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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第一章 王立アストル魔法学院編
28/39

☆1-14☆外見詐欺な学院長



戦闘が終わったと理解した瞬間、アルベルトの氷剣は音もなく砕け散り、無数の氷の粒となって床へと落ちていった。同時に、張り詰めていた緊張が一気に解けたのか、彼の膝がわずかに揺れた。


「アルベルト、大丈夫か?口から血が出てるぞ」


「口の中を切っただけだ」


「見せろ」


「嫌だ」


「何でだよ」


「君に見せる必要はない!」


『照れてる』

『口の中を見せるのが恥ずかしい』


「そういう問題ではない!」 


ノエルは呆れたように息を吐きながらも、アルベルトの腕を取った。服越しに伝わる筋肉は強く緊張しており、呼吸も荒い。広範囲の氷結魔法で四体もの敵の動きを一人で止め続けていたのだ。平気なはずがなかった。


「とりあえず座れよ」


「まだ安全とは限らない」


「もう攻撃しないよな?」


ノエルは一号機へ確認する。


《暫定契約者への攻撃を禁止》


機械的な返答が返る。


「暫定契約者?」


ノエルが眉をひそめる。


《ノエル・メレディスを暫定契約者として登録》


「いつの間に!」


《先ほど》


「説明してから登録しろ!」


《契約中枢への接触を確認、血統条件を達成、本人から戦闘停止要求を受理、暫定契約成立》


「頼んだだけだぞ!」


《要求受理による契約》


「そんな簡単に契約していいのか!?」


《簡単ではない。待機期間五千二十六年》


「長い!」


『こんな場所で五千年以上…』

『妾たちなら暇すぎて無理』


 三号機の赤い光が不規則に明滅する。


《暇ではない。記録業務を継続、学院内の振動、魔力変動、建築増設を観測》


「それ、楽しかったか?」


《非常に》


「それならよかった…じゃない!契約って、四体とも契約したのか?」


《肯定。当機群は独立機体であり、同一契約網に所属。一体との契約は全機との契約を意味する》


無機質な声が神殿に響く。

守護機兵一号は、まるで当然の事実を述べるかのように淡々としていた。


「聞いてない!」


《質問されていない》


「二号機みたいな言い方をするな!」


《当機は一号機》


「分かってる!」


アルベルトはその横で腕を組み、完全に呆れた表情を浮かべている。


「ノエル」


「何だ」


「君は今、古代守護機兵四体と契約したのか?」


「そうらしい」


 ノエルは乾いた声で答えた。自分でも状況を理解しきれていなかった。


「妖精王二体だけでも前例がないというのに?」


「俺に言うなよ」


それは責任転嫁ではなく純粋な本音だったが、アルベルトはこめかみを押さえ、深く息を吐いた。


「なぜ君は学院へ入学してから問題しか起こさない!」


「まだ二日目にもなってないのにな」


「それが一番の問題だ!」


 地下神殿にアルベルトの叫びが石壁に反響して空間全体を揺らすように広がり、そのすぐ横でソルとルナは静かに小さく頷いていた。


『もはやノエルの才能』

『問題を起こす才能』


「褒めてないよな?」


『褒めていない』

『まったく』


「即答するな!」


 その時、神殿の天井近くで青白い光が走った。幾何学模様を描く巨大な結界術式が浮かび上がり、先ほどまで存在しなかった無数の線が空間全体へと広がっていく。その異変に反応するように、四体の守護機兵が同時に顔を上げた。


《外部結界への干渉を検知。侵入試行、敵性判定を開始》


「待て!」


 ノエルが慌てて両手を上げる。


「たぶん先生たちだ!」


《教師…学院守護者か》


 一号機は、まるで思考を一度切り離すようにわずかな間を置いたのち、静かに動作を停止した。


 《現代学院職員情報、未登録》


三号機は対象の情報を照合したが、該当する登録データは存在しなかった。


《未登録者は侵入者》


 二号機は弓型魔導砲を構え、ゆっくりと標的へ向けた。その動作には一切の迷いがなく、機械的な判断が確定したまま警戒状態へと移行していく。


「だから撃つな!」


空間の一部に亀裂が走った。それは物理的な壁が壊れたわけではなく、幾重にも重ねられた結界の層が外側から強引にこじ開けられている証だった。次の瞬間、地下深くには存在しないはずの雷鳴が神殿全体へと轟き、青白い稲妻が結界の裂け目を走り抜けると、その亀裂は一瞬で広がっていく。


