10 すたばが欲しい!
コフィという飲料が生まれてからはや半月。
アラピカ村の朝は、コフィの香りと共に始まるようになった。
村の中央広場にはいつからか手製のテーブルと椅子が並べられ、さながら開放的な青空カフェといった趣だ。
日が昇り切る前に農園へと向かう村人たちがそこに集い、交代で豆を挽き、シグリッドに教わった手順でコフィを淹れる。冷たいコフィを一息に飲み干す若者がいる一方で、寒がりの女たちは温かなコフィを傾けて、ほぅと白い息を漏らす。コフィを片手に人々が自然と集まるその光景はシグリッドが思い描く何かに近いようだった。
農園の風景もまた、以前とは見違えるほどに様変わりしていた。
一番暑い時間を避けるシエスタもすっかり定着した。開始の鐘より早く働き始める者は減り、水樽が空になれば誰かが補充する。以前なら地面へ座り込んでいた昼前になっても村人たちの顔にはまだ話を交わす余裕が残っていた。
トーマス自身もまた、この地で新たな役割を見出していた。シグリッドの補佐として彼の突拍子もないアイデアを整理し、噛み砕いて説明することで村人との橋渡しを担う役だ。
かつてはあれほど手を焼かされたというのに。今こうして自ら進んで力を貸しているという事実が自分でも不思議でならない。
そして本格的な収穫が始まり、精製の工程がさらに洗練されていく中で——。
「……さて、シグリッド様! これほど良質な豆が得られたのです。これを一体いかなる手立てで金貨へ換えるおつもりですかな!?」
鼻息荒く、露骨なまでの欲望を剥き出しにして詰め寄ってきたのはゼイニークだ。先日まで農園へ引きずり出されていた男とは思えぬ変わり身である。すっかりやる気に満ち溢れている彼は揉み手をしながら熱っぽく語り始めた。
「これまでは品質の悪い種を行商人へ安値で買い叩かれておりました。しかし、焙煎豆という商品として王都に卸せば、新たな特産物として市場に食い込めるやもしれません!」
「だろうね。でもさ……それ、勿体なくない?」
「勿体ない、とは……?」
「この農園と人手じゃ大量生産なんて無理だしさ、そんなに儲からないんじゃないかな? だったらここでしか飲めない一杯にして、お客さんに来てもらった方がいいと思うんだよね」
「それならばもっと面積を広げ、働く時間を増やせば良いだけのことではありませんか!」
その言葉に、黙ってやり取りを見守っていた若者たちが即座に色めき立った。
「今ある土地すら痩せきってんだぞ! また数だけ増やして同じことを繰り返す気か!」
「それに、働く時間を増やせばいいだぁ? 簡単に言いやがって! そんなに収穫を増やしてぇならまずはお前がもっと働きやがれ!」
「雨季の長雨の時だけ恩着せがましそうに食料を寄越してきやがったけど、あれだって元は俺たちの稼ぎで買ったもんじゃねぇか!」
「ええい、喧しい! 私だってこうして畑に出ているではないか! そもそもコフィの作付けがなければ、こんな村などとうの昔に潰れていたわ!」
ゼイニークが自ら土にまみれる姿勢を見せるようになったとはいえ、積年の不信が容易に拭えるはずもない。特にアルフレッドのような働き盛りの若者衆はことあるごとにゼイニークに食ってかかっていた。
「はいはい、ストップストーップ」
シグリッドが軽やかに割って入る。
「センセー。この辺りの人たちって、基本的には馬車移動なんだよね?」
「左様でございます。ここは王都から遠く離れた地。この地でコフィが栽培されていると知る者もごくわずかでございましょう。さらには肝心の品質もこれまでは良質とは言い難かったわけですから……特定の行商人以外は素通りするような場所です」
「なるほどね。この村って、人が行き来するような道からはどれくらい外れてるの?」
「主要な街道からですと……馬車で半日ほどですな。道自体は通じておりますが、目的もなく立ち寄る者はまずおりますまい」
「ふぅん。それなら目的さえ作れば来られない距離じゃないってことね。よし、その方向でいこう」
「……と、申されますと?」
トーマスが警戒混じりに問いかけたその瞬間。シグリッドは天に向かって、びしっと指を突き立てた。
「俺はこの村を——『すたば』にします!!」
自信満々に放たれた宣言に場が静まり返った。……その言葉の真意を理解できた者は、恐らく一人もいない。
「すたば……? ……それって、新しい交易所のことか?」
「ちがうちがう。カフェだよ、カフェ!」
「カフェだぁ!? そんなもんのために誰がわざわざこんなド田舎まで来るんだよ!」
アルフレッドのツッコミは実に正論であった。
