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そのもの、陽のオーラを纏いてコフィ農園に降り立つべし~廃嫡王子に巻き込まれた辺境村の改革記~  作者: Mel


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18/19

18 改めまして

 館の備蓄を村へ提供して以来、ゼイニークの屋敷で供される食事は目に見えて質素なものへと変わっていた。

 とはいえ、これまでの贅沢が異常であったのだ。雨季の足音が迫る今、村全体で倹約に努めるのは当然の処置といえる。


「それで、どうだった? みんな、よくしてくれたでしょ?」


 蒸し芋を口に運びながら所在なげに視線を落としていたマチルダに、シグリッドが屈託なく声をかける。

 彼女はどこか気まずげに視線を彷徨わせながらも、「ええ……」と消え入りそうな声で頷いた。


「……素敵な意匠だって、褒めてもらえました。あんなの、王都ならありきたりなパターンなのに」

「あー、ここってそういう情報が入ってこないからさ。王都じゃ流行遅れでもここでは目新しくてウケがいいのかもね」

「あと……ターニャから聞きました。シグリッドさまは、誰よりも泥にまみれて働いているって。……ごめんなさい。私、どうせシグリッドさまのことだから……自分は館でふんぞり返って人を顎で動かしてんだろうって思ってました」


 辛辣な告白を交えつつもマチルダが真っ直ぐに頭を下げる。

 その率直な謝罪に対し、シグリッドは一瞬だけ呆けたような間を置いてから、破顔した。


「あはは! ……ま、確かにアイツだったら、そうだったかもね」

「あいつ……?」


 マチルダが訝しげに眉をひそめるのを彼はさらりと躱し、「あ、お兄さん、食後のアイスコフィお願いしまーす!」と、給仕に声をかける。恭しく一礼した男が、すぐに厨房へと引っ込んでいった。


「まったく……すっかり騒がしくなったものだ」

「いいじゃん。みんなで食べたほうがごはんも美味しいでしょ?」

「そうは仰いますがね、私にはその感覚がどうにも理解しがたいのですよ」


 ぶつくさと文句を垂れるゼイニークだが、その表情にはかつての険しさはない。毎日鍬を振るっているおかげか、突き出た腹のみならず顎の輪郭までもが心なしか引き締まってきたようにみえる。

 シグリッドはそんな彼の顎の下へぬっと手を伸ばすと、たぷん、と悪戯っぽく揺らしてみせた。


「あはは、一度やってみたかったんだよねー。これ以上痩せちゃう前にっと」

「ええええい、おやめください」

 

 子どもじみたやりとりをマチルダが呆気にとられたように眺め、ゼイニークは心底鬱陶しそうに顔をしかめる。だが、彼はそれ以上の反論を諦めた様子で振り払うことまではせず、忌々しそうに耐えていた。


 これが、団らんというものなのか。

 その中にあの馬鹿王子と呼ばれていたシグリッドが含まれていることに大きな違和感が付きまとう。

 

 もしこの場に今の彼がいなかったなら、気まずさだけが残る最悪の晩餐になっていたことだろう。

 あるいは、かつての王子のままこの場に臨んでいたとしたら——。

 

 脳裏に浮かんだ絶望的な光景を、トーマスは慌てて振り払った。

 本来であればそうなっていたはずなのだ。

 だが今となってはそれはもう、想像すら及ばぬことであった。


 *


「……で、俺に話があるんだよね、センセー?」


 冷えたコフィを片手に自室へ戻るなり、彼はいつもの人懐こい笑顔を向けてきた。

 少なくとも王都にいた頃の彼がトーマスにそのような表情を見せたことは一度もない。

 マチルダ以上に我儘で、ゼイニーク以上に傲慢。トーマスの手にも負えぬ救いようのない問題児。それが彼の知るシグリッドであった。


「……この村に来てからそれなりの月日が流れました。シグリッド様もすっかりこの地に馴染んでおられるようで」

「だねー。俺、順応性が高いほうなんだって。どこに行ってもわりとすぐに誰とでも仲良くなれるタイプなんだよね」

「なるほど……確かにそのようですな。では改めて——ご挨拶を申し上げましょうか。私はトーマス・ラングル。ラングル家の末席に名を連ねる者でして、教育係として数々の名家を渡り歩いて参りました」


