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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第二章 六芒獣編☆第一遠征アリーナルムル共和国編
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☆二章☆1-5☆枯れたオアシス

 翌朝

 クローバー家の客室で目を覚ましたノエルは、柔らかな枕から顔を上げた瞬間、窓の外から差し込んでくる強烈な光に目を細めた。


「……朝から本気出しすぎだろ、太陽」


 ミネルヴァ王国の朝日とは明らかに違い、窓硝子越しでも肌にじりじりとした熱が伝わってくる。枕元ではソルとルナが並んで眠っていた──いや、正確には、ノエルの枕を占領していた。


「お前らの枕じゃないんだけど」


 声をかけるとソルがゆっくり目を開けた。


『ノエルの物は妾たちの物』


「横暴な王様みたいなこと言うな」


 続いてルナも目を開け、眠そうにノエルを見上げる。


『ノエルも妾たちの物』


「俺まで所有物にするな」


『違うの?』


「違うよ!」


朝一番からこれである。ノエルが学院へ入学してから、いろいろな意味で強くなった自覚はある。だが、ソルとルナへのツッコミ能力だけは、入学前から相当鍛えられていた気がする。


そんなくだらないやり取りを終えたノエルは、身支度を整え、遠征用の学院制服へ袖を通した。


今日から、正式な調査が始まる。


昨日までのノエルたちは、アリーナルムルへ到着したばかりの学生にすぎなかった。けれど、今日からは違う。ノエルたちは王立アストル魔法学院から派遣された遠征調査隊として、この国で起きている異変と向き合うことになる。


