第34話 選ばないという選択
王太子が帰った翌日、修道領はいつも通りだった。
人は動き、帳簿は埋まり、風は静かに吹く。
何も変わっていない。
けれど、私の中では、昨日の言葉がまだ残っていた。
『俺が回らない』
それは、責任ではない。
告白でもない。
ただの事実の提示。
私は、倉庫の奥で記録を整理しながら、ゆっくりと息を吐く。
選んだ。
揺れた。
それでも、戻らなかった。
その確認は、思っていたより重い。
「顔が、固いな」
低い声が、背後から落ちる。
振り向かなくても分かる。
「考え事です」
「王太子のことか」
遠慮はない。
「……はい」
隠す必要もない。
マルクは、棚に寄りかかる。
「戻るつもりは」
「ありません」
「迷いは」
「あります」
沈黙。
私は、帳簿を閉じる。
「殿下は、間違えました」
「そうだな」
「でも、悪人ではありません」
「知ってる」
短いやり取り。
「だから、迷うんです」
私は、正直に言う。
「もし、あのとき違う選択をしていたら、と」
マルクは、数秒黙ったまま、やがて口を開く。
「もし、はない」
淡々とした声。
「今があるだけだ」
私は、視線を上げる。
「冷たいですね」
「現実だ」
それ以上でも、それ以下でもない。
「……それでも」
私は、ゆっくりと言葉を探す。
「選ばないという選択も、あります」
マルクの眉が、わずかに動く。
「どういう意味だ」
「殿下を選ばないこと」
「でも、敵にもならないこと」
過去を断罪しない。
未来を奪わない。
ただ、交わらない。
「それでいいのか」
問いは、鋭い。
「はい」
私は、はっきりと答える。
「私は、もう誰かの物語の中心には戻りません」
王太子の物語でもない。
王国の物語でもない。
私の物語は、ここにある。
マルクは、しばらく私を見つめ、それから視線を逸らす。
「……なら、次は何を選ぶ」
それは、昨日とは違う問いだ。
“戻るかどうか”ではない。
“誰といるか”。
私は、少しだけ言葉に詰まる。
「まだ、決めていません」
「そうか」
マルクは、それ以上追及しない。
「急がなくていい」
その一言が、胸に落ちる。
急がなくていい。
今までの私は、常に急かされていた。
王国のために。
役割のために。
今は、違う。
夕方、外に出ると、空が薄く色づいている。
私は、修道領を見渡す。
戻らない。
敵にもならない。
選ばないという選択。
それは、逃げではない。
自分の時間を、自分に返すということだ。
隣に、気配がある。
マルクだ。
言葉はない。
距離も変わらない。
それでも、不思議と安心する。
選ばないという選択の先に、
いつか選ぶ日が来るとしても。
それは、奪われる日ではない。
私が決める日だ。
そう思えたことが、
何よりも大きな前進だった。
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