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7章_10

 それを聞いたとき、五郎は息を詰めた。

 新九郎は五郎の返事を待っていたが、いつまでも答えないので、もう一度言った。


「如何します。美濃に来られるのを受け入れなさるか」


「待たれよ。新九郎殿」


 安房守が口を挟んだ。


「まず公方様が美濃に来られるのを望んでいるとはどういうことであろう。常ならば近江にさがられるのではないか」


「いえ、三好筑前守が余勢をかって前に出ました。堺公方を征夷大将軍に押し上げるにあたり、もっとも簡単な手を選ばれたのかと」


「細川六郎殿は承知なのであろうか。あれは道永殿を討ち、京兆家の家督を得ることが目的の御仁であろう。現公方に危害を加えんとするほどのことを企むとは思えん」


「それは、」


 新九郎が言いよどんだところで、承菊が笑った。


「筑前守殿と六郎殿は上手くいってない。これが噂ではないだけではないでしょうか。六郎殿は元服して少しにございます。比べて筑前守は武功を立てた三好家の当主。さて、飼い慣らせましょうか。若い当主にとっては、年上で武功を立てる家臣など邪魔なだけでありましょう」


 承菊がちらりと五郎を見た。


 安房守が咳ばらいをした。


「いやな、承菊。そうは言うが、どうして筑前守は前に出る。六郎殿の意に反してのことならば、不興を買ってまでのことであろう。ここで主君の意に反し、公方様の背を追うとなれば、相当のことであろう」


「京の伝手で聞いた話にございますが、筑前守殿は六郎殿よりも堺公方様、足利左馬頭義維様に心を寄せているという話もございましょう。六郎殿が、道永殿を誅したので戦をたたもうと、義晴様と和睦、これを担ごうという動きがあったとします。そうなれば左馬頭様はどうなりましょうか」


「つい昨年の和睦は、六郎殿自身が拒否をしたと聞くが」


「その時は道永殿の首が取れぬゆえに嫌がっただけでは。今はその首を取った、これ以上戦えば、筑前守に武功を立てさせるだけ。六郎殿の立場も悪くなる、ならば今の公方様に近寄って、直ぐに戦をたたんだ方が得とみたやもしれませぬ」


 承菊が得意げに言い切ると、新九郎がせせら笑った。

 承菊は口をすぼめた。

 この男の琴線に無用心に触れたようである。

 鋭い舌先が振るわれるより先に、新九郎がぴしゃりと自分の膝を打った。


「失礼。されど予測で話し過ぎでございましょう。今わかることは筑前守殿が公方様を圧した。公方様は京どころか、近江からも逃れた。これが肝要かと」


 承菊が裾を翻し、新九郎に膝を向けた。新九郎もそれを認め、背筋を伸ばしている。

 双方ともに無意味には争わない。だが、無意味に引きもしない。


 五郎は口を挟んだ。


「宗滴殿は公方様を越前に連れて行かなかった。新九郎、これについては聞いているか。おそらくだが、公方様を近江に戻したのは宗滴殿であろう」


 新九郎は承菊から目を離し、五郎に向き直った。背筋は少し丸くなっている。


「お察しの通り、使者の幕臣たちによると宗滴殿が京の寺より近江の朽木谷に戻されました。しかし、その後は越前に戻ったと。これについては、深く申されず、ここでお待ちください、六角弾正少弼がすぐに戻られるとだけ」


 朽木谷は近江北方の山あいにあり、越前へ抜ける道筋にも近い。

 宗滴はそこまで公方を伴い、その先へは連れて行かなかったらしい。


「年の功、か」


 新九郎が歯を見せた。


「父もそう申されておりました。六角弾正少弼が行方知れずのこと、筑前守が圧していること、これらを承知で置き去りにされたと」


「割り切りを見事というべきか。欲がないというべきか」


「宗滴殿は影の当主などと謳われまするが、当主ではございませぬ。阿波方との火種を持ち帰れぬ。そう見たのかもしれませぬが、無論それ以上の見通しがあったやも」


 宗滴は長く幕府、義晴と轡を並べた人間である。何か感じ入るところがあり、妙手を打った。そういう線もありえたが、今の五郎にはまるで分からぬ話である。


 五郎はわずかに肩を落とした。

 新九郎がその顔を覗き込んだ。


「新九郎殿、品がのうございますぞ」


 数珠が一際大きくなった。さあ、何を言ってやろう。そんな声色であった。

 だが、安房守が承菊の膝を叩いた。

 

