☆0-2☆月夜の契約
ルーベ村は、山と森に囲まれた小さな村だ。朝は鳥のさえずりで始まり、夜は虫の音に包まれて眠る、そんな穏やかな時間が流れている。
王都から遠く、特別に珍しい産物があるわけでもない。だけど、その分だけ人の温もりが濃く残る場所でもあった。
春には畑一面に花が咲き、夏には深い緑が村を覆う。秋には麦と果実が実り、冬には雪が静かに家々の屋根を白く染める。四季の移ろいが、そのまま村の暮らしと重なっている。村人のほとんどが顔見知りで、誰かが困れば別の誰かが手を貸す。井戸端での世間話も、畑仕事の合間の笑い声も、すべてが日常の一部で、秘密を隠すには不向きだが、子どもが育つには温かい場所だった。
そんな村の外れにある草原へ、ノエルは足を運んでいた。朝露に濡れた草が靴の先を湿らせるが、気にする様子もなく歩みを進める。
少し先には森が広がり、その奥には低い山々が連なっている。風が吹けば草が波のように揺れ、空はどこまでも高く澄んでいた。
ノエルは草を踏みしめながら歩き、いつもの場所へ辿り着くと、練習用の木剣を地面へ置いた。軽く肩を回し、息を整える。
「よし。始めるぞ」
その声に応じるように、ノエルの肩に乗っていたソルとルナがふわりと飛び立った。小さな身体が朝の光を受けてきらめき、二人はノエルの正面で宙に浮かぶ。
着物の袖が風に揺れ、無表情のままこちらを見つめている。
『今日の目標は?』
ソルが淡々と問いかける。
「二人を本来の姿に戻す」
『昨日も聞いた』
ソルが即座に返す。
「今日こそ成功する」
ノエルは拳を握る。
『一昨日も聞いた』
ルナが静かに続けた。
「努力は積み重ねが大事なんだよ!」
ノエルは声を張り上げ、気合いを入れるように足を肩幅に開いた。右手を前へ伸ばし、ゆっくりと目を閉じる。意識を内側へ沈め、胸の奥にある魔力を探る。
目には見えないが、確かにそこにある熱のようなもの。それを掴み、腕を通じて外へ流すイメージを描く。
「ソル、ルナ。俺の魔力を受け取ってくれ」
集中したまま呼びかける。
『受け取っている』
『毎日受け取ってる』
ソルが即答し、ルナも言葉を続ける。
「もっとこう、雰囲気を出してくれよ。召喚術なんだから」
ノエルは目を開け、少し不満そうに言う。
『では』
ソルがゆっくりと両腕を広げた。わずかに芝居がかった動きだ。
『偉大なる召喚士ノエルよ』
「おお!」
『早くしろ』
「台無しだ!」
ノエルが叫ぶと、ルナが静かに手を叩く。
『頑張れ、世界一可愛い召喚士』
「その応援、集中力を削ってるからな!」
ノエルは深く息を吸い込み、再び意識を集中させる。雑念を振り払い、魔力の流れだけに神経を研ぎ澄ませ、胸の奥から引き出した魔力を腕を通して二人へ送り込む。すると、ソルとルナの体が淡い光を帯び始めた。
太陽のような金色と、月光のような青白い光。二つの光が重なり合いながら強まっていき、小さな体の輪郭が、わずかに膨らむ。
「いける……!」
ノエルは息を詰め、さらに魔力を送り込む。
手のひらほどだった二人の体が、少しずつ大きくなっていく。
一回り、二回りと膨らみ、人間の赤子ほどの大きさに達したところで、ノエルの額に汗が浮かんだ。
魔力が急速に吸い出されていく感覚。足元が揺らぐような疲労が押し寄せる。
「まだだ……もう少し!」
歯を食いしばりながら踏ん張る。
『ノエル、無理してる』
ソルの声が、わずかに低くなる。
「してない!」
『顔が茹でた蛸』
ルナが淡々と言った。
「誰が蛸だ!」
思わず言い返した瞬間、集中が途切れた。
光が弾け、ぽん、と間の抜けた音が響き、二人の体は一瞬で元の手のひらサイズへ戻った。
反動でノエルはその場に尻餅をつく。
「いってえ……」
草原に座り込み、肩で荒く息をする。胸が上下し、腕には力が入らない。
ソルとルナはゆっくりと降下し、ノエルの膝へと着地して、軽い重みが伝わる。
『記録。昨日より二秒長い』
「大きさも?」
『昨日より指一本分ほど大きい』
ソルに続いてルナが補足する。
「それだけか……」
ノエルは力なく呟き、草の上へ視線を落とした。
やがてゆっくりと顔を上げ、空を仰ぐ。
澄み切った青空が広がっていた。
