2章_3
小次郎は、宮内に促されるまま歩き出した。
御料の門から一歩踏み出すと、そこは一つの街であった。
道は広く、徹底的に踏み固められており、両側には新しい家屋が並んでいる。
ただ、家屋の並びは乱雑であった。
民家の隣に商家、商家の隣に飯場、少し行けば荷置き場。
とにかく必要なものを建てていった、そんな経緯が透けて見えた。
しかし、その乱雑さは活気と熱気も生んでいた。
真新しい店の軒先には木綿袋が干され、荷布が畳まれ、威勢の良い売り文句が飛び交っている。
それをかき消すように、どこからか鉄を打つ音、荷車の走る音が響いている。
なんとも壮観だ。
小次郎は唸った。
駿府の城下のような大きさではない。古くから積み重ねた威勢もない。
だが、目に入るものの端々が生きている。
水桶の置き場、馬を繋ぐ杭、荷を降ろす場所、商人が待つ列、女たちが袋を畳む軒下。
何もかもが新しいのに、今この時も拡大を続けている。
無秩序ではある。だが、それだけではない。
互いの成長をぶつけ合わないように、方向だけは調整されている。
「騒がしくて申し訳ございませぬ。なにせ今日は、月に幾度かの大市にございます。
近在の者も、商家も、掛塚へ向かう荷も寄りますゆえ」
大市という言葉は、ここに来るまで何度も小次郎は聞いた。
市に出るのに銭がかからないのに加えて、堺や熱田から大規模な荷が来るという。
それに合わせ、近隣の者がどっと御料に押し寄せるのだ。
宮内もさすがに苦笑し、道の脇に身を寄せる。
「本日の宿所は用意しております。さぞお疲れでございましょう。湯も沸かしておりますので、今日は休まれて、」
「すまんが」
小次郎は足を止めた。
宮内が振り返る。人のよさそうな目に、わずかな興味の色が見えた。
「先に市を見たい」
年嵩の下役が小さく息を呑んだ。
若い下役は、またかという顔をした。
護衛の者たちは、荷車と人の流れを見て、やや面倒そうに周囲へ目を配っている。
宮内は、ほんの少しだけ笑った。
「おお、左様にございますか。実のところ、是非大市を駿府の皆様に見ていただきたく思うておりました。さあさ、こちらでございます」
宮内はそう言うと、するすると人混みを抜けていった。
小次郎とその供は、急いで後を追う。荷駄にぶつかりかけ、人足に文句を言われながら、ひたすらかき分け進む。
そうして街の中心の開けた場所にたどり着いた。
「どうでしょうか、こればかりは御料様の肝煎りにございまして。絶対にこの近辺は勝手に家々を建てるなと申し付けられております」
大きな広場であり、周囲には囲いと堀が設けられている。
中は左右に店と仮小屋が並び、奥に蔵と番屋が見える。
そこへ人と荷が吸い寄せられていた。
市の中はものであふれていた。
米俵、雑穀、薪、縄、筵、桶、鍬、油紙、干魚、塩、薬種の小包。
誰が買うのか、井守の黒焼きやら、豚の耳やらも店先に並べられている。
「やはり、上質だな」
「おお、さすが由比様、お目が高い」
その中でも目立つ布を、小次郎は手に取った。紺で染められた一反の木綿である。
店主は無作法な客に腰を浮かせたが、宮内を見て事情を察したようだった。
愛想笑いなどして、他の客との接客に戻っていく。
「品目も多い」
「ここまで増えたのはここ一年ですな。流れてきた三河者の真似が形になったのか、各々売れると思ったものをこさえてきます」
真新しい木綿袋。同じ幅に畳まれた荷布。まだ染めの入っていない白い布。
一軒の店だけでもこれだけある。大市をさらえばどれだけの種類があるだろうか。
小次郎はその木綿の店を離れ、別の店に目を向ける。
雑穀を扱う店だった。
そして、積まれた袋に目を近づけた。
やはり、これも寸が揃っている。
道中で見たものと同じであった。商人の荷台に積まれていた袋。
昨日の朝、仁平という商人が気にしていた荷。あれらと同じ寸のものだった。
「御料様曰く」
宮内がそっと言った。
「最初に定めると後が楽。楽を覚えれば勝手に動く」
なんだそれは、と思いつつも、なるほどなと納得もした。
「駿府にも市はある」
小次郎は低く言った。
「存じ上げております。ずいぶんと学ばせていただきました」
「にしては、ここは似ても似つかぬ。良くない手本として学んだのか」
