02 ようこそ、ど田舎アラピカ村へ!
村の入り口に到着すると、みすぼらしい村には不釣り合いな上等な服を着た肥満の男が立っていた。容赦なく照りつける太陽の下で滝のような汗を流しながら、日傘を差しかける取り巻きを数人連れてこちらへと歩み寄ってくる。脂の浮いた顔には卑屈な笑みが貼り付いていた。
「これはこれはシグリッド様。ようこそ、このような辺境の地へ。私はこのアラピカの領主、ゼイニークと申します」
領主のゼイニーク。王都での悪事がたたってこの地に左遷された、典型的な貴族の屑である。
名は体を表すとはよく言ったもので、たぷたぷと波打つ腹と垂れ下がった頬はその強欲さと傲慢さを見事に体現している。その腹に溜め込んだ贅肉が村から搾り取った富の量を示しているようで、その暑苦しさと醜悪さにトーマスはつい眉をひそめてしまった。
ゼイニークの慇懃無礼な挨拶が終わるより先に馬車から勢いよく飛び出してきたのは、トーマスの新たな悩みの種だ。彼は長旅の解放感からか、んーっと大きく伸びをする。
「うわー、外の空気、うまっ! ……でも、陽射しつっっっよ!」
それが第一声とは、もはや驚く気力もない。そもそもこの王子もどきがいったい何者なのかも未だ分からぬままなのだ。今のところ、落雷の衝撃で人が変わってしまったとしか説明のしようがないのだが……。
彼は呑気な顔で辺りを見回すと、ずかずかとゼイニークの元へ歩み寄り、差し出されてもいない手を勢いよく掴みとった。
「ゼイニークさんね、よろしく! てかゼイニークさん、汗ヤバくない? ほら、これあげるから首元でも冷やしなよ」
そう言ってシグリッドが、ぽんっと手から拳ほどの大きさの氷の塊を生み出してみせる。地味でみっともないからと、これまで出し惜しんでいたのが嘘のような大盤振る舞いである。
「ひっ!? いきなり魔法を向けるなどと、何をなさるおつもりですか!?」
「あ、ごめんごめん。気持ちいいかなって思って」
あっけらかんと返すシグリッドに、ゼイニークもこんな状況は予想していなかったのか目を白黒させている。取り巻きたちも遠巻きに眺めていた村人たちも、目の前で起きていることが理解できないといった顔でただ立ち尽くすばかりだ。
この異様な光景の中心で、シグリッドだけが太陽のようににこやかに笑っていた。陰気臭い村でひとり。場違いなほどの陽の気を振りまきながら。
「ま、お近づきのしるしってことで? 改めて、よろしくー」
「え、ええ。ですが私は領主の座を退く身でございまして……」
「そうなの? なんで?」
「……アラピカ直轄領の領政代行に任じられたのをお忘れでございますか。ですから、私は補佐として——」
「ええー! そんなのいいって、一緒にやろうよ! ダブル領主ってことでさ」
「な、なんですと?」
夫婦や兄弟で領主を兼ねる例はあるが、王族であるにも関わらずまったくの他人と組むという発想は前代未聞である。
流石に見かねたトーマスが口を挟もうとしたが、ゼイニークは明らかに気分を害した顔を見せた。
「噂に聞きし傍若無人ぶりでございますな……。こう申しては何ですが、シグリッド様はもはや廃嫡された身なのだとか。目立たぬよう大人しくされているのがよろしいかと」
「そうなの? なんで?」
「いや、ですからな……」
「てかさ、腹減ったんだけど、飯行かない? ついでに村のことも案内してよ!」
ゼイニークは完全に言葉を失った。思い描いていた「増長しきった元王太子」の姿と、目の前で無邪気に笑う男とがまったく噛み合わないからだろう。
なにせシグリッドは自分が牽制されていることにも気づいていない様子で、廃嫡の件にまで話が及んだにも関わらず怒る素振りすら見せない。あまりの能天気さにゼイニークの方があんぐりと口を開けたまま固まってしまった。
「……失礼ながら、貴公は……何者であったかな?」