王都にだって紅茶や酒が振る舞われる場所はいくらでもある。わざわざ辺境まで足を運ぶ理由など、どこにもないはずだ。
だがしかし、王都に流通するコフィはあくまで『眠気覚ましの苦い薬』としてのもの。シグリッドの作るような、香りと甘みが調和した嗜好品としては存在しない。
……なるほど、独占的な価値による集客か。
「いったん整理しよっか。まず、これまでの安売りは終わり。今後はコフィの実も種も豆も、一粒たりとも村の外には出しませーん」
「何を仰るのです! 交易を止めれば、次の収入はどうするおつもりですか! 客が来るまで村人に土でも食わせる気ですか!」
「え、でも豆を売ったらよそで同じものを作られちゃうじゃん。それにセンセーに教えてもらったけど……ぶっちゃけ輸送費やら何やらでそれほど黒字でもないよね?」
「それはそうでございますが……雨季に向けた備蓄の補充も、砂糖や食器の購入も、すべて金が要るのですぞ!」
「あの館の調度品をいくらか換金すれば当面の運転資金にはなるのではありませんか?」
トーマスの提案にゼイニークは喉を詰まらせた。頭の中で計算を巡らせているのか、しばらく停止した後に言葉を絞り出す。
「……確かに、前領主の残した調度品を処分すれば当座の資金にはなるでしょう。しかし、それも長くは持ちませぬ」
「その間にお客さんを呼び込めばいいんだよ。そのためにも量より質。めちゃ旨でここでしか飲めないものにするの。そうすれば、遠くからお客さんがわざわざお金を落としに来てくれるでしょ? 要は『観光地』にしたいわけ。この村を!」
あまりにも壮大な構想に場の空気がざわりと揺れる。全く想像が及ばないのだ。実際、トーマスにもその『すたば』とやらの完成形は全く見えてこない。シグリッドが思い描いているものの輪郭を感じ取るので精一杯だ。
「……で? どう広めるつもりなんだよ。まさか、何も考えてないってこたぁねぇよな?」
アルフレッドの鋭い指摘に、シグリッドは満面の笑顔を返した。
「わかるわけないじゃーん! だって俺はただの学生……じゃなくて、王子様なんだよ? 損得勘定なんて分かるわけないっしょ!」
あっけらかんと言い放たれ、一同は呆然と口を開けた。熱意だけは伝わったがそれはただの思いつきのようなもので——。
「やはりっ! やはり、もっと無理にでも収穫させるべきなのです!」
ゼイニークが顎の肉をぶるんと震わせ声を荒らげる。
「うるせぇ! そんなに金が欲しいならお前が働け!」
アルフレッドが噛みつくように言い返す。
「金がなければ生きていけんという現実がまだ分からんのか!」
「そのなけなしの金を得るためにどんだけ働かせるつもりだって言ってんだよ!」
「だからストーーップ!」
シグリッドが両手を広げて両者の間に割って入る。
「だーかーらぁ、みんなで知恵を出し合おうって言いたかったの! でも喧嘩はダメ、絶対!」
「そうは言うけどよぉ……!」
「いいじゃん、みんなで考えるのも楽しいっしょ? 学祭だって準備期間が一番楽しいんだしさ!」
あくまでも前向きなその姿勢にアルフレッドもゼイニークも毒気を抜かれる。
思わず顔を見合わせる二人であったが——呆れたようにアルフレッドがぽつりと呟いた。
「……ったく、仕方ねぇな。まずは客に来てもらわないと話になんねぇんだから、とにかく宣伝が必要なんだろ? おい豚、王都に伝手はないのかよ」
「多少はある。これまでは利権を奪われる懸念があったが……仮にも王族がここに居る以上、貴族どもも容易には手出しできぬはずだ。だが実績もないままに招くわけにもいくまい」
「なら、行商人にまず飲んでもらいましょうよ。彼らの情報網を使えば、噂は一気に広まるはずだわ」
「客を呼ぶなら、雨や日差しを避ける場所も要るだろ」
「馬を休ませる場所も必要じゃないか? 馬車を止める場所もすぐにいっぱいになっちまうよ」
一人が口を開けば、次々に意見が湧き上がる。どこかバラバラだった村人の目的や目標が一つに向かい、まとまり始める。
まさか、これを狙って道化を演じていたのだろうか?
……いや、恐らく違う。彼は本当に宣伝の方法も商売の細かな勘定も分からないのだろう。
分からないことを恥じず、できないことを隠さず、助けてほしいと笑って言える。王族という立場にある者ほどそれは容易なことではないはずだ。だからこそ、周囲の者は己の知恵を差し出したくなるのかもしれない。
トーマスがシグリッドの横顔を盗み見ると、彼はその活気に満ちた空気を満足そうに眺めている。
どうにか今日を生き延びるだけの村だったのに。
明日の客を迎える方法をみんなで考える姿は、トーマスがこの地に来て初めて目にするものだった。