遠征用の制服は、アイビー先生が仕立てた特別製で、軽く通気性に優れているうえ、防水、防炎、物理攻撃、魔法攻撃への耐性まで備えていた。


どう考えても、学生服の性能ではない。


「これ売ったらいくらになるんだろうな」


『売ったら怒られる』

『アイビーは笑顔で針を持って追いかけてくると思う』


 容易に想像できてしまうのが、かえって怖かった。


 ノエルは腰に剣を差し、異空小袋を肩に掛け、胸元の鏡晶石を確認する。これで準備は整った。 






          ☆





 朝食を終えると、ノエルたちは昨日と同じ応接室へ集められた。

 ただし昨日と違い、机の上にはアリーナルムル共和国の詳細な地図が何枚も広げられている。


「まず、現在確認されている被害について整理しよう」


 フィデルが地図の上へ三つの赤い駒を置いた。


「まずは、この三か所だ」


 ノエルは身を乗り出す。

 いずれも首都から離れてはいるが、主要交易路上に存在するオアシスだった。


「昔からクローバー商会の隊商も使っている場所になる。正確には、この三つ以外にも水量が著しく減っているオアシスは存在している」


「三つ以上……こんな短期間で?」


 フィンは、昨日までの明るさが嘘のように消えた表情で、地図を見つめていた。


「ああ。最初の一つが異常を起こしたのがおよそ四か月前。その後、二つ目、三つ目と立て続けに干上がった。…その影響で、現在この一帯に生息していた魔物が北上している」


 フィデルの指が地図の上を滑り、新たに置かれた黒い駒が、首都周辺や農村、交易路など、人の暮らす地域へ近づいていることを示した。


「昨日シャスール君が話していた通りだろう。生き物である以上、水を失えば移動する。ただ、それだけならまだ理解できる」


「別の問題もあるんですね」


 アイリスの問いに、フィデルさんは無言で三つの小さな駒を地図へ置いた。


「交易隊が三隊、消えている」


「……消えた?」


 アルベルトが眉を寄せる。


「全滅じゃなくて?」


「分からない」


 フィデルは首を横に振った。


「死体も、荷車も、荷物も見つかっていない。文字通り消えた。幸い今のところクローバー商会関係者の被害は確認されていないが、共和国政府は一部の主要交易路を封鎖した」


「隊商ごと痕跡なし、か」


 コンラッドが顎へ手を当てる。


「魔物に襲われたとしても不自然だね。大型魔物だったとしても、車輪跡や血痕くらいは残る」


 シャスールが地図を覗き込んでいた。


「だけど…砂嵐なら消える」


「うん。それも考えられている」


 フィデルさんが答えた。


「そして、その砂嵐について妙な証言も出ている」


「妙な証言?」


 ノエルが首を傾げた。


「正体不明の咆哮だ。砂嵐の中から聞こえてきた、と証言した隊商が複数存在する」


「砂嵐から…確か学院でもその話が上がっていたはず…」


「大型魔物の声に聞こえたという者もいれば、地鳴りだったという者もいる。あまりに音が低く、身体の内側まで震えたと証言する者もいた」


「それは同じ地域?」


 シャスールが聞く。


「ほぼ同じだ」


 フィデルは枯れたオアシス三か所の中央辺りを指し、ノエルは無意識に胸元の鏡晶石へ触れた。


「三号機」

《呼称確認。三号機、稼働中》


「この位置と、オアシスの異常。何か規則性ある?」


《現時点の情報量では確定不能。……ただし、異常発生地点は無作為に散在しているとは判断し難い》


「やっぱり何かあるのか」


《追加調査を推奨》


「意見が一致したね。まず一番近いオアシスへ行こうか。机の上で考えてても始まらない」


 コンラッドはそう言って、椅子から立ち上がった。

 地図に注がれていた全員の視線が、一斉にコンラッドへ集まり、応接室に漂っていた重苦しい空気が、コンラッドの動きに合わせるようにわずかに揺らいだ。


 その表情からは、先ほどまでの柔らかさが消え、わずかな厳しさが滲んでいる。


「それと、今日は観光じゃない。現地には魔物がいる可能性もある。学院での訓練通り、常に周囲を見ること」


「分かってる」


 ノエルは返事をしながら、昨日の自分の行動を思い出す。市場で見つけた小さな子どもに気を取られ、みんなから離れて一人で走り出した。あの時はただその時の感情に任せていただけだったが、砂漠の中で同じことをすれば、迷子になるだけでは済まないかもしれない。


「いい返事だね、ノエルくん」


「昨日急に走り出してみんなから逸れた俺が言っても説得力ないかもしれないけど…」


 自分で口にしてから、少しだけ気まずくなった。

 応接室の中に、ほんの一瞬だけ沈黙が落ちる。


「自覚あるんだ」


「あるよ!」


 シャスールの言葉に思わず声を張ると、フィンが吹き出した。

 肩を揺らして笑うフィンにつられるように、アイリスの口元もわずかに緩み、アルベルトは呆れたように息を吐く。シャスールは相変わらず無表情だったが、金色の瞳だけが少し楽しそうに細められていた。


 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。






         ☆





  クローバー家が用意してくれた小型飛行船は、学院まで乗ってきた大型船とは異なり、十数人ほどが乗れる程度の大きさだった。砂漠の上空を低く飛ぶ調査用に造られているらしく、横幅の広い船体は安定性にも優れている。内部は客室というより、操縦室と観測室を兼ねたような造りになっていた。


 飛行船は首都から数十キロ離れた地点へ、三十分もかからず到着した。


 フィンが窓の外へ目を向ける。眼下の光景を見た瞬間、その表情からゆっくりと笑顔が消えていった。


「……あそこだ」


 窓の外に、大きな窪地が見えてきた。かつては湖だったのだろう。飛行船が下降するにつれて、その光景がはっきりと浮かび上がる。干上がった湖底、黒く変色した土、枯れ果てた木々。そして、倒れたまま動かない魔物。


