第121話 西村の寄合
西村へ行くことにしたのは、テオの家に用があったからだ。
労役に出た者の家には、その分の配給が減る。減ったまま放っておかれると、残された家族が冬を越せない。役場の綴りには、そこまでの手当ての決まりがなかった。
私は、その一行を作りに行った。
仕事が、欲しかったのだと思う。
考えなくて済む仕事が。
西村は、オルデンから半日だった。
二十軒ほどの、小さな村だった。家が、身を寄せるように固まっている。この土地の家は、隣と壁を接して建てる。冬に暖かいからだが、そのぶん、物音が筒抜けになる。
テオの母は、痩せた小さな人だった。
配給の話をすると、彼女は、何度も頭を下げた。
礼は、言わなかった。
用が済んで、外に出ると、村の広場に人が集まっていた。
十人ほど。輪になっている。
真ん中に、二人の男が立っていた。向かい合っている。片方が、何かを言い、もう片方が首を振っている。
言い争いだ。
だが、声が、大きくない。
この土地では、当たり前のことだった。
輪の端に、老女が一人、腰を下ろしていた。
七十近いだろうか。小さく、干からびていて、動かない。目だけが、二人の男を追っていた。
その両脇に、五十くらいの男が二人。同じように座っている。
少し離れたところで、足を止めた。
二人の男は、長く話した。半刻ほどだったと思う。畑の境の話だった。杭を打った、打っていない、去年の水はどちらへ流れた。
誰も、紙を出さなかった。
証文も、図面も、出てこない。
全部、口だった。
やがて、老女が、片手を上げた。
それだけで、二人が黙った。
彼女は、少しのあいだ何も言わなかった。
それから、低い声で、短く何かを言った。私のいる場所からは、聞き取れなかった。
二人の男が、頷いた。
片方が、もう片方に頭を下げた。下げられたほうも、下げ返した。
輪が、ほどけた。
それで、終わりだった。
その場に立っていた。
記録が、なかった。
何一つ。
誰が何を主張したかも、何が決まったかも、どこにも残らない。
明日、片方が約束を破ったら、証明する術がない。
なのに、二人とも、納得した顔をして帰っていった。
老女が、こちらを見た。
私は、頭を下げた。
「オルデンの、視察官のエルフェルトと申します」
「知っておる」
彼女は、そう言った。
立ち上がらなかった。
「マレンだ」
「……マレンさま」
「さま、は要らん」
彼女は、手を振った。
「あんた、見ておったな」
「はい。不躾でした」
「構わん」
マレンは、私を上から下まで見た。
値踏みではない。ただ、目が悪くて、よく見ようとしているだけだった。
「都の女は、あれを見ると、みな同じ顔をする」
「同じ顔」
「なぜ書かん、という顔だ」
口を閉じた。
そのとおりだった。
「書けば、揉めん。書けば、どちらが正しいか、あとで分かる。そう思うのだろう」
「思います」
「思うだろうな」
老女は、頷いた。
「では、訊く」
彼女は、私を見た。
「いま決まったことを、紙に書いたとする。畑の境。誰の言い分が通ったか。誰が折れたか」
「はい」
「その紙は、どこへ行く」
私は、答えようとして、止まった。
役場だ。
役場から、庫へ行く。
庫の記録は、引ける。名の索引で。
――禁じられた集まり。
畑の境で十人が集まった、という記録が、そこに残る。
マレンは、私の顔を見ていた。
「分かったか」
「……はい」
「わしらは、書かん」
彼女は、静かに言った。
「三代前から、書かん。書けば、あれが揉め事の元になる。揉めた家は、目をつけられる。目をつけられた家は、次の冬に、誰かに告げられる」
彼女は、広場の土を、杖の先で軽く突いた。
「書かんことが、この村の壁だ」
私は、その言葉を、飲み込むのに、少し時間がかかった。
書かないことが、守りだった。
私が、二月かけて壊してきたものが、そこにあった。
マレンが、杖を突いて、立ち上がった。
膝が、鳴った。ヴォルクと同じ音だった。
「あんた」
「はい」
老女は、私を見上げた。
目が、濁っていた。だが、まっすぐだった。
「あんたは、わしらの忘れ方を、壊しに来たのか」
「書かないこと」が壁だった村の話です。
リリアーナの制度が正しくても、その正しさが土地の防御を壊すことがある。この章の核はここです。




