8章_13
堺攻めについて幕府方と最低限の話が付いたあと、五郎はその足で外へ出た。
側には数百ほどの供回りが付く。ただの兵ではなく、武家の子弟など選りすぐりの者である。
ただ、ここでいう選りすぐりとは、腕利きということではない。身なりが整い、最低限の礼節を身に着けているかという点である。
今川の馬廻りや兵のまとめ役ともなると、礼節も仕込まれるためある程度は楽に選べる。こういうところばかりは名門という物に感謝した。
そのように選んだ兵を連れて、五郎は京、土御門内裏へと足を向けた。
他でもない、摂関家の近衛関白からの呼び出しであった。文は昨日の夕に届き、日を置かぬようにとだけ添えてあった。
内裏の前で供回りを留め置き、五郎は一部が焼け落ちたそれへ足を踏み入れた。
五郎は侍従であり、また何時ぞや許可を貰ったため昇殿も許されている。内裏へ上がること自体は、今さら問題になることではない。
ただ、それは世辞を本気にするようなものと思っていた。名分はあれど、昇殿はあり得ぬと遠いことのようにも感じていたのだ。
そのため直垂の袖が、歩くたびに膝へ当たり、どうにも肩の据わりが悪かった。
ところどころ焦げた柱や板を見ながら、渡り廊下を進んだ。
床板を踏むたびに、焼けた木の粉が沓の裏で鳴った。柱の一本は途中から新しい材が継がれ、そこだけが白い。
その中で、女官をはじめ、こちらを覗き見ている視線を感じた。
火の元に勘づかれているか、と思わないでもなかった。
だが、視線に混じる多くは期待のようなものであり、背筋は冷たさを覚えない。
奇妙なものだ、と勘繰っていると、そのうちに、女官が二人、柱の陰へ身を引いた。
五郎はそれらを意識の外に外しつつ、案内されるままに内裏の一室へ足を進めた。
「失礼いたします」
案内された一室は、まず狭さを覚えた。たまたま火を免れたであろう部屋に幾人もの公家が肩を寄せ、息を詰めている。
上座のほうには見て分かる高位の者らがおり、それらに対し、下位の者が距離を置こうとするため、余計に狭苦しかった。
公家らの息遣いで、袖の内まで湿ってくる気さえした。
皆が付けた香と汗、焦げた匂いとが混じり、五郎はかすかに息を吐いた。
だが、その狭苦しさの中で、おや、と五郎は思うところがあった。
上座、その最奥に御簾が掛かっているのが微かに見えたのだ。
帝がいるのか。
そう頭で言葉を作ったが、心に響くものはなかった。
五郎はいつか祖母から教えられた通り、額を板へ近づけ平伏する。
近づいた板は焦げてはいないが、拭き込まれてもいない。ついた掌の下に、細かい砂の粒が当たった。
相当に急いで整えたらしい。
「侍従殿、忙しい中済まぬな」
「関白殿下のお召しとあらば、当然のことでございます」
重苦しい、というより暑苦しい気の中で、近衛関白稙家が口を開いた。
関白は公家というより武家に近い体つきをしている。
膝へ置いた手は、指の節が太い。その手が、話すあいだ一度も動かなかった。堂々たる姿で、声も太くよく通り、先手大将すら勤まりそうであった。
「そう申してくれるのであればありがたい。だが、京の都は見ての通りであろう。今、そなたの時間をとるのは心苦しい。なぞかけはせず、端的に参ろう」
公家らが腰を浮かせた。幾人かは唇を尖らせている。端のほうでは、袖で口を覆って隣と何か言い交わす者もあった。
だが、関白は意にも介さず、太い声で問うた。
「公方殿はご存命か」
「お許しください。その儀、答えられませぬ。これを幕臣としての答えとしたく」
公家らはどよめいた。関白の下問に対して、若輩の武士がはぐらかしたのである。
膝を鳴らす者があり、隣と顔を突き合せる者もあった。
しかし、上座の高位の者らは、動かずにいる。
関白本人もその答えに対して、重々しく息を吐いた。不快気な様子はない。
「左様か。難しいことを問うた、侍従殿許されよ」
関白は眉間をもんで、そう返した。五郎は一度平伏する。
それで、その問いについては打ち切られた。平伏したまま、膝の下で足の指を動かした。やはり板が固い。
