14 ピンク・タイフーン
わざわざゼイニーク自ら部屋に案内してやったというのに——。
マチルダと名乗った女は桃色の髪を指に巻きつけながら室内を見渡し、「なぁんだ」とつまらなそうに呟いた。先ほどシグリッドに見せた甘えた表情からは一変し、世を舐め腐った顔を晒している。
「シグリッドさまがいるならもっと豪華だと思ったのに。それに、ここの日差しは強すぎんのよ! これじゃあ私の住んでたところよりも住みづらいじゃない!」
「それならとっととその家に帰ればいいだろうが。誰もお前なぞ歓迎していないんだからな」
「なによこのデブ。お呼びじゃないんだから、偉そうにしないでくんない?」
「ええと……。一応この方も、この村を治める領主様でして……」
ターニャが控えめに口を挟んだが、マチルダはまるで聞く耳を持たずに鼻で笑った。この娘、一応は貴族の端くれらしい。平民であるターニャのことなど最初から眼中にはないのだろう。
「それにしてもシグリッドさまったら、ぜーんぜん私のこと相手にしてくれないんだもの。しかもあんなに日に焼けちゃって、いったいどうしちゃったのよ?」
「どうしたもこうしたも、貴様の方こそいったい何なのだ。まさか、このアラピカに居座る気ではあるまいな?」
「だって帰る場所ないし。王都にいても白い目で見られるだけなんだもん」
「一体、何をやらかしたのやら……」
王都の情報などこの辺境まではそうそう入ってこない。トーマスとの会話の節々から不祥事の気配は垣間見えたが、全容までは把握しきれていなかった。ゼイニークにしてみれば単なる王子の追っかけ女としか思えなかったが——マチルダは答える気はないようで、無遠慮に室内を物色し始める。
「シグリッドさまがここの領主様なんでしょ? それなら私は領主様の妻となるわけだから、そんな口の利き方じゃ困るのよね」
「つ、妻……ですか? その、マチルダ様はシグリッド様の婚約者様ということでしょうか」
ターニャの純粋な疑問にマチルダは一瞬だけ考え込み——次の瞬間には、にんまりと口角を吊り上げた。
「そう、婚約者みたいなものよ! シグリッドさまは私をお嫁さんにしてくださるって仰ったんだから!」
ビシッと指を突きつけてくるマチルダ。こんなのが王族の婚約者に選ばれるとは全く考えられなかったが、あたかも当然とばかりに語る姿に思わずゼイニークはターニャと顔を見合わせた。彼女も困ったように眉を下げており、二人はほとんど同時に目を逸らす。
どうやら面倒な女が舞い込んでしまったようだ。
「女。家名は何という」
「……マチルダ・デイズよ」
「聞いたこともないな。どうせぽっと出の新興貴族か何かだろうが、そんな輩が王族に擦り寄ろうとは……恥を知れ、恥を」
「なによこのデブ! 本気でむかつくんですけど!」
ツインテールをぶんぶんと揺らしたマチルダが詰め寄ってくる。ゼイニークも負けじと吠え返そうとしたが、あたふたとやり取りを見守っていたターニャの「あの!」という声に遮られた。
「ゼイニーク様。マチルダ様も、慣れない環境と長旅の疲れで気が立っているのだと思います。少し、お一人で休んでいただいてはいかがでしょうか?」
……確かに。ここでこの女とやり合ったところで何の得にもならない。むしろ「苛められた」などと騒ぎ立てられてシグリッドに泣きつかれでもしたら厄介だ。
関わらぬが吉。この館で好き勝手されるのは面白くないが、致し方あるまい。
「……まったく、仕方がないな。貴様のことはシグリッド様に任せるが、あまりこの村で好き勝手せぬことだ!」
「デブのくせに粋がっちゃってさ! べーっだ!」
舌を突き出すマチルダの姿からは貴族の品位など欠片も感じ取れぬ。貴族らしからぬと言えばシグリッドも同類だが——この女には他者を不快にさせる特別な才能があると断言できた。
部屋に案内した以上、もう己の役目は終わりだ。ゼイニークは罵倒を背に受けながら苛々と足音を鳴らして部屋を後にした。
とにかく鬱陶しい女だった。居座られても面倒でしかない。
……いや、田舎領地が嫌で来たような娘だ、シグリッドに農作業でも振られれば自ら逃げ出すに違いない。
だがしかし。真実の愛とやらに目が眩んで、あの娘を囲ったりなどしないだろうな?
