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そのもの、陽のオーラを纏いてコフィ農園に降り立つべし~廃嫡王子に巻き込まれた辺境村の改革記~  作者: Mel


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27 今日は休みでお願いします

「ぬ、うううううっ……! 動け! 動けぇぇぇ!!」


 巨体を震わせ、赤土と落ち葉に埋もれた大枝を渾身の力で引っ張る。だが、上流から受ける凄まじい水圧のせいで枝はびくともしない。水嵩も増しているようだ。

 

 視界が絶望に染まりかけた——その時。

 アルフレッドがゼイニークの隣へと飛び込んできた。

 その手には太いロープが握られている。


「クソ豚の分際で考えも無しに動いてんじゃねぇよ!」


 彼は何度も何度も泥水の中に顔をつけながら手にしたロープを枝に括り付けていく。彼のやろうとしていることに気付いたゼイニークは、その巨体でアルフレッドの身体が流されないように支えた。


「おい、お前ら! 引っ張れ! 引き起こすんだ!!」


 アルフレッドの叫びに応じるように、水際で待機していた若者たちが一斉にロープを引っ張り出す。他の若者たちも次々と泥水へと飛び込んで細かな葉っぱや泥の塊を回収し始めた。

 

 かつてゼイニークを忌み嫌い憎んでいたはずの若者たちが。今、彼と肩を並べて泥まみれになりながら必死に農園を守ろうとしている。


「今だ、全力で引っ張れぇぇぇ!!」


 アルフレッドの叫びと同時に泥水から伸びた何本ものロープが張り詰め、ギチギチと軋んだ音を立てた。

 

「ぬ、うおおおおおおおおっ!!」

 

 ゼイニークもまた、ぬかるむ底に太い足をめり込ませながら大枝の下へと両手を潜り込ませた。ただ後ろへ引っ張るだけでは上流から押し寄せる水の重さに勝てない。ならば、ロープの牽引に合わせて、下から上へと無理やりにでも引き起こすしかない。

 

「上がるぞ! 引け! 引き起こせぇぇぇ!!」

 

 隣でアルフレッドが絶叫し、ゼイニークに己の身体を預けるようにして共に大木を押し上げる。

 そこに加わっていたのは数人の力だけではない。岸でロープを引く者、泥水の中で赤土を掻き出す者、斜面上部で土嚢を積む者。役割は違っても、誰もが同じ農園を守ろうとしていた。

 

 ズズ……、ズズズッ。

 

 雷光が走る闇の中、水圧に潰されていた大枝がかすかに上へと傾く。泥の吸着が剥がれる感触がゼイニークの手のひらにも伝わってきた。

 

「あと少しだ……! 上がれぇぇぇ!!」

 

 ゼイニークは顔を真っ赤に染め、血管がはち切れんばかりに叫んだ。

 

 ——シグリッドが用意した温かい居場所を、村人たちが繋いでくれた希望を、ここで終わらせてなるものか。

 

 その想いが通じたのか、皆の力が、ついに押し寄せる水圧に打ち勝った。

 

 ズバァァァン!!!

 

 赤土と落ち葉に埋もれていた大枝がついに上方へと引き起こされ、堰を切ったように、溜まっていた黒い泥水が排水口へと猛烈な勢いで流れ込んでいく。凄まじい轟音が、農園全体に響き渡った。

 

「うわっと!?」

 

 引き起こされた大枝が水流にさらわれそうになる。岸の若者たちはロープを緩めず、その勢いを利用して大枝を排水口の脇へと引きずり上げた。ゼイニークとアルフレッドの身体が激しい水飛沫の中に引き倒されそうになりながらも、二人は必死になって渡されたロープにしがみつく。


 渦を巻きながら排水口へと流れ出していく濁流。ほんの数分前まで下層の木々を溺れさせていた泥の池は見る見るうちにその水位を下げ、露出した赤土の地面へと姿を変えている。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 泥水まみれになりながら四つん這いで這い上がったゼイニークは、激しく肩を揺らしながらその光景を仰ぎ見た。

 木々を覆っていた泥水はほとんど引き、赤土の地面が少しずつ姿を現していた。

 

 叩きつけるようだった雨の勢いも心なしか弱まっている。

 絶え間なく鳴り響いていた雷鳴も、次第に遠くへと遠ざかっていった。

 

 安堵の息を漏らしながら斜面の上方を見上げれば、そこには松明の明かりを頼りに村人たちが並んで土嚢を積み上げている姿があった。トーマスの的確な指示のもと、力仕事のできる女たちも加わって必死に土手を補強していたらしい。下層の排水が抜けたこととその迅速な土嚢対策のおかげで、懸念されていた上部からの土砂の流入も間一髪のところで食い止めることができたようだ。

 

 やがて、分厚い雨雲の隙間からうっすらと白んだ光が差し込み始める。長い夜が、ようやく明けようとしていた。

 

