15 サークルクラッシャー
翌日から、マチルダもアラピカ村の住人として加わることになった。
——のは良いのだが、数日も経たぬうちに村の空気はトーマスの予想を遥かに超える速度で悪化していった。
「トーマス様! あの女を今すぐ村から叩き出してください!」
「人の旦那や私たちに仕事を押しつけて、自分だけ休んでいるんですよ!」
「あの人もあの人よ! 都会育ちのお嬢さんにはこの日差しはきついでしょう、なんてどの口が言うのかしら! なんで日陰でふんぞり返るあの子の代わりに私が二倍働いてるのよ! キーッ!」
集会所でシグリッドがマチルダを紹介した際に鼻の下を伸ばした男たちの態度を思えば、この不和は必然であった。
なにせここは本来であれば本物の貴族などそうそう拝むこともない辺境の地。下位貴族とはいえ、王都から来た華やかな令嬢はそれだけで珍しい存在なのだ。マチルダ自身も自分の武器というものをよく理解しているようで、甘えた声音で頼られた男たちはあっさりと浮足立った。
もちろん数多の高位貴族を導いてきたトーマスにその手口は通用しないし、マチルダもそれを察してか、彼を避けて互いに不可侵を貫いていた。
だが、放置するには実害が大きすぎた。
「えーん、日差しは強いし、この籠だってこんなに重いなんて……。私、扇子より重いもの持ったことないのにぃ……」
「それなら俺が代わりにやるよ! マチルダちゃんは日陰で見ててくれればいいからさ!」
「やだぁ、ありがとー! 頼りになる〜!」
農園に出せば、男たちは本来の責務を放り出して彼女を取り囲み。
炊き出しに回せば——。
「やだやだ、鳥なんて捌けないってば! あんた達みたいな神経の図太い女と違って、私は繊細だから血を見るだけで倒れちゃうの!」
「……じゃあ、せめて洗い物くらいはしてもらえる?」
「嫌よ、手が荒れちゃうじゃない。あ、ターニャ、あんたが代わりにやっておいてよ」
「えっ?! あ、はい……」
マチルダは驚くほどの厚顔無恥さで自由奔放に振る舞い続けている。
不平を垂れつつも労働に従事するゼイニークが聖人に見えてくるほどであった。
女性陣が苦言を呈せば、護衛を気取った男性陣が即座に遮る。その男たちもまた、誰がマチルダの関心を引けるかで無意味な競い合いを始める。ついには負担を押しつけられ続けた女性陣が抗議のために作業の手を止める事態にまで発展し、 ようやく明るさを取り戻し始めていた村の空気は一変、再び重く淀んでいた。
昼休憩、広場では若い男たちが競うようにマチルダへ供物を運び、年配の男たちは孫娘でも見るように目尻を下げてデレデレとしている。あのアルフレッドでさえ不意に腕へ触れられた時には顔を赤くしていた。
トーマスとゼイニークは無言で目配せを交わす。
……アレは早急に排除、あるいは無力化する必要がある。
まず口を開いたのは、ゼイニークであった。
「おい、小娘。いつまでもお客様気分では困るぞ。労働も当然であるが、己の身辺は己で整える。それがこの村の流儀だ」
「うるせぇぞデブ! お前こそ着替えから髭剃りまで従者任せじゃねぇか! 偉そうに語ってんじゃねぇよ!」
……説得力は皆無であった。取り巻きの若者に正論で返り討ちに遭い、ゼイニークは青筋を立てて唇を噛み締める。
どうやら役者が悪すぎたようだ。トーマスは彼を制して一歩前に出ると、冷たいジュースを優雅に傾けるマチルダの前に影を落とすように立った。
「いつまでも令嬢気分でいられては困りますな。……だいたい、よくもまあのこのこと顔を出せたものです。貴女は都合のいい部分だけを並べたて、公爵令嬢を貶めるような話を殿下に吹き込んだのです。結果、王太子の婚約を破綻させる騒動を引き起こした。王家に対する重大な不敬と言っても過言ではないのですよ」
ざわり、と周囲の空気がどよめいた。
王都での「断罪劇」について全容を知る村人などいなかったのだから当然の反応だ。トーマスとて、主君の醜聞を広めるような趣味はない。だが、彼女を持ち上げて仕事まで肩代わりする男たちにこの女の本性を晒さなければならない。
しかし当の本人は意に介した風もなく毛先を遊ばせている。