昨日まで見てきた、明るく活気に満ちた砂漠とは、まるで別の場所だった。


 飛行船から降りると、遠征制服のおかげで暑さはかなり軽減されているはずなのに、それでも肌に突き刺さるような熱気を感じた。


 コンラッドが先を歩く。


「足元に気をつけて。地盤が脆くなってる可能性がある」


 ノエルたちはコンラッドに返事をしながら、枯れたオアシスへ足を踏み入れた。近くで見ると、その惨状は想像以上だった。


 乾いた湖底には無数の亀裂が走り、本来なら水辺に生えていたはずの植物は茶色く萎れている。幹だけを残した小さな樹木があちこちに立ち尽くし、砂に半分埋もれた魚の骨や、水を求めてここまで来たのだろう小型魔物の死骸も見つかった。


 フィンはしばらく黙って周囲を見渡したあと、ゆっくりとしゃがみ込み、地面へ手を触れる。


「ここ……昔、父さんの隊商について来たことがあるんだ」


 フィンは乾ききった湖底を見渡しながら、遠い記憶をたどるように目を細めた。


「あそこには屋台があって、隊商が休むたびに、いつも人で賑わってた。父さんが商談をしている間、俺は姉さんや妹弟たちと一緒に走り回ってさ。母さんたちが買ってくれた甘い菓子を食べながら、夜になるまでここで遊んでた」


 フィンの視線の先には、崩れかけた石柱が一本残っているだけだった。


「水も、たくさんあったんだ。湖の周りには魚もいたし、夜になると光る虫も飛んでた。父さんは、ここを通るたびに“このオアシスがあるから、隊商は砂漠を越えられるんだ”って言ってた」


 明るい思い出を語っているはずなのに、フィンの声は少しずつ沈んでいく。


「……なのに、今はこんなになってる」


 乾いた風が吹き抜け、湖底の砂をさらっていく。

 かつて人々の笑い声や、隊商の荷車が行き交っていた場所には、ひび割れた大地と枯れた植物、そして動かなくなった魔物の死骸しか残っていない。


  ノエルはフィンの言葉を聞きながら、目の前に広がる光景を見つめていた。


 フィンにとって、ここは単なる調査地点ではない。父親の背中を追いかけた幼い日の記憶や、家族と過ごした時間が刻まれた、故郷の一部なのだ。


 それなのに今は、何かに生命力を吸い尽くされたかのように、静まり返っている。目の前の荒れ果てた光景は、彼の過去まで踏みにじるように映っているのだろう。


 ノエルは無意識に、ルーベ村の景色を思い浮かべた。母さんと歩いた道、リーナが駆け回っていた村の広場、父さんの鍛冶屋……もし、いつかあの場所が枯れ果て、誰も笑わなくなったら…胸に残る風景が、こんなふうに失われてしまったら。


 そう考えただけで、胸の奥が締めつけられた。


「……原因、見つけよう!ここを、元に戻すために」


「そうだな」


 フィンのその声には、いつもの明るさはなかったけれど、失われたものを取り戻したいという意志だけは、はっきりと宿っていた。


「まず水源ですね。これは……気候だけの問題ではありませんね」


 アイリスは湖底へ歩み寄り、しゃがみ込んで乾いた土を指先ですくうと、土は、砂のようにさらさらと崩れ落ちていった。


「分かるのか?」


「当然ですわ」


 アイリスはノエルへ土を見せる。


「湖底が乾燥しただけなら、もう少し粘土質が残るはずです。これは水分だけでなく、含まれていた魔力まで抜かれているように見えます」


「魔力まで?」


「植物も同じだな」


 アルベルトが枯れた木へ手を触れる。


「普通、植物が枯れても多少の魔力残滓は残る。でもほとんど感じない」


  俺も意識を集中させた。学院で訓練を積んだおかげか、以前よりも周囲を流れる魔力をはっきり感じ取れるようになっている。


 だからこそ、すぐに異変へ気づいた。


 砂漠だから魔力が薄いわけではない。周囲には確かに魔力が満ちている。それなのに、かつてオアシスだったこの場所だけが、何かを根こそぎ奪われたかのように、妙に空っぽだった。