「……おい、デブ。いつまでへたり込んでやがるんだよ。早く行くぞ」

 

 アルフレッドにぶっきらぼうに声をかけられ、ゼイニークは重い足を一歩ずつ動かした。服は水を吸って鉛のように重く身体は芯まで冷え切っていたが、守り抜いた農園の景色を見渡すと、不思議と心地よい達成感が胸を満たしていく。

 

 とりあえず泥を落とし、冷え切った身体を温めるために全員で村の集会所へと向かうことになった。

 一歩足を踏み入れると、そこにはパチパチと心地よい音を立てて爆ぜる炭団の火鉢が並んでいた。部屋の中はじんわりと温かい。

 

「やだ、みんな泥だらけじゃない。湯と布を用意してあるから、早く着替えて火に当たりなさいよ」

 

 真っ先に声をかけてきたのはマチルダだった。役に立つとは思えぬなどと侮っていたが、彼女は農園へ出られない年配の女たちや子どもたちをまとめ、温かいコフィと火鉢を用意して待っていてくれたのだ。

 

 濡れた上着を脱ぎ、湯で手足の泥を落とす。乾いた布や借り物の上着を身に着けて、ようやく火鉢を囲んだ。


「良かった……ご無事で何よりでございました」

 

 そこにはターニャの姿もあった。彼女から差し出された木製のカップを受け取り、ゼイニークはホットコフィを口に含む。砂糖がたっぷりと入った甘さと五臓六腑に染み渡るような温かさに、張り詰めていた緊張がようやく解けていく。

 

「生き返る、な……」

「まったくだ。あんたのその贅肉も少しは役に立ったみたいだしな」

 

 アルフレッドが隣でコフィをすすりながら、ふっと小さく笑った。相変わらず口は悪いが、その声音は以前よりもずっと柔らかかった。

 

 女たちが擦り傷へ軟膏を塗り、深い傷がないか確かめて回る。炭団の熱と温かいコフィで一息つき、冷え切った身体が十分に温まったところで、集まっていた村人たちも各々の家へと帰っていった。


「本当にお疲れ様でございました。お怪我はございませんか?」


 トーマスに気遣われ、自分の身体を確認する。作業中は必死だったから気付きもしなかったが、泥水の中で石や土塊が身体を打っていたようだ。あちこちに青痣や擦り傷が浮かび上がっている。服もぼろ雑巾のようになってしまったし、なんなら頭痛までしてきた。


「見て分からんか。まったく、ひどい有様だ。私は休ませていただくぞ」

「ええ。ゆっくりと休まれるとよろしいかと」


 いつも取り澄ました顔をしているトーマスの格好もぼろぼろで、その顔にはタオルで拭いきれなかった泥がこびりついている。満身創痍。まさにそのひと言に尽きた。

 

 重い足取りを引きずりながらトーマスと共に館へと戻る。

 泥まみれで玄関の扉を開けると、なんとも暢気な声が出迎えてくれた。

 

「あ、おかえりー。みんな、朝早くからどっか行ってたの?」

 

 廊下の向こうから、寝間着の上に上着を羽織ったシグリッドがひょっこりと顔を出した。昨晩より顔色は良くなっていたが、まだ少し眠たげで声にもわずかな掠れが残っている。

 しかし、シグリッドはゼイニークたちの姿を見るなり丸い目をさらに丸くした。

 

「って、うわっ、何それ!? なんでそんな全身泥まみれなの??」

 

 その言葉に、ゼイニークとトーマスが顔を見合わせる。最低限の泥を落としたとはいえ、髪や顔、衣服のあちこちにはまだ赤土がこびりついていたのだ。

 もはや貴族とも思えぬ姿とわたわたと慌てるシグリッドがなんだか可笑しくて、ふたりは同時に苦笑を漏らしてしまった。

 

「いや……雨の様子を見に出たところ、二人揃ってぬかるみに足を取られましてな。大事には至っておりません」

 

 わざわざ夜通し命懸けの泥水仕事があったなどと教えて余計な心配をかける必要もあるまい。

 シグリッドは一瞬だけ訝しげに二人を見比べたが、まだ熱の名残があるのか、深く考える気力まではないらしい。すぐにいつもの気さくな笑みを浮かべ、ぽんぽんとふたりの肩を叩いた。

 

「そっかぁ。それなら良かった。ふたりとも、風邪ひかないようにお風呂でも入ってきなー?」

「シグリッド様も。昨夜は熱が高かったのですからふらふらしないで休んでいてください。今日はきっと、みんな寝坊をすることでしょうから」

「そうなの? じゃあ、もうひと眠りしよっかな。村のみんなも今日は休みってことでお願いします!」

 

 従者にタオルを手渡されて、ゼイニークは自分のまみれた泥を見つめながら小さく鼻を鳴らした。

 

 最悪の嵐の夜だった。

 

 だがどうしてだろう。どこか、清々しい気持ちでもあった。

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