第123話 私は、何を持ってきたのか
帰り道は、暮れていた。
半日の道を、私は、ゆっくり歩いた。急ぐ理由がなかった。庫には、誰もいない。
考えていたのは、王国のことだった。
王国で何を作ったか。
記録の保存義務。五十年分。
公開審査。断罪の前に、人前で言い分を聞く場。
暫定裁定。結論を出す前の、仮の扱い。
記録閲覧の権利。自分に関わる記録を、誰でも引ける。
制度監督官。それを見張る役。
五つ。
指を折って数えた。
この国に、私が持ってきたのは、どれか。
索引だ。
配給の突き合わせと、村ごとの畳み方と、名で引ける索引。
それだけだ。
足を止めた。
道の真ん中で、白い息を吐いた。
――道具だけを、持ってきた。
王国の五つは、束になって働いていた。
記録を残す。残した記録を、本人が引ける。引いた記録を持って、公開の場で言い分を言える。言い分が済むまで、結論は仮のままにされる。それを見張る役がいる。
五つが噛み合って、初めて、記録は人を守る。
この国には、そのうちの一つしか、ない。
残す仕組みは、ある。三十年分の密告帳。あれは、立派な保存だ。
だが、本人が引けない。
公開の場がない。
仮の扱いがない。告発が来たら、三日で決まる。
見張る役がいない。
――一つだけ持ってきて、それが働くと思っていた。
私は、雪の上に、しゃがみ込んだ。
膝が、冷たかった。
記録は、それ自体で人を守る道具ではない。
記録を守りに変えるのは、その周りにある四つのほうだ。本人が引けること。言い分が言えること。結論が待てること。見張る者がいること。
その四つを、王国では当たり前だと思っていた。
当たり前になるまでに、六年かかったのに。
議会で三度否決され、四度目に通した。北方領に届くまで、さらに一年かかった。エドワルド殿下が制度を通し、マルクが治安を押さえ、ミレイアが裁定官になり、ルーカスが記録を守った。
一人で、作ったのではない。
自分がしたことを、いつの間にか、私一人の手柄のように覚えていた。
だから、私一人で、持って来られると思った。
鞄に入れて。
国境を越えて。
立ち上がると、膝が濡れていた。
私は、また歩き出した。
――では。
どうすればよかったのか。
索引を作らなければよかったのか。
違う。
索引がなければ、麦は届かなかった。三人が、死んでいた。
作るべきだったが、それだけでは足りなかった。
足りない、と気づかないまま、二月が過ぎた。
気づかなかった理由も、私には分かっていた。
速いからだ。
索引は、すぐに効く。作った翌週には、麦が動く。人が礼を言う。
残りの四つは、遅い。
公開の場を作るのに、何年かかるか。見張る役を置くのに、誰の許しが要るか。それは、この国の宮廷を動かす話だ。私一人では、できない。
できないものは、後回しになる。
できるものだけを、私は、やった。
やりやすいことだけを。
その言葉が、いちばん、こたえた。
この国を助けに来たのではなかったのかもしれない。
私にできることを、したかっただけかもしれない。
庫に着いたのは、夜だった。
灯を点けた。
棚が、見えた。整った一角。私の作った、美しい形。
私は、それを見て、初めて、はっきりと思った。
――押しつけた。
助けたのではない。
配給が届いたのは、事実だ。三人が生きたのも、事実だ。
だが、私は、この土地に「こうすればよくなる」を持ってきて、置いていった。
置いていったものが、どう使われるかを、決めるのは私ではない。
当たり前だ。
当たり前のことを、私は、六年、忘れていた。
王国では、私が最後まで見ていられたから。
机の上に、白い紙が一枚、置いたままだった。
三日前に出して、書けなかった紙だ。
そこに、初めて一行を書いた。
『索引は、誰のものか』
それだけを書いて、筆を置いた。
制度は、五つで一組でした。ひとつだけ持ってきても働きません。
「やりやすいことだけをやった」という一行を書くのが、この章でいちばんつらかったです。