「抜かれた……?」


 ノエルがそう呟いた、その時だった。少し離れた場所で、シャスールが突然立ち止まる。


「シャスール?」


「静かに」


シャスールの声色が変わり、ノエルたちは口を閉ざした。彼は膝をついて地面に片手を当てる。金色の瞳に浮かぶ魔法陣のような模様が、かすかに輝いた。


「どうした?」


フィンが小声で尋ねると、シャスールは地面を見つめたまま、「下から何か蠢いてる」と答えたその瞬間、コンラッドの表情が変わった。

 

「全員離れて!」


 ノエルたちは一斉に後方へ跳んだ。


 直後、ズズズズズズズ……! と足元が鳴り、砂が大きく震える。干上がった湖底の中央では亀裂が一気に広がり、ギチ、ギチギチギチと、硬い物同士を無理やり擦り合わせたような耳障りな音が響いた。


 そして次の瞬間、地底のさらに深い場所から響いてくるような、重く低い咆哮が轟いた。


『ギュルル、ルシャァァァァァ!』


 砂が爆ぜた。


巨大な影が地中から跳ね上がり、太い触腕が一本、また一本と砂を突き破る。三本目、四本目──次々と姿を現すそれらは、地表を這い回りながら周囲の砂を激しく巻き上げていった。


ノエルは息を呑み、目を見開いた。


「砂ダコ……!?」


 フィンの言葉に、昨日食べたたこ焼きを思い出す。


「え、砂ダコってこんな生き物だったのか!?」


 砂ダコの大きさは、二、三メートル程度だと昨日聞いていた。だが、目の前に現れた個体は、どう見ても八メートル近くある。頭部だけでも小屋ほどの大きさで、全身を覆う外皮は茶褐色。

 砂へ潜るため硬質化した触腕は、先端が地面を削るたび、ギチギチと不快な音を響かせていた。


《警告。対象、一般的な砂ダコの推定成体サイズを二百五十パーセント以上超過》


 二号機の声が鏡晶石から聞こえた。


「見れば分かる!」


《視覚情報の共有に成功したようで何よりです》


「皮肉言ってる場合か!」


『二号機は通常運転』

『いつもの皮肉』


「お前らも落ち着きすぎ!」


 砂ダコの巨大な触腕が持ち上がった。


「散開!」


 コンラッドの声が聞こえた次の瞬間、ドォンという音と共にさっきまでノエルたちが立っていた場所が砕け、砂と石が吹き飛ぶ。


「先生!」


「僕は援護に回る! 今回は君たちで砂ダコ退治をやってみよう!」


「俺たちで!?」


「学院で訓練しただろう?」


 コンラッドは、すでに巨大砂ダコの反対側へ移動していた。その表情には余裕があり、むしろ楽しそうな笑顔さえ浮かんでいる。


 きっと、本当に危険な状況になれば、すぐに止めてくれるはずだ。


 つまり、これは───


「実戦試験ってことかよ!」


「そういうことだね!」


「楽しそうに言うなよ!」


 でも、不思議と怖くはなかった。学院で経験した、砂漠の熱気や水分不足、足場の悪さに苦しめられた地獄のような特訓。魔力操作のための訓練、妨害、そして何より、レオンとの訓練に比べれば、目の前の巨大砂ダコでさえ、まだ対処できる相手に思えた。


「……よし!五人で行くぞ!」

「ええ!」

「当然だ!」

「うん!」

「任せて」



「ギュルルルルァ!」


 砂ダコが咆哮をあげると、三本の触腕が一気に襲ってきた。


「アルベルト!」

「分かってる!《氷壁》!」


アルベルトが右手を振ると、地面から三枚の氷壁が瞬時にせり上がった。以前のような巨大な壁ではなく、触腕の軌道を遮るために必要な厚さだけに抑えられている。


直後、触腕が次々と氷壁へ叩きつけられた。激しい音を響かせながら氷壁は粉砕されていくが、わずかな抵抗が生じたことで、触腕の動きは一瞬だけ止まった。


「今だ!」


  ノエルは地面を蹴り、魔力を全身へ巡らせた。心臓から肩、腕、腰、そして脚へ。特訓で何十日も繰り返してきた、魔力を体内で循環させる訓練だ。


 以前なら、魔力の操作自体が下手で、循環させるにも一苦労だった。だが、今は違う。魔力を循環させることが上手くできる、踏み込める、止まれる、曲がれる。


 ノエルはその勢いを乗せたまま、剣を振り抜いたが、ガキィィン!と金属音が砂漠に鳴り響いた。


 (硬いッ!!)