明日、この空の下を王都へ向かう。学院には、各地から優秀な生徒が集まる。
強力な称号を持ち、幼い頃から専門的な訓練を受けてきた者たち。公爵家や侯爵家に生まれ、専属教師から魔法を学んできた者もいるだろう。
(…それに比べて、自分はどうだ)
希少な召喚士と呼ばれて五年。契約できたのは、三年前に出会ったソルとルナだけ。
しかも二人を本来の姿へ戻すこともできない。剣術なら父に習った。歌だって得意だ。
…けれど学院が求めているのは、鍛冶屋の息子としての腕でも、村の祭りで褒められる歌でもない。召喚士としての力だ。
「俺、本当に学院で通用するのかな」
ぽつりと漏れた声は、自分でも驚くほど弱かった。ソルとルナは何も言わない。ただ静かにノエルを見上げている。
ノエルは膝を抱え、視線を落とした。
「召喚士なんて珍しい称号をもらって、村のみんなも期待してくれてる。父さんも母さんも、無理して学費を用意してくれた。なのに俺は、お前たちを大きくすることさえできない」
言葉にするほど、胸の奥が重くなる。
『妾たちは大きくなくても可愛い』
ルナが静かに言った。
「そこは否定しないけど、そういう話じゃない」
ノエルは苦笑する。
『大きければ偉いという思想は危険』
ソルが淡々と続ける。
「急に社会的な話にするな!」
『ノエルは小さい』
「誰が小さい!」
『身長』
「分かってるよ!」
ノエルは顔をしかめる。
『だが、妾たちはノエルを見下していない』
ソルが続ける。
「物理的には見上げてるからな!」
ノエルが叫ぶと、二人の羽が小さく揺れた。
笑ったのかもしれない。妖精王である二人はほとんど表情を変えないが、三年間一緒にいれば、羽の動きや声のわずかな違いで感情が分かるようになっていた。
ソルがノエルの膝を軽く叩く。
『ノエル』
「なんだよ」
『妾たちは、お前が強いから契約したのではない』
その言葉に、ノエルは目を瞬き、ルナも静かに続ける。
『偉いからでも、召喚士だからでもない』
「じゃあ、何でだよ」
『ノエルがノエルだから』
あまりにも簡単な答えだった。
ノエルはしばらく黙り込み、やがて困ったように頭を掻いた。
「そういう真っ直ぐなこと、急に言うのは反則だろ」
『照れている』
『可愛い』
「台無しだよ!」
ノエルは声を上げるが、その表情はどこか柔らかかった。胸の奥にあった重さが、少しだけ軽くなっているのを感じる。ノエルはゆっくりと立ち上がり、地面に置いていた木剣を拾い上げた。
手に馴染む感触を確かめる。
「もう一回だ」
『休まないの?』
ルナが首を傾げる。
「休んだら不安が消えるのか?」
『消えない』
ソルが即答する。
「だったら、できることをやる」
ノエルは木剣を腰へ構えた。その姿勢は、三年前と比べればずっと安定している。
足の置き方、重心の位置、呼吸の整え方。すべて父から叩き込まれたものだ。
「俺にはまだ足りないものばっかりだ。でも、足りないからって学院へ行くのを諦める理由にはならない」
真っ直ぐ前を見据えながら言う。
『格好いい』
『今日は料理をしなければ格好いいまま終われる』
ルナの言葉にソルが続ける。
「料理の話を蒸し返すな!」
ノエルが叫ぶ。それでも口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。木剣を振り上げると、風を切る鋭い音が静かな草原に響いた。その音を聞いた瞬間、ノエルの脳裏には三年前の光景が鮮明に蘇っていた。
☆
獣の咆哮が村を震わせていた。村の外から魔物の群れが押し寄せ、土煙を巻き上げながら、異形の影が次々と柵へ迫る。灰色の狼に似た魔物、鋭い牙を持つ猪、黒い羽毛に覆われた巨大な鳥。本来なら同じ群れで行動するはずのない魔物たちが、何かに追い立てられるように村へ向かっていた。その異様さが、ただの襲撃ではないことを物語り、ルーベ村の静かな日常を無残に引き裂いていく。
当時十三歳のノエルは、鍛冶場の前で震える手に剣を握っていた。炉の火は赤く燃えているが、その温もりは恐怖に凍りついた身体を温めるには足りない。
手に持つ剣も練習用の木剣ではなく、父が使っていた古い鉄剣だった。両手で持っても重く、刃先は地面へと下がる。握り慣れていない柄が手のひらに食い込み、指先がじんじんと痛んだ。
