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2章_7

馬込寺を出た時、夜はまだ明けていなかった。


雨は上がっていたが、道は重かった。踏めば草履の下で泥が沈み、湿った土の匂いが足元から上がってくる。

寺の方を振り返れば、山門の奥にまだ灯が残っていた。

騒ぎの名残ではない。人を動かすための灯であり、見張るための灯であった。


寺内の大河内一党については、細部までは命じなかった。

ただ、気脈を通じていた年寄衆にそれとなく、若侍らの内でも又七郎に近い者を縛ること。

寺内の米俵、矢束など蔵のもので購入した物品に手を触れぬこと。

そして、寺内の又七郎の血を片すこと。せいぜいがそれくらい伝えただけである。


「又七郎の近辺をおとなしくさせれば、左馬助が出てくるだろう。それをもって旗を下げさせろ。かがり火も消しておけ」


龍王丸は外に出て、今回の仕込みをまず片づけた。

命じる相手は、寺の外で心配そうにしていた帳付の者である。

もう知ってしまったのだからと巻き込んだその男は、深々と頭を下げ、足早に立ち去る。

そして、十人にも満たない小者らに要領よく命じていった。


「備中殿から借りていた男だが、役目を上げてもよさそうだ」


「修行ということでお借りした一門の方ですので、あまり腰を据えられる御役目は向こうも遠慮されるかと」


宮内がそれとなく難色を示した。


「大市のまとめ役が足りない。そこにあててみたい。あれだけ動けるのであれば荒事にも動じまい」


大市のまとめ役は激務である。

大商人、国人衆と頭をぶつけ合い、時に殺気立った者たちの間に立つこともある。

月に数度開かれるたびに、龍王丸や宮内が構えていた。

だが、あの男であれば問題ないだろう。

少なくとも今宵は一つ収穫があった。


自分自身を慰めながら、歩き出す。

龍王丸は振り返らなかった。


月の明かりを頼りに龍王丸の一団が代官屋敷までの道を進む。

前を天野宮内、続くのは龍王丸、そしてそのすぐ後ろを護衛が二人、そこから少し離れて大河内玄蕃が続く。

宮内は歩きながらいつものように顎へ指を添えていたが、その指先は珍しく止まっている。


「玄蕃、問いたいことがあれば聞こう」


玄蕃の足音が止まっては進み、止まっては進みを繰り返していた。

龍王丸は目線だけで玄蕃を呼び寄せた。

玄蕃は護衛らや宮内の顔色を気にしていたが、意を決して龍王丸のすぐ後ろについた。

少し待ったが、問いかけはなかった。

どうやら龍王丸の顔を見ると、玄蕃は言葉が引っ込むようだった。


「歩きながらの方がやりやすいか」


できますれば、という答えに少し笑う。

びくりとした玄蕃の望み通り、再度歩き出す。

しばらく、泥を踏む音だけが続いた。


「御料様」


玄蕃は、ようやく声を出した。

声は思ったより掠れていた。


「あの旗は、まことの兵でございましたか」


何だそんなことか、と龍王丸は思った。


「旗は本物だな。領内の木綿織の店に頼んでいた旗を借り受けてきた」


「朝比奈と福島の両家当主には無断ですので、怒られましょう」


宮内が顎を撫でながら言った。

事実である。龍王丸は福島と朝比奈両方の家の者には了承をとった。

しかし、当主本人には詫びを入れる必要があった。

福島兵庫は面白がるように思える。朝比奈も強くは責めないだろう。

しかし釘は刺されるかもしれない。


龍王丸は前を見たまま答えた。


「あ、いえ、ではやはり偽兵でありましたか」


「そうなる」


玄蕃は黙った。その沈黙に、宮内が横から口を挟む。


「まあ、あれで止まらないならば火でもつけて騒ぎを起こしました。向こうも一粒種の惣領姫――」


宮内が笑う。

宮内という男は存外人へ求める水準が高い。

