表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
44/45

3章_14

夜明けには、まだ間があった。


道の先に、吉田の城下が黒く沈んでいる。家々の灯はほとんど消え、城の方角に夜番の火が一つ見えるだけだった。


吉田、古くは今橋と呼ばれた城は、豊川の流れに寄り、東三河の道を押さえる牧野の城である。

もとは氏親が牧野古白に命じて築かせたものだったが、今は牧野の本拠となっている。

その牧野は、主だった兵とともに遠江へ出ていた。城には蔵も家族も残したままである。

またその吉田の東には、戸田方の二連木がある。戸田もまた当主と主だった者を遠江へ出していた。


遠江で彼らを追い返したところで、それぞれの城へ戻るだけである。

ならば、先に帰る場所を取る。吉田を失えば牧野が、二連木を失えば戸田が戻ってくる。


龍王丸はその腹積もりで、遠江を抜け東三河にいた。


龍王丸の背後では、甲斐から連れてきた兵が道と畑を埋めている。遠江へ入ってから歩けなくなった者は、河内に置いてきたが、それでも五千に近い。戸田と牧野が境を越えた道は避け、引佐の者に導かせて山際を抜けてきた。途中でこちらを見た者もいたが、馬で先触れに走ろうとした者は捕らえてある。


道は少し先で二つに分かれていた。一方は二連木へ、一方は吉田へ通じている。


左京進が馬を寄せた。


「二連木は囲み、城兵を出さぬ。それでよろしいのでございますな」


「吉田へ向かう者を止めよ。城攻めにかかずらうな。崩れるようなら、そのまま取れ」


「承知」


「こちらで火が上がるまでは、戸田へ知らせるな」


それだけ言葉を交わすと、左京進は右手の道へ馬を向けた。配下の兵が続き、闇の中へ吸い込まれていく。別の一隊も、二城の間を通る道と、北へ抜ける道を押さえるために列を離れた。


龍王丸は残る兵を連れ、吉田へ進んだ。馬の口には布を巻き、足軽には槍を立てぬよう命じてある。畑の畦を踏み崩しながら、長い列が音を殺して進んでいく。


先頭から兵が一人戻ってきた。


「門は閉じておりまする。門前に番が五人。城内に動きは見えませぬ」


夜中であれば、門が閉じているのは当然である。そこまでの幸運は望んでいない。むしろ、開けられていたなら罠を疑っただろう。


「門の左右へ回せ。北の柵にも取りつかせよ」


兵が伝令を携えて走った。


城下の端で犬が吠えた。一匹に続き、別の家からも声が上がる。門上の松明が止まり、こちらへ向けられた。番兵が何かを叫び、鐘へ駆け寄る姿が見えた。


鐘が鳴る。


一度、二度と、夜明け前の城下へ音が広がった。


家々の戸が開き、何事かと顔を出した者が、道を埋める兵を見て引っ込む。門前にいた番兵は城内へ逃げ込み、内側から扉を押さえ始めた。


龍王丸は馬を降りた。


「落とせ」


そう言って腕を振り下ろすと、鬨の声が上がった。


ほぼ同じ頃、二連木の方角からも別の声が響いた。吉田の門上にいた者たちが振り返る。あちらにも今川勢が迫っていると知れば、二連木からの援けを望むこともできまい。


盾を持った兵が門へ走る。


城内から矢が飛び、前列の盾へ突き立った。数は少ない。続けて落ちてきた石も、門前へ寄った兵を追い散らすほどではなかった。


今川方の弓が返される。


門上の人影が伏せた隙に、斧と掛矢を持つ兵が扉へ取りついた。板戸を打つ音が続き、その脇では浅い堀へ木束が投げ込まれている。


城内で、ようやく兵を集め始めたらしい。


鎧を着けぬ男たちが門上へ駆け上がり、弓を手渡している。槍を抱えた者が門の裏へ集まり、横木や荷車を押しつけ始めた。


「鈍いか。彦三郎、どう見る」


関口彦三郎に尋ねた。


「奇襲にございます。主だった将もおらぬならば、こんなものでしょう」


「遠江の小競り合いも含めれば、野戦はそれなりにやった。だが城攻めは初めてだ。何かあれば申せ」


彦三郎は意外そうな顔を見せた後、頭を下げた。


龍王丸は視線を城へ戻し、歯がゆい思いを押し殺した。


明らかに吉田城は緩んでいる。朝比奈備中守からの知らせどおり、牧野の主だった者は遠江へ出ており、城兵も数が足りない。残る者に討ち死にの覚悟があったところで、ここまで近づかれてからではどうにもならない。