《高出力魔力を検知》


 四号機はゆっくりと後退した。金属の脚が床を削り、鋭い火花が散る。そのセンサーは一瞬たりとも逸れることなく、神殿の扉ただ一点を捉え続けていた。そこから漏れ出す魔力は、もはや“量”という概念そのものを超えていた。


《危険、非常に危険。逃走を推奨》


 二号機が解析結果を弾き出したが、魔力波形は既知のいかなる体系にも一致せず、むしろ“存在そのものが圧力として押し寄せてくる”かのような異常値を示していた。


《推定出力、測定上限を超過》

《交戦非推奨》

《撤退推奨》

《全機、同意》


「お前たち、判断が早いな!」


「随分と頑丈な結界じゃのう」


 神殿の扉の向こうから、澄んでいるのにどこか幼さを残した、しかし芯に雷鳴のような圧を秘めた声が響いた。次の瞬間、その声は空間そのものを震わせるように広がり、神殿全体が白く染まる。落雷ではなく、空間そのものが裂けて雷が溢れ出すような現象が起こった。


「アミュ、あと二十秒で開けられるかの?」


 雷光を帯びて揺れているその少女は、幼い子どものように小柄で愛らしい外見とは裏腹に、年齢を感じさせない鋭い眼光を宿した薄黄緑の瞳で、扉の側に立つ青年へと静かに視線を向けた。


「無茶を言わないでください、学院長! これは僕が張った結界ではありません! この学院が創設されるよりもさらに昔、五千年以上前の神話時代に作られた古代複合術式です!」


 アミュは両手を結界へ押し当てながら歯を食いしばる。神殿全体を覆う古代術式は、外から破ることを想定していない“中にあるものを外に出さないもの”だった。


「アミュは特級じゃろ?いけるいける、残り十五秒じゃ、頑張れ頑張れ」


「学院長、その“残り十五秒”で何をどうしろって言うんですか!いくら僕が特級結界師でも、神話時代の結界を解くのは厳しいんですよ!」


アミュが叫び返す中、扉の奥ではノエルたちの魔力反応が微かに揺れているのを感じ取っていた。それは生存している証である


「ノエル! アルベルト! 聞こえるかい!」


 声は扉の結界を通して神殿へと響いた。

 扉の外側、アミュの背後に立つコンラッド・スターリットの表情には、いつもの余裕は欠片もなく、抑えきれない焦りだけが滲んでいた。


「コンラッド先生!僕たちは無事です!」


 アルベルトの声だった。まだ生きているという事実に、コンラッドはわずかに息を吐き、周囲の空気が一瞬だけ緩んだ。…が、それは決して安心ではなく、ただの“延命確認”に過ぎない。


「本当に?」


「負傷はありますが、命に別状はありません!」


「ノエルは?」


「俺も無事です!」


「何か変なものへ触っていないね?」


「それは……」


 ノエルの声が止まる。その沈黙はほんの一瞬のことだったが、外側にいる者たちにとっては、それだけで状況を理解するには十分すぎるほどの重みを持っていた。


「間があったね?」


「ちょっとだけ!」


「ちょっとの基準を後で詳しく聞こうか!」


結界の亀裂は広がり続けており、その裂け目に学院の防衛結界を統括する最高位の結界師アミュ・プロテクシオンが両手を差し込んでいた。普段の豪快な笑顔は消え、薄紫の髪を揺らしながら青い瞳を鋭く細め、額には汗をにじませている。