椿姫が、惣領姫の名にふさわしいと思わなかったのだろう。


「失敬。姫君を火の中に置きたい者はおりますまい。米と矢が燃えれば、それで仕舞いです」


「火に巻かれた後、大河内勢から必死で逃げる必要がありました。さすがにそれは厳しゅうございます」


と憮然と護衛が言った。

最後まで龍王丸が寺に乗り込むことを反対していた男だった。

龍王丸の視界の端で、玄蕃の顔から血の気が引いていた。


「そ、それだけの策にて挑まれたのでございますか」


「何分急な話だったのでな」


龍王丸が言うと、宮内が追従した。


「大河内の玄蕃殿が米を矢に変えねば、若君がそのような真似をなさることもありませなんだ」


玄蕃が顔を引きつらせ黙った。

ああ、言い過ぎたなと龍王丸は思った。

しかし、多少は責められた方が気も楽になるかと考え、詫びは言わない。


またしばらく泥を踏む音だけが響いた。

玄蕃はずっと顔を引きつらせていたが、そのうちに何かを、ふと思いついたようだった。


「もしや左馬助殿をあてにしていたのでございますか」


ほぉ、と宮内が唸る。

宮内にとって玄蕃は、生真面目が取り柄の小心者、それだけである。

危難においてあれこれと覚えていることが意外だったようだ。


「どうしてそう思う」


龍王丸が尋ねると、玄蕃は恐る恐る続けた。


「旗を見て一番最初に、諦めたのは左馬助殿です。それに軍勢を実際に見たというのも左馬助殿でした。

その後もずっと御料様の命に率先して従っておりましたし。もしや、左馬助殿は最初から」


「通じていたか、と問いたいのか」


足を止め、振り向くと玄蕃が真剣な顔で頷いた。

また少し笑った。それから振り返って歩き出した。


「そんな器用な男ではあるまい。左馬助との間には三つの約定しかない」


龍王丸は指を折りながら口に出した。


一つ、大河内の者を粗略に扱わない。追い立てぬこと。

二つ、大河内の若衆が軽挙に出ぬように、龍王丸、年寄衆双方が力を尽くすこと。

三つ、大河内の姫を惣領姫として尊重すること。


「互いに悪い取引ではございませんでしたな。この地のことを知る者の助けが欲しい御料様。この地で再び大河内の根を張りたい左馬助殿。

御料様が最初に切り出した時は、さすがに向こう様もぎょっとされておりましたが」


「だが飲んだ」


今の遠江で、大河内を丸ごと敵に回す利はない。

大河内にしても、今川に弓を引き続けて得るものは少ない。

互いに顔を潰さぬ道があるなら、それでよかった。


「とはいえ、又七郎めの暴挙を止められなんだのは少し顔をしかめざるを得ません。さては約定破りとして責めることもできましょう」


何か考え込みそうだった玄蕃を置いて、宮内が言った。

柔和な笑みだった。

玄蕃の顔がまた引きつった。


「責める筋はなかろう。隠し方が巧妙であった」


左馬助らはここに至るまで、散々又七郎らを止めていた。

だが、それゆえに又七郎らが堺の一件以降は隠れて動こうとするのは、龍王丸には当然に思えた。


事実、龍王丸は左馬助の忍耐には頭が下がる思いだった。

散った大河内をまとめ上げたはいいが、戦を知らない若衆が平穏の中で不穏分子化したのだ。

ならばと穏健派と中立派をまとめつつ、不穏分子らを脅し、時になだめ、その牙を必死に抜いてきた。

本来ならば、何人もの補佐をつけて取り込む仕事である。責める筋は薄い。

あれだけのものを、老いた身と数人の年寄衆で抱えていたのだ。


「そ、その一件、ま、まこと申し訳なく」


隠蔽に関わっていた玄蕃が頭を下げた。


「そなたの仕事についての沙汰は下した。もうよい」


よいと言ったが、当の玄蕃は少し飲み込めていないようだった。

許し、というより、罰を欲しているように見えた。


