☆0-3☆鍛冶場
───現在
朝の空気がまだひんやりと残る中、村外れの広場では、乾いた風が草を揺らしていた。そこに立つノエルは、何度も繰り返してきた素振りを終え、最後の一振りを振り抜いた勢いのまま、ゆっくりと木剣を下ろした。
肩で呼吸をしながら、額に浮かんだ汗を腕で拭う。胸の奥がじんわりと熱く、筋肉がじわじわと疲労を訴えている。それでも、その感覚は嫌いではなかった。
三年前と比べれば強くなった。剣も扱えるし、魔力も少しは使える。ソルとルナとの絆も深まった。それでも、自分が憧れた背中は、まだ遥か遠い。
ノエルは空を見上げ、青く澄んだ空の向こうに、かつて見たあの背中を思い浮かべた。圧倒的な強さと、迷いのない立ち姿。その記憶は今も鮮明だった。
「レオン先生、俺のこと覚えてるかな」
ぽつりと呟いた言葉に、肩の上に座っていた小さな存在が反応する。
『覚えていない可能性が高い』
ソルが即答した。
淡々とした声音で、まるで事実を述べるだけのように言い切る。その横で、ルナも静かに頷いた。
『三年前に少し会っただけ』
ルナも続ける。容赦のない現実的な意見に、ノエルは思わず顔をしかめる。
「少しくらい希望を持たせろよ!」
抗議するように声を上げるが、二人の表情は変わらない。
『覚えていなくても問題ない』
ソルが肩の上で腕を組むようにして言う。
『また覚えてもらえばいい』
ルナも穏やかに続けた。その言葉に、ノエルは一瞬きょとんとした後、ふっと力が抜けたように笑った。
「そうだな」
ぽつりと呟きながら、木剣を肩へ担ぐ。その仕草には、先ほどまでの迷いが少しだけ薄れていた。
「今度は助けられるだけじゃない。ちゃんと強くなって、いつか隣で戦えるくらいになってやる」
決意を込めた声が、静かな広場に響く。拳を軽く握りしめ、その未来を思い描く。
『まずは魔力操作』
ソルがすぐに現実へ引き戻すように言った。
「分かってる」
ノエルは苦笑しながら答える。
『次に勉強』
ルナが続ける。
「それも分かってる」
少しだけ顔をしかめながらも、素直に頷く。
『料理は禁止』
ソルが淡々と付け加えた瞬間、ノエルの表情が一変する。
「学院でも自炊するかもしれないだろ!」
思わず声を荒げるノエルに、ルナは首を傾げた。
『学院を滅ぼすつもりか?』
「俺の料理を毒物みたいに言うな!」
思い切りツッコミを入れると、ソルとルナはどこか満足げに小さく頷いた。そんなやり取りをしているうちに、太陽は少しずつ高く昇り、村全体を明るく照らし始めていた。
昼前には戻れと父に言われていたことを思い出したノエルは木剣を腰に差し、村へ向かって歩き出した。土の道を踏みしめながら、見慣れた景色の中を進む。風に揺れる畑の作物や、遠くで鳴く家畜の声が、いつもと変わらない日常を感じさせる。
道中、畑仕事をしている村人たちから声をかけられる。
「ノエル、明日だな!」
鍬を持ったまま手を振る村人に、ノエルも笑顔で応じる。
「ああ!」
短く返事をすると、別の方向からからかうような声が飛んできた。
「王都で女の子と間違えられて、そのまま嫁に行くなよ!」
その言葉に、ノエルは即座に顔をしかめる。
「行かねえよ!」
さらに追い打ちをかけるように、別の村人が笑いながら声を上げる。
「良い男を捕まえろよ!」
周囲からどっと笑いが起きる中、ノエルは思い切り叫んだ。
「俺も男だ!」
笑い声を背中に受けながら、村の中心へ戻る。いつもなら腹が立つからかいも、今日は少しだけ寂しく感じられた。
明日には、この声も遠くなる。そんな思いが胸の奥に広がり、ノエルはほんの少しだけ歩く速度を落とした。
やがて見慣れた家が並ぶ一角へと辿り着く。メレディス家へ戻ると、鍛冶場から規則正しい金属音が響いていた。
熱せられた鉄を叩く、重い音。
幼い頃から聞いてきた父の音だ。その音を聞くだけで、不思議と安心する自分に気づきながら、ノエルは鍛冶場の扉へ手をかけ、ノエルは鍛冶場の扉を開いた。
「父さん、戻ったぞ」
中へ声をかけると、すぐに低い声が返ってくる。