宮内は答えず、頭を下げる。
「発展の早さの秘訣、その一つはこれらだな」
小次郎は揃った袋や木綿の一群を指した。
宮内は否定も肯定もしなかった。
袋の均一化というのは駿府で挙げられたこともある。
実際、一々ものを測らなくて良いというのは、非常に効率的だ。
品質もある程度均一であれば、さらに早くできる。
「だが、解せんな」
「はて、何をでございましょう」
「揉め事の元だぞ、これは。誰かが悪さすれば、市の信が落ちる。諸刃ではないか」
それは、と宮内が口を開こうとしたとき、市の中で大きな声が響いた。
値切りの交渉ではなく、言い合いの類に聞こえた。
「ああ、ちょうど良うございますね」
宮内がまたも、するすると人混みをすり抜けていく。
小次郎は疲れた体に鞭を打って追う。
「だから、それは御料改めの品じゃないんだよ。たとえ御料の袋に入れても駄目なんだよ」
「御料の袋を買って、上等な近江の米を詰めただけやろが。上物の袋に、上物の米を売る。文句など出るほうがおかしいわ」
「ああ、もう面倒だな」
揉めているのは、商家の手代らしき男二人。片方は遠江の者に見える。
しかし、もう片方は上方の訛りがあった。
二人の足元には袋がある。一際丁寧に縫われた麻袋で、焼き印が入っている。
「あんた絶対新参者だろ。市の話聞いてなかったのか」
遠江の手代の方はどうしたものかと腕組みをしているが、上方の男は一歩も譲る気がないようだ。
小次郎には、さほど上方の男が悪さをしているように見えなかった。
おそらく見栄えのために、御料で取り扱われている袋を手に入れたのだろう。
そして、手持ちの米をそこに移し替えようとしたところで、見咎められた。
小次郎は少なくともそう予測した。
「そこまで、双方そこまで」
そこに帳付の若者が二人の間に入った。
怒鳴りはしない。だが、よく通る声だった。
遠江の手代はそれを見て露骨に安堵していた。
「役人さん、いつものやつだよ」
「であろうな。見覚えのない商家の名があったゆえ、念のため来てよかった」
「なんや、役人巻き込んだかて、筋は変わらんぞ。見さらせ、全部上物の米じゃ」
上方の男が袋の中身をさらけ出した。
近江のものか、上物かは分からないが、確かに米である。
「そうではない。中身の質は争点ではない。問題なのは袋の持ち主がそなたではないのだ」
ああ、と上方の男がうなった。
帳付の男が放り出された袋の焼き印に触れる。それから自身の帳を開いて見せる。
「この袋は御料の相田屋が雑穀を詰めるのに使うものだ。ここに何をいつ納めたかが書いてある。使えるのも相田屋だけだ」
帳付の男はぺらぺらと帳を開き、また違う項を突き出した。
「扇屋だな。名があるが、政所で荷の改めを受けていない。ゆえに御料袋も貸し出されていない。それでか」
「そんな面倒くさいことなんざ、やってられるかいな。こっちは無税やから来たんや。馬鹿高い袋なんか買えるか」
「貸し出しだと言っておろうが。もうよい、ちと、政所まで来られよ」
帳付の男は幾人かの者たちに指示を出すと、てきぱきと上方の男を連れていった。
やり取りを窺っていた群衆は、潮が引くように各々の場所に戻っていく。
そして、どこに隠れていたのか宮内が姿を見せた。
「まあ、大体お分かりになったでしょうが。全ての品を定められた袋に、というわけではございません。
市にて売る場合、御料に収める場合、それらは御料の改めを受けたのち貸し出される袋に収めると決まっております」
「上方の男も言っていたが、面倒だな」
「みなそう仰いますな。まあ、一度慣れると、察しの通りこちらの方が早うございます」
小次郎はいまいち得心が行かなかった。
なぜこれで回るのか、なぜこれが受け入れられているのか。
贖ったばかりの帳に今のやり取りをそのまま書き込んだ。
つくづく御料奇怪なり、と自分が納得できていないことも付け加えた。
「さて、ほかに何かありますか、なんでもよろしゅうございますよ」
小次郎の書き物が終わるのを見計らい、宮内が言う。
だんだんこの男の手のひらで踊るのにも飽きてきた。
翻弄され、子ども扱いされ、分からん分からんでは情けがない。
少し踏み込んでみるか。
小次郎は少し気を入れた。
「ほう、なんでもか」
