7章_7
年が明けて、ひと月ほど経っていた。
義晴は板を二度踏み鳴らし、それから座り直した。
京の東福寺の塔頭の一室である。畳だけは新しく入れさせたが、柱も長押も寺の物で、庭に面した障子は閉めてあった。その前に燈台が一つ置かれ、火鉢には昼のうちに炭を足させている。
義晴の膝の脇には、銚子と盃、それに刀があった。
盃を空けてから刀を取り、鞘を払った。燈台の光へ刃をかざす。
じっと眺めていると、刀には不思議と飽きないところがあった。刃の中ほどに、細かな粒のようなものが連なっている。近ごろ刀ばかり見ているためか、以前より多少は良し悪しも分かるような気がした。
この一振りは、去年の秋に献じられたものである。堺の商人が持ち込み、公家の一家が取り次いだ。取り次いだ家へは、あとで銭が回ったという。その銭を出したのは、義晴ではなかった。
寺には供を合わせて二百ほどが入っている。京に残っていた奉公衆と、その郎党である。塔頭を三つ借り、一つを義晴の住まいにし、残りを詰所と厨に使っていた。寺への礼は月ごとに米で納めている。
その米は今のところは今川が出したものである。
障子の向こうでは番の者が立っていた。夜は二刻ごとに替わる。そのたびに、廊下の板を踏む音がする。
「公方様、道永様がいらっしゃっています」
襖の向こうから側付きの声がした。
聞こえなかったことにしようかと思ったが、道永なら結局入って来るであろう。であれば自分から招いた方が面倒がない。
義晴は刀を鞘へ戻し、銚子と盃を脇へ退けさせた。
多少酒の匂いはするだろうが、いまさら気にすることでもなかった。道永は最近気もそぞろになっていることが多い。
「許す」
その言葉を受け、小姓が襖を開け、道永を入れた。
半月ぶりに見た道永は、また太ったように見えた。首のまわりに肉がつき、俗世で高国と名乗っていたころより、かえって欲深そうな顔になっている。
歩くだけで肉が揺れ、冷え込んでいた部屋がにわかに熱がこもる気さえした。
道永は部屋へ入り、数歩進むと鼻を動かした。酒の匂いに気づいたらしいが、やはり何も言わなかった。
そのまま、道永は義晴の前で平伏した。だが、腹がつかえて上体が十分に下りない。そこで止め、額だけを畳へ近づけた。
「ご機嫌麗しゅうございます。公方様」
「道永。そちもな」
義晴はそこで言葉を切った。
近ごろ、この男はろくな話を持って来ない。それが会いたくない理由の一つであった。
実際のところ、阿波方との戦は、負けているわけではなかった。義晴は東福寺まで戻って来たし、洛中にも兵を入れている。
しかし、当初の目的であった阿波方を畿内から追い払うことは叶っていない。また、義晴自身が洛中へ戻れたわけでもない。
こちらが押せば敵は退く。退いたと思えば、翌日には別のところから出て来る。そのたびに兵を回し、また押し返す。
そういう戦がだらだらと長く続いていた。
そのせいで、諸将の間にも疲れが見え始め、その気をつなぐため、今川から届く物で頻繁に酒宴を開き、銭も配っている。
道永が一段と肥えているのも、このあたりが原因なのかもしれない。美味い酒を飲めば、遅々として進まぬ戦況のことも、言うことを聞かぬ諸将の仲裁のことも一旦は忘れられる。
ただ、諸将が酒に親しみ、規律を僅かに緩ませると兵の揉め事も絶えなくなった。
例えば、刃傷沙汰、村や寺での乱暴、勝手な徴発などだ。
そう言った訴えの多くは、道永の下で処理されるが、事が大きくなるとさすがに道永に持ち込まれ、物によっては義晴の耳にさえ届いた。
そのことを思い出して、義晴はふと聞いた。
「道永、朝倉は納得したのか」
一瞬で道永の顔が歪んだ。豊かになった頬が引きつった。