そのうちに、北の柵でも今川勢の鬨の声が上がった。


兵が次々と浅い堀を越え、柵へ縄を掛けて引き倒していく。北側はもう破られる。そう見た守兵が、門上から北側へ走った。


龍王丸から見ても、明らかに門の上の兵が薄くなった。


今川勢の小頭が声を張り上げる。


「門を破れ」


その号令を待っていたとばかりに、十数人が丸太を抱えて駆けた。一度目は板戸が軋み、二度目で片方の扉が大きく揺れた。三度目には蝶番が外れかけ、扉の下が土を削った。


四度目で城門に大きな割れ目ができた。


門の裂け目から槍が差し込まれ、内側にいた者が退く。押さえに使っていた荷車ごと扉が傾くと、止める者のいなくなった今川勢が狭い隙間へ殺到した。


吉田城には、もはやなす術がなかった。


龍王丸が兵の流れに続いて城内へ入った頃には、門内の喧騒はすでに収まりつつあった。奥の曲輪へ通じる道に、少数の兵が槍衾を作り、こちらを睨んでいるだけである。


数は五十にも届かない。明け方の夜襲に、慌てて具足を着けたのだろう。鎧さえ揃っていない者もいる。


中央に、具足を着けた武者がいた。兜の前立てが夜明けの薄明かりを受けている。留守居か、その一族だろう。


「押し返せ。牧野殿が戻られるまで持ちこたえよ」


声に応じ、槍先が揃った。


「突け」


龍王丸が号令をかけると、今川方の兵が進み、槍先を押し上げた。後ろから伸びた槍が牧野方の列へ次々に突き込まれる。最初の一人が崩れると、列は保てなかった。


檄を飛ばしていた武者も、上から盾を叩きつけられ、前へ倒れた。


兵が兜を外し、顔を確かめる。


「牧野の一族にござる」


龍王丸は見下ろしたが、名を尋ねなかった。


「縛れ。抵抗すれば斬れ」


武者は何か言おうとしたが、轡を噛まされ、曲輪の端へ転がされた。


そこから先、まとまった抵抗はなかった。蔵の前へ集まっていた兵は、門が破られたと知ると武具を置いた。屋敷へ籠もった者たちも、留守居が捕らえられたと伝わると戸を開いた。


日が昇る頃には、城内で抵抗する者はいなくなった。


牧野の旗が降ろされ、今川の旗が門上へ立てられる。


城内には死体が散らばり、血のついた武具や草履が踏み荒らされていた。捕らえられた者は縄でつながれ、曲輪の端へ座らされた。兵の手が空くと、順に城の牢へ押し込まれていく。