「トーマスと申します。シグリッド様の教育係兼、お目付け役でございますな」
「ほう……。あれはその……本物なのか? 影武者とか、精巧な偽物ではあるまいな……?」
「不敬な。どこからどう見ても本物でございましょう。見なさい、あの慈悲深き御姿を」
同じ疑問は抱いていたもののそれを表に出すわけにはいかない。視線で促すと、勝手に村の中に入り込んだシグリッドが村の子どもたちと無邪気にじゃれ合う姿があった。
「俺? 王子様だったらしいんだけどさー。なんかやらかしちゃって今日からここで世話になるんだってさ。よろしく!」
「うっそだー。王子様ってもっと馬鹿で我儘でソンダイな奴だって聞いたぜー」
「マジで? 俺、そんなにヤベェ奴だったの? 面白過ぎない?」
子どもたちに遠慮なく蹴りを入れられたシグリッドは、「やったなぁ〜!」と大笑いしながら逆に追いかけ回し始めている。遠巻きに見ていた女たちは「うちの子が失礼をっ!」と慌てて子どもたちを回収しに走り出した。
「えー、元気があっていいじゃん。それよりさ、お姉さんちょっと痩せすぎじゃね? あ、そうだ! なんか荷台にバナナ入ってたんだよね。傷む前にみんなで食べよーよ」
そう言うや否や、シグリッドは馬車の荷台をごそごそと漁り始めた。国王からの餞別として持たされた保冷用の魔導箱から、どさっと大きな果実の房を引っ張り出す。幾日にも及ぶ旅路であったが魔導箱のおかげで完全に腐ることは免れ、皮には黒い斑点がいくつか浮かび上がっていた。この辺りでは見慣れない高級果物に子どもたちが興味津々で群がってくる。
「これ、腐ってるわけじゃないって! シュガースポットっていうんだよ。ほら、皮を剥いてみなよ。俺のすごい魔法でキンキンに冷やしてあげるから」
シグリッドは子どもたちが剥いた黄色い果肉に向けて、ふわりと冷気を纏わせる。と、あっという間に表面に白い霜が降りた。
見慣れない果実を前にさすがの子どもたちも一瞬ためらったが、シグリッドの陽気さと冷たいご馳走への好奇心が勝ったらしい。恐る恐る冷え切った果実にかじりついた瞬間に大きな歓声が上がった。
「うめー!」
「あまっ!」
「つめたーい!」
広場に子どもたちの笑い声が広がった。
その様子を遠巻きに見ていたゼイニークが、とうとう耐えきれないといった様子でトーマスに疑念をぶちまける。
「本当にあれが噂のシグリッド王子であるというのか? ……現実逃避のあまり、正気を失ったのでは?」
その説にも激しく同意したくなったが、トーマスには国王直々の命がある。ゼイニークなどの好きにさせるわけにはいかない。
「お忘れなく。あの御方は廃嫡された身とはいえ、れっきとした王族にございます」
「ふん、見限られた王族の肩書きなどこの村では紙くず同然。それに今は物珍しさが勝っているだけであろう。すぐに飽きて、ゆるゆると朽ち果てていくことでしょうな」
ゼイニークは皮肉げに吐き捨てると、ぼてぼてと重たい身体を揺らしながら先を歩いた。
その背中を見送るトーマスは、ふぅと小さくため息を吐く。
「そうなるはず、だったんですがね……」
改めて村を見回せば、村人の服には継ぎが目立ち、ぺんぺん草の生える道沿いの家々は屋根も壁も傾いている。丘の上にそびえるゼイニークの館だけが周囲から浮き上がるように豪奢であった。
「隠遁暮らし、とは程遠そうですな……」
そう呟くと同時に、子どもたちのはしゃぐ声が背中越しに聞こえてきた。ただ子どもが笑っているだけだというのに、淀んでいた広場の空気まで僅かに軽くなったようだ。
「ほらほら、他のみんなも遠慮すんなって! たくさんあるからさー!」
まるでおやつを配る下町の兄貴分のように、無邪気に子どもたちに囲まれているその姿。
あまりにも和やかな光景にトーマスの頬が緩みそうになったが、すかさずきゅっと引き締めた。