「堺はいかぬか」
短く問われる。関白の膝が、こちらへ半寸ばかり寄っていた。
「堺公方様の御心はこの身には図りかねまする。どこまで朝廷のことを重んじておられるかもわからぬ以上、こちらもなんとも言えませぬ」
五郎はまたも言葉を濁した。
関白は鼻から息を抜き、腕を組み直した。
「ここまでのことをした堺は許せぬ。だが、天下静謐を齎さんとするならば、多少の泥は飲むべきではないか、そのような意見もある。侍従殿はどう思われる」
公家としては、京に火をつけた阿波方は許せない。
だが、何事も武家のやることに従うべし、京の立て直しのためにも一時は堺公方を立てるべきではないか。
関白の言いようを裏返せば、そのあたりに落ちる。座の下のほうから、衣を擦る音が細かく上がっていた。
「まさしくおっしゃる通りかと」
関白の目が細まった。
組んでいた腕を解き、膝へ両手を戻す。
「侍従殿は堺公方を認めぬ立場と耳に挟んだが」
「相違ございませぬ。堺公方をお認めするは受け入れがたく」
いまさら堺公方を仰ぎ、阿波方と朋輩として迎え入れる気はない。
ここで阿波方は畿内から排除するつもりである。
「天下の静謐の為とあらば、堪忍も必要ではないかな」
「苦難を背負うことはいくらでも受け入れましょう。されど誤った道を行くことは受け入れがたく」
関白が何か言おうとした。立ち上がり、もっと近くへ寄って来ようとする気配がした。
膝が板を擦り、脇の者が慌てて袖を引いている。
だが、それを一つの声が止めた。低くはないが、細くもない声であった。
「侍従の忠節は見事。されど静謐を一日でも早く取り戻したい」
御簾の奥からである。公家らは目を剥き、背筋を伸ばしたまま固まった。
堂々としていた関白なども、生唾を飲み込み、動きを止めている。五郎はまずは平伏した。形だけであり、胸の内にはなにもさざめくことがない。
その中においても、御簾の奥の声はなおも止まらなかった。
「禁裏修理、大喪。そしてならなかったとはいえ、二度の即位式、侍従には世話になっておる。今も京の慰撫と働きには助けられておる」
御簾の声は緩やかに流れる。誰ももはや身じろぎ一つしなかった。
「そちの口からききたい。京の静謐、能うか。堺公方を公方に据えるよりも早く、成せるか」
関白はひどく苦々しい顔で五郎に頷いた。
直言を許すとのことである。その顔のまま、体を御簾のほうへ向け直している。
五郎の答えはすでに決まっていた。喉の奥が、そこで一度渇いた。
「万事、お任せください。静謐、一日も早く成しましょう」
御簾の奥で影が息を吐いた。居並ぶ公家らも、一様に肩から力を抜いた。
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五郎は服を着替えると、そのまま供回りを率いて、京の外へ出た。
外ではすでに集められた軍勢が、号令を待っていた。旗の列は街道の先まで続き、最後尾は土手の陰で見えない。
「お待ちしておりました」
何も変わらぬ宮内が恭しく出迎えた。
手には五郎の軍配を提げている。宮内はこちらを見ると、おや、と片眉を上げた。
「首が付いておりますな」
関白を見るに赤貧で腑抜けた者ばかりでもないのだ、どこかで襲われることもありえた。
「気付いていないのか、気付いた上で見過ごしたのか」
どこか怪しんでいる者もいるだろう。だが、確証はない。全ては火の中である。
宮内が軍配を手渡しながら、耳元でささやいた。
「まあ、公家らにも切れるものはおりましょう。気付いていたとしても不思議はございませぬ。ただ、ここで御屋形様を切っても京が荒れるだけでございましょう。目端の利く者なら口をつぐんだ方が得と見るは道理かと」
五郎は軍配を握りながら返した。
「ともあれ、何も言われなかった。ならば、歴史に残るは一つであろう」
「勝てば、でございますが。勝てる戦でございますが、大崩れは珍しくございませぬ」
勝って当然の流れであるが、ここまで大番狂わせが続いたゆえの今である。油断はするなと、宮内は眉を寄せながら声を低くした。