牧野一族の女房や子供も屋敷から連れ出され、同じ牢へ入れられた。泣く子を抱いた女が、これは牧野の血ではないと訴えたが、聞き分ける者はいなかった。


誰が牧野の血を引いているかなど、今はどうでもよかった。


城は落ちた。残された者はことごとく今川の手に入った。


それだけ牧野へ伝われば足りる。


城の蔵を開けさせ、兵に米を食わせた。


炊き上がるのを待つほどの時も惜しく、残っていた飯と湯漬けが先に配られた。兵は城内や門前へ座り込み、具足を着けたまま腹へ流し込んでいる。


その最中、二連木から使者が来た。


「二連木、落ちましてございます。左京進殿は城に番を残し、こちらへ向かっておりまする」


龍王丸は椀から顔を上げた。


「手間取ったか」


「いえ。吉田の方角で鬨が上がると、城内が乱れました。そのまま門へ取りつき、ほどなく」


左京進へ与えた兵は、二連木を囲むには余るほどだった。

戸田の主だった者も遠江に出ている。

守りを整える前に四方を囲まれれば、小さな城が長く持つはずもない。


「戸田へ向かう道は」


「なお押さえておりまする」


「もう開けよ。抜ける者は追うな」


使者が下がって間もなく、左京進の隊列が吉田の城下へ姿を現した。


二連木には門と蔵を守る兵だけを残し、残る者を連れてきたという。

吉田にも同じく最低限の兵を置けば、主力は再び一つにまとめられる。


左京進が馬を降り、龍王丸の前へ進んだ。


「二連木、落城せしめました。戸田一族が数名おりましたのですべて牢に送り申した」


「ご苦労」


龍王丸は西へ延びる道を見た。


牧野へ向かう者も、戸田へ向かう者も、もう止める理由はない。

吉田と二連木が落ちたことを、それぞれの主へ伝えさせればよい。


「兵に具足を解かせるな。食い終えた者から支度をさせよ」


どちらが先に戻ってくるかは、まだ分からなかった。


-----


牧野田三信成は本坂峠を越え、気賀まで兵を進めていた。


浜名湖の北岸にあるこの土地は、本坂筋と湖上の道が交わる場所である。ここを足場にすれば、東の金指、井伊谷へ兵を進められる。


牧野勢はまだ大きな城を落としてはいない。だが、道沿いの村からは米と人足を出させ、近辺の国人にも使者を送っていた。


無理攻めなどは不要である。日和見を続ける国境の国人衆を、今川から引き剥がしてこちらへ寄せる。まずはそこを第一の目的に置いていた。


前へ出した小勢が戻り次第、さらに東へ進むつもりだった。


その先には、龍王丸の御料がある。材木も塩も銭も、近頃はあそこへ集まると聞いていた。憎いほど栄えている土地へ牧野の旗を立てることができれば、遠江の国人衆の目も変わる。田三はそう見ていた。


「戸田はまだ動けぬか。このままでは、我らが奴らの旧領まで差配することになりやもしれん」


「戸田殿はいつも勇み足なれど、肝心な時は慎重でございますな」


「そう言うな。口も早かろう」


田三が笑みを噛み殺しながら言うと、家臣らもそれに追従した。


事実、遠江へ兵を入れようと言い出したのは、戸田が先であった。


浜名湖の北には、かつて戸田が知行した土地がある。今川が甲斐で敗れ、修理大夫氏親は病床にあり、龍王丸も戻れぬというなら、今こそ取り返す時だという理屈である。


牧野には、戸田の旧領など関わりがない。


だが、戸田だけが遠江へ領地を広げるのを、吉田から眺めているわけにもいかなかった。浜名湖沿いを戸田に押さえられれば、東三河での力関係まで変わる。牧野も本坂筋から引佐へ兵を入れ、道沿いの国人を先に従わせる必要があった。


武田から今川の背を突けと文が届いたのは、二十日ほど前になる。


文を読んだ田三は喜ばなかった。むしろ、余計なことをすると憎々しく思った。


戸田は言うに及ばず、牧野も昨年の大敗から傷が癒えていない。家中では報復戦を求める声が強かったが、それを押さえつけるのが精一杯であった。


だが、そこから続報が届くと、さすがの田三も気持ちが動いた。


二報目には、福島兵庫助は討たれ、今川勢は甲斐で大敗したとあった。信濃筋へ草を放つと、福島勢が崩れ、兵庫助が討たれたことまでは確からしかった。


しかし、そこでも田三は動かなかった。


今川の底力が、ここ数年で伸びていることは重々承知していた。甲斐へ兵を出した後でも、おそらく数千は残っている。それを東三河へ向けられれば、甲斐に利するだけで牧野には何の得もない。


そう考えて、文は燃やした。


武田からの知らせは、そこで終わらなかった。


あの憎たらしい龍王丸が蟄居を解かれ、数千の兵を与えられて甲斐へ向かったという。


その時初めて、田三は人に悟られぬよう兵を集め始めた。あまりに都合が良すぎる話であったため、改めて草の者も放った。結果として、それも真実だった。


さらに調べると、龍王丸は河内に足を取られ、福島勢の救援すら満足にできない、そのような話も出た。田三は、参加する国人衆らへはっきりと兵を集めるよう命じた。ただし、まだ出兵の号令は出さなかった。


