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そのもの、陽のオーラを纏いてコフィ農園に降り立つべし~廃嫡王子に巻き込まれた辺境村の改革記~  作者: Mel


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25 雨季入り

 天候に恵まれることの多いアラピカにも季節は巡り、ついに雨季がやってきた。

 

 空は分厚い灰色の雲に覆われ、容赦のない大雨が何日も降り続いている。太陽が顔を出さないために、肌寒さを覚える湿った冷気がじわじわと身体へまとわりつく。

 とはいえ、雨だからと言って何もやらないわけではない。雨脚の弱い時間を見計らって数人一組で排水溝や土手を見回る必要がある。詰まりがあれば取り除き、若い苗の支柱や覆いを確かめるためだ。


 そのことを説明されたシグリッドは最初は腑に落ちぬ様子でいたが、それも無理はない。王都では長く雨が続くことも無かったし、紫呉の住んでいた世界でも「梅雨の時期は洗濯物が乾かないよね」という表面的な問題しか抱えていなかったようだ。

 トーマスも知識として知ってはいたのだが——。

 

「あー……ジメジメするし寒いし、早くお日様出てくんないかなぁ」

「長雨がこんなに厄介なものだとは思いませんでした。湿気も酷いものですな……」


 食堂のテーブルに突っ伏してぼやくシグリッドに、トーマスもため息まじりに応じる。

 これもコフィの実が育つために必要な時期だとは理解しているものの、これまでの充実した日々から一転してやりたいことが思うように出来なくなった反動は大きい。

 雨季の備蓄や支出を管理するゼイニークは執務室にこもる時間が増え、せっかくそぎ落とした肉面積も心なしか戻り始めているようだ。マチルダも裁縫の手を止め、退屈そうに窓の外を眺めている。


 だが、雨季の本当の恐ろしさは退屈や湿気だけではなかった。


 ——ブブブブブブブブ……ッ!


 突如として部屋の隅から重低音の羽音が響き渡る。見れば、手のひらほどもあるグロテスクな羽虫が壁際を不気味に飛び回っているではないか!


「うわああぁっ!? でっか! キモッ! 何あれ、鳥!?」

「ひぃっ!? し、シグリッド様、お下がりください! あのような毒々しい虫、王都では見たこともございません!」


 虫が大の苦手なシグリッドが悲鳴を上げて椅子から飛び退き、同じく都会のインテリ貴族であるトーマスも顔を真っ青にしてシグリッドを庇うように後ずさる。

 二人のパニックをよそに巨大羽虫は旋回し、あろうことかマチルダの顔面めがけて突撃していって——。


「危ないっ、マチルダ……!」


 パーンッ!!!


 シグリッドの制止の声は、乾いた破裂音にかき消された。

 

「……はぁ。殿方ともあろうお方が二人揃ってなにをそんなに騒いでるんですか」


 振り抜かれた右腕と、床に落ちてピクピクと痙攣する巨大羽虫。

 マチルダは近くにあった扇子を片手に、呆れたような目を二人に向けていた。


「ええー……マジかぁ……」

「す、すごいではありませんか。てっきり泣いて嫌がるものかと……」

「私の実家じゃこのくらいの虫は珍しくもありませんでしたから。でも、シグリッド様にも苦手なものがあったんですね。なんだか新鮮です」


 ふっ、と鼻で笑って羽虫の残骸を塵取りへ放り投げるマチルダ。あまりに逞しく、これまでの甘い声音で男を惑わしてきた彼女のイメージを打ち砕く野性味あふれる姿である。


「いや、虫は昔から苦手なんだよね、俺。ほら、都会っ子だから」

 

 気恥ずかしそうにシグリッドは頬をかき、言い訳めいた言葉で返している。主君をかばうわけではないが、あんなの田舎でもなかなか見ない類の虫だ。気を取り直すようにトーマスは咳払いをひとつした。