「古代結界の第一層を反転!防衛術式を一時停止! 内部座標を固定する!」


 アミュの両手から、青白い魔力が溢れ出し、コンラッドが隣で印を結ぶ。コンラッドの周囲へ無数の半透明な手が現れ、それぞれ異なる術式を描き始めた。


「感覚阻害を解除。空間認識を正常化」


 幻術師である彼の力が、結界によって歪められた空間を正しい形へ戻していく。


「学院長!」


「うむ」


小柄な少女が亀裂の前へ静かに歩み出た瞬間、その一歩だけで場の空気は凍りついた。黄白色の髪と整いすぎた幼い顔立ち、澄んだ薄黄緑の瞳は一見すれば無害に見えるが、その奥には覗いた者の思考の深部まで踏み込むような冷徹さが宿っている。


幼い外見とは裏腹に、彼女の周囲には圧倒的な“圧”が満ちていた。空間に走る雷は暴走ではなく完全に制御された秩序であり、意思そのものとして彼女に従っている。


 ディオーネ・ジュピター 

 ──王立アストル魔法学院の学院長にして、世界屈指の大魔導師。小さな身体でありながら空間の重心すら歪めるほどの威圧を放ち、彼女はただ静かにそこに立っていた。


「少しばかり、扉を叩くぞ」


ディオーネが指先を結界へ向ける。その小さな指先には何の力みもなかったが、次の瞬間、空気が一変した。周囲に満ちていた魔力が一斉に“引き絞られる”ような圧となって収束し、空間そのものが張り詰めていく。


「出力は……そうじゃな。十万ボルトほどでよいか」


「十分大きいですよ!」


「分かっておる。……では一万にしておこう」


「下げ幅の問題じゃないんです!生徒が中にいるので、安全にお願いします!」


「では一万ボルトで」


「結局そこは変えないんですね!?」


 アミュがツッコミの声を上げた瞬間、ディオーネは指を軽く振った。その動きと同時に一万ボルトの雷撃が放たれ、結界へ直撃する。

 視界は白光に塗り潰され、光は線ではなく空間を裂く刃のように走る。遅れて轟音が響くが、空間の歪みに引き延ばされて届き、雷が触れた瞬間、大地が低く震え、床石がわずかに浮き上がる。結界表面には魔法陣が一斉に浮かび上がり、衝撃波が外へ広がった。石柱が軋み、衣服と髪が激しく揺れる。

 細い稲妻が結界に触れた刹那、古代神殿全体の術式が明滅し、空間そのものが悲鳴を上げるように揺らいだ。


「……今の一万ですか?」


 耳鳴りの残る中、アミュはようやく絞り出すように声を発したが、その声はわずかに掠れていた。


「うむ」


 ディオーネは何事もなかったかのように指を下ろした。その指先には、微かに雷の残滓が揺れていた。


「……うむ、じゃないです!」


 ディオーネの指先から放たれたのは、糸のように細く繊細な稲妻だったが、それが結界に触れた瞬間、古代神殿全体を覆っていた術式が一斉に明滅した。


《結界負荷、急上昇》


 三号機が報告する。


《外部干渉者の危険度を最上位へ設定》


 二号機が僅かに後退する。


《交戦回避を強く推奨》


 四号機は一号機の背後へ隠れようとしていた。


《怖い》

「俺も怖い」


ノエルが同意したその時、神殿の扉が歪み、円形の穴が開いた。アミュはすぐさま両手を広げ、その穴が閉じないように魔力で固定する。


「今だ! 入ってください!」


「先に僕が行く!」


 コンラッドは迷うことなく内部へ飛び込み、着地と同時に周囲を素早く見渡した。そこにはノエル、アルベルト、そしてソルとルナの姿があり、さらに四体の巨大な守護機兵が立ち並んでいる。壊れた床、砕けた氷壁、焦げた扉が戦闘の激しさを物語っていた。その光景を目にした瞬間、コンラッドの優しげな表情からは一切の笑みが消えた。


「二人とも、こちらへ来なさい」


普段は柔らかな口調でありながらも、逆らうことを許さない確かな威圧感があったため、ノエルとアルベルトはその圧に従うように素直にコンラッドの元へと向かった。四体の機兵は依然として動かず、ただ赤い光だけが無言のまま二人の背を追い続けている。続いてアミュが結界の裂け目を潜り抜け、最後にディオーネが姿を現した。