それを見て義晴は少し気が晴れた。
道永は頬を揺らしながら、ぼそぼそと言った。
「朝倉家は御当主からの文で納得されました。こちらの誠意は伝わったと」
「ならばよかった。次はない様にせよ」
道永は眉間に皺を寄せた。屈辱。その二文字が額に浮かんでいた。
道永の顔を、こうまで歪ませたことの始まりは、朝倉方の武士が寺僧を斬った一件にある。
ほんの半月ほど前であり、朝倉の武士が寺社の門前で一太刀で僧を切り捨てた。白昼の出来事であり、隠しとおすことはできなかった。
さらに悪いことに、斬られた僧は近在で名の知れた者で、そのため寺社側が騒ぎ出した。僧の所属する寺だけではなく、近隣の寺社が一斉にどういうことかと文を送りつけて来たのだ。
その寺社の中には米を預けていた寺や、幕府と縁の深い寺もあった。知らぬ、存ぜぬでは通じぬ相手である。
話を受けた道永は、直ぐに朝倉方の武士を呼び出した。
本来は朝倉の主将である宗滴を呼ぶはずだったが、折悪しく朝倉の主だった者は陣を離れていた。
道永はどういう料簡かと尋ねた。だが武士はどれだけ待っても答えない。道永は、これはだめだと、判断し部屋にさがる様に申し付けた。
だが、武士は下げられた部屋で、腹を切った。置手紙などもなかった。
道永は血で汚れた部屋で頭を抱えた。だが遺体をそのままにはできないと、朝倉へ返した。寺社には、件の武士は行いを恥じて腹を切った、朝倉方も頭を下げるはずだと伝えた。
それで収まると思ったのである。
ところが朝倉宗滴が帰陣し、事情を調べた。調べた結果、怒った。
実のところ、斬られた名僧とやらは斯波家に縁のある者で、守護代だった朝倉が越前を奪ったことを、いまでも憎んでいたらしい。
その僧は、その日、我が物顔で門前を歩く朝倉を見た。そして、堪え切れずに成り上がりと呟いた。
呟きは武士の耳に入り、取り消せ、取り消さないの押し問答になり、僧が切られた。
それを知った宗滴は、寺に詫びるどころか、寺の側こそ詫びるべきだと言い出した。
道永が、すでに寺社へ朝倉が頭を下げると約したことを話すと、今度は忠義の武士を追いつめて死なせたと責められた。
結局、越前の朝倉当主へ人を走らせ、銭を添えて収めてもらったのである。
「は、今後は朝倉殿も弁えなさるでしょう」
道永の歪んだ顔を見ていると、もうしばらくこの話を続けてもよい気がした。
しかしすぐに飽きた。
脇へ退けさせた銚子には、まだ酒が半分ほど残っている。酒を飲み、刀を眺めている方が、この男の顔を見ているよりもずっと楽しい。
義晴は、早く道永に帰ってもらいたかった。それで話を促した。
「それで、何用か」
「先の和睦の件にございまする」
義晴は思わず、吐息をこぼした。
和睦とは、三好筑前守から持ち込まれた話である。道永も賛成し、六角弾正少弼まで仲へ入っていた。
一度戦を止め、その後のことは話し合う。
義晴には、その先に何があるのかよく見えない話だった。
三好筑前守は、阿波方の兵と荷を動かしている者である。この男が動かなければ、阿波方も京の周辺で長く戦えない。逆に、筑前守さえ承知すれば、上の者が渋ろうとも和睦の形は作れた。
そう言う経緯のため、どうにも義晴に上がってくる和睦の中身もどこかぼやけた形であり、おざなりにされていると感じていた。
そんな和睦を了承しろとは、気に入らぬ話であった。
「三好筑前守から打診された件であったか、その後どうした」
道永は鼻を鳴らした。
「どうやら波多野兄弟の反対にあい、立ち消えになった様にございまする」
「情けない話よ」
義晴は片膝を立て、その上へ肘を置いた。
真面目に聞くのが馬鹿らしくなった。