「だが、次に大河内から声がかかれば、先に言え。断れぬなら、断れぬと書け。もっと早く知らせよ」


そこまで言うと、はっ、と玄蕃はその場に平伏した。

泥に膝をつけ、深々と礼をした。

あまりに勢いよく頭を下げたので、玄蕃の顔には泥が付いた。


「馬鹿者、何をしている」


厳しくしようと思ったが、その様を見て笑ってしまった。

そして、笑ったことが少し気まずくなり、龍王丸はまた歩き出した。

玄蕃は困惑しつつも立ち上がり、いそいそとそれに続いた。

その様子があまりに申し訳なさそうで、龍王丸はつい口を開いた。


「約定は今後も守る。大河内を絶やす沙汰にはせぬ。姫の名も、今は表へ出さぬ」


姫のことを口に出し、少し彼女のことを考えた。

龍王丸には椿姫に対する感慨はない。

目の前で又七郎を斬られ、喉を突こうとしたことに対しての哀れみもなかった。

ただ、彼女を今後も奉じ続ける左馬助らの行く末を案じたのだ。


龍王丸の背後でまたも泥が跳ねる音がした。

振り返らずとも分かった。

玄蕃がまた泥の中に平伏したのだ。


呆れながら、止まらず歩を進めた。


夜道の向こうで騎馬の音がした。

宮内が顔を上げた。護衛の一人が、何も言わず前へ出る。玄蕃はまた肩を強張らせた。

馬の蹄が、湿った土を叩く音は近づいてくる。

闇の中に馬の首が浮かび、白い息が見えた。


由比小次郎だった。


馬を止めた小次郎は、すぐには降りなかった。まず龍王丸を見た。

次に宮内を見、それから玄蕃へ目を移す。玄蕃は目を伏せた。

小次郎は馬上で礼を取った。


「若君。これは、いかなることにございます」


声は低かった。怒鳴るわけではない。だが、普段の控えた声音とも違っていた。


「馬上から御料様に問うとは、由比様といえどさすがに無礼では」


よい、と護衛を下がらせる。

それから相貌を崩し、穏やかに言った。


「そう問われれば、夜道を歩いていただけだ、と答えよう」


龍王丸は何でもないことのように言った。


小次郎は顔を上げる。

目は笑っていなかった。


「夜半に出歩くのは駿府では問題であるが、ここでは大したことではない」


「誤魔化されるのでございますか」


やはり無理か、そう思って龍王丸はかすかに笑った。


その笑みをどうとったのか、小次郎は懐から帳面を取り出した。

黒々とした項をめくり、そのうちに手が止まる。

そして、ある項を龍王丸に突き付けた。


「西蔵の米俵がずれたという訴えがございましたな。聞けばその訴えを行った者は大河内というそうで」


「忘れよと申したのに」


「忘れようとしましたが、若君はいささか目立ち過ぎました」


また別の項を開き、突き付けてくる。

夜闇でよく見えないが、小次郎には分かっているのだろう。


「若君は西蔵へ向かわれた後、帳簿を改め、その後矢束を扱う店に人をやりましたな。

小者を捕まえたところ、そのように申しておりました」


「由比様、その小者の名は」


宮内が柔和な笑みで顎をさすった。

やめよ、と宮内を後ろに追いやる。


「また別の小者を捕まえたところ、若君が寺の大河内のところに行ったと申しておりました。

帰らぬ時は朝比奈殿のところに文を持って行けと言いつけなされましたな」


事実である。

一つ一つは関係のない情報であった。明朝までに小者らに忘れよと命じれば、表に出ない情報でもあった。

それを頭の中で結びつけ、すぐに動いた小次郎に、龍王丸は内心賛辞を贈った。


「さて、ずいぶんとこじつけが過ぎるな」


「若君」


「矢束の店に人をやったのは鹿狩りのため。大河内の寺に参ったのは顔見知りの人死にが出たから。

朝比奈殿を頼るように言ったのは、明朝急ぎの用件があるからである」


「それは苦しゅうございます。馬込の寺にこのまま向かえば自ずと分かりましょう」