 刃が弾かれ、手のひらに痺れが走った。触腕表面に浅い傷かできたが、切断まではできない。


「ノエル、右!」


 フィンの声に、考えるより先に身体が動いた。ノエルは後方へ跳び、さっきまで顔があった場所を別の触腕が薙ぎ払っていく。


「助かった!」

「そこの付け根!」


 フィンのヴァイオレットの瞳が、淡い光を宿して揺らめいた。紫水晶の奥で幾重もの色彩が渦を巻き、俺たちにはただの硬い外皮にしか見えない砂ダコの身体を、透かし見るように映し出している。筋肉の動き、神経の走る位置、わずかな魔力の流れ──そのすべてが、彼の視界では鮮やかな色の濃淡となって浮かび上がっていた。


 【天千眼】


 ノエルたちには捉えられない弱点まで、フィンの瞳は正確に見抜いている。


「外皮の隙間! 色が薄いところ!」

「見えない!」

「…俺がやる!」


 フィンが駆ける。


「アルベルト!」

「五秒止める!《凍結》!!」


 アルベルトが触腕へ片手を向けると、氷が一直線に走った。触腕全体ではなく、付け根の関節部分だけを正確に凍らせる。魔力効率を極限まで高めた凍結によって、触腕の動きが一瞬だけ止まった。


「そこ!」


 フィンが懐へ潜り込むと、拳ではなく指の付け根を使った掌底を、わずかな一点へ正確に叩き込んだ。

その瞬間、八メートルにも及ぶ巨体が、びくりと震えた。


「ギュァ!?」


 砂ダコの一本の触腕が力を失う。


「何した!?」

「神経の太い場所を狙った!」

「それタコにも効くの!?」

「筋肉あるなら大体いける!」

「すげえけど怖い!」


 訓練前のフィンは、敵の弱点を見抜くことはできても、自ら懐へ飛び込んで攻撃するタイプではなかった。だが、今は違う。弱点を見抜くだけでなく、そこへ向かって踏み込み、正確に攻撃を当てられるようになっていた。


「左、二本来ますわ!」


アイリスが前へ出ると、白銀の髪が翻り、剣身に光が集まった。以前は剣全体をまばゆいほどの魔力で包んでいたが、今は濃密な光が刃の輪郭だけを正確に覆っている。

 

「遅いですわ」


 一閃


白銀の光が視界を横切ったと思った瞬間には、すでに斬撃は終わっていた。空気を裂く轟音が遅れて響き、圧縮された光の刃が触腕の硬い外皮を紙のように断ち切る。切断面から黒い体液が噴き出し、巨大な触腕が地面へ落下した。遅れて大地が激しく揺れ、砂煙が弾ける。


ノエルの目では、アイリスが剣を振り抜いた姿しか捉えられなかった。


「ギュアァァァ!」


「すごっ!」


「当然です」


そう言いながらも、アイリスは迫り来る触腕を紙一重でかわした。白銀の髪が風圧に煽られ、頬をかすめた先端が砂を抉る。彼女はその勢いを殺さず、腰をひねって身体を半回転させた。踏み出した足が砂へ沈むより早く、つま先で地面を弾く。