だが道永は膝を少し進めた。
「でございますが、笑ってばかりも参りませぬ」
「攻めろという話か。許す。早く首を上げよ」
堺公方など認める方がどうかしている。
だが、道永は首を縦に振らない。
「そうではございませぬ。いかに攻め続けるかという話にございまする」
義晴は頬杖をついた。
「兵は上回っている。妙な戦術など不要であろう」
「一旦始まれば、左様で御座いますが、事の次第はそれほど単純ではございませぬ」
その言い方が気に入らなかった。
何もかも分かっている者のように聞こえた。
そもそも朝倉の件にしても、道永が勝手に話を決めたために揉めたのである。もっと言えば、道永が上意討ちなどしなければ波多野兄弟は阿波方に呼応もしなかった。
そんな男がいまさら道理を語るというのが、義晴の癪に障った。
何か言ってやろうと思ったところへ、小姓が足早に入って来た。
道永へ一礼してから、義晴の耳元で何か囁いた。
義晴の口元が、自然と緩んだ。
「何でございましょう。吉報にございますか」
道永が訝しむように言った。
「宗滴がな、来ておるらしい。ちょうど良い、戦のことであれば宗滴にも聞いてみよう」
道永の顔が、期待通りに引きつった。
義晴は先ほどまでの腹立ちを忘れて、小姓の背を押した。
「許す、連れて参れ。急げ」
小姓が走り出した。
道永は手を伸ばしたが、肥え衰えた体では小姓は捕まえられない。
道永は、目を険しくして、義晴を見やった。
「お待ちを、話はその件の朝倉にございます」
「ならばなおのこと、朝倉を呼ぶ、おかしな話ではあるまい」
「違いましょう。朝倉がおかしな動きをしておれば、事前に内容を決めねばならぬのです」
義晴は笑いをこらえながら言う。
「その事前に話を決めたがゆえに、宗滴と話がこじれたのではなかったか」
道永が一度言葉を失い、それから顔を赤くした。
それでも、歯を食いしばって膝を立てた。
「この道永と宗滴殿の間の話は関係がございませぬ。これは戦の陣立てに関するものであり、余人に聞かせるものでは、」
「宗滴が何か。道永殿」
太い声がした。
義晴が入口を見ると、もう朝倉宗滴が立っていた。もしかしたら、ずっと近くにいたのかもしれない。
宗滴は五十を越えているはずだが、老いた感じは少ない。顔には皺があり、鷲鼻の上に鋭い眼がある。老いた猛禽の如き男であった。
宗滴は部屋へ入り、義晴の前に座って頭を下げた。
丁重な挨拶はなく、それだけだった。
朝倉が出している兵は五千である。
六角が一万、諸国の国人が五千。合わせて二万ほどの兵のうち、前に立って戦って来たのは朝倉だった。
その五千が抜ければ、陣の前がそのまま薄くなる。
宗滴の所作は、それを理解している素振りであった。
「道永殿、先に申し上げてもよろしいか。その方が早かろう」
宗滴が太い声でまず言った。道永は宗滴を睨んだが、止められなかった。宗滴は胸を張って、続けざまに口を開いた。
「公方様、朝倉軍、一時帰国したく」
義晴は眼を見開いた。
だが、何か言う前に、宗滴は頭を深く下げた。
「不忠にはござりませぬ。一度公方様を京にお返しした。当初の約定は果たしていると考えておりまする」
「阿波方は退けておらぬが」
道永がぼそりと言った。
宗滴はそちらを見なかった。
「されど、帰らねばならぬ理由は二つほどございまする」
宗滴は居ずまいを直した。
「一つは申し訳ござらぬが、物が足り申さぬ」
「あり得なかろう。兵らの頬はこけておらず、太るぐらいと聞いておる」
義晴の言葉に、宗滴は道永を一度見て、首を振った。