「…………え」


 ノエルは思わず驚きの声を上げた。最後に現れたのは、小柄な少女だった。黄白色の髪に薄黄緑の瞳を持ち、どう見ても年端もいかない子どもにしか見えないその姿に、ノエルは思わずコンラッドの袖を引いた。


「………え、ちょっと待て…なあ、あの子誰?」


「学院長だよ」


「は?え、学院長って……この学院の学院長?」


「そう、その“学院長”だ」


「いやいやいや!学院長ってもっと偉い人とか渋いおっさんとか、せめて大人だろ!?」


「その反応は正しいけど、事実だよ」


「嘘だろ……」


 ノエルの視線が再びディオーネへ向く。

 小さな少女は古代守護機兵を見上げており、その表情はまるで散歩中の猫でも眺めているかのように穏やかだった。


「ほう……まだ動く古代守護機兵が残っておったか」


 幼さの残るその声を聞いた瞬間、ノエルはさらに驚きで目を見開いた。


「いや無理があるだろ!?」


 ノエルはアルベルトへ振り返る。


「あの子か本当に学院長?どう見ても小さい女の子じゃん」


 ノエルはディオーネを指差す。


「見た目と中身が一致するとは限らない」


「限度があるだろ!嘘だろ……世の中どうなってんだよ……」


 その間にもディオーネは機兵へと向き直る。


《個体識別を要求》


 一号機の声が響いた。


「わしはディオーネ・ジュピター。この学院の長をしておる」


《学院長……最高管理者候補。魔力値、測定不能》


 二号機の赤い光が明滅する。


《機器異常の可能性》


「失礼な機械じゃのう」


《訂正。対象の魔力が異常》


『正確』

『学院長は異常』


 ソルとルナが同時に頷く。


「ほっほ。妖精王に褒められるとは光栄じゃ」


「褒められてませんよ、学院長」


 コンラッドが即座に突っ込むが、ディオーネは気にした様子もなく応じる。そのやり取りの最中、ふとディオーネの視線がノエルたちの方へ向けられた。


「……ん?」


その瞬間、地下神殿の空気がわずかに変わった。古代の魔導紋がディオーネの視線に反応し、淡く光を帯びる。彼女の魔力が無意識に漏れ出し、空間がかすかに震えた。

 ディオーネの瞳がきらりと輝く。それは獲物を見つけた子どものように純粋でありながら、同時に抗いがたい危険を孕んだ光だった。


「え?」


 ノエルが首を傾げた瞬間、ディオーネの姿がその場から消え、魔力の残滓すら追えない速度で、ディオーネはノエルの目の前に立っていた。


「可愛い〜可愛い可愛い可愛い可愛いのぅ!!」


「うわっ!?」


 ノエルは抱きしめられかけていた。正確には、肩に触れた時点で既に全力の抱擁体勢へと移行しており、その動きは異常なほど速く、ノエルの身体が一瞬浮きかけるほどの力で引き寄せられ、頬と頬の距離が一気に詰まる。


 地下神殿の空気が一瞬で凍る。


「急に何!?可愛いってなに!?」


 ノエルは慌てて両手でディオーネの顔を押し返そうとするが、見た目に反してまるで岩のようにびくともしない。むしろ押した分だけさらに距離が縮む。


『ノエル、捕獲された』

『危険、ノエル逃げて』


「学院長」


「離れてください」


 左右からコンラッドとアミュが同時にディオーネの腕を掴んだ瞬間、彼女の魔力が一瞬だけ跳ね上がり、二人の手に軽い電流のような痺れが走る。


「むっ!? 何をする!」


 ディオーネは不満そうに振り返るが、腕はしっかり固定されている。アミュはそのまま力を込めて引き剥がしにかかる。


「仕事中です」


「これは仕事じゃ!」


「完全に私情です」


「可愛いものを愛でるのは人類の義務じゃ!」


「違います」


 アミュが無理やり引き剥がし、コンラッドはため息をついた。その間もディオーネの視線はノエルから一切外れない。

 まるで“逃がさない”とでも言うように。


「初対面で抱きつくのやめてあげてください」


「わしは挨拶をしただけじゃ!」


「放置してたら頬にキスしようとしてましたよね」


「挨拶じゃ!」


 ノエルは完全に固まっていた。

 押し返そうとしていた手も中途半端な位置で止まり、状況を理解しきれず目だけが忙しく動いている。ディオーネは捕獲されながらも、なおノエルを見てうっとりとした顔をする。