「承菊。やめよ」


「よい」


 五郎は肩を回した。


「案ずるな、迷っているわけではない。未練だ」


「どのような未練でございましょう」


 新九郎がすぐに聞いた。

 この男も父親と同じで、聞かなくてよいところまで聞く。むしろその無遠慮が心地よかった。


「あと一年、二年あれば、楽になった。それだけの事」


 美濃はまだ手を入れ始めたばかりだった。手を入れたい産業、顔を突き合わせゆっくりと話し合いたい国人、見てみたい土地、やりたいと思うことはまだまだあった。

 これらはいずれも、二年あれば形になっただろう。五郎が何も言わないでも動き、領地を富まし、今川内で尽くすことへの違和感を覚えぬ者も増やすことができた。


 五郎が声を落とすと、承菊が肩を揺らした。


「ええ、もう一人御子様がいればお家も安泰でありましたな」


 この男は主君の血が、広く残ることをこれでも喜んでいるようであった。

 しかし、安房守はそのようにとらなかったらしい。


「承菊、今日一等品がない」


 五郎は息を吐いた。話が進まない。

 気を取り直し、三人に向き直った。


「公方様は受け入れる。使いを出す」


 安房守が手汗を裾で拭いつつ、言った。


「よろしいのでしょうか。あまり気質のよろしくない方と聞いております」


「幕臣はもはや来ているのだろう。断れまい」


 承菊が目の奥を輝かせながら続けた。


「京に戻せ、などとどやしつけられましょう。酒でも飲ませて忘れさせましょうか」


「それも良い」


「御屋形様」


 安房守が不穏な言葉に、額に手を当てた。


「実際、受け入れるほかあるまいが、かと言ってすぐに京に戻すのは難しかろう。となれば聊かの気休めは必要であろう」


「それだけでございましょうか」


 新九郎が背を丸めた。この男のこの姿勢は、猫背というより飛びかかる蛇のように見える。


「無論、無欲を気取るつもりはない」


 道永亡き後の公方は何でも出すだろう。利のあるものであれば、それを拒むつもりはない。


「いえ、強かな御屋形様で嬉しゅうございます」


 新九郎はさらに背を丸めた。安房守が息を吐き、承菊が数珠を鳴らした。


---


 そこから幾日か経ち、五郎は福光館で公方、義晴を迎えた。

 福光館は以前は土岐美濃守が腰を据えた城である。革手城が焼け落ち、稲葉山がいまだに単なる山城の域を出ない以上、かろうじて臨時の御所と出来るのはこの城以外にはなかった。


 五郎は義晴を迎えるにあたって、美濃の境まで兵を出し、その兵に守らせてここまで入れている。数は三千程度に、馬廻り衆と一門の関口彦三郎を付けた。今川の軍の中でも豪奢であり、まず粗略に扱われているとは思えぬ軍勢である。


 五郎は彦三郎からの使いで、何事もなく義晴を迎え美濃に入ったと聞いたとき、小さく胸をなでおろした。

 最悪の場合は、三好筑前守の先手とぶつかる可能性すらあった。ただ、物見に聞けば、三好筑前守の一団は近江で足を止められているらしい。

 

 それを考えれば、まずは間に合ったことになる。


 

 五郎が今川の家中と共に、福光館で義晴に相対した時、迎えたのは館前の広場だった。昨夜までの雨で地面は緩み、門から延びる砂利道の両脇には泥が残っていた。今川の家臣は道の左右に並べ、門外には美濃衆を中心に兵を置いてある。


 義晴の側には大館伊予守がいた。以前、熱田で会った若い幕臣の顔もある。ほかに幕臣が十数人、その供を合わせても五十人には届かなかった。

 長い逃避行だったらしい。人も馬も疲れていた。幕臣たちの衣服には土埃がつき、義晴も顔色が冴えない。


 というより、そもそも義晴の顔色は明らかに健康な男子のものではなく、不摂生の積み重なりが窺えた。深酒が日課となり、よく眠れないのか濃い隈が目の下にある。また長く日に当たっていないのか、顔色は蝋のような白さが目立った。