廊下を歩いている間にも不吉な考えが頭を巡ったが、段々と考えるのも阿呆らしくなってくる。
ふてくされたまま部屋に籠もっていると、やがて廊下から騒がしい声が聞こえてきた。
そっと扉を押し開けて様子を窺うと——そこには、シグリッドに抱きつこうとして、軽く頭を押さえつけられているマチルダの姿があった。
「はいはい、お触りは禁止でーす。なんだ、元気そうじゃん」
「シグリッドさま、せっかく会いに来たのにこの仕打ちはあんまりですぅ……! 責任を取って、お嫁さんにしてください!」
「うーん、ごめんね。俺、今は恋愛してる場合じゃないんだよねー」
あっさりと玉砕するマチルダに「ざまぁみろ」と心の中で毒づく。シグリッドの隣に控えるトーマスもどこか勝ち誇ったようにマチルダを見下ろしていた。
「そ、そんな……。だって、シグリッドさまは私を選んでくださったじゃないですか……。だから私、あんな目に遭っても我慢したのに……」
「……そうなの? それは悪かったと思うけどさ。でも君は帰る家があるんでしょ? 御者さんも馬を休ませるために数日は村にいるって言ってたし、一緒に帰ったら?」
「嫌です嫌です! 家に帰ったって針の筵ですもん! ……じゃあ、お嫁さんじゃなくてもいいから愛人としてここに置いてください!」
「……それは絶対に嫌。愛人とか、そんなこと簡単に口にしないほうがいいよ」
珍しくシグリッドの笑顔が消えた。明らかに地雷を踏んだのだ。マチルダもその空気を敏感に感じ取ったのか一瞬たじろいだが、それでも引き下がらない。
「シグリッドさまは私のことが嫌いになったんですか? あんなに愛を囁いてくださったのに……!」
「大事な場面で早々に逃げ出した女が、どの口で言っているのでしょうな」
冷たく突き刺すトーマスの言葉にも、マチルダはなおも食い下がる。
「だってしょうがないじゃないですか! みんな睨みつけてくるから、怖かったんですもん……!」
泣き言のような言い訳に、シグリッドの表情もますます険しさを増していく。
「……ここにいたいなら、みんなと一緒に働いてもらうことになるよ? 農作業、土地の整備、炊き出し、掃除に水汲み……できる?」
新興貴族とはいえ労働とは無縁に育った娘だ。そんな泥にまみれる下働きができるとは到底思えなかったが——。
「……やります。やってみせます。そうしたら、シグリッドさまのお側にいてもいいんでしょう?」
「特別扱いはしないよ。それでもいいんだね?」
「もちろんです! 生まれ変わった私の姿、見ててください!」
やけに堂々と言い切るマチルダに、シグリッドは一度頭を振り、「おっけー」と笑顔で返した。
「じゃ、明日からよろしくね。ゼイニークさん、一応女の子だから屋敷での生活には気を遣ってあげて? いい機会だし、村のお姉さんたちの中から手伝ってくれる人を雇っていいからさ」
……どうやら、盗み聞きしていたのは筒抜けだったらしい。
この屋敷の使用人はゼイニークが王都から引き連れてきた男手のみ。住人が増えるなら確かに手配も必要だろう。不承不承ながらも頷いた。
「それじゃ俺、今日はもう寝るね。明日からよろー」
「シグリッドさま……!」
追いすがろうとしたマチルダをトーマスが鉄壁の構えで遮る。
キッと睨みつける彼女の姿を見る限り、殊勝に働く姿など到底期待できそうになかった。