「道理であるな」
五郎はそのまま宮内を伴い、軍勢へ合流する。
馬に乗り、進軍を始めると、そのうちに朝比奈備中守が馬を寄せた。
この男も待ちかねていたらしく、鞍の上で幾度も体をひねっている。
「阿波方はどうなった」
何か問うてくる前に、五郎は逆に尋ねた。
備中守は鼻白んだが、それでもまずは答える。手綱を左手へ持ち替えていた。
「数自体は膨れていますが、あれらは兵ではございませぬ」
「赤松、波多野兄弟、三好勢は兵であろう」
あれらは行き場がない。この場で助かっても、近く追討令を出して追われる。そのことは重々承知なのだろう。
「それ以外は京からすげなく追い払われた者、堺公方に誼を通じようとあいさつに来たもの、様子見などでございましょう」
「公方様の死を疑い、堺によるとなれば様子見とは言えまい」
横で聞いていた宮内が肩を揺らした。
馬の歩みに合わせて、笑いを揺らしているように見える。
「にしても阿波方一万は言い過ぎではありませんでしたかな。阿波方は確かに阿波から兵を連れてこようといたしましたし、公方殿の死を広めた結果、人は集まりましたが、」
備中守は頷いた。頷いたきり、宮内の言いさしを拾おうとはしない。
「到底戦うつもりもない者を含め、一万。今川勢の兵一万以上が向かうとなれば、まず騒ぎましょう」
「気に入らぬか」
京に火を入れた阿波方がこの期に及んでも兵を集めている。そう言う形が一番都合が良かった。
「いえ、よきことかと。ただ御屋形様が出る戦でもありますまい。筑前守殿に勝ち筋を残すようなものにございましょう」
「正しい。だが形が欲しい」
備中守が手綱を強く握った。握った拍子に馬が首を上げ、慌てて緩めている。
「天下静謐の任、下りましたか」
「そこまで軽くはなかろう」
五郎は口だけで笑みを作った。頬を上げると、兜の緒が顎へ食い込んだ。
無理に作った笑みをひっこめ、淡々と口を開く。
「ただ、試されてはいるようだ。まずはこの足利の内紛を手早く終わらせよという話らしい」
「どちらが勝ち、どちらが負けたか、はっきりさせれば、それはより早く治まりそうでございますな」
宮内が顎を撫でながら言う。撫でる手を止めず、備中守のほうを窺っていた。
「政治の都合と申せばその通り。今少し面倒をかける」
五郎が言うと備中守は押し黙り、それから馬上においても深く頭を下げた。
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そこから幾日か進軍し、堺を望むところまで来た。
相手の本拠が間近に迫っていても、敵の軍勢はおろか、物見すらやって来ない。ただ時折、こちらを見つけた阿波方の縁故の国人らが泡を食って、堺のほうへ走ることはあった。
完全に今川の軍を知らぬということはないのだろう。
五郎は阿波方の国人らが走るのを見つつ、まずは小高い丘へ陣を張った。馬を降りるとき、幾日も鞍にいた踵から脹脛にかけてが痺れていた。
床几を据えさせ、腰を下ろす。そこからは、堺の動きがよく見えた。
あわただしく、人が出入りする。堺の商人、出入りしているであろう商人、そして阿波方の公方へ謁見に来たのであろう国人ら。
それらがひっきりなしに、堺の門をくぐっていく。
しかし、よくよく見れば、入っていくほうよりも出て行くほうが多いように見えた。
特に国人らなど武家の装いの者は、飛ぶように堺から出て行った。門の脇では荷を積んだ車が二台、いつまでも動かずにいる。
ああ、これは戦にならないな。
決して言葉には出さないが、五郎はそれらを見ながらそう感じた。
それなりに万を超える戦いをこなしわかってきたことがある。
それは戦の前には匂いがあるということだ。
雨の降る前触れのような、土の匂い。それをうんと濃くし、僅かに甘くしたものである。
いつも大きな戦の前にはそれが漂っていた。
しかし、今日はその匂いが欠片もしない。代わりに、戦が終わった後、追撃をかける時のような気怠さだけが、そこにあった。