 五郎が家臣の列から前へ出ると、義晴の一団がわずかに退いた。

 それに気付かぬ振りをしつつ、砂利の上に片膝をつき、首を垂れた。


「公方様。よくぞご無事であられました。治部太夫、お待ちしておりました」


 下げた頭の上から声が来た。固い声である。


「そちが今川治部太夫か」


「左様にございます。このような形にはございますが、拝謁に預かり光栄にございます」


 義晴はまだ若い。遠目に一瞥した頬は少し痩せていたが、今眼前にある下腹だけが嫌に出ていた。

 義晴は足元の砂利をつま先で蹴った。蹴った砂利が跳ね、五郎の膝に当たる。


「随分、なことである」


「公方様を出迎えるとなれば当然のことにございまする」


 確かに五郎はすぐさま数千を出した。近江へ攻め込むほどではないが、追って来た三好勢が手を出すには多い数である。何事もなかった今、過分と言われても仕方の無いことであった。


「そうではない。此度の戦のことよ」


「と、申しますと」


「しらじらしいっ」


 義晴は声を張り上げながら、胸を反らした。

 今川方の若い家臣が何人か、わずかに腰のものへ手を近づけた。


「そなた、浦上を陣に入れるのは悪し、と賢しらに申したそうだな」


 幕臣の中で、伊予守が自分の裾を握った。群衆の中に縮まり、埋没するほどに身を縮めている。


「そなたが案じた通り、浦上憎しで赤松が叛いたわ。赤松の心変わりを察しておきながら、兵の一つも出さぬはどういう料簡か」


 五郎は頭を下げたまま、足元を見た。白い足袋の先へ泥が染みていた。


「なにか行き違いがございましょうな」


「なにがだ」


 五郎は一層低く頭を下げた。


「治部が申したのは、浦上の為人に過ぎませぬ。主君を手にかける輩を公方様の陣に置くはよろしからず。それだけにございましょう。赤松次郎殿の腹などわかりかねまする」


「詭弁よ」


 見抜かれる。

 酒に浸っていても、素の頭は悪くない。いや、猜疑心が強いのだろうか。

  

 五郎は身じろぎもしない。


「詭弁と申されるは何故でありましょうか」


「そもそもそちが早う陣に加わっておれば、負けることもなかった。皆そう言うておる。美濃と尾張を食らうだけ食らい、あとはそっぽを向いたのであろうよ」


 義晴が足を踏み鳴らした。泥が跳ね、五郎の頬についた。

 後ろで家臣たちがざわめいた。幕臣らはそれ以上に騒ぎ、身をこわばらせた。


 五郎は指で泥を払った。


「前に出られぬ理由は申し上げた通り、六角殿が近江を通さぬと申された故。これを無視し治部が前に出れば、これは第二の次郎殿を作りましょう」


 義晴の足踏みから、わずかに怒気が引いた。砂利と泥を踏みしめながら、息を落ち着かせていた。


「弾正少弼が叛いたとでも言いたいのか」


 弾正少弼は冷めた目で義晴、道永らを見ていたらしい。ならば、十二分にあり得る。が、本人が戦場で勇ましく戦った以上、無意味な話でもある。


「弾正少弼殿は、幕府における忠義の臣にございましょう。治部如きが腹を読めませぬ。ただ、そのように腹が読めぬ次郎殿が叛いた今、誰が裏切らぬなどとも言えますまい」


 五郎は払った泥を指先で丸めた。体の影で見えぬように、丸めたそれを指ではじいた。


「浦上掃部助殿や次郎殿あたりが参加したあたり。治部は道永様から、銭と米だけ送って大人しくしているように、と命じられもしておりました。これを破り前に出れば、六角殿は離陣されやはり、却って不利になられるかと」


 義晴は、地団駄を踏まず息だけを荒くした。息はどんどん荒くなっていき、そのうちにふと、収まった。

 五郎は片膝を立て、少し腰を浮かせ、重心を前にした。


「馬鹿者が」


 義晴の足が飛んで来た。

 蹴りは先ほどまで五郎の顔があったところに来た。ゆえにそのまま五郎の肩に当たり、その勢いで義晴の方が泥の上へ尻餅をついた。跳ねた泥が五郎の袴に散った。


「不忠者、無礼者が」


 義晴は立ち上がろうとしたが、足が滑った。疲労と泥が義晴を泥に留めた。


 助け起こそうとする幕臣らはいない。動けなかったのだ。五郎のすぐ後ろには今川の家臣が並び、その外には今川の兵がいる。今川の家中において、わかりやすく怒りをあらわにする者はいなかった。


