第119話 ヨナの背中
両方、数えろ。
私は、そうした。
この二月で、村へ届いた麦の量。飢えを免れたと推せる家の数。取り下げになった告発の件数。写しを渡した人の数。
そして、断罪の件数。処断の内訳。
どちらも、増えていた。
その二つの数字を、同じ紙の上に並べた。並べても、片方がもう片方を打ち消しはしなかった。ただ、二つの数字が、並んでいた。
割り切れない。
記録は、割り切ってくれない。それが記録のいいところで、いちばん残酷なところだ。
その夜、ヨナが、三十年分の写しの束を前にして、手を止めていた。
彼は、この十日、ほとんど写していない。
私は、気づいていて、何も言わなかった。
「視察官どの」
やがて、彼のほうから口を開いた。
「これ、どうする」
束を、指で示す。
「写して、どうする」
「証拠にします」
「誰に見せる」
答えられなかった。
見せる相手が、いない。
宮廷に見せれば、握り潰される。イリスに渡せば、宰相府ごと吹き飛ぶ。ザカリアスに見せる相手はいない。彼が、この記録の作り主だ。
「使う場所が、ないんだろ。使う場所ができるまで、持っておきます」
「持ってるあいだに」
彼は、束を見ていた。
「これ、誰かに使われないか」
私は、顔を上げた。
「あんたの索引と、同じだ」
ヨナの声は、責めていなかった。
怯えていた。
「あんたは、いいものを作る。で、いいものは、誰かが真似する。真似されたら、止められない」
「――」
「この写しも、そうならないか」
庫が、静かになった。
私は、束を見た。
三十年分の五分の一。四千件近い、密告の写し。誰が誰を告げたかが、綺麗に整理されている。
もし、これが誰かの手に渡ったら。
この区の人間の、三十年分の裏切りが、一枚の索引で引けるようになる。
――使える。
いちばん、使える形をしている。
自分の指先が、冷たくなるのを感じた。
また、同じことをしていた。
誰かを守るために整えた記録が、整えたというだけの理由で、いちばん強い武器になる。
「ヨナ」
「ああ」
「あなたの言うとおりです」
私は、認めた。
彼は、少し驚いた顔をした。私が反論すると思っていたのだろう。
「今夜は、写すのをやめましょう」
「……いいのか」
「いいえ。よくありません」
正直に言った。
「よくありませんが、続けるほうが、もっとよくありません。止まる勇気が、私にはありませんでした」
ヨナは、しばらく、私を見ていた。
それから、束を、机の端に寄せた。
彼は、外套を取った。
「帰る」
「ええ」
戸口で、彼は足を止めた。
背を向けたまま、言った。
「あんた、悪くない」
私は、答えなかった。
「悪くないのは、分かってる。役場が勝手に真似したんだ。あんたは、配給を直しただけだ」
彼の肩が、少し上がった。
「分かってるんだけどさ」
声が、掠れた。
「テオが、三年、行った」
机に手を置いた。
「あいつ、俺が去年助けたんだ。あのとき、俺は、初めて、記録で人を助けた。嬉しかった」
ヨナは、こちらを振り返らなかった。
「その同じやり方で、今年、あいつが行った」
彼は、そこで一度、息を吸った。
「俺、なんで喜んだんだろうな」
戸が、開いて、閉じた。
雪の匂いが、少しだけ庫に入って、消えた。
その場に立っていた。
止めるべきだった。
彼の名を呼んで、そうではない、と言うべきだった。あなたは正しいことをした、去年の一件は本当に人を助けた、と。
言えなかった。
言えば、それは、私自身を弁護することになるからだ。
――私は、自分を守るために、この青年を慰めなかった。
その事実だけが、その夜、はっきりと残った。
ヨナが離れます。喧嘩別れではなく、ただ、怖くなって帰るだけです。
リリアーナが慰めなかった理由が、この回のいちばん苦い部分です。




