第34話 出産
駿と亜朱沙が結ばれてから1年半が経った早春の日、亜朱沙は川端市内の産婦人科病院の個室で出産を待っていた。予定日は過ぎていて、夫になった駿も毎日個室を訪れている。
その日は夜中の分娩がないようで静かな病院内だった。うとうとしていた亜朱沙は突然、陣痛に見舞われた。恐らく分娩に繋がる後期陣痛である。
看護師さんに連絡しなくちゃ。ベッドランプだけの薄暗い個室内、痛みで意識が揺らぐ中でナースコールを押した亜朱沙の傍らに、亜朱沙は幻を見た。灰色の髪に白い顔。あの日、布団の傍らで見たあの姿。
あ…、梓? 梓なの?
苦悶の中で何と声を掛ければいいのか判らない。するとその幻は亜朱沙に向かって微笑むと、まるで亜朱沙に抱かれるように近づき、そのまま亜朱沙の中に、すーっと溶け込んだ。
え? あたしの中に入った? え?
「竹内さん! 始まったかな」
そこへ助産師が飛び込んで来た。
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3時間後、亜朱沙は無事に女児を出産した。産後の朦朧とした意識の中で抱っこさせてもらった赤ん坊は無条件に可愛い。
「よく来てくれたね…」
消耗した顔で亜朱沙は赤ん坊に微笑みかける。一連の闘いが今はただ懐かしい。朝になり亜朱沙は昨晩からの出来事を思い返した。暫くしてパパとなった駿がやって来た。
「お疲れー、亜朱沙。よくやったなあ。今見て来たけど、めっちゃ可愛い。俺、あの子の為なら何でも出来るよ」
「うん、まじその通り。でも今は流石にヘロヘロ。死ぬほど痛かった」
「おお、よしよし…」
赤ん坊はまだ新生児室に並んでいて個室には亜朱沙だけだ。
「駿、お願いがあるんだけど」
「うん? プリン買ってこい、とか?」
「あー、それもいいなぁ。じゃなくてね、赤ちゃんの名前、あたしが付けてもいい?」
「え? ああ、まあいいけど。相談しようと思って幾つかは考えて来たんだけど、何かいい名前あるの?」
「あずさ」
「へ? ママと同じ名前?」
「ううん。字が違うの。梓川の『梓』の方」
流石の駿も目を丸くした。どう呼び分けるんだ?
「この子ね、きっと梓の生まれ変わりだと思うの。天から降りて来てくれたのよ」
「んー?」
妻の真顔に駿は唸った。
「昨日の夜中に、梓が来てくれたんだ。実は2回目なんだけど」
「えー? どゆこと?」
「1回目は初めてあたしが梓の中学校を見た日。泊めてもらった綿木先生のお家でね、明け方に梓が会いに来てくれたの。でも微笑むだけで何も言わないで、すーっといなくなったの。2回目が昨日の夜。陣痛が始まった時。梓はまた可愛く微笑んであたしの中に溶け込んだの。今度はちゃんと会いに来てくれたんだと思ったのよ。だから赤ちゃんは梓の生まれ変わり」
「うーん、まじか…」
「いいじゃない。これであたしもすっきりした。梓にいろんなものを返せる。梓をずっと愛して行ける」
笑顔を見せようとした亜朱沙の顔が歪んだ。この十数年が一気にこみ上げた。
夫に縋りつき、声を上げて泣く亜朱沙を、駿は何も言わず抱き締め、背中を擦り続けた。
亜朱沙にとっても、生命を懸けた一区切りだった。
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産婦人科の先生も驚く中、こうして竹内家に授かった赤ん坊は『竹内 梓』と名付けられた。