「そのように御料様より仰せつかっておりますゆえ」
では、と市から見える立派な建造物を指す。
「あれはいかぬか。一際立派だ。御料の米蔵であれば拝見したい」
「よろしゅうございますが、あれは米蔵ではありませぬ」
ではなんだ、そう小次郎が言うと、宮内は笑みを深くした。
「銭蔵にございます」
そう言って案内された小次郎が見たのは、他の蔵よりも厳重な守りが置かれた蔵だった。
戸口に立つ者の腰には刀があり、出入りする者は、それらによって必ず一度止められている。
宮内や小次郎らも扱いは同様であった。
刀などは持ち込めず、立ち入る人数も余分な数は認められない。
今回は見分であることを伝えたが、入れるのは小次郎と宮内だけであった。
「暗うございますので、明かりをつけましょう」
宮内は手慣れた様子で、壁の明かりをつけようとする。
蔵の中は暗く、一見して広さも作りも分からない。ただ新しい蔵のようで、黴臭さとは無縁であった。
ただ、強い銅の香りに小次郎は顔をしかめた。
やがて、宮内の手により明かりが灯り、蔵の全容が目に入った。
銭。銭。銭。
緡に通された銭が束ねられ、それらが所狭しと棚に積まれている。
おそらく長櫃にも、甕にも、木箱にも入っているのだろう。
そして壁際には封をされた包みが並び、別の棚には証文が束になって置かれていた。
銭そのものの匂いと、紙と墨と油の匂いが混じっている。
小次郎は、思わず息を止め、呟いた。
「五千石の御料の銭蔵ではないぞ」
少なくとも、駿府で聞いていた若君御料の大きさから想像するものではなかった。
「これほど貯めておるのか」
小次郎が問うと、宮内は首を振った。
「貯めている分もございます。ですが、ここにあるものすべてが眠っているわけではございませぬ」
宮内は棚の一つを示した。
「あれは掛塚の船手へ渡す分。あちらは普請の支払い。こちらは堺筋へ返す分。奥にある包みは、山方へ戻す銭にございます」
小次郎はもはや宮内の言葉を受け止めきれないでいた。
今まで駿河の御倉に入ったこともあるが、ここまでの銭は目にかけたことがない。
圧倒されながらも小次郎は証文の束へ目を移した。
紙は一様ではない。上質なものもあれば、粗いものもある。
墨の濃さも、筆跡も違う。だが、束ねられた紐には札が挟まれている。
その中に一つ、心に留めていた地名のものがあった。
「堺の証文もあるのか」
「最近とみに増えました」
小次郎は紙面を手に取り目を走らせる。すべてを読むには時間が足りない。
だが、取引の筋は分かる。木綿袋、荷布、実綿、油紙、小箱、船手への手付。
細々としたところはすべて飛ばし、動いた額だけを流し見る。
ざっと、一万貫の金が堺と御料の間で動いている。
「木綿と銭、それが堺が近寄った理由か」
小次郎が言うと、宮内はすぐには答えなかった。
証文を持つ番の者、戸口に立つ護衛を順に見た。
そして、小さく頭を下げる。
「と言えればよかったのですが。その先は少し口に出すのは憚ります」
小次郎は眉を上げた。
「咎めを受ける話か」
「御料様がお叱りになられる筋はございませんが、堺の方々も面白くは思いますまい」
宮内は小次郎から証文の束を受け取ると、元の棚に収める。
それから番の者へ頷くと、ここでの用件は終わったと、銭蔵の外へと歩き出していく。
小次郎は先ほどと同じようにその背を追った。
宮内はそのまま、小次郎を市の端へ案内した。宿へ向かう道から少し外れた、荷置き場の裏である。
大市の声は聞こえるが、人の流れは薄い。
護衛は距離を取り、下役たちも心得たように少し離れた。
「実は、細川様の摂津の一件がございましてな」
宮内が声を落として言った。
「摂津で細川というと、管領の細川武蔵守高国様か」
宮内が頷いた。
永正十六年から十七年にかけて、幕府の管領である細川武蔵守高国は危難に見舞われた。
事の発端は頼りにしていた西国の大大名、大内の帰国である。
これにより単独で政権運営を担わざるを得なくなり、各地の支配が緩んだ。
そして阿波の三好らはその隙を見逃さなかったのだ。
摂津に押し寄せた三好らを留めることかなわず、一時京を追われ、近江坂本にまで下がらざるを得なかった。
時の将軍はこれを見て、細川不利を悟り、三好方と内通。もはや細川の権力の座は風前の灯と思われたのだ。