 子爵家の五男坊という、序列も価値も持たぬ立場。一族の中で居場所を確保するためには学問から礼法に至るまで、あらゆる教養を血肉に変えねばならなかった。

 そうして努力の果てに王家へ召し抱えられたはずが——あの日を境に、人生は暗転した。


 そう。目の前に立つ男こそが、トーマスの人生を狂わせた元凶であったはずなのだ。


 自己紹介など今更すぎるだろう。だが、トーマスは目の前にいる『何か』と対峙する覚悟を決めたのだ。

 じっと射抜くように見据えると、青年はばつが悪そうに笑い、そっと己の胸に手を当てた。


「……俺は、神林紫呉。日本っていう国で生まれ育った、大学二年生。……って言っても、分かんないよね?」


 首を傾げる彼に、トーマスは深く頷いた。

 別人であるという確信はあった。しかし口にされた言葉はあまりにも荒唐無稽で、やはりにわかには信じがたい。


「だよね。俺も最初は何が何だか分かんなかったし。でもアニメとかで見たことがあったからさ。これが異世界転生ってやつか~、って、自分でもすんなりとこの状況を飲み込めたんだよね」

「……いせかいてんせい、というのですか」

「あれ、転移だっけ? よく分かんないけど。とりあえず、俺の元の身体はまだ生きてる……はず。入れ替わった直後はこの身体の持ち主とも、頭の中で話せてたんだ。今は向こうにいるはずなんだけど」

「向こうにいる……?」

「うん。たぶん、俺の身体で日本にいる。でも少し前の夜を最後に声が聞こえなくなっちゃってさ」


 最近はもうぜーんぜん反応してくれなくなったけどさ。と、紫呉と名乗った青年は肩を竦める。

 それから彼の口から語られた内容は、古今東西のいかなる書物にも記されていない未知の世界の物語であった。

 

 だが、「違う世界の住人」と聞かされて腑に落ちることは多かった。彼が口にする働き方や制度には、この世界の常識だけでは説明できないものが多かったからだ。

 それらを差し引いても人柄が決定的に異なる。たとえ記憶を失い性根を入れ替えたとしても、それだけでは説明がつかぬほどに、目の前の青年は周囲の心を解きほぐす不思議な力を備えていた。

 

 以前の自分であれば、鼻で笑って切り捨てたであろうお伽噺。もちろん今だってすべてを信じ切れたわけではない。だが、目の前の現実を無理なく説明する答えも他には思いつかなかった。


「……では、シグリッド様は今、貴方の世界に?」

「たぶんね。話せてた頃は向こうで見たものとか俺の部屋の話なんかもしてたから。……友達、何人減らしてるかなぁ。俺が戻った時にぼっちになってたら責任取ってくれんのかね?」

「戻った時、ですか。……あなたは、戻れるのですか?」


 ずっとこのままでいてほしい。そう願う反面、教育係として五年を共にしたのだ。本来の主君の安否を問わずにはいられない。

 問われた紫呉は困ったように眉を下げた。


「ぶっちゃけ分かんない。でも……アイツが『戻ってもいいかな』って思えるくらいの場所にしといてやりたいんだよね。アイツもアイツなりに事情はあったみたいだし。反省もしてたっぽいし」

「……反省、ですか。あのシグリッド様が、本当に?」

「いや、俺もそんなに頻繁に話せたわけじゃなくて。最初は本当に何でもかんでも他人のせいにしてたんだけどさ。最後の方はほんのちょびっとだけ、自分が悪かったって気づき始めてたっぽいかな。……たぶん」


 自信が持てぬのか、語尾が心細げに消えていく。あのシグリッドを相手にするのはこの底抜けに明るい青年をもってしても難事であったのだろう。

 ——再び、あのシグリッドが戻ってくる。

 正直なところトーマスにとっては歓迎しがたい未来ではある。しかし。


「……あなたは、ご自身の世界に戻りたいとは思わないのですか? その気質であれば、元の世界でも上手に立ち回られていたのでしょう」

「んー。まあね。友達も多かったし、バ先でも仲間に恵まれてたよ。じーちゃんの店の常連さんたちからも随分と可愛がってもらってたしね」

「……ご両親は? もし入れ替わったと知れば、嘆き悲しまれるのでは」


 なにせ彼の代わりにいるのはあのシグリッドなのだ。人格の豹変した息子にどれほど手を焼いていることやら。

 懸念を口にしたトーマスに対し、紫呉はそれまでの快活な笑顔をふっと消し、視線を足元へ落とした。


「どうでもいいんじゃないかな。犯罪でもやらかして警察に呼び出されない限り、気づきもしないと思うよ」


 言葉こそ飄々としていたが、その顔にはこれまでに見せたことのない底知れぬ空虚さが、一瞬だけ滲んでいた。

 

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