「おう。扉は閉めろよ」
言われた通りに扉を閉めると、外の空気とは違う熱気が一気に身体を包み込んだ。
室内には炉の熱が満ちている。
フォーガスは作業台の前に立っていた。
いつもの革製の前掛けを身につけているが、今日は槌を持っていない。
その代わりに、作業台の上には見慣れないもの、白い布で丁寧に包まれた細長いものが置かれていた。
「それ、何だ?」
疑問をそのまま口にすると、フォーガスはゆっくりと顔を上げる。
「こっちへ来い」
フォーガスの声は、いつになく硬かった。
普段のぶっきらぼうさとはまた少し違う、どこか重みを帯びた声音に、ノエルは自然と背筋を伸ばす。
ノエルは作業台の前へ進み、ソルとルナも肩の上で、布に包まれたものを見つめている。
炉の炎が揺らめき、室内に赤い光を落とす。その中で、フォーガスは大きな手を伸ばし、布の端へ触れた。
「明日、お前は村を出る」
低く、確かめるような声だった。
「ああ」
ノエルも短く答える。その言葉には迷いはない。
「学院には、俺より強い奴も、賢い奴もいくらでもいる。お前が今まで知らなかったものを見ることになる」
フォーガスの言葉は、静かだが重かった。経験から来る確信が、その一言一言に込められている。
「分かってる」
ノエルは頷く。しかし、その返事に対してフォーガスは首を横に振った。
「いや。今はまだ、分かっていない」
フォーガスは真っ直ぐに息子を見る。その視線には、厳しさと同時に、深い想いが宿っていた。
「だから、これを持っていけ」
そう言って、フォーガスは布をゆっくりと解き始める。その下から現れたものを見て、ノエルは息を呑んだ。そこにあったのは、一本の剣だった。磨き上げられた鞘と、手に馴染むよう細かく巻かれた柄。鍔には、太陽と月を思わせる二つの紋様が刻まれている。それは、長い時間をかけて丁寧に作られたことが一目で分かる、完成された一振りだった。
父が、息子だけのために鍛えた剣。
フォーガスはそれを両手で持ち上げ、ノエルへ差し出した。
「ノエル」
炉の炎が、父の瞳を赤く照らした。
その瞳には、言葉にしきれない想いが宿っている。
「これは、お前の剣だ」
差し出された剣の重みが、まだ触れてもいないのに伝わってくるようだった。
どう見ても、店頭に並べるために適当に作られた剣ではない。ノエルは目の前に差し出された剣を見つめる。自分の手の大きさや腕の長さ、剣を構えた時の癖。そのすべてを知る父親が、自分のためだけに鍛えた剣だ。胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、ノエルはゆっくりと息を吐いた。
「俺の……」
思わず漏れた言葉には、驚きと戸惑いが混ざっていた。
ノエルは恐る恐る両手を伸ばす。剣へ触れる瞬間、指先がわずかに震えた。
剣を持ち上げると、掌へ伝わったのは予想よりも軽やかな重みだった。
軽すぎるわけではない。腕に負担をかけず、それでいて振れば確かな刃の重さを感じる。まるで長年使い続けてきた道具のように、自然と手に馴染んだ。指が柄へ吸い付くように収まり、違和感はまったくない。
「抜いてみろ」
父の低い声が、鍛冶場の空気を引き締めた。
ノエルは小さく頷き、柄を握り鍔へ親指を当てる。ゆっくりと刀身を引き抜くと、擦れる金属音が静かに響いた。その音はただの摩擦音ではなく、どこか澄んだ響きを持っている。
刃が鞘から現れるにつれ、炉の光が刀身へ反射した。
「……綺麗だ」
思わず息を呑みながら、ノエルは呟く。
刀身は炉の光を受け、わずかに青みを帯びていた。中央には細い線が複雑な紋様を描きながら走っている。それは植物の蔓にも、血管にも見えた。
剣を傾けるたび、その線の奥で淡い光が揺れる。まるで剣そのものが呼吸しているかのようだった。
右肩に座っていたソルが身を乗り出す。
『魔導金属』
左肩のルナも同じように刀身を覗き込む。
『珍しいものを使っている』
淡々とした声だが、確かな評価が含まれていた。
「分かるのか?」