「御屋形様、革屋新五郎殿がいらっしゃっています」
今川家の馬廻り、教来石民部少輔景政がそう声をかけた。
見れば、民部少輔の後ろには見知った顔がある。陣幕の隙間から、丸めた背が半分だけ覗いていた。
「通せ」
そう言うと、民部少輔は陣幕を開けて、その男、革屋新五郎を通した。
新五郎は長く五郎と商いを行っている仲である。付き合いの始まりを振り返れば、五郎が遠江の代官をしていた頃にまで遡れる。
確か、あの時は道永の借用書をどうするかで誼を持ったのであった。
それを思うと、随分と間柄も変わったものだった。五郎は京の中央の借用書を弄るのではなく、それをもはや差配する立場にある。
「治部様、お久しゅうございます」
新五郎は変わらない様子で言った。
「二月ほど前にも話した覚えがあるが」
「商人にとっては、毎日でも話しとうございます」
「そう申されるのは新五郎のみであろうな」
例外としては妻子と弟であろうか。特に芳菊丸は祖母の死後よく声をかけて来る。
今ならばもう少しまともに接することができる気がした。
新五郎はさも意外というように、にわかに眼を開いた。
「おや、京では引き留められませなんだか。公家の方々は御身が上洛されるのを首を長くしてお待ちしておられたはずですが」
「望んだ形での上洛ではなかったらしい。内裏も燃え、京もあの様である。今、海の者とも山の者とも分からぬ人間を側には置きたくなかろう」
公家らの望んだ形というのは、荘厳な宮中で五郎が只管に平伏するようなものだと思われた。
幕政を実質握り、数万の兵を引き連れ、機嫌一つで全て壊せる相手など呼びたくはないのだろう。
「そのような時こそ力のある方によるべきと思いまする」
五郎は兜の下で、目を細めた。
「武家のようなことを申す」
「商人も同じにございましょう。ただ、これは伸びるという方には、外面など気にせず寄り、頭を下げられるというだけの違いにございます」
新五郎がいつもの調子で話し出した。口がよく回り、そのうちに商談へ移りそうな気配があった。
ただ、居並ぶ諸将らが眉根を寄せた。草摺や袖が音を立てたため、新五郎は思わず身を引いた。
民部少輔だけは動かず、新五郎の斜め後ろに立っているが、手が少しだけ腰の刀に伸びている。
「これは失礼をいたしました。お忙しい治部太夫様に、甘えてしまいました」
「よい。して、何用か」
新五郎は頭を下げたのち、ここまで連れて来た民部少輔へ文を渡した。
民部少輔はそれを受け取ると、五郎へ恭しく手渡した。文は温かく、懐へ入れて運ばれてきたものと知れる。
文を広げると、おおよそ思っていた通りのことが記されていた。字は細かく、行の末が詰まっている。
「堺の会合衆は堺公方、阿波方と通じておらぬと。中立を保つか」
何なら銭をいくらでも融通しても良いとすらある。数千貫は吹っ掛けられそうではあった。
新五郎は肩を竦めた。
「まあ、そういうことにしておきたいのでございましょう。無論、中には相当深く阿波方に肩入れをした者もございます」
五郎はそこで話を変えた。
「治部が堺の代官を公方様より任された話を知っているか」
五郎は文をたたみ、床几の脇の机へ置いた。
新五郎は突然出た一言に首を伸ばした。目を開いたまま、動かなくなる。
「新五郎が知らぬとあらば、会合衆らにも伝わっておらぬのかもしれぬ」
五郎は堺のほうへ、ついと目をやった。慌ただしくはあるが、堺は昨日と何も変わらない。
戦に備えているところもない。堀の外へ柵を出すでもなく、門を閉めるでもなかった。
「新五郎、そこもとは帰るな。文はこちらの手から渡す。革屋の親類も外に出す様に取り計らっておく」
「堺を攻められるのですかな」
新五郎が喉を上下させてから問うた。
「自治を手放し治部の統治を受け入れるのであれば、阿波方が大人しく出頭されるのであれば何もしない。する必要もなかろう」
幕府の許しを得ての代官ではあるが、もはや、なし崩しで堺を差配できる段階にある。阿波方に肩入れしたとして重い罰すら課せるだろう。
