第97話 検分の作法
翌朝、机の上に、一枚の紙が置かれた。
真新しい紙だった。この庫にあるどの記録よりも白く、どの紙よりも上等だった。罫が引かれ、欄が七つ、縦に並んでいる。
いちばん上に、罪状。
その下に、被告発者。証言者。日付。場所。事実。処断。
その順番を、しばらく眺めていた。
「では、始めましょう」
レンツは、椅子に浅く腰かけ、墨を磨っていた。手つきが慣れている。彼は、この紙を何百枚と埋めてきたのだろう。
「まず、罪状から」
「調べる前に、ですか」
「調べる前に、です」
彼は顔を上げなかった。
「罪状の見当がつかぬまま検分に入れば、何を見ればよいか分かりません。無駄が出ます。先に立てて、当たらなければ消す。それだけのことです」
合理だった。
恐ろしいほど、合理だった。
私は、王国で様式を作ったときのことを思い出した。あのとき私も、無駄をなくすことばかり考えていた。誰が書いても同じになるように。迷わないように。速くなるように。
――速さは、どちらの側にも味方する。
「では、伺います」
レンツが、筆を執った。
「国家記録の窃取。あるいは、外国官吏による越権閲覧。いずれが、より当たっておりますか」
「どちらも当たっていません」
「では、消します」
彼は、消さなかった。
筆先を紙の上で止めたまま、次の欄へ移った。
「被告発者」
自分の名が書かれるのを、待った。
だが、レンツの筆は、私の名を書かなかった。
彼が書いたのは、二文字の名だった。
ヨナ。
この庫の、書記の名。
目を疑った。
「……待ってください」
「はい」
「記録を繰ったのは私です。棚を開けたのも、綴りを畳み直したのも、索引を引いたのも」
「存じております」
レンツは、平らな声のまま言った。
「ですが、あなたは王国裁定院の長です。あなたを欄に入れれば、この紙は検分書ではなく、外交の文書になります。私の職分では、扱えません」
「では、なぜ彼を」
「彼は、帝国の民です」
それだけだった。
それだけで、すべてが済んでしまう国だった。
庫の隅で、ヨナが立ち尽くしていた。
束を抱えたまま、動けずにいる。顔から色が引いていた。彼は、この紙を知っている。この紙の上で、父と母と妹の名が、被告発者の欄に入れられたのだ。
同じ紙が、いま、彼の名を待っている。
「証言者の欄は」と、私は訊いた。
「匿名で構いません」
「日付は」
「本日で」
「事実の欄は」
「これから、埋めます」
レンツは、ようやく私を見た。
「視察官どの。私は、あなたを害しに来たのではありません。私は、書きに来た。書けるものを書き、書けぬものは書かずに帰る。それが検分です」
「彼を書けば、あなたは帰れる」
「はい」
「私は、書けない相手だから」
「はい」
机の上の白い紙を見た。
七つの欄。上から順に。
この様式は、人を裁くためのものではない。手が届く者を選ぶためのものだ。届かない者は避けて通り、届く者の名を書く。そうやって、三十年、この国の紙は正確に回ってきた。
ヨナが、束を床に置いた。
小さな音がした。
彼は、私を見なかった。ただ、まっすぐレンツの前へ歩いていった。
「……俺で、いいです」
声は、震えていなかった。
それが、いちばん堪えた。
「ヨナ」
「あんたが書かれたら、この庫は終わりだ」
彼は、こちらを見ずに言った。
「俺が書かれても、庫は残る。あんたが残る。計算は、それで合ってる」
合っていない。
合っているように見えるだけだ。
合っているように見せるために、この様式は作られている。
深く息を吸った。
埃の匂いが、肺に入る。二月のあいだ、毎朝吸ってきた匂いだ。
そして、机に手を置いた。
「レンツどの」
「はい」
「その紙、私にも一枚いただけますか」
レンツが、初めて、はっきりと怪訝な顔をした。
「……何に、お使いになります」
「埋めます」
私は、白い紙を一枚、自分の前に引き寄せた。
「あなたの様式で。上から順に、正しく」
様式が「裁く相手」ではなく「手の届く相手」を選ぶ、という話でした。
リリアーナは反論しません。反論は、この紙の上に欄がないからです。