「見惚れてる場合じゃないよ」


「うおっ!?」


 ノエルの頬すれすれに矢が飛んだ。


「シャスール!?」


「仲間には当てないから大丈夫」


「そういう問題か!?」


 矢はノエルの横を通過し、砂ダコの目へ向かうが、巨大砂ダコが触腕で防ぐ。


「防がれた!」


「それでいい」


 シャスールはもう二本目を番えていた。


「アイリス」

「ええ」


 二本目の矢を防ごうと触腕が顔の前へ集中したことで生まれた死角を突き、アイリスが走り出す。だが、その直後、横合いから砂ダコの別の触腕が迫った。


「ノエル」

「分かってる!」


 ノエルは身体強化を施して横から飛び込み、剣を触腕へ叩きつけた。刃は硬い外皮を切り裂けなかったが、それでも触腕の軌道を逸らすことには成功した。


「行け!」

「ありがとうございます」


 アイリスがノエルの横を駆け抜け、光を纏った刃を振り抜く。鋭い斬撃が、巨大砂ダコの片目を切り裂いた。


「ギュルァァァァァ!」


 咆哮とともに、巨体が激しく暴れた。巻き上げられた砂が砂嵐のように舞い上がり、視界を覆い尽くしていく。


「全員その場で止まって!」


 コンラッド先生の声が砂嵐の中を貫いた。次の瞬間、ノエルたち五人の身体が薄い青白い光で縁取られる。


「幻術?」


「味方だけ見えるようにした!」


「先生便利すぎません!?」


「前!」


 シャスールの声が響いた直後、砂の中から触腕が飛び出し、俺へ一直線に迫ってきた。


「ノエル!」


 アルベルトが叫ぶ。だが、ノエルには見えていた。以前なら恐怖に駆られ、全身の魔力を一気に脚へ流し込んでいたところだ。けれど、今は違う。必要な分だけを左脚へ集中させ、半歩踏み込む。触腕が制服をかすめたが、身をひねってかわした。


続けて右腕へ魔力を集め、剣を振り抜く。狙うのは、先ほどフィンが攻撃した外皮の隙間。全力の斬撃がそこへ食い込み、ザシュッという音とともに、触腕が切断された。


「よし!」


『ノエル、前』

『来る』


「え?」


 砂ダコ本体が、突進してきた。


「うわああああっ!?」


「ノエル!」


 (逃げ…いや間に合わない!だったら───!)


「アルベルト!」

「分かってる!」


 ノエルの前に氷壁が一枚、二枚、三枚と次々に立ち上がる。砂ダコが突進するたび、氷壁は激しい音を立てて砕け散った。しかし、そのたびに勢いは確実に削がれていき、三枚目を砕いたところで、ようやく巨体の速度が落ちた。


そして───

 

「シャスール!」

「待ってた」


  矢が一本、また一本と飛ぶ。いや、三本だ。最初の矢は残った目の横を狙い、巨大砂ダコが反射的に顔を逸らす。続く二本目が口元へ迫り、砂ダコがさらに身体を捻った。その瞬間、三本目の矢が放たれる。