名目は、近隣の戸田が兵を集めているためとした。嘘ではない。戸田も兵を集めていた。

戸田にも武田の文が届いていたのだ。

戸田の当主直々に、兵を集めているが牧野を狙ったものではない、共に遠江を攻めようと伝えられた。


その後、いざ出兵の号令を発しようとしたところで、情勢がまた変わった。


武田の当主と龍王丸が合戦をしたとの話が伝わったのである。詳しいことは流れてこなかった。ただ、武田五郎が討ち死にし、龍王丸が武田の本城を奪ったという噂だけが、東三河まで届いた。


田三の心に、再び迷いが生まれた。


今ここで攻めれば、龍王丸が遠江へ取って返すのではないか。


だが、武田から新たな文が届いたことで状況が変わった。


差出人は武田五郎信直。


噂ではすでに戦死した者の名である。


文には短く、こうあった。


龍王丸の兵、損耗多大なり。甲斐の武田勢、要害山よりこれを睨む。

三河衆、遠江を望みのままに切り取るべし。


同じ文は戸田にも届いていたのだろう。


戸田の当主は迷わず前に出た。田三はなお少し考えたが、戸田に先を越されるわけにはいかず、遠江へ兵を進めた。


おそらく武田五郎は死んでいる。この文も、その名を騙った何者かが出したものだろう。


だが、龍王丸の兵が傷み、甲斐を睨むためにも兵を抜けないという話には筋が通っていた。


ならば、取れるうちに取ればよい。


そこで、ようやく覚悟が決まった。


田三が遠江へ連れてきた兵は、千二百ほどだった。


遠江一国を奪える数ではないが、今川から援兵が来ないのであれば、境の小城や国人を屈服させるには足りる。


事実、ここまでは不思議なほど順調だった。


国境の国人衆は、こちらが何かを言う前に中立や従属を申し出る。村々は兵糧の供出を拒まず、挙句には道案内まで進んでつける始末である。


龍王丸は、今川は、よく遠江の衆を躾けている。


皮肉を込めて、田三は笑った。


この頃には、もはや出兵前の迷いなどどこかへ消え失せていた。もっと早く兵を出せばよかったとすら思っていた。


田三は敷皮の上に広げた絵図を眺めていた。


「して、戸田の話であるが、朝比奈はこちらを見ておるか」


先ほど戸田を笑ったが、陽動としてはそれなりに役に立っている。


向かいに座っていた家臣が頷いた。


「朝比奈備中守の兵と睨み合っておりまする。大きな戦にはなっておりませぬが、互いに浜名湖沿いから離れられぬようで」


やはり悪くないと、田三は笑みを深めた。


「朝比奈も戸田も、互いに相手の出方を見ておるのだろう」


「戸田へ兵を回しますか。朝比奈を退ければ、こちらも動きやすくなりましょう」


田三は絵図から顔を上げた。笑みは浮かべたままだ。


「なぜ、わしの兵で戸田を助ける」


家臣が口元を緩めた。


戸田も牧野も、今川が弱ったと見て兵を出しただけである。誓紙を交わしたわけでも、取った土地を分けると決めたわけでもない。


戸田が朝比奈を引きつけたままの状況こそ、牧野勢には絶好の機会であった。


「今は一里でも先へ進む方がよい。戸田が動けぬ間に、こちらは取れるだけ取る」


「引佐の者どもも、ずいぶん素直になりました。あと二、三日もあれば、さらに東へ進めましょう」


「今川が戻った後で、すべて返せと言われるやもしれぬぞ」


「その時は、半分ほど返せばよろしいかと」


田三は笑った。


「半分では少ない。一門を討たれた供養もせねばならぬ。少し多めに取っておけ」


「確かにそうですな。それに、遠江の者たちが今川へ戻りたがらぬやもしれませぬ」


「随分な歓迎であるからな。三河よりも扱いがよいわ」


田三がそう言うと、陣中にも笑いが広がった。


今川方のまとまった兵は、いまだ姿を見せていない。想定どおりである。


龍王丸は甲斐から戻れず、駿河も兵を出せない。


次にどの国人へ使者を出すか話していた時、陣の外が騒がしくなった。


馬の足音が近づき、止まる。


ほどなく、土と汗にまみれた男が二人の兵に支えられて入ってきた。片方の草履は失われ、剥き出しの足から血が流れている。