ノエルは刀身から目を離さずに問いかける。
『少し』
『妾たちは賢い』
誇るでもなく、ただ事実を述べる口調だった。
「お前たちは何百年生きてるかは教えてくれないけどな」
ノエルは肩越しに軽く言い返す。
『秘密』
『女性に年齢を訊く男は嫌われる』
「悪かったな!」
ノエルが言い返すと、フォーガスは小さく鼻を鳴らした。
「そいつらの言う通りだ。刀身には魔力を通しやすい魔導金属を混ぜてある」
鍛冶師としての確信に満ちた声だった。
「高かったんじゃないのか?」
ノエルは現実的な疑問を口にする。
「値段を気にするな」
「気にするだろ。うち、そんなに余裕があるわけじゃないし」
「余計な心配をするな」
フォーガスは腕を組んだまま答えたが、視線はわずかに逸れていた。
ノエルはその癖を知っている。
「父さん」
「何だ」
「これを作るために、何を売った?」
「何も売ってない」
「今、目を逸らした」
「炉を見ただけだ」
「さっきまでずっと見てただろ」
「鍛冶師は炉を見る」
「嘘つけ」
空気がわずかに張り詰める。
『フォーガスは昔の大剣を売った』
ソルが淡々と言った。
「おい」
『冒険者時代に使っていたもの』
『昨日、商人が持っていった』
「お前たち、見てたのか!?」
『屋根の上から』
『隠し事が下手』
ノエルは言葉を失った。
鍛冶場の奥に飾られていた、傷だらけの大剣。幼い頃、触ろうとして叱られた記憶が蘇る。
「なんで売ったんだよ」
「使わん剣を置いていても仕方がない」
「大切なものだっただろ」
「剣は飾るためにあるんじゃない」
炉の火花が舞い、父の横顔を照らす。
「昔の俺が使った剣より、これからのお前が使う剣の方が必要だ。それだけだ」
「でも……」
「親が息子に何かしてやるのに、許可がいるのか?」
「そうじゃないけど」
「なら黙って受け取れ」
ぶっきらぼうだが、拒絶ではない。
ノエルは刀身へ視線を落とした。
「ありがとう、父さん」
「礼は使いこなしてから言え」
「今言ってもいいだろ」
「まだ早い」
「面倒くさいな」
「誰に似たんだか」
「父さんだよ」
フォーガスは鼻を鳴らした。
「それで、この線は何なんだ?」
「魔力を通すための導力路だ」
「どうりょくろ?」
「魔力が流れる道だと思え」
フォーガスはノエルの手を直す。
「お前は魔力を一度に流そうとする癖がある。今朝もそうだったろ」
「見てたのか?」
「遠くから少しな」
『尻餅も見られた』
『蛸の顔も』
「その話はもう終わった!」
「この剣へ魔力を流してみろ。最初から強く込めるな」
「水を流すように……」
ノエルは目を閉じる。
意識を内側へ向け、魔力を細く流すと刀身の紋様に淡い青い光が灯った。
「光った!」
「集中しろ」
「あ、はい」
光は途切れずに先端へ届く。
『魔力が来た』
『さっきより滑らか』
「本当か?」
『少しだけ』
『とても少し』
「そこは普通に褒めてくれていいだろ!」
集中が途切れ、光が消える。
「すごいな、これ」
「剣だけを当てにするなよ」
「分かってる」
「分かってる奴は、試し斬りで調子に乗って小屋を壊したりしない」
「俺、そんなことしてないだろ」
「これからするかもしれん」
「信用がない!」
『ノエルならする』
『絶対にする』
「お前たちは俺の味方じゃないのか?」
『味方』
『だから事実を伝えている』
「味方の攻撃が一番痛いんだよ!」
フォーガスが小さく笑う。
「今笑っただろ」
「笑ってない」
「笑った」
「炉の音だ」
「炉が鼻で笑うか!」
フォーガスは剣を鞘へ戻し、差し出す。
「ノエル」
空気が変わる。
「剣は、人を守る道具にもなる。人を傷つける道具にもなる」
「ああ」
「悪い奴を斬れば正しい、味方を守れば何をしても許される。世の中は、そんなに簡単じゃない。だから、お前が信じる道をまっすぐ進め。他人が決めたのではなく、自分が決めた道を!」
炉の火が揺れ、影が壁に長く伸びる。その言葉には、父がこれまで歩んできた経験の重みが滲んでいた。ノエルは剣を握り直し、しっかりと頷いた。