「確かに大河内の人間はおろうな。だが通夜だ。集まることを責め立てはできん」


無理筋である。

血の匂い、そして、戦の準備は隠せない。


「そもそも。仮に敵対的な兵がいたとしてだ、こうして呑気に帰路につけるのか。

仮に制した後だとして、我らはどうやってそれを制した」


小次郎は黙った。

そして玄蕃を見た。

玄蕃は目を伏せたまま、身を小さくした。

西蔵の帳よりも、今はその視線の方が重かった。


「あくまで白を切られますか」


「いや、ここまでにしよう」


龍王丸は軽く笑った。

小次郎ではなく、与一郎でもこの場にはたどりついたかもしれない。

与一郎も遮二無二龍王丸を追いかけ、小者を捕まえて問い詰め、馬込の寺にいると踏み、動くことはできたはずだ。

だが、与一郎であれば今の問答で引いただろう。誤魔化されてくれただろう。


だが小次郎は引かず、役目を全うしようとした。


龍王丸は小次郎を見て、目の端だけをわずかに緩ませた。


「そなたの思う通り、少し揉め事はあった」


「少し、で済む話ではございませぬ」


「喧嘩だ。大河内の内で静まった」


小次郎の眉が動いた。


「大河内残党の挙兵を、それで済ませるおつもりですか」


「済まさねば、どうする。再び兵を出すか。大河内を見せしめにするか」


小次郎は答えなかった。

だが、帳を握り、気を入れ直すと口を開いた。


「兵を上げたとなれば、厳罰に処さねばなりませぬ。反逆しても許されるという先例を作れば、今川の規律が緩みまする。

若君の領地だけでの話にとどまらず、遠江、駿河にも火は移りましょう」


「兵は上がっておらぬ。それをもって反逆というのは難癖になるな」


「矢も米も集まっていたと聞いております。また大河内の若衆が不穏なのは御料内でも承知のこと」


時折やってきた大河内の若衆が農夫たちに絡むのは度々あった。

大河内の恩を受けておきながら、今川の小僧ごときに尻尾を振るのはけしからん。そう言って荷を奪うのだ。

当然そのたびに左馬助ら年寄衆が飛んできて、方々に頭を下げた。

龍王丸も被害にあった者に詫び金を出すほか、怪我人がいなければ数日の労役で許すことがあった。

龍王丸の使える兵数が増えるにつれ、露骨なことはなくなったが、それでも若衆の悪名は残り続けている。


「確かに集まった者はいた。矢も米もあった。だが、兵乱にはならなかった。首魁の不届き者は、家中の者が処断した」


小次郎は唇を結んだ。

龍王丸は夜道の先を見た。寺の灯は、もう木々に隠れ始めている。


「それでは示しがつきませぬ」


龍王丸はそこで初めて小次郎の内心に気が付いた。

強い焦り。わずかな怯えもある。

ああ、そういうことかと納得した。だが、それを受け入れることはできない。


「駿府方の存念は承知している。今川が何も変わらぬことを示そうと強く出るのはよい。

掟を締め直すのも正しい。だが、かえって遠江が揺らぐだけだ」


小次郎の顔がわずかに強張った。


父である修理大夫氏親には、最近一つの噂がある。

重い病にかかり、床から起き上がることができないという話だ。

駿府方は必死に隠しているが、そのことが逆に周囲に確信を生んでいる。


龍王丸もまた、近ごろ氏親から直筆が返らぬことで察していた。

だが、その名をここで出すつもりはなかった。

小次郎も問わなかった。互いにそれで足りた。


「大河内の反逆はならず、収まったのだ。ならば、反逆などなかったことにして、収めたほうがよい」


そうすれば遠江は揺れない。駿河も安泰である。


「若君は、そうまでして大河内を庇われるのですか。大河内に心を寄せられるのですか」


龍王丸は小次郎を見た。


意外であった。

小次郎は、自分が大河内を神聖なものとして扱っていると思っているのだ。


「心を寄せてなどおらぬ。今の遠江に必要なのだ」