 五郎は顔を伏せながら、家臣の方へ目をやった。


 宿老の安房守は額を押さえ、承菊は目を輝かせている。新左衛門と新九郎は天を仰いでいる。朝比奈備中守の顔は険しく、手はいつでも刀へ届くところにあった。


 つまるところ、家中の意識は統一されていないということである。

 もっと言えば、ここで無茶ができる段階にはない。


 ならば、と五郎は泥の中に両膝をつき、義晴の手を取った。義晴の手は暑く、柔らかである。

 突然触れられた義晴は、無礼と怒るよりも、驚きが勝ったらしい。

 そこに畳みかけた。


「返す言葉もございませぬ。治部太夫は不忠者にございましょう」


 義晴がぽかんと口を開け、感情に空白ができた。

 五郎は手を僅かに強く握った。


「道永様に銭と戦以外に取り柄がない。公方様に面通しなど許さぬ。そう申され、逼塞しておりましたが、それはやはり己の怯懦にございまする。たとえ旭将軍の二の舞を踏もうと前に出るべきとの言葉、異論ございませぬ」


 五郎は手を離し、泥の中へ額をつけた。

 泥が跳ね、唇に触れた。

 

 義晴は五郎の視線から逃れると、漸く言葉を発した。


「そ、その不忠、どう補う」


 五郎は泥を吐きながら、そのままの姿勢で言った。


「許されるのであれば、次こそは戦にて」


「たわけが、もう遅かろう。堺公方が将軍になるやもしれぬ。道永が立て直した御所も、あれが居座る」


「決してそのようなことはさせませぬ」


「また口だけであろう」


 義晴はそっぽを向いた。赤く塗られた草摺りが音を立てる。

 五郎はそこで初めて顔を上げた。


「手はございまする。仔細は生臭き話故、申せませぬ」


 義晴の腹が膨らむ気配がした。五郎はそれを許さず、間髪入れず続ける。


「されど、これが適わぬときは、治部が単騎でも前に出る所存にございまする。公方様の忠臣が絶えておらぬこと、これを天下に知らしめるばかりにございます」


 義晴は五郎を見返した。鼻白み、後ずさる様に腰を下げた。

 十分に下がると、やがて立ち上がり、泥のついた手で襟元を直した。


「余は不忠者の言葉など信じぬ」


 声からは完全に不満は消えていた。

 五郎は大仰に項垂れた。


 目の前に義晴の足先が見えた。まだこちらを向いていた。


「であるが、挽回の機会を与えぬ狭量ではない」


「ありがたき幸せにございまする」


 五郎はそう言って勢いよく平伏した。泥が再び音を立てて跳ねた。


---


 夜になって、五郎は湯から上がると渡り廊下を歩いた。


 館の部屋には幕臣たちを入れてある。夜も更けていたが、まだあちこちに灯がつき、人の出入りがあった。義晴は本丸の奥へ入れ、着替えと夜具、膳と酒を用意させてある。

 

 新左衛門がどこに隠していたらしき、京風の美人に酌をさせるとしたたかに酔い、深く寝息を立てたらしい。

 

 剛毅で高貴な方。とは承菊の言葉である。


 五郎は長井親子が使っている一室へ入った。今夜はそこを臨時の居室に借りていた。

 部屋の中には一つだけ明かりが灯り、部屋の中に幾つかの影が伸びていた。五郎が襖を閉じると、火と共に影が揺れた。

 

 五郎は上座に開けられていた座布にそっと腰を下ろした。


「新左衛門、助かった。桶に湯を貰うだけでよかったが、湯浴みまで馳走になった」


「いえ、美濃の泥はしつこうございます。湯浴みをされた方がよろしい」


 影の一つ、新左衛門が当然とばかりにいった。

 この男は何かを奪うのも上手いが、それ以上に人に何かをしてやるのも上手いらしい。

 