各地の諸大名は細川の没落を予想した。
小次郎をはじめとした駿河の者たちも疑わなかった。
「摂津で細川様が負けたあたりでしょうか。堺の商人どもは、もう駄目だと見たのでございましょう。
持っていた証文を、ずいぶん投げたそうにございます」
「気を見るに敏よな。それで田舎の土倉らは堺の者たちに損を押し付けられたと聞く」
もしや若君もその一人か、などとは小次郎には思えなかった。
あの方が商人たちに騙され、泣き寝入りなどするであろうか。
「ええ、まあ、それで遠江の者たちもつかまされたのでしょうな。それで最終的に御料様に話が回ってまいりました」
宮内曰く、当初、遠江商人たちの狙いは今川本家の銭蔵であったそうだ。
「当時は天竜川の木材やら、木綿やらも回りだしましたが、とにかく銭がない時です。
買ってはいけないと思ったのですが、御料様の一声で細川様の証文を買うことになりました。
そうなるとどこで聞きつけたのか、あちらこちらから細川様の名が入った証文が流れて参りまして」
「捨て値で買ったか」
宮内は首を振った。
「いやはや捨て値などと。頼まれてのことですが、きちんと言い値でお買い上げいたしました」
言い値な、と呟きながら小次郎は目を細めた。
遠江の商人心を掴むための投資、そのままならばそれで終わった。
だが、
「細川様が戻られ、証文の値が戻った」
宮内が頷く。
事実である。
細川武蔵守高国は近江に追われてから、予想を裏切り盛り返した。
近江の地で、六角、朝倉、土岐の支援を得ると再度挙兵。
ほどなく京へ戻り、再び勢いを取り戻したのだ。
「まあ、額面どおりとは参りませぬが、少なくとも紙屑ではなくなりました」
「堺方は大慌てよな。なにせ細川様が戻らぬと決めつけていたようなものだ」
おそらく、細川武蔵守はこのことを知れば堺に意趣返しをしたかもしれない。
堺全体には課さなくとも、目立った商家、一つ二つには多額の段銭を要求しただろう。
「ご明察にて。それで蔵に証文を多く抱えた御料様を訪ねて参りました。夜分遅く、人目を憚っておりましたな」
「で、その人目を憚る者たちに証文、幾らで売った」
「額面の八割ほど」
小次郎は思わず息を吐いた。
焦りに焦った遠江商人の言い値で買い、堺の商人に額面の八分で戻す。
それだけでも十分に利は出る。
若君に最後に売った者は悔しがるだろうが、それでも言い値で売ったのだ。文句はない。
当然、堺も証文を買い戻したのならば、細川に面目を保てる。
「堺とはそこからの縁か」
「はい。そのころは何事も回りだした時でありますので、お目に叶う木綿やら材木をお出しできました。
そこからは堺とつながりがある、質のいい品がある、市に税がないとか、噂が噂を呼んで今に至ります」
小次郎はようやく長く抱えた疑問が氷解するのを感じた。
なるほど、これは表に出せぬ話だ。
表沙汰になれば堺は細川に睨まれる。駿府に堺の商人が探りに来たのも納得できる。
彼らがわざわざやってきたのは、商いのこともあるだろうが、それ以上にこの話がどこまで広がっているか気になったのだ。
「なるほど。だが、この話してよかったのか。堺の扱い、話が漏れれば変わりうるぞ」
「御料様曰く、次、細川がしくじれば立ち上がれぬ、とのことです。堺方も数年たてば細川の名を気にすることもないだろうと」
ずんと小次郎の肩が重くなった。
やはり、若君は何も変わっていない。
息が詰まるのを感じながら、小次郎は事の次第を尋ねようとした。
だがその時、荷置き場の外がふと静かになった。
先ほどまでの市の喧騒が消えたわけではない。声も、荷車の音も、鉄を打つ音もある。
だが、人の流れの一部が、自然と脇へ寄った。
荷を担いでいた者が一歩退き、木綿袋を畳んでいた女が手を止め、番屋の前にいた者が腰を低くした。
小次郎は、その先を見た。
いた。
少年の姿をした、何者かがゆっくりとこちらに歩いてくる。
宮内は真剣な顔で平伏し、微動だにしない。
先ほどまでの柔和な笑みなど、どこにも見当たらない。
小次郎も気が付けば平伏していた。
顔は上げられない。
ただ、小次郎の耳に、あの日、三年前の豪雨が聞こえてくる。
「由比小次郎か」
顔を上げれば、龍王丸がそこにいた。