「公方様にお聞かせする話ではございませぬが、どういうわけか朝倉方に対しての米や酒が回ってきませぬ。ある時から不思議と減っておる次第に。無論、味方の背に刃を立てる者などおらぬゆえ、やはり我ら朝倉方の食い扶持が余計と思い、軍を下げたく存じまする」
義晴にも、おおよその事情は分かった。
道永か、その組下の仕業であろう。
義晴は道永を一瞥した。道永は何も言わず、肩を小さく震わせていた。
いい気味だと思った。
しかし宗滴は、道永の様子など気にしていないようだった。
「して、二つ目にございますが、今川にございます」
唐突な言葉に、道永が顔を上げた。
義晴も少し姿勢を直した。
「今川が尾張を取るのは、大事の前として口出しは致しませなんだ。上野の一件で足るを知ったとも考え申した。されど、美濃の仕儀をみて、考えを改めた次第にございます。やはり、今川の美濃進出を見過ごし、越前を空けるは恐ろしきことにございまする」
今川が美濃で何をしたかは、義晴のところにも届いていた。
土岐兄弟の弟が突然美濃守に任ぜられ、国人を集めて兄の修理大夫頼武を攻めた。
朝倉は止めるよう申し入れたが、弟は聞かなかった。どこからか銭や米を調達し、ばらまくとさらに兵を集めた。
そして、ついには革手城まで攻め、兄を討った。首まで晒し、甥にあたる修理大夫の子を見つけ、首をはねろ、などと命じる有様だったという。
そこに今川が兵を入れた。
義晴から命じられた美濃静謐のためという名目で弟の美濃守頼芸を討ち、そのまま稲葉山へ入った。
いまは美濃の国人に、次々と所領安堵を出しているという。
美濃静謐とは命じたが、それは土岐家を立てることが条件であった。尾張では見逃したが二度目となると、話が違う。
義晴と道永は何度も詰問の文を送った。今川からの返事は、毎度十日ほどで来た。
ただ、内容は凡そ同じようなものであった。
これらは命じられた美濃静謐のために行ったこと。先代守護の子は手元に置き、土岐家を立て直す支度をしていること。
上洛については六角殿の許しが得られ次第、後詰として加わる。それまでは後方より軍をお支えするゆえ、不足のあるものは遠慮なく申し付けられたし。
肝心の美濃から手を引くという一文はなかった。
明らかに煙に巻こうとしていた。
甲斐、三河、信濃をあっという間に治めきった治部太夫である、時を与えるのは不味い。
そう考えた道永は今川を美濃から引き離すため、義晴の軍へ加わるよう命じようとした。
しかしそこに二つの方向から待ったが掛かった。
一つは美濃の国人から、治部太夫が去れば国がまた乱れるという嘆願が来た。所詮は国衆であるため、いくらでも無視も出来た。
だが、もう一つは他でもない六角からの制止であった。
六角弾正少弼は、道永に渋い顔で以下のように言った。
今川を近江へ近づけるのは危うい。畿内へ入れるなら、六角は軍を引いて近江を守らねばならない。
流石の道永もこの言葉は受け入れざるを得なかった。そのため幕府はいまだに、今川へ軍の合流を強く命じることが出来ずにいた。
「隣接しているという理由で軍を戻すのか」
義晴が恐る恐ると聞いた。思わず責める色が含まれたが、宗滴は顔色を変えなかった。
「六角殿を引き合いに出されるつもりであれば、ご容赦くださいませ。越前は聊か遠うございます。今川の動きがあってから、引き返すでは遅きに失しましょう」
「急すぎよう」
縋るように義晴が言うが、これにも動じない。
「無論、あと一月、それまで和睦が一纏まりになるまではおる所存にございます」
義晴はすぐには返せなかった。急な話で頭が回らないこともある。
それ以上に宗滴に真正面から見られると、どうにも言葉が出にくかった。
先ほどから崩していた足も痺れている。座り直そうとすると、足先まで痛みが走った。