「ノエル! 家の中へ入れ!」
怒号のような声に振り向くと、フォーガスが鍛冶用の大槌を肩に担ぎ、村の男たちとともに防衛線を築いていた。額には汗が滲んでいるが、その目は揺らいでいない。
「でも、父さん!」
ノエルは叫び返す。足がすくみながらも、その場から動けない。
「お前が守るのは母さんとリーナだ! 早く行け!」
父の言葉は鋭く、迷いがなかった。ノエルの胸に重い責任がのしかかったその時、近くの柵が砕けた。乾いた木材が弾け飛び、破片が宙を舞う。一頭の魔狼が飛び込んできた。灰色の毛並みを逆立て、血走った目で周囲を見渡している。
村人たちの悲鳴があちこちから上がる。逃げ惑う足音と倒れる音が混ざり合う。魔狼は周囲を見回し、逃げ遅れた幼い子どもへ視線を向けた。まだ五歳にもならない少女だった。恐怖で動けず、道の真ん中に座り込んでいる。小さな肩が震え、涙で顔がぐしゃぐしゃになっていた。
「逃げろ!」
ノエルは叫ぶ。喉が裂けそうなほどの声だった。だけど少女は動かない。恐怖に縛られた身体は命令を受け付けないようだった。魔狼が地面を蹴る。筋肉が収縮し、次の瞬間には飛びかかる体勢に入っていた。
考えるより先に、ノエルの体が動いた。本能が身体を突き動かす。重い剣を引きずりながら少女の前へ飛び出す。足元がもつれそうになりながらも、必死に踏みとどまる。
「来るな!」
剣を構えたものの、腕は震え、刃先は定まらない。視界も揺れ、足も動かず、逃げることも踏み込むこともできなかった。魔狼は大きく口を開き、鋭い牙を剥き出しにしながら、唾液を糸のように垂らして迫ってくる。
( 勝てない )
そう理解した瞬間、全身から力が抜けそうになった。それでも後ろには少女がいる。その存在だけが、ノエルをその場に縫い止めていた。
「俺が……守る」
震える声で呟き、剣の柄を握り直す。
「俺が守るんだ!」
魔狼が跳びかかった。地面を蹴る音が耳に残る。ノエルは目を見開いたまま剣を振ろうとしたが、その動きはあまりにも遅かった。
だが、魔狼の爪が届くことはなかった。
「良い目してんじゃん、嬢ちゃん」
場違いなほど気楽な声が響き、次の瞬間には魔狼の巨体が横へ吹き飛んだ。見えない何かに殴られたかのように、石造りの壁へ激突し、そのまま動かなくなる。
ノエルの前には、一人の青年が立っていた。
鮮やかなオレンジ色の髪、黄緑色の垂れ目、右目元の星形の印。細身の体からは想像できない力で、魔狼を素手で吹き飛ばしていた。
「怪我は?」
「え、あ……ない」
ノエルは呆然と答える。
「そっちの子は?」
振り返ると、少女は泣きながらも無事だった。
「大丈夫」
「よし」
青年は少女の前にしゃがみ、優しく笑いかける。
「怖かったな。でも、もう大丈夫。あっちの家まで走れるか?」
「うん……」
「偉い。じゃあ、このお姉ちゃんと一緒に行け」
青年はノエルを見る。
「嬢ちゃん。連れていけるな?」
「俺、男です!!嬢ちゃんじゃない!ってかあんたはどうするんですか!?」
ノエルは不安と怒りを混ぜた声で叫ぶと、青年は一瞬きょとんとしたあと、まじまじとノエルの顔を見た。
「……え?」
そして、数秒の沈黙。
「いやいやいやいや」
青年は両手を軽く振った。
「無理あるだろそれは」
「何がですか!?」
「その顔で男は無理だって」
「失礼すぎるだろ!!」
ノエルは思わず叫んだが、青年はまったく悪びれない。
「いや、だってさ。髪も顔も声も全部綺麗だし、下手したら王都の貴族令嬢よりも可愛い顔してるぞ」
「だから男だって言ってるだろ!」
「はいはい、分かった分かった。嬢ちゃんじゃなくて坊ちゃんね」
「納得の仕方が雑すぎる!」
少女はそのやり取りを見て、少しだけ泣き止んだ。青年はようやく本題に戻ったように、軽く肩を回した。
「仕事中なんだよ。最近、王国のあちこちで魔物がおかしくなっててさ。学院長に調べてこいって追い出されたところ。よし、ちょっと離れてろよ、坊ちゃん」
「だから坊ちゃんでもない!…一人で戦うのか?」
「一人じゃない」
青年はノエルの額を軽く弾く。
「お前たちが生き残ろうとしてくれるなら、それで十分だ」