 狙いは、最初から別。巨体が動いたことで露出した


「フィン!」

「頭部と胴体の間!」

「アイリス!」

「ええ!」


 二人で同時に走る。


「ノエル、合わせなさい!」

「そっちこそ!」

「誰に言っていますの!」


 アイリスが右へ、ノエルが左へ回り込む。

アイリスは剣に圧縮した光を纏わせ、ノエルは腕へ身体強化の魔力を集中させた。


互いに頷き、同時に斬り込む。


交差した二つの斬撃が、巨大砂ダコの首元を断ち切った。巨体が一瞬だけ硬直し、次いで地響きを立てて倒れる。砂煙が舞い上がり、辺りを覆う。


静寂の中、ノエルは剣を構えたまま、荒い息を吐いた。



「倒した……?」

《生命反応低下。対象の活動停止を確認》


三号機の言葉が響き渡る。


「……勝った」


 フィンが笑った。


「俺たちだけで倒した!」


「正確には先生の幻術補助がありましたけれどね」


 アイリスが剣についた汚れを払う。


「そこはまあ、いいじゃん」


ノエルは呼吸を整えながら、思わず笑みを浮かべた。


 確かに、ノエルたちは強くなっている。

 特訓前のノエルたちなら、今の戦いでも何度も無駄に魔力を使い、足を止め、誰かが強引に決着をつけようとしていたかもしれない。


 けれど、今は違う。


 アルベルトが敵の動きを止め、フィンが弱点を見つけ、シャスールが攻撃を誘導する。そこへアイリスが斬り込み、ノエルが全員の動きを繋いでいく。


 まるで最初から決められていたかのように、自然な連携だった。

 ほんの少しの変化かもしれないけど、それでもノエルには嬉しかった。


 そんなノエルたちのもとへ、コンラッドが歩いてくる。


「うん。みんな成長してるね!五人とも、ちゃんと訓練したことを使えてたよ」


「やった」


「ただしノエルくん」


「はい?」


「最初の一撃、魔力を右腕へ流しすぎ」


「う」


「次にアイリスさん」


「はい」


「速度を優先しすぎて、一回だけ後ろのフィンくんが射線に入ってた」


「……以後気をつけますわ」


「アルベルトくん」


「はい」


「三枚目の氷壁は厚すぎ。二枚目までで十分減速してた」


「分かりました」


「フィンくん」


「はい!」


「敵の懐へ入りすぎ。急所を見つけられても、退路は考えること」


「はい」


「最後にシャスールくん」


「僕も?」


「君だけ褒めてもらえると思った?」


「少し」


「正直だね」


 コンラッドは苦笑する。


「味方を信頼するようになったのはいい。でもノエルの顔の横一センチに矢を通す必要はない」


「当たらない」


「そういう問題じゃない」


「俺もそう言った!」


 全員の視線がシャスールへ向く。

 本人だけ本気で分からない顔をしていた。


「……まあ、初戦としては合格」


「よっしゃ!」


 ノエルは思わず拳を握ったその瞬間だった。


『ノエル、離れた方がいい』

『アレは良くないモノ』


「先生!」


 コンラッドも、すでに異変に気づいていた。倒れた巨大砂ダコの切断面からは、本来なら血や、砂ダコ特有の黒い墨のような体液が流れ出るはずだった。


 しかし、そこから現れたのは煙のようでいて煙ではなく、液体にも見える黒紫色の何かだった。触れずとも吐き気を覚えそうな、濁った魔力が、切断面からゆっくりと溢れ出している。


 それは生き物の体内から流れ出るものとは思えない、異質で重苦しい気配を放っていた。 


《警告。高濃度有害魔力反応有、接触を避けることを推奨》


鏡晶石から一号機の声が響くのと同時に、黒い瘴気が砂ダコの全身から溢れ出した。瘴気は巨体を腐食させ、内側から崩していくかのように広がっていく。砂ダコの身体はみるみるうちに崩れ、ぼろぼろと砂へ変わっていった。


フィンが後ずさり、アルベルトが険しい表情を浮かべる中、アイリスは剣を構えたまま警戒を続けている。シャスールも目を細め、その異変を静かに見つめていた。


「生き物の魔力じゃない」


「うん」


 コンラッドは、砂ダコの死骸へ慎重に近づいた。ただし、直接触れることはせず、周囲に薄い魔力膜を展開する。その瞳からは、いつもの柔らかな色が消えていた。警戒を滲ませながら、漂い続ける黒い瘴気をじっと観察する。