「だって私、何も悪いことしてないもの。シグリッド様が『あの冷たい女と話してると疲れる』って仰るから、代わりに話し相手になってあげただけよ?」
「ほう。それではあの場で次々と覆された貴女の言い分についてはどうお考えですかな? あの時は弁解を聞く間もなかったものですから、是非ともその口からお聞かせ願いたい」
トーマスは、記憶の奥底に封印したはずの忌々しい出来事を呼び覚ました。
——舞台は、王家主催の煌びやかなパーティ会場。
シグリッドは何をとち狂ったのか、開幕早々に公衆の面前で婚約破棄を宣言するという特大の愚行を演じてみせたのだ。
とはいえ、当時の彼ならばやりかねぬことではあった。なにせ前夜には「明日は面白い見世物を見せてやる」などと勝ち誇ったように笑っていたのだから。
確かに面白くはあった。別の意味で。証拠のひとつもないマチルダの言葉をろくに確かめもせず、王国の至宝と謳われる婚約者、セリカ・アルジェントを一方的に断罪し始めてみせたのだから。そんな芸当をやってのけるのはシグリッドくらいなものだろう。
『その婚約破棄、謹んでお受けいたします。ただ一つ。なぜそのようなご決断に至ったのか、ご説明いただけますか?』
涼やかな声色で問いかけるセリカに、シグリッドは悦に浸った顔で顎をしゃくった。
『まず、マチルダを茶会から追い出したそうじゃないか! 身分が低いというだけで人前で恥をかかせるとは、王太子妃になる者の振る舞いとは思えん!』
『……あの日は、外国使節のご令嬢方を招いた王家主催の茶会です。招待状をお持ちでないマチルダ様が会場へ入ろうとなさったため、退出をお願いしました』
『そんなもの、少しくらい融通を利かせてもよかっただろう!』
『国家間の会談を兼ねた席でございますので、わたくしの一存ではなんとも』
ぐ、と言葉に詰まったシグリッドが、助けを求めるように周囲を見回す。
しかし誰一人として目を合わせてはくれなかった。
『それだけではない! マチルダが俺から贈られた髪飾りを着けていたところ、皆の前で外せと命じたそうじゃないか! 嫉妬に駆られて人の装いにまで口を出すとは見苦しいぞ!』
『王家の紋章が刻まれた髪飾りでしたので』
『……だから何だと言うのだ?』
『王族とその婚約者以外の者が公の場で身につければ、殿下の寵姫、あるいは婚約者であるとの誤解を招きます。ですから私的な場でお使いになるようお願いしただけです。むしろあれをマチルダ様にお贈りになったのはどのような意図からでしょうか』
口調は淡々としている。だがその眼差しは氷のように冷え切っていて流石のシグリッドも怯んだ様子であったが、それでも止まらない。
『で、でも! お前こそ他の男と密会していたそうじゃないか! マチルダが見たと言っていたぞ! 婚約者がいる身で不埒千万なことだな!』
『それは騎士団長のご子息です。陛下の命により、わたくしの護衛として随行していただけですが。……それより殿下、現在その腕に抱いていらっしゃるマチルダ様のことはどうお考えでしょう。わたくしたちはまだ、正式に婚約を解消しておりませんが』
会場が静寂に包まれる。だがシグリッドは、堂々と胸を張って言い放った。
『俺は王太子だからいいんだ!』
流石のセリカも公の場であることを忘れたかのように「この人の相手、本当に疲れるわね……」とこめかみを押さえていたか。心の中で何度も同意してしまったので、その姿は今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。
その後、セリカによる慈悲なき理詰めの反論によってシグリッドは完膚なきまでに叩きのめされた。その間マチルダはどうしていたかといえば、野良猫のような逃げ足の速さでその身をくらませていたのである。
——もちろん、トーマスとて主君の醜態まで事細かに村人へ語るつもりはない。要点だけを掻い摘んで説明したが、それだけでも十分だったのだろう。先ほどまで鼻の下を伸ばしていた男たちの顔はみるみるうちに引き攣っていった。
当のマチルダはといえば。
やはり退屈そうに、指先で桃色の髪を弄んでいるだけであった。