ただ、そこまでする必要はない。今は法度に従えば十分である。
「両方とも如何ともしがたく」
「会合衆は阿波方について、戦うか。そこもとはどうする」
「革屋は治部様の法度に名を記しておりますので、戦いませぬ。寧ろありがたく商売をさせていただきたく」
新五郎はいつもの通り人好きのする顔で頭を下げた。本心は見えない。
「左様か」
五郎は口を閉じて、頷いた。
新五郎はそこで僅かに前へ出た。民部少輔が半身を出し、立ちふさがる。
柄へ掛かりかけた手が、途中で止まった。五郎は両者の動きを止めるようなことはしなかった。
「新五郎の身を守るためのご配慮ありがたく。されど一度堺に戻らせていただきたく」
「戦うなと訴えるか」
新五郎が笑みを深めた。
「言うだけはただでありましょう。上手くやれば会合衆に革屋がいい顔が出来るかと」
「阿波方に切られるぞ」
新五郎はまた肩を竦めた。竦めた肩を、そのまま一度大きく回す。
「今の阿波方にそこまでの力はございませぬ。船で阿波に逃げるか否かを話しておられますが、今川家に兵を出してぶつかるかなどの話はまるで出てきませぬ」
「筑前守殿は」
「戻ってほどなく捕らえられました。抵抗はしておられぬと、堺でも噂になっております」
五郎は空へ目を上げた。兜の重みが、そのまま首の後ろへかかる。
やはり戦の前の匂いはしない。
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結論から言えば、堺は開かれた。兵を入れることもなく、会合衆は今川の法度の下に従うと誓紙を出した。
そして、それとほぼ同時に、阿波方との和睦、というより降伏を受け入れる形が整った。
条件は堺公方、足利義維の阿波への退去。三好筑前守元長の切腹。そして、細川六郎晴元の蟄居。
この三つである。それ以外の人物については、何ら条件に加えなかった。
細川六郎晴元本人は自分の蟄居について、幾分思うところがあったらしい。
だが、現状の幕政において管領が置かれていないこと、主だった者が京の政治を取り仕切っていないことなどから、すぐに自分が戻されると思ったようで、これをあっさり受け入れた。
阿波方が派手に朝敵扱いされぬのも、このあたりが理由であろうと六郎は見越しているらしい。そのように革屋新五郎が六郎の様子を伝えて来た。
その六郎が今川の陣へやって来たのは、新五郎と話してから五日ほど後のことである。
その日は朝から風がなく、陣幕は垂れたまま動かなかった。
六郎は五名ほどの供と、後ろ手を縛られた三好筑前守元長を連れて陣幕をくぐった。
五郎は床几に腰掛けたまま、一行を見やった。軍扇を膝へ横たえ、指をその上へ置いている。
六郎のほうは伏目がちの若い男である。近衛関白と正反対で、こちらは武家であるのに公家のような顔立ちをしていた。
顔立ちは整っているのであるが、どこか陰気な印象がぬぐえない。
そして、筑前守は意外なことに結構な優男である。武名が知れ渡った男というより、疲れた能吏のような様子であった。
下がり眉もあいまって、何処か頼りなさを覚える。
だが、その眉の下にはしっかりとした眼差しを備えた眼があった。
感情を滲ませぬまま、眼は五郎を静かに射抜いている。
ただ、縄はその手首で二重に回され、袖口が擦れて黒くなっていた。この勇将に好感を持っていたらしい備中守などの諸将は、それを見て顔を顰めた。
「六郎殿におかれては、まずほとぼりを冷ましていただきたい。今すぐにでも京の幕政に加わっていただきたい、というのが幕臣一同の腹積もりなれど、どうにも公家衆の目も厳しく、蟄居を挟まねば、どうにもなりませぬ」
六郎は陰気な目で五郎を見た。その目が五郎の膝のあたりを行き来し、そしてためらいがちに視線と視線を絡める。
六郎は五郎の心中を探ろうとしている、そのように思えた。だが、途中でその動きが急に止まり、また六郎は目を伏せた。
六郎の両の手が膝元へ置かれ、微かに震えた。震えを隠すように、その手を袖の下へ押し込んでいる。