そう言って魔物の群れへ向き直る。その背中は頼もしかった。
「さて」
空気が一変する。
「人の村で好き勝手してんじゃねえぞ」
地面を蹴った瞬間、轟音が響き、姿が消えたかのような速度で魔物の群れへと突っ込むと、巨大な猪が宙へ舞い上がって後方の群れへ叩き込まれ、その衝撃で十数体の魔物がまとめて転がった。
「すごい……」
ノエルは少女の手を握ったまま、その背中を見つめる。魔法でも剣でもない。己の身体一つで戦っている。一撃で地面が割れ、跳躍で屋根を越え、巨大な鳥を片手で投げ飛ばしている。
圧倒的な強さだった。
しかも青年は戦いながら村人の位置を把握し、誰一人巻き込まないように動いている。その動きには無駄がなかった。
やがて最後の魔物が倒れ、村に静けさが戻る。荒れた地面と壊れた柵だけが戦いの激しさを物語っていた。
「これで終わり」
青年は何事もなかったように笑う。呼吸も乱れていない。歓声が上がる中、ノエルは少女を送り届けた後、青年のもとへ駆け寄った。
「あの!」
「ん?」
「名前!」
「オレの?」
「そう!」
青年は少し考え、星印を指差した。
「レオン。レオン・ファルケル」
「レオン……」
「王立アストル魔法学院で教師やってる。まだ新米だけどな」
「学院の先生?」
「一応」
ノエルは泥だらけの剣を握りしめる。震えていた手に、別の熱が宿る。
「俺も、あんたみたいに強くなれる?」
「さあな」
「分からないのかよ!」
「簡単に強くなれるなんて言う方が無責任だろ」
レオンはしゃがみ、ノエルと目線を合わせる。
「でも、怖いのに逃げなかった。その子を守るために前へ出た。そういう奴は、強くなる資格がある」
「資格……」
「本気で強くなりたいなら、学院へ来い」
レオンはノエルの頭を乱暴に撫でる。
「そこで待っててやるよ。じゃあな、次はちゃんと強くなっとけよ、“お姫様”」
「だから男だって言ってるだろ!!」
ノエルの叫びは夕暮れの村に響き渡ったが、その背中はすでに遠ざかっていた。だが、レオンの強さや憧れ、そして彼の言葉は、ノエルの心の中に深く刻まれ、いつまでも残り続けていた。
───夜
昼間の騒ぎが嘘のように、村はすでに静まり返っていた。家々の灯りはほとんど落ち、通りには人の気配もない。遠くで虫の鳴き声だけがかすかに響き、夜の静寂をより一層際立たせている。
寝台に横になっても、瞼を閉じるたびに昼間の光景が鮮明に蘇る。血の匂い、耳に焼き付いた悲鳴、そして何より、自分の無力さ。どれだけ目を閉じても、それらは消えてくれなかった。
どうしても眠ることができず、気づけば体は勝手に動いていた。家の扉を静かに開け、夜の外気へと身を投げ出していた。
ノエルは村の外れにある丘へと足を運び、そのまま地面に座り込み、膝を抱えていた。
夜風が頬を撫でる。ひんやりとした空気が肌に触れるたび、現実に引き戻されるような感覚があった。
ふと見上げれば、満天の星空が広がっている。無数の星が瞬き、まるで世界そのものが静かに呼吸しているかのようだった。
だが、その美しさを感じる余裕は、今のノエルにはなかった。
ただ膝を抱え込み、視線を地面へ落としたまま、動くことができなかった。
守ろうとした──あの時の自分の行動を、何度も何度も頭の中でなぞる。
剣を握った──震える手で、それでも必死に柄を握りしめた。
前へ出た──恐怖を押し殺して、一歩踏み出した。
…けれど、何もできなかった。
どれだけ思い返しても、結果は変わらない。きっとどの場面を切り取っても、結末は同じだった。レオンが来なければ、自分も少女も死んでいた。
その事実が、重く、逃げ場のない現実として胸にのしかかる。
「強くなりたい」
ノエルはゆっくりと顔を上げ、夜空へ向かって呟いた。声は小さかったが、その言葉には確かな重みがあった。
「もっと強くなりたい」
膝の上で拳を握りしめる。爪が食い込むほど力を込めても、胸の奥に渦巻く悔しさは消えない。
召喚士の称号を授かった日のことを思い出す。村中が喜び、祝福し、期待に満ちた目で自分を見ていたあの日。
誰もが期待した。特別な力を持つ者として、未来を託された。
…けれど自分は、何一つ召喚できなかった。
何度試しても、何も起きなかった。