「帰ったところでという話ではないか。宗滴殿」
道永がまたぼそりと言った。それだけで室内がじっとりと湿気を帯びた。
宗滴は鼻を鳴らす。
「どういうことか、道永殿」
「帰ったところで美濃は戻らぬ。そういう話である」
「今川の美濃の横領を認めなさるか」
「あれは土岐家の御曹司を立てておる。横領ではなかろう。守護を追い出したわけでなし」
宗滴の眉がわずかに動いた。
「越前のことを仰られるのであれば、これは幕府も認められたこと。そもそも斯波家との確執によるものであり、今川の尽きぬ欲とは違いましょう」
今度は道永が口角を上げた。豊かな頬が持ち上がる。
「左様か。ただ道永が申し上げたいこととしては、今川を押しのける名分はない。そもそも美濃の道が通れぬことが事の始まりであろうよ」
「朝倉が土岐兄弟の諍いを止められぬことを責めておられる」
「まさか。ただ朝倉の御当主も譲ったゆえ、結局このような形に成った。一度譲った土地から退かすには名分と力の双方が必要よな」
「宗滴が戻れば不足にございましょうか」
宗滴の眼が鋭くなった。ただでさえ鋭い眼差しは、この老将が気を入れると切れ味さえも帯びるようである。
道永は少しだけ身体を引いた。だが、口は動き続ける。
「さて戦うところを満足に見ておらぬゆえ、どうとも言えぬ。ただ、今の今川と態々戦う必要もなかろうと思われる」
「越前を窺える大国をむざむざ譲れと」
道永は薄く笑いながら手を振った。
「ではござらん。公方様が洛中の御所に戻れば、今川が美濃に居座る理由もなくなると申しておる。あれが美濃にいるのは公方様の軍に合流するためのこと」
宗滴は、少しだけ険しさを緩めて顎を撫でた。
義晴にも、道永の言うことは少しだけ分かった。
いま今川が美濃にいる理由は、一応は上洛のためである。義晴が洛中へ戻り、戦が終われば、その理由はなくなる。
土岐家の後見なら、これまで関わって来た朝倉が引き受けてもよい。そういう風に話を持っていってもよいと言っているのだ。
「洛中に公方様が入れば、今川は美濃から退けと命じられると」
宗滴が訝しむ視線を道永に飛ばした。
道永の腰はもう引けなかった。先の管領らしく、堂々と微笑んですら見せた。
「尾張は難しいが、そこは約束しよう。もはや今川の銭も兵糧もいらなくなる。遠慮は無用、六角殿、朝倉、幕府と囲んで言えば美濃衆も、治部太夫を疎もう」
「足りませぬな」
だが、宗滴がぴしゃりと言った。
微笑んでいた道永の顔が、そのまま固くなった。
「ほかに何を欲する。宗滴殿」
「公方様が洛中に戻った後、今川が美濃より退かぬ場合は断固たる態度を取る。これを約束していただきたい」
道永は小さく唸った。入道してから持つようになった数珠を、袖の中で繰り、くぐもった音が鳴った。
肝心の義晴だが、二人の話に十分について行けてはいなかった。だが、どうにもこれはことが事だと、うっすらと理解していた。なにか目の前で大きなことが決まろうとしている。そんな予感を覚えていた。
「道永殿、何を悩まれる」
宗滴が目を細めて聞いた。鷹の如き瞳孔が広がっていた。
道永は射すくめられるようにして、唇を噛んだ。
「相手は軍神でござろう。場合によれば、越前はこれとぶつかることになりましょう」
「軍を挙げろなどは申しておらぬ。幕府が一門たる今川に襟を正せと命じるだけでよろしい」
しばらく宗滴と道永が向き合った。
部屋の端で、小姓が身じろぎした。脇へ退けてあった銚子に足先が触れ、かすかな音がした。
道永がふと義晴を見た。義晴がぎょっと体をびくつかせると、ため息を一つこぼした。
そして、それから宗滴へと視線を戻した。