「……闇の魔力だ」


 その言葉に、胸の奥が冷たくなった。


「闇……あの時と似ている……」


 ノエルは黒い魔力を見つめた。

 完全に同じものではない。けれど、覚えがある。

 王都へ向かう途中の宿場町で、ニグルムが少女を救うために使った闇魔法。そして、少女の身体に入り込んでいた瘴気。目の前の黒い魔力は、それらとよく似ていた。


 その黒紫色の揺らめきを見ているうちに、別の光景が脳裏へ浮かぶ。


 砂となって消えていった、カティアの姿だ


「ノエル」


 アイリスの声で、意識が戻る。


「……大丈夫」


 俺は息を吐いた。

 今は、考え込んでいる場合じゃない。


「先生。これ、金糸雀挽歌が関係してると思いますか?」


「断定はできない」


  黒い瘴気が砂ダコの身体から溢れ出すと、やがてその巨体は完全に崩れ去った。八メートルもあった身体は、黒ずんだ砂の山だけを残して消えていく。

 それを見つめながら、コンラッドが低い声で言葉を続ける。


「でも、自然発生した魔物から、この濃度の闇属性魔力が出ることはまずない」


「だったら誰かが……意図的に何かをした可能性が高いってことですよね!オアシスを枯らしてる奴と、同じですか?」


 フィンが拳を握る。


「それもまだ分からない。…だから調べる必要がありそうだ」


 ノエルは枯れたオアシスを見つめた。

 魔力まで抜け落ちた大地、大型化した魔物、その体内から溢れ出した闇の魔力、消えた交易隊、これだけの異変を、すべて偶然で片づけるには、あまりにも多すぎる。


「三号機」


《稼働中》


「この場所の魔力情報、全部記録できる?」


《可能》


「頼む」


《了解》


 胸元の鏡晶石から微かな光が広がって周囲を走査する中、シャスールは先ほどと同じように、もう一度地面へ手を当てた。


「まだある」


「何が?」


「地下の魔力、すごく遠い。でも、さっき感じた」


「下に何かあるのか?」


「分からない。でも流れてる感じがする。水じゃなくて、魔力が」


「地下……」


 アイリスが考え込む。


「オアシスは通常、地下水脈から水を供給されていますわ。もし地下で魔力の流れそのものが変化しているのなら、水が消えた原因も地下にあるかもしれないですわ」


「……っ!!俺たちが探してる六芒獣に関係する古代遺跡…アリーナルムルの古い遺跡って、地下に造られてるものがかなり多いんだ!昔の砂漠文明は、地下水脈や地脈を利用してたって話を聞いたことがある」


  フィンがそう言うと、全員の視線が彼へ集まった。


「首都に共和国歴史資料館がある。古代アリーナルムルの記録とか、旧王国時代の資料とか、遺跡の発掘記録も保存されてるはず」


 フィンが枯れた湖を見渡す。


「オアシスと古代遺跡に何か関係があるなら、そこに記録があるかもしれない」


「いい案だね」


 コンラッドが頷く。


「今日はこの周辺をもう少し調べる。そのあと首都へ戻ろう」


「じゃあ明日は歴史資料館ですか?」


「そうしよう」


「分かりました」


 ノエルはもう一度、黒い砂だけを残して消えた巨大砂ダコを見た。風が吹くたび、その身体だった砂は少しずつ砂漠へ溶け込んでいく。まるで、最初からそんな生き物など存在しなかったかのように。


「金糸雀挽歌……」


 無意識に、その名前が口から漏れた。


(カティア……ニグルム……)


 そして、まだ顔も名前も知らない組織の人間たち。カティアは手紙に書いていた。あの組織には、世界を憎むだけの理由を抱えた者たちがいると。だから、救ってほしいと。


 けれど、もし本当にこのオアシスを枯らし、魔物をあんな状態に変え、人々を危険に晒しているのが金糸雀挽歌だというのなら、ただ話を聞くだけでは止まってくれない。


「……まず、止めないとな」


『うん』

『ノエルならできる』


「まだ何が起きてるかも分かってないけどな」


『じゃあ調べればいい』

『知らないなら知ればいい』


「よし」  


 ノエルは顔を上げた。


この砂漠の地下で、一体何が起きているのか。古代遺跡、六芒獣、枯れていくオアシス、そして金糸雀挽歌。まだ、それぞれが一本の線でつながっているわけではない。


 それでも、バラバラに見える出来事が、少しずつ同じ場所へ向かっている。そんな気がした。



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