 五郎は結んだ髪をいじりながら言った。 


「待たせた、伊予守」


 大館伊予守は夜闇の中で平伏したままであり、明りの中に出てこない。


「怒るような話ではなかった。確かに治部の行いは不忠であった。だが美濃、尾張の領有、後詰を行わぬ件、それを頭一つ下げて許された」


「御屋形様は、そう仰せになりましょう。されど、一方的に不忠にされ足蹴にされた今川家中にとっては、中々に剣呑でございましたぞ」


 承菊が暗がりから身を乗り出した。数珠が小さく鳴った。


「朝比奈殿など先ほどまで腕組みをしたまま動かず、不動明王の様で。伊予守殿が何度も話を振っても、まんじりともせず。それに眉間に皺を寄せていたので、癖になっておりまする」


 備中守の顔は、まだ晴れていなかった。腕を組み、ずっと伊予守を目に入れている。


「確かに今川の当主としては権威が薄れたか」


 備中守が床を叩いた。こつん、と軽いものだったが伊予守の背が震えた。


「怒るな備中守」


「御屋形様に対してではございませぬ。七カ国の太守に対しての難癖、そして挙句の果てに足蹴になど許されるわけがありませぬ」


「すべて治部のやったことである。ある程度は上手く転がり、面目を保つ機会も得た」


 五郎は伊予守の肩に触れた。震えていたが、五郎が触れるとそれがにわかにおさまった。

 伊予守が顔を上げた。顔色はひどく悪かったが、媚びようとする表情ではなかった。


 ならば話が早い。


「公方様を京に帰す。将軍の解任などは行わせぬ。色々とやるべきことがある」


 五郎が切り出すと、伊予守は承知とばかりにまた頭を下げた。


「承知しておりまする。もはや治部殿に頼るほかございませぬ」


「であれば、頼みたいことがある」


「無論、尾張守護と美濃守護については、公方様もお認めいただいておりまする」


 伊予守が懐から一枚の紙を取り出した。よれた紙の上に、酔っぱらったような文字が躍っている。子供の落書きと言えばそう見えるが、幕府の取次役が御内書と言えば、そうなるらしい。


 承菊がその書を見て肩を揺らした。


「それはありがたく。されどそちらではない」


「と申しますと」


 伊予守が身を乗り出した。


「一つは公方様の御心に寄り添うこと」


「それは、」


 伊予守の手が床を押した。床に置かれた手の爪は白くなっていた。


「今川の都合のよい様に操れ、と申しておるのではない。今しばらく朝倉殿や六角殿との協調が必要になろう。この両家とやり取りする際には、今少し御心を安らかにしていただきたい」


 酒を飲ませても良い。女を呼べというならば呼ぶ。だが、癇癪を起させるなという話であった。


「それは無論にございます」


 伊予守の肩から少し力が抜けた。


「あとは京に繋ぎが欲しい」


「伊勢家の方ではいけませぬので」


 もっともな話である。五郎の縁戚である伊勢家は、公方と共に落ちてもなお京に深く縁を持つ。

 ただ今は一幕臣としての領分を出ては来ない。


「確かに、祖母の実家ではある。しかし、今になってなお、何も言ってこない。今は何もできないということであろう」


 承菊が数珠を鳴らした。


「御屋形様は突飛者でございますゆえ。軽々と身内でござる、などとは申せぬのでしょう」


 新左衛門が蝋燭の芯を切った。炎が少し低くなった。


「以前より季節の挨拶はしている。返りも来る」


 来るたびに筆跡の変わる文である。紙の質も時々によって変わる。政所の伊勢家とは思えぬ文であった。


「その割には先代様の葬儀以来、お付き合いもありませぬ。さて、まことに血縁なのでしょうか」


「向こうもそう疑っておる故、近寄らぬのであろう」


 承菊が露骨に喜んだ。楽器のように数珠を鳴らし、さらに一歩踏み込んでくる。

 頭の中に用意していた刺の付いた言葉を、気の済むまで吐き出してやろう。そんな顔であった。


「しばらく」


 だが、伊予守が声を張った。


「話を戻したく存じ上げます。して京で何をなさるのでしょうか」


 承菊は唇を尖らせたが、元の座布に戻った。

 五郎は、ああ、と相槌を打った。


「大したことではない。即位式の日取りと席次について話したい。宮中にそう一言申し付けるだけだ」


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― 新着の感想 ―
これで信長エミュすれば天下統一できますね 展開良い感じに早くて面白いです
性格悪いわ!!(褒め言葉)
今時代ものの中で一番面白い
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