「家臣の不始末、かたじけなく。この上帰参のことまで考慮していただけるとは、六郎、言葉もございませぬ」
「幕府がこのような時において、細川京兆家の御当主のお力なくば天下の政は成り立ちませぬ。そのように申されず、今はごゆるりと過ごし下さい」
五郎がそう言うと、六郎と阿波方の家臣らは頭を下げた。
深く話す必要はない。形の上では六郎は、京を燃やした男の主君である。そして五郎はその敗北に近い和睦を受け入れる側である。
それゆえに、五郎が会話を打ち切ればこの場はその場で終わる。
六郎とその家中らはひとまず唐突に首を取られることがなく、ほっとしたようではあった。
だが、安堵と共に下がった頭の列の中で、筑前守だけが正面を向いている。
「一つよろしいか」
筑前守である。
縛られ、突き出されているというのにも関わらず、平静な声であった。
縄を持つ兵が、筑前守の膝を突き、地面に膝をつかせた。膝が土を噛んだが、筑前守は顔色を変えない。
「畏れながら、最後にお頼みしたいことがございます。それさえ叶うのであれば如何なる罪状で首を討たれても構いませぬ。人払いをお願いしたく」
筑前守はしんと五郎を見た。縄尻を持つ兵が、その背後で目を伏せる。
縄はそのまま、兵の手に握られている。
その静かな目を見て、ああ、こいつは気が付いているのだな、と五郎は当然のことを思った。
「承知した。今楠公の言葉、拒むつもりはない。見届け人として天野宮内を置く。それ以外は遠慮していただきたい。それでよろしいか」
「かたじけなし」
五郎が決まったことのように言い、細川六郎らへ目をやった。
六郎は明らかに不満げな顔で、唇を尖らせた。だが、周囲に並ぶ今川の旗の数を数えると、筑前守を置き、静かに下がった。
彼らが陣幕の外まで行ったのを見計らい、五郎は今川の家臣らへ目をやった。
最初から話していた通り、朝比奈備中守をはじめ、重臣達もその場を後にする。
最終的に陣幕のうちに残ったのは、五郎と宮内、筑前守だけとなった。宮内は五郎のそばへ座り、いざという時は間に入れるように腰を浮かせていた。
筑前守は周囲に目をやってから、静かな口調で話し出した。
「頼みたきこと、主君のことにございます」
五郎は頷いた。軍扇を膝から取り、床几の脇へ立てかける。
「堺公方様におかれては傷をつけるつもりはございませぬ。阿波に下がった以上、追いかけて矢を射かけるつもりもなし」
細川六郎とは言わなかった。筑前守の心がどちらに頭を下げているかなど、言わずとも知れていた。
現に筑前守は、堺公方の先行きを知り、ほっとして肩を落とす。下がり眉の下で、目の力が抜けていた。
「此度のこと、なにとぞ筑前守の粗暴故のことといたしたく。堺公方様におかれては、京を安んじる御心でござった」
察しているはずであるのに、筑前守はそう言った。
五郎は筑前守の目を見ながら口を開く。
「汚名、許せとは申しませぬ。時が経てば、あれは一部の兵らが勝手にやった、牢人らが火をつけた、そう言う向きになりましょう。堺公方様の名が汚れることがないように取り計らうことを誓いましょう」
筑前守が顔を緩めた。緩めた口の端が、すぐにまた戻る。
「その口ぶり、やはり、治部殿だったか」
筑前守は今更なことを言った。声にも、悔しがるところはない。だが空虚な響きはあった。
「治部以外に得をする者はいますまい。察しておられたのでは」
「勘でございます。赤松殿と浦上殿の不仲をたまたま上手く使えたゆえ知将面をしておりましたが、どちらかと言えば戦など、勘働きに頼るほうでありまする」
筑前守は謙遜をした。周囲の情勢を見て、それでも勝てる一手を模索し続けた男が勘働きなどとは信じられない。
だが、本人が勘というならば勘でも良い気もした。
「咄嗟の勘働きであっても、十三渡で大勝を得たのですから、そう捨てたものではございますまい」
いえ、と筑前守が苦笑いを浮かべながら首を振った。振った拍子に、縛られた肩が揺れる。
「勘に頼らず、きちんと考えねば、一度の成功に足を引きずられましょう。治部殿にはそれで、二度も上手く使われた」
