第72話 北方裁定
北方領。
冷たい風が吹き抜けるその地は、王都とはまるで別の国のようだった。
空気が荒い。
人の目が鋭い。
そして。
怒りが近い。
「裁け!」
「今すぐ断罪しろ!」
村の広場で、男が縛られていた。
血まみれ。
村人たちに殴られたのだろう。
私は一歩前に出る。
「暫定裁定を行います」
一瞬。
静まり返る。
だが次の瞬間、怒号が飛んだ。
「そんなものは知らん!」
「北方では断罪だ!」
マルクが前に出る。
「静まれ」
低い声。
だが群衆は止まらない。
ここは王都ではない。
権威も、制度も。
まだ届いていない。
私は言う。
「罪状を確認します」
縛られた男を見る。
「名前は」
男は震えていた。
「……ロルフ」
「何をした」
沈黙。
周囲が叫ぶ。
「盗みだ!」
「食料を奪った!」
私は男を見る。
「本当ですか」
男はうつむいたまま、小さく言った。
「……はい」
私は続ける。
「理由は」
沈黙。
長い沈黙のあと。
「……家族が、飢えていた」
空気が揺れる。
村人の一人が怒鳴る。
「だからって許されるか!」
私は頷く。
「許されません」
その一言で、場が少しだけ静まる。
「ですが」
私は続ける。
「裁くのは制度です」
男を見る。
「暫定裁定」
紙を取り出す。
「窃盗罪」
「拘束」
「公開審査を後日実施」
ざわめき。
「軽すぎる!」
「断罪しろ!」
そのとき。
別の声が響いた。
「そこまでだ」
全員が振り向く。
馬に乗った男。
重厚な外套。
鋭い眼。
北方侯グレイウッドだった。
彼はゆっくりと降りる。
群衆が自然と道を開ける。
それだけで分かる。
この地の支配者。
彼は私を見る。
「王都の制度監督官か」
「はい」
短く答える。
彼は縛られた男を見る。
「盗みか」
「はい」
沈黙。
そして言う。
「北方では断罪だ」
空気が張り詰める。
私は言う。
「王国では違います」
彼の目が細くなる。
「ここは王都ではない」
「王国です」
沈黙。
緊張が走る。
マルクが一歩前に出る。
だが私は手で制した。
グレイウッドはしばらく私を見ていた。
そして小さく言う。
「……続けろ」
私は頷く。
「公開審査を行います」
「三日後」
ざわめき。
村人が叫ぶ。
「逃げるぞ!」
「証拠が消える!」
私は首を振る。
「逃げません」
男を見る。
「逃げますか」
男は首を振る。
「……逃げません」
私は頷く。
「記録します」
ルーカスがすぐに動く。
紙に記録を残す。
そのときだった。
遠くから騒ぎが聞こえる。
「火だ!」
誰かが叫ぶ。
全員が振り向く。
村の端。
煙が上がっている。
そして。
「役人を殺したぞ!」
その一言で、空気が変わった。
凍る。
マルクが剣に手をかける。
「誰が」
村人が叫ぶ。
「裁定官だ!」
沈黙。
制度役人が殺された。
それは。
ただの事件ではない。
私は静かに言う。
「……おかしい」
グレイウッドがこちらを見る。
「何がだ」
「偶然にしては」
私は煙を見る。
「出来すぎています」
ルーカスが小さく言う。
「同時多発」
私は頷く。
「誰かが煽っています」
マルクが低く言う。
「暴動を起こすために」
沈黙。
グレイウッドが笑った。
「ようやく見えたか」
私は彼を見る。
「知っていたのですか」
「予想だ」
彼は言う。
「地方の混乱は、自然には起きない」
そして。
私に向けて言った。
「王都だ」
空気が止まる。
「お前の敵は」
低い声。
「ここではない」
私は息を吸う。
そして吐く。
視線を上げる。
煙の向こうではなく。
王都の方向へ。
制度は、地方で試される。
だが。
本当の戦場は。
最初から決まっていた。
王都だ。
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