「ま、まあ、シグリッド様のおっしゃるとおりではございますが……あんな虫に入り込まれては夜も安眠できませんな」

「ほんそれね! あんなの寝てるときに出てきたらパニクる自信しかないよ、俺」

「実家では虫除けにシトラ草を燻していましたけれど……この辺りには生えていないんですよね」

「ああ、コフィのカスも虫よけにできるってネットニュースでみた気がするな。……よし、せっかくだから試すだけ試してみよっか」


 そう言うや否やシグリッドは蓋に穴の開いた素焼きの香炉へコフィのカスをこんもりと盛り、雨の吹き込まない窓際に置いた。


「センセー、ここに小さい火をつけてもらえる?」


 シグリッドに言われるがままに魔法で小さな火種を作り、その粉の山の端へ火をつける。

 チリチリと音を立てて粉が焦げ始めると、細い煙とともに、ほろ苦い焦げ香が立ち上った。


「これでお香みたいに部屋を燻しておけば、あんなデカい虫も寄ってこないんじゃないかな~? ってね」

「ほう。あのコフィのカスにまだそのような使い道があったとは……」

「ま、気休めみたいなもんかもしれないけどね」

 

 トーマスも思わず感嘆の声を上げる。

 香が部屋の湿気た匂いをわずかに紛らわせ、先ほどまでの淀んだ空気が少しだけ軽くなったように感じられた。


「それからもう一つ。ちょっと肌寒いからさ、これも用意しといたんだ」


 シグリッドが次に持ち込んできたのは陶製の火鉢であった。

 その中央では四角く固められた黒い塊——炭団が、じんわりと赤く熱を放っている。乾燥させたコフィのカスと竈に残った炭の粉を固めて作ったそれは、炎を上げずにゆっくりと長く燃え続ける性質があった。


「そこにこれをドンッ!」


 シグリッドは、湯をたっぷりと入れた鉄瓶を炭団の火鉢へ載せた。傍らには挽いたコフィと漏斗が用意されており、飲みたい者がいつでも温かい一杯を淹れられるようになっている。


「雨の日は外に出られないからさ、こうやって部屋を暖めつつ、いつでもアツアツのコフィが飲めるようにしておくの」


 手招きされたトーマスとマチルダが火鉢の周りに集まる。

 シグリッドがそれぞれのカップにホットコフィを注ぐと、湯気とともに豊かな香りが立ち上った。レイバンから仕入れた砂糖をたっぷりと溶かし込んだ、甘いコフィである。

 それを一口飲んだ瞬間、トーマスの口から思わず「ほう……」と深い吐息が漏れた。


「……なんとも身体の芯から温まる。冷えた身体に染み渡るようですな……」


 マチルダも、カップを両手で包み込みながらうっとりと目を細めている。

 炭団の穏やかな熱と温かいコフィが、雨季のじめじめとした憂鬱さをひととき忘れさせてくれた。


「でしょ? これが俺の考えた『おこもりカフェ空間』ってわけ!」

「少なくとも、屋内で過ごす時間はずいぶん快適になりそうですな」

「うん。それでさ……」


 不意に言葉を途中で切ったシグリッドが珍妙な顔をしたと思ったら、彼はいちど大きく息を吸って「ふぇっっくしゅん!」と盛大にクシャミをした。鼻を啜り、小首を傾げる。


「……なんか、ちょっと寒いかも」

「風邪を引いたのではありませんか? 昨夜はタオルケットも剥いでいらっしゃいましたし、日頃の疲れも出たのでしょう」


 明け方に気付いたトーマスが直してやったのだが原因の一つに違いないだろう。それに、彼は雨の日にも構わず身体を動かしすぎなのである。


「今日はもうお休みくださいませ。急ぎの用もないのでしょう?」

「そうですよ、シグリッド様。あとでお粥持っていきますから」

「うーん……無理してもしょーがないし、そうさせてもらおっかな。なんかあったら声かけてよ」


 珍しくおとなしく従ったシグリッドはどこか緩慢な動作で立ち上がる。支えるように腕を貸すと、触れた手は熱を帯びていた。


 寝台に寝かせて額に濡れタオルを乗せると、すぐにすぅすうと寝息が聞こえてきた。頬は赤く、額には明らかな熱がこもっている。


 日頃の疲れがたまっていたのだろう。今日、明日とゆっくり休んでもらうのが一番。

 病床の彼を呼び出さねばならないような事態など、そうそう起こるまい。


 そう思っていたのだが——。

 

 深夜にノックの音で目を覚ましたトーマスがシグリッドを起こさぬようにそっと扉を開くと、そこには神妙な顔をした使用人の姿があった。

 

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