吉田城に仕えていた者だった。


男は田三の前へ膝をつこうとして、そのまま手を地についた。


「申し上げます。吉田城、落ちましてございます」


陣中から音が消えた。


田三は男を見たまま、すぐには言葉を返せなかった。


「何を申しておる」


「今川勢が夜明け前に押し寄せ、門と北の柵より城内へ入りました。留守居殿も捕らえられ、牧野の旗は下ろされましてございます」


「誰が率いていた」


男は一度、息を吸った。


「龍王丸。今川龍王丸にございます」


家臣たちが互いの顔を見た。


田三は、膝の上で握っていた手を開いた。


「龍王丸は甲斐にいるはずだ」


「私も初めは見間違いかと。されど城内へ入るところを、この目で見ました。間違いなく、あの童です」


「屋敷の者はどうした。奥や子らは」


「屋敷から連れ出され、城の牢へ入れられました。私が抜け出した時までは、皆様御無事にございます」


田三は鼻から長く息を吐いた。


殺されてはいない。


少なくとも、今はまだ間に合う。


「兵はどれほどいた」


「分かりませぬ。夜明け前のことにて、城の前にも畑の中にも兵がおり、門と北の柵へ同時に取りついておりました。千は下りますまい」


「二千はいたか」


男は首を横に振った。


「そこまでは。ただ、二連木の方角からも鬨の声が聞こえました。私が城を出た頃には、火も上がっておりました」


田三は絵図を引き寄せた。


吉田を攻めながら、二連木にも兵を出した。


龍王丸が甲斐をすべて空けられるはずはない。甲府、河内、兵糧を置く城にも兵を残さねばならない。しかも、甲斐からここまで休む間もなく戻った軍勢である。


「多く見ても、千から千五百ほど。城攻めの後ならば疲れもあろう。すぐに動かせるのは千と見てよい」


家臣が頷いた。


「吉田城は、主だった者をこちらへ連れてきております。千を少し超える程度でも、奇襲であれば落とせましょう。二連木へも兵を割いているなら、一か所に集められる数はさらに減ります」


「甲斐から休まず歩いてきた兵だ。敵地のただ中では、ろくに休めまい」


「こちらがすぐ戻るとは思っておらぬゆえ、吉田で兵を休め、態勢を整えるつもりやもしれませぬ」


田三は絵図の上で、遠江から吉田へ戻る道を指でなぞった。


牧野勢は千二百。


前へ出した小勢や荷駄をすべて集めるには時がかかるが、直属の兵だけならすぐにでも陣を払える。吉田へ近づけば、城から逃げた者や周辺の牧野方も加わるだろう。


龍王丸の兵が吉田と二連木へ分かれているうちに戻れば、一方ずつ叩ける。


数の上では、さほどの差はない。


疲労と連戦の損傷まで加味すれば、優位は牧野にある。田三はそう見た。


家臣が尋ねた。


「戸田殿にも知らせますか」


「知らせは出せ」


「合流を待ちまするか」


「待たぬ」


田三は即座に答えた。


朝比奈備中守と睨み合っている戸田を待てば、こちらまで遠江で足を止められる。戸田勢が抜けようとすれば、朝比奈も動くだろう。その間に、龍王丸の兵は気力を取り戻しかねない。


何より、龍王丸を討つ好機を戸田と分ける理由がなかった。


「戸田には、二連木も攻められていると伝えよ。戻るかどうかは、戸田が決めればよい」


「龍王丸を討たれますか」


「自ら吉田まで出てきた敵を、逃す理由があるのか」


田三は立ち上がった。


動揺していた兵らも、その言葉で気勢を上げた。


龍王丸は甲斐から疲れた兵を連れ、自ら吉田まで出てきた。今川の主力とも離れ、軍勢を二つの城へ割っている。


吉田を取り返すだけではない。


ここで龍王丸を討てば、甲斐衆も力を取り戻し、駿河を圧迫する。そうなれば、遠江で牧野を止める者はいなくなる。


「前へ出した兵は捨て置け。荷駄も後から来させればよい。動ける者からまとめよ」


家臣たちが立ち上がった。


「吉田へ戻るぞ」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