのか? こっちは毎日、生きるために必死なんだよ。誰が好き好んで朝から晩まで働くかっての」
「え、無理やりやらされてんの? 村のみんなで決めて働いてるのかと思った」
ぽかんと呟くシグリッドに、アルフレッドは苦々しい表情を向けた。
「あのデブの命令だよ。収穫量を増やせってな。無茶ばっか押しつけやがって……このザマだ」
農園では疲労を滲ませた村人たちが黙々と作業していた。日陰のない炎天下。手袋もないままの作業に指は真っ黒に染まり、ひび割れから血が滲んでいる。
「なにそれ、超ブラックじゃん。そんなのバイトでも労基に訴えれば一発だよ」
……ブラック? ろうき?
単語の意味は分からなかったが、その口調から強烈な批判であることは察せられた。
「……確かに、酷い有様ですな。素人目にもただ数を増やしただけにしか見えません」
「あの豚は数を増やせば収穫も増えると思ってやがるんだよ。ばっかじゃねぇの」
「これほど密集させては土の養分も奪い合うのではありませんか? それにこの実は王都へ卸しているのでしょうか?」
「知らねぇよ。俺らはノルマをこなすだけだ」
その時、一人の村人がふらりと足をもつれさせて木箱をぶちまけた。「もうやってらんねぇよ!」と地面を蹴る彼に、周囲は誰ひとり反応しない。皆どこか虚ろな目でただ手を動かし続けている。
それを黙って見ていたシグリッドが腕を組み、ぽつりと呟いた。
「これさ、もっと涼しい時間にやるとか楽しくやれないのかな? 苦しむために働いてるわけじゃないんでしょ?」
「……お前、やっぱり馬鹿にしてんだろ。鍬も握ったことねぇくせに分かったような口をきいてんじゃねーよ」
「いやいや、分からんのよ、マジで。……だからさ、俺に教えてくんない?」
アルフレッドの瞳に戸惑いがよぎる。だがそれは、即座に激しい憤りへと塗りつぶされた。
「ふざけんなよ……! お貴族様が馬鹿にしやがって!」
彼は唾を吐くように言い捨て、鍬を背負ったまま早足に去っていった。シグリッドは不思議そうに小首を傾げてその背を見送っている。
「……ずいぶんと無邪気に、地雷を踏み抜かれましたな」
「えっ、今の地雷だった?」
「ええ、見事に。大爆発でございます」
王都では労働もせずに遊び呆けていた男だ。農民の苦悩など知る由もないのは仕方ないだろう。
とはいえ、これまでのシグリッドであれば平民を見下しこそすれ、話しかけることなどあり得なかったはずで——。
神罰による人格矯正か、はたまた精巧な影武者か。
トーマスはどう判じるべきか迷いながらも、何やら考え込んでいるシグリッドを促して、館へと向かうことにした。