「よろしい。元より洛中に戻られた折は今川には遠慮をしてもらう予定である。討伐すらも視野に入れ、美濃から退かしましょう」
宗滴は深く頷き、義晴に頭を下げた。
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四条道場の縁に腰をかけて、三好筑前守元長はぼんやりと境内を眺めていた。
笠は膝の横に置いてある。日は高いが、堂の庇の下までは差して来ない。
境内には人の出入りが多かった。参詣人にまじって、荷を担ぐ者や帳面を抱えた男が行き来している。
この道場は町のただ中にある。門前には市が立ち、脇道へ入れば宿が並んでいた。宿では預かった荷から口銭を取り、どこへ出したかを書き留めている。その紙を月ごとにまとめて、町の会合へ回すのだという。
堺では、そういうことまで町の者が自分で決める。商人の街、ずっと見ていても飽きないものだった。
「商い、飽きないか」
自分で言って小さく笑った。周囲に怪訝な顔をされたので、筑前守は顔を隠した。
あまり目立ちたくはなかった。
やはりこの堺という街は、武家が兵を入れることを喜ばない所である。
それでも堺公方の御所を置いているのは、この街に集う銭と人を頼らねばならないからである。
筑前守は朝からその御所へ呼び出され、いま戻ったところだった。はっきり言えば、こちらから何かを言ったり、約したり、腹を見せ合ったりとそういう実のある話し合いにはならなかった。
終わってみれば、ただただ疲れが残っていた。筑前守が軽く肩を回すと、明らかに張っており、痛みがあった。戦に出るよりも疲れている気さえした。
筑前守は、息を吐くと、そのまま脚を投げ出したまま、しばらく町の音を聞いた。
耳をすませば、どこからか槌の音がした。
どこかでまた蔵でも建てているらしい。結構なことである。
感心していると、こちら側へ歩いてきている三好民部大輔一秀が目に入った。
八人ほどの兵を連れており、皆、同じ笠印を付けていた。
どうにも物々しく、戦帰りと一目でわかるほどに殺気立っている。そのためか町人が兵を避けて道をあけていく。
そのありさまに筑前守は少し思うところがあった。堺の衆の信任がなければ、この先戦い切れない。
だが、一方で民部大輔の如き武威もなければ商人らが蔵も開かない。ゆえに筑前守はそれらを一旦脇に置き、殺気立った民部大輔を出迎えた。
「筑前殿、少しよろしいか」
珍しく民部大輔は畏まった態度である。
「いいさ、民部」
筑前守は腰を上げると、軽く首を回した。それから二人はそのまま歩き出した。
途中、幾つか水路を渡った。筑前守は橋へ来るたびに足を緩めた。
水路の両側には蔵が並び、舟がその前へ着いている。米俵を上げているところもあれば、鉄らしい荷を下ろしているところもあった。
橋も水路も、町の者が銭を出して作ったものだという。
武家が、刀を振り上げ、普請役を出させたわけではない。それなのに脅し付けて作った物より出来が良い。
「面白いものですかな」
民部大輔が眉を顰めた。
「面白いとも。銭が集まるとこんなこともできると中々に学ばせてもらっている。堺を御所においてよかった」
「京でよいのではありませぬか」
それも悪くはない。だがそれをやれば敵が増える。
「旭将軍の真似が好きというならばそれでもかまわないんだが、阿波の田舎者と一纏めで笑われるのは御免だな」
冗談めかして言うと、民部大輔は鼻を鳴らした。
民部大輔はそれから後ろを振り返った。ここらで我慢が出来なくなったらしい。
兵たちは心得たように距離を置き、橋の袂で足を止めた。笠を直しながら、周囲へ目を配っている。
「物々しいな」
「物々しくもなろう。筑前、なにを申し付けられた」