「それを指摘するのは後知恵というものかと。事実、治部のやっていることも過去の戦の焼き直しに過ぎませぬ。ただ、失敗した策に固執するよりも幾らもよろしい」
「されど、その分、読みやすい、ということでありましょうか」
筑前守の言葉に、五郎は眉間を抑えた。
眉間を抑えたまま、筑前守の静かな目を見つめた。抑えた指を下ろすと、こめかみが鈍く鳴った。
「恨み言を聞くつもりだったのですが、聊か和やかにすぎましょう。他に聞きたいこと、話したきことはありましょうか」
「いくらでもあります。民部大輔の遺体を返してくれたことの礼、京を燃やしたことを擦り付けたことへの恨みと称賛。されど、時間があり申さぬ」
「でありましょうな」
五郎はちらりと外を見た。さすがに話し込んでいるほどの時はない。時が経てば馬廻りや重臣らが戻ってくるだろう。
陣幕の裾の外を、兵の脛が二つ三つ通り過ぎた。筑前守が疲れた顔で、頬を上げた。縄の結び目が、背のあたりで持ち上がっている。
「ですが、せっかくなのでいくつか伺いたく」
筑前守は地面に膝を付けたまま背筋を伸ばした。
後ろ手に縛られているとは思えない仕草であった。宮内がそばで、わずかに膝を動かした。
「なぜ主君の公方殿を私に討たさせたのか。いえ、狙っていたのでしょうか」
五郎は顎に指をあてた。指の先が、籠手の縁に当たった。
「別にそこまで狙っていたわけではありません。あなたが公方殿を狙って攻めてくると助かる。そう思い、それに備えていただけのこと」
「生き残っても構わなかったと」
意外そうに筑前守が言う。違う違うと、五郎は手を振った。
「美濃において酒浸りの生活をひたすらに過ごさせました。歴代の将軍を見ても、そう長くはもたなかったように思えます。筑前守殿が攻めてこられないならば、また別の手を考えました」
若くして酒に溺れ死んだ将軍のことは父から聞き及んでいた。
第九代将軍、常徳院。生前の名を足利義尚。そこを見るに、義晴も酒に沈めれば長くは生きない。酒と共に食い合わせの悪い物も膳に上げており、そろそろ食事も細くなるころと見ていた。
筑前守は口の端を引きつかせながら、尚も聞いた。
「参考までに別の手とは」
「邪魔をする。これに尽きるかと。公方は金もなく、おそらく人望もございませぬ。即位式の邪魔なり、周辺の国人を煽るなりすれば、勝手に京から信を無くされる。その後に出て行けば、勝手に天下を握れましょう」
筑前守が息をのんだ。先ほどとは違い、どこか面白げな気配すら漂わせ、後ろ手のままわずかに身を乗り出している。
「天下を欲されるか」
「欲してはいませんが、乱世は早く終わらせ次の時代に行きたい」
「次の時代とは」
此方が許したとはいえ、よく聞く男だ。五郎は少し顎を撫でた。
「まずは平和。次に今川治部などは、正しく外道と罵れる世かと」
数百年も経ち、民衆が力を持つようになれば、歴史の研究も進む。
そうすれば、きっと今川治部が行った血腥いことも白日の下に晒される。自分の人格なども唾棄され、散々にこき下ろされる。
そこに行ける道筋を整えれば、自分の治世は無駄でなかったと言える。
「平和。それは、非常に良い。ですが、よろしいので。自分で自分を否定する時代など作って」
筑前守は言葉を咀嚼するように頷いた後、上目遣いでこちらを窺った。
「取り繕っても悪行は悪行でございましょう。ただ、必要ゆえにやる。その先に天下泰平があればよし」
五郎は天を仰いだ。
雲の先、さらにその向こうが見えた。それから視線を戻し、口の端を持ち上げた。
「余人の理解は不要。誰かに受け入れられようとも思いませぬ。ただこの道を行こうと思います」
筑前守はじっと五郎を見ていた。
そして、それから息を吐いた。全身から力を抜き、諦めた様に頭を振った。膝の下の土が、そこで少し崩れる。
「到底理解できませぬが、まあ、地獄でお待ちしております」
「高転びにならぬようお祈りください」
五郎はそう言って頭を下げた。




