第115話 私の様式で
オルデンへ帰る十日は、長かった。
ヨナは、道々の村の名を書き続けていた。帳面が、一冊終わった。
私は、ほとんど喋らなかった。
考えていたのは、四十年分の未整理の棚のことだった。考えないようにしても、頭が勝手にどこから手をつけるかを組み立ててしまう。
――病気だ。
自分に呆れながら、私は窓の外の雪を見ていた。
オルデンに着いたのは、夕方だった。
区は、変わっていなかった。低い家並み。煙の匂い。凍った轍。
だが、役場の前を通ったとき、私は少し足を止めた。
人が、いない。
この時刻は、いつも列ができている。断罪の照合を待つ者、告発の受理を待つ者、呼び出しに来た者。役場の前は、いつも詰まっていた。
それが、空いていた。
「……早いな」
ヨナが呟いた。
役場に寄った。
中に入ると、若い役人が顔を上げた。私を見て、彼は、驚くほど嬉しそうな顔をした。
「視察官どの。お戻りで」
「留守中、変わりありませんでしたか」
「ええ、ええ。おかげさまで」
彼は、机の上の綴りを、両手で示した。
「捗っております」
その綴りを見た。
村ごとに畳まれている。年で括られていない。背に、私の書いた三つの索引の記号が振ってある。
――私の様式だ。
「これは」
「視察官どのが、庫でお作りになった引き方です」
役人は、誇らしげだった。
「うちの者が、真似をいたしまして。いや、驚きました。ずいぶん違うものですな」
「何が、違いますか」
「速さです。これまで、告発が一件来ると、その者の前の記録を探すのに半日かかりました。村の綴りを一冊ずつめくって、名を探して。いまは、名の索引を引けば、一刻で出ます」
私は、机の上の綴りから、目を離せなかった。
「今月は、二十七件、片づきました」
誇らしげだった。
「先月は、十八でしたので。おかげさまで」
二十七。
十八。
私は、その二つの数を、頭の中に置いた。
置いた瞬間に、意味が分かった。
片づいた、というのは、書類の話ではない。
断罪の話だ。
今月、この区で、二十七人が断罪された。
先月より、九人多い。
私は、口の中が乾くのを感じた。
「……役人どの」
「はい」
「その二十七件は、どれも、審査を経ていますか」
「もちろんです」
彼は、きっぱりと言った。
「照合が速くなりましたので、前より丁寧に見られるようになりました。以前は、間に合わずに、そのまま通しておりましたが」
丁寧に。
この人は、嘘をついていない。
この人は、真面目に、仕事をしている。
私が作った索引で、より正確に、より速く、より丁寧に、人を断罪している。
役場を出た。
外は、暗くなりかけていた。
ヨナが、隣を歩いていた。
彼も、聞いていた。彼は、何も言わなかった。
庫の前まで来て、私は、扉に手をかけたまま、動けなくなった。
――私は。
この二月、この庫で、何をしていた。
配給を直した。冤罪を一つ止めた。写しを配った。索引を作った。
その索引が、村の外へ出た。
役場が、真似た。
真似られて、断罪が、九人分、速くなった。
止められない。
あれは、私の物ではない。役場が自分で作った綴りだ。返せとは言えない。壊せとも言えない。
――私が、教えたのだ。
誰にも頼まれずに。
よかれと思って。
背後で、ヨナが言った。
「……なあ」
「はい」
「あんたが来る前は」
彼の声は、責めていなかった。
責めていないから、余計に堪えた。
「こんなに、速くなかった」
私は、扉の木目を見ていた。
冷たい鉄の把手を、握ったまま。
庫の中には、写しかけの三十年分がある。
棚には、私が整えた記録が、背表紙をそろえて並んでいる。
小さな火が、灯った。
私は、そう書いたのだ。ひと月前に、この場所で。
――何を、灯した。
第2章はここで終わりです。有能さは、正面からバレました。バレて、そのまま凶器になりました。
次の章は、この作品でいちばん書きたかった谷です。少しつらい話が続きます。