民部大輔は先ほどまでの他人行儀な言葉遣いをやめた。
筑前守は橋の欄干へ手を置き、川筋を眺めた。
主君、細川六郎晴元は元服してまだ間もない。言葉は少なく、世慣れてはいないが、馬鹿ではなかった。
ただ、己自身を頼るところが多く、こうと決めたら言葉が届かない節がある。そこが少し気にかかっていた。
今日の呼び出しも、その懸念している部分が大いに出たものだった。
筑前守は欄干に体を預けると、小さく呟いた。
「民部が心配していた和睦はならぬ運びになった」
「それだけではなかろう」
「いやに、鋭いな」
「馬鹿にするな。申せ」
民部大輔が一歩寄ったので、筑前守は頭を掻いた。
「六郎様は道永の粘り腰を恐れている。そう言う話だな」
民部大輔は腕を組んで、顔を顰めた。
筑前はあえて軽い声で言った。
「無理もないだろう。六郎様のご尊父は追い出したはずの道永に、結局勝ちきれなんだ。早く首を上げねば安心できぬ、そういう話だ」
民部大輔はじろりと筑前守をねめつけた。
「呑気に言うな。筑前、其方にとっても祖父、父の仇であろう」
「父上は北畠が仇になるが、まあ、大きな区分では間違いではないか。首は取れるなら取りたい。だが、まずは勝たねば意味がないだろう」
「弱腰な」
「民部、言わないでくれ、散々なじられた」
筑前守は笑って、橋の下を見た。
舟が三艘続いて下っている。
二艘には俵が積まれ、後ろの一艘は空だった。艫の若い男が、慣れた手つきで竿を差している。
同じように船を眺めた民部大輔が、ふいに口を開いた。
「筑前、其方が本気でかかれば勝てるのではないかな」
「馬鹿を言わんでくれ。勝てぬと思うから和睦を入れた」
「なぜ勝てぬ」
筑前守は少し黙った。六郎の前では言いにくい話だった。
御前で弱腰と思われれば、その話はすぐに外へ出る。戦の主将としては頼りなし、そう思われ権限を奪われかねない。
だが、民部大輔になら話してもよい。この男は口は悪いが、決して敵にはならない。
「米と銭だな。どうにも道永入道はこれが絶えない。だから粘りが強い」
「つまらぬ」
なんだそんなことかと民部大輔がそっぽを向いた。
たしかに、天才的な策略家や勇将がいる、そういう話の方が面白い。
「言うと思った。だがこれが続く兵は強い。屈強な武士とて空腹ならば、農兵に討ち取られる。腹が満ちていると士気も高い」
民部大輔は欄干を指で叩いた。
こちらの兵糧は、堺と阿波から出している。
堺で買った米を船で送り、足りない分を阿波と讃岐から渡す。
それで足りてはいる。
足りてはいるが、新たに兵を一万、二万と増やせるかと言われれば厳しい話でもあった。
「やはり、六角か」
民部大輔が目を細めながら言った。視線は東、近江の方を向いていた。
確かに、筑前守が見るに、六角が相手方についていることは大きかった。
近江は広い平野を持ち豊かであり、さらには淡海を利用した水運、経済力がある。ただでさえ、米と銭を生むが、戦となればこの水運を使って兵や物を簡単に動かすことができた。
「それもあるだろうが、今は今川だろうね」
民部大輔の顔が一層険しくなる。
「軍神か」
「それは良く言い過ぎだ。血も涙もないから、荒神が良いところだろう」
「筑前の見立てを外した男だな。二度も」
「言うな民部」
筑前守は欄干から手を放して、民部大輔に向き合った。
今川については、筑前守はたしかに二度読み違えた。
一度目は関東である。
上杉が号した十万の軍に押され、今川は戻れないと見ていた。勝っても兵を失い、甲斐や三河が揺れると思った。
ところが完勝し、自分の名前を日本全土に知らしめた。しかも、返す刀で上野にも再出兵し、山内上杉、関東管領の首根っこを丸ごと押さえて見せた。
