第93話 密告の作法
同じ手つきが、そこにあった。
オルデン辺境区の記録庫。私は、密告裁定の束を、机の上に幾つも並べていた。年も、区も、罪状もばらばらの、無関係な断罪の記録たち。
それを、一枚ずつ、隣に置いていく。
――読むためではない。見比べるために。
文の中身は、どれも違う。盗み。不敬。禁じられた集まり。名も、日付も、違う。
だが、しばらく並べているうちに、私の指が、勝手に止まった。
骨が、同じだった。
証言者の欄。日付の欄。罪状を書く一行。断罪を告げる、最後の一句。
置かれる順も、言葉の選び方も、余白の取り方も――百枚が、まるで一人の手で書かれたように、揃っている。
実際には、百人の書記が、別々の町で書いたはずの記録だ。
なのに、揃っている。
私は、静かに息を吸った。
これは、様式だ。
誰かが、断罪の「書き方」を、あらかじめ決めた。ここに証言者、ここに日付、ここに罪。順に埋めれば、審査を通らずとも一つの断罪が仕上がる。空欄を満たす作業として。
だから、速い。だから、迷わない。だから――誰も、責めを負わない。
様式が、断罪しているのだ。人ではなく。
私は、この型を設計した人間の顔を、知らない。ただ、噂に聞いた名が、埃の奥でかすかに疼いた。記録卿ザカリアス。帝都で、記録を握る男。
――手つきが、似ていた。
私が、王国で様式を作ったときの手つきに。
埋めれば整う。誰が書いても同じになる。属人を消す。
同じ思想が、まるきり逆の目的で、ここに立っている。
背筋が、うっすらと冷えた。
その日、区の女が、配給の列で捕まった。
隣家の男が、先に密告したのだという。
「あの家は、集会に出ていた」と。
真偽を、私は知らない。だが、噂の運ばれ方が、すべてを語っていた。
――先に言った者が、助かる。
誰かが集会に出たと知れば、黙っていた者も同罪にされる。ならば、隣人より早く密告するしかない。疑う前に、告げる。親しいほど、早く告げる。
それが、この国の隣人づきあいの作法だった。
密告は、悪意ではない。多くは、恐怖だ。
告げなければ、次は自分が告げられる。そうやって、誰もが誰かを見張っている。壁の薄い家々が、互いの物音に、耳を澄ませて眠る。
様式は、紙の上だけにあるのではない。人の心の畳み方まで、とうに決めていた。
私は、並べた百枚を、もう一度見た。
そして、気づいた。
――この型には、綻びがある。
まだ、正体はつかめない。だが、証言者の欄と、日付の欄。その二つの決まりごとが、ある条件のもとで、噛み合わなくなる。誰かを断罪するために作られた順序が、その順序どおりに埋めていくと、いつか、断罪した側の足元を崩す。
完璧に整った様式ほど、自分に厳密であることを、みずからに強いる。
これは、いつか、自分自身を否定する。
予感だけが、指先に残った。今日は、それでいい。
夕刻、ヨナが、一つの束を抱えて、私の机の前に立った。
紐の古い、小さな束。彼は、それをしばらく胸に抱えたまま、言葉を探していた。
「これ……俺の家の、残りだ」
声が、硬い。
「税の控えと、人別の写し。潰される前の。俺が、隠して持ってた。……ずっと」
彼は、束を、私の机にそっと置いた。押しつけるのでも、投げ出すのでもなく。手渡す、という手つきで。
「あんたなら、正しく綴じられるんだろ」
私は、その束に、すぐには触れなかった。
――これは、彼が世界に残した、たった一つの家族だ。
「預かる」と、私は言った。「一枚も、失わない」
ヨナは、頷かなかった。ただ、長く、私を見ていた。
それから、ぽつりと、こぼした。
「あんたは、本気で……これを変えられると思ってるのか」
拒絶では、なかった。
初めて、彼のほうから、私の側へ踏み出した――問いだった。
様式(構造)と、隣人(感情)。両輪が、静かに回り始めます。
ヨナの「変えられると思ってるのか」は、まだ答えを出しません。