率直に思っている言葉を口に出した。


小次郎は依然として険しい顔だった。

龍王丸も自分が正しいとして押し通すつもりは毛頭なかった。

駿府方として遠江、駿河全体の規律を引き締め、問題が起きないようにしたい。

遠江の代官としては、遠江の統治のためには大河内を切りたくない。


むしろ、どちらの方針をとるべきかと問われれば、駿府方に正当性がある。

なにしろ遠江の守護大名の方針である。一代官ごときでは覆せない。


「この咎は、龍王丸が負う。遠江の地を預かるには、大河内が要る」


ゆえに龍王丸は泥の中に膝をついた。

ついで頭を下げようとした時、


「おやめください。お許しください」


小次郎が下馬し、先に頭を下げていた。


「大河内家中に不届き者あり。家中の者がこれを討った。それでよろしいでしょうか」


龍王丸が立ち上がり、すまぬ、と言うと、小次郎は辛そうな顔をした。

返事はしなかった。


だが小次郎の目が、ふと龍王丸の右手で止まる。

白布に、血が滲んでいた。最初は夜陰のせいかと思ったのだろう。

だが、馬の横で揺れる松明の明かりがそこを照らすと、見間違いではなかった。


「その手は」


「夜道ゆえ転んだ」


「転んだ」


「遠江は駿府と違い、道が悪い。こういうこともある」


小次郎は黙って龍王丸を見た。

龍王丸も見返した。

宮内は口を挟まない。護衛も動かない。

玄蕃だけが、息をするのも忘れたように二人を見ていた。


「若君」


小次郎の声は低かった。

責めるような響きがあった。


龍王丸は笑った。

馬鹿にした笑みではない。困ったように笑うほかなかった。


「これも許せよ。筋違いはこちらだ」


小次郎の顔は緩まなかった。


「若君が、今川の御曹司が、そうまでする必要はありませぬでしょう」


「誰かが泥を飲まねば進まぬこともある」


できればそれは、自分でよい。

龍王丸は自分の手を見なかった。


小次郎は長く黙った。馬が鼻を鳴らし、白い息が夜気に溶ける。遠くで、誰かが旗を片づける声がした。

松明の火が湿った風に揺れ、すぐに戻る。


しばらく小次郎と連れ立って歩いた。

その間、言葉はなかった。


道は陣へ続いている。夜明けが近づき、空の低いところだけが灰色に滲み始めていた。

湿った草の先に露が光り、泥にまみれた草履が重くなる。玄蕃は何度も転びそうになりながら、黙って後を追った。


やがて、陣の火が見えた。

馬込寺の松明とは違う、整った火である。

見張りがこちらに気づき、低く声を上げた。門の前に人影があった。夜明け前の薄明かりの中でも、その姿はすぐに分かった。


「朝比奈か」


件の旗を借りた家、その当主である朝比奈備中守であった。

まだ老臣と呼ぶ年ではない。だが、朝比奈の名を背負う者として、陣中で軽く扱われる男でもなかった。


「さて頭を下げに参りましょうか」


宮内が冗談めかして言った。


「待て、少し妙だ」


旗のことを咎めに来たにしては顔が険しい。

龍王丸は歩みを止めなかった。

歩きながらも寝不足と徒労で茹だった頭がまた回り出す。


大河内の一件はまだ知らせていない。

小次郎のように方々を歩き回って真相を探る暇はなかったはずだ。

ちらりと小次郎の方を見ると、こちらも訝しげな顔をしていた。


おそらく別件。それも厄介ごとだろう。


「おお、若君」


朝比奈は龍王丸に安堵したように寄ってきた。

その後、龍王丸の手を見て、顔をしかめる。

何事か言い出すより前に、龍王丸は先んじて問うた。


「備中守、何用か」


「ちと厄介ごとにござりまする」


備中守は先ほどの小次郎よりも低い声で言った。


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