武断の父とその家臣に支えられている若君、治部太夫をそのような目で見る者はいなくなった。
そして二度目はその裏で起こった。
筑前守の見立てでは、治部太夫はもう動かないと睨んでいた。駿河、遠江二カ国の守護が一気に五か国の守護である。国を治めるだけで精一杯で、十年は動けないだろうと予想した。
大物を食らった蛇が、素早く動けるものか、そう家中にも見立てを話したのだ。
実際、この時の治部太夫は上洛にも官位にも大して欲を見せていなかった。そして幕府とも物別れになっている節があった。
だが、これも違った。関東の征伐後、幕府から命を受けると、尾張を取り、美濃へまで入った。
そして今は道永方へ米と銭を送り続けている。
「今川は忠臣ゆえ、敵になるか」
民部大輔がぼそりと言った。筑前守は首を横に振る。
「幕府の忠臣は斯波家を謀殺したり、土岐で骨肉の争いを誘引したりすまいよ。ましてや、幕府に睨まれながら大国二つを奪い取りもすまい」
「かといって味方にできるわけでもないのだろう。誘いの答えに変わりはあったか」
「さっぱりだな」
民部大輔は袖を捲り、腕を掻いた。深く考えるときの癖である。難題ほどこれがでる。
何度か腕を掻いた後、民部大輔がまたぼそりと言う。
「突けば敵に回る。ならば離間の計でもやってみるか」
「そもそも今川は道永の味方にも思えない。心は既に離れている。ならば離間も何もない」
「我欲で動いているとあらば、道永と噛み合わせられんか」
筑前守は両手を上げた。そして、思わず笑ってしまった。
「それを狙った和睦を申し込んだ。一旦こちらが引けば、勝手に道永と今川は争うゆえ和睦をしようとな。これは、神五郎が六郎様に変なことを吹き込まねば成ったよ」
民部大輔は額を抑えた。
「筑前、馬鹿か」
「言葉が過ぎるぞ。狙いは悪くないだろう」
「狙いはな。だが和睦の条件、あれは譲り過ぎだ。三好が内側から崩れかねん、と神五郎がいきり立っても仕方がない。義晴を公方として認めるような一文など入れては、お前は神五郎に夜道で切られたわ」
「六郎様は十四、十五、そんな短慮を起こされる方ではあるまい。神五郎は同族だぞ」
軽く言ったつもりだったが、民部大輔の目に遊びはなかった。
「いや、時折二人してお前をじっと見ている。油断しすぎだ」
その強い言葉に、筑前守は肩を落とした。
六郎を阿波から連れ出したのは筑前守である。兵を付けて畿内へ入り、それからの采配も兵糧の手配もして来た。
六郎が十を少し越えたころからだった。元服後に少しは反感を覚えるのは致し方ない。武家の当主とはそう言う物である。
だが、六郎一人ならまだしも、三好神五郎政長まで同じようにこちらを見ている。
そのことの方が気になった。
民部大輔が欄干へ身体を預けた。そして、腕を掻きながら、顎をしゃくった。
「して、どうする。米と銭の湧きだす壺。荒神を怒らせてまで砕くか」
筑前守も腕を組んだ。悩ましい問題であった。
確かに和睦は退けられた。だが、かと言ってこのまま戦えば、道永方には今川から米と銭が入る。そうなれば今までの戦の繰り返しである。いつかはその粘り腰で押し切られるだろう。
ならば、今川を止めるべきである。しかし今川そのものを敵に回すのは、もっと悪かった。
治部太夫は、戦が強い。兵が強いとか、戦術が優れているとか、そういうわかりやすい強さではない。強いて言えば、毒がある。
運よく討ち取れたとしても、その毒が総身に回り、阿波方は身動きが取れなくなる。そんな予感がある。
相手をするのが損なのだ。
だが、その考えをもってしても、
「限られるが手はある」