希少な力を持っているはずなのに、大切なものを守れなかった。
ノエルは唇を強く噛みしめる。血の味が口の中に広がるが、それでも構わなかった。
「俺に力があるなら、今度こそ応えてくれよ」
胸の奥が熱くなる。
それは怒りでも、悲しみでもない。ただ、どうしようもないほどの願いだった。
「何でもする。努力だってする。怖くても逃げない」
拳を握る。震えは止まらない。それでも、逃げたくなかった。
「だから、俺に誰かを守る力を貸してくれ!」
叫びに近い声が、静まり返った夜の丘に響いた。
──その瞬間だった。
夜空から、金色と銀色の光が降り注いだ。
まるで星が落ちてきたかのように、二つの光がゆっくりと降りてくる。
ノエルは思わず息を呑み、その光景を見つめた。目を見開いたまま、瞬きすら忘れていた。
二つの光は丘の上を舞いながら、ゆっくりと人の形を作っていく。光は渦を巻くように集まり、やがて輪郭を持ち始める。
一人は太陽のような輝きをまとった妖精。
暖かく、力強い光を放っている。
一人は月光のような静けさをまとった妖精。
柔らかく、どこか神秘的な光を纏っていた。
どちらも、人間の成人女性と変わらない姿で、夜風に金色の髪と美しい着物をなびかせている。幻想的で現実離れした光景だったが、不思議と恐怖は感じなかった。
『ああ、やっと届いた』
橙色の瞳を持つ妖精が言った。どこか安堵したような声音だった。
『妾たちの祈りが…』
青い瞳の妖精が続ける。その声にも、静かな感情が滲んでいる。
ノエルはゆっくりと立ち上がる。足元がわずかにふらついたが、それでも目の前の存在から目を離すことはできなかった。
「お前たちは……?」
戸惑いと驚きが混ざった声で問いかける。
『妾はソル』
太陽のような妖精が名乗る。
『妾はルナ』
月のような妖精が続いた。
『ずっと待っていた』
『ノエルが妾たちを呼べる日を』
「ずっと?」
ノエルは思わず聞き返す。その言葉の意味が理解できなかった。
二人は答えなかった。代わりに、ソルがゆっくりと手を差し出す。その仕草はあまりにも自然で、まるで最初からそうすることが決まっていたかのようだった。
『ノエル・メレディス』
名前を呼ばれた瞬間、ノエルの心臓が強く跳ねる。
『妾たちの主になる?』
ルナも手を差し出した。二人の手は神秘的で幻想的に見えるのに、そこには確かな温もりが宿っているように感じられた。ノエルはそんな二人を見つめる。恐ろしいとは思わなかった。初めて会ったはずなのに、ずっと前から知っているような感覚があった。胸の奥に、不思議な懐かしさが静かに広がっていく。
「主って、命令するってことか?」
『違うわ』
ソルが即座に否定する。
「じゃあ、何?」
『家族になるということ』
ルナの答えに、ノエルは瞬きをした。予想していなかった言葉だったからだ。
それでもノエルは、差し出された二人の手を取った。迷いはなかった。
「俺でいいなら」
『ノエルがいい』
『最初から決めていた』
ソルが答え、ルナも続けた。
二人の手から光が溢れ出す。
金と銀の光がノエルの腕を伝い、そのまま胸の奥へと流れ込んでいく。温かく、どこか懐かしい感覚が全身を満たしていき、心臓の上に太陽と月を重ねたような契約紋が浮かび上がった。
淡く輝くその紋様は、確かにそこに刻まれていた。
『契約成立』
ソルが告げる。
『これからよろしく、ノエル』
ルナが微笑んだように見えた。
その直後だった。二人の体から光が消え始める。輝きが急速に弱まり、輪郭が揺らぐ。
「え?」
ノエルは思わず声を漏らすと次の瞬間、二人の体は急速に縮んでいった。成人女性ほどあった姿は、あっという間に手のひらサイズへと変わる。力を失ったようにふらりと揺れ、そのままノエルの頭の上へ落下する。
「うわっ!」
ノエルは慌てて両手を伸ばし、二人を受け止めた。小さな体は軽いが、確かな存在感があった。
「小さくなった!」
驚きの声を上げる。
『魔力不足』
『ノエルが未熟』
ソルの言葉にルナが続ける。
「契約した直後に容赦ないな!」
ノエルは思わずツッコミを入れる。だが、その声にはどこか安堵も混じっていた。
こうして、静かな夜の丘で、三人の新しい関係が、静かに始まったのだった。