「いやしかしのう……この顔、この身長、この声、全部わしの好みじゃ!!」


「最悪の告白やめろ!!」


 アミュがツッコミ、コンラッドは完全に学院長の腕をロックしている。ディオーネはなおも抵抗しながら、足をばたつかせる。

 その動きはまるで子どもが駄々をこねているようだった。


「学院長、落ち着いてください」


「わしは落ち着いておる!」


「落ち着いてる人は生徒に抱きつきません」


「わしは教育的指導をしようとしただけじゃ!」


「どんな教育ですか」


 そのやり取りの間、ノエルはようやく状況を理解し始めた。押し返していた手をゆっくり下ろし、ディオーネを見つめる。

 距離はアミュとコンラッドによって引き離され、今は安全圏に戻っている。


「え、俺今……評価されてる?」


『されている』

『危険な方向で』


「この子はのう! 絶対に伸びるタイプじゃ! 顔も良い! 声も良い! 身長も良い! 全部良い!」


「全部見た目基準じゃないですか!」


「重要じゃろ!」


「重要じゃないです!」


コンラッドは学院長を必死に押さえつけながらノエルへ視線を向けた。


「すまないね、学院長はこういう人なんだ」


「こういう人って何!?」


「我が学院の学院長だ。人間ではあるんだけど、先祖に天人(そらびと)を持つ先祖返りで、不老長寿の体質を持っているため幼い姿をしている。年齢は六百五十八歳で、世界でも指折りの特級魔導師だよ」


「余計に混乱する情報を増やさないで!」


コンラッドの言葉にノエルは頭を抱える。

そんなやり取りを見ながらアミュがノエルたちに声をかける。


「それより二人とも、大きな怪我はないか?」


「僕は脇腹と口の中を少し」


「俺は頬にかすり傷」


「妖精たちは?」


『無傷』

『お腹が空いた』


「それは怪我じゃない。でも無事でよかった」


アミュは深く息を吐き、緊張がわずかに緩んだ。

その一言には、心の底からの安堵が込められていた。ノエルは少し驚く。教師たちは、自分たちを助けるために、学院の重要な結界を無理やり解除してまでここへ来たのだ。入学したばかりの生徒二人を助けるために


「先生、この結界は壊して大丈夫なのか?」


 ノエルはアミュへ尋ねる。


「大丈夫ではない」


「え?」


「今やっているのは正式な解除じゃない。古代結界の接続部分を一時的にこじ開けているだけだ」


アミュの両腕は、わずかに震えていた。

青白い魔力の線が腕から肩へと這い上がり、皮膚には薄い亀裂のような模様が浮かび上がっている。


「本来なら、数日かけて術式を解析する。安全確認をして、複数の結界師が段階的に解除するべきものだ」


「じゃあ、今は?」


「緊急事態だから、全部無視した。生徒の命より大事な結界なんて、この学院にはない」


 アミュは豪快に笑い、ノエルは言葉を失った。

コンラッドは学院長をアミュに預けると、アルベルトの脇腹にそっと手を添え、負傷の程度を確かめながら静かに続けた。


「学院には、いくつもの防災設備がある」


「防災設備?」


「火災、魔力暴走、召喚事故、建物の崩落、外部からの襲撃。あらゆる事態を想定しているんだ」


コンラッドの手から淡い光が広がった。それは治癒のための魔法ではなく、幻術によって痛覚を一時的に鈍らせ、苦痛の感覚だけをそっと遠ざけるためのものだった。


「学院全体を覆うアミュ先生の結界も、その一つだよ」


 コンラッドの言葉にアミュが続く。


「僕の結界は、防御だけじゃない。生徒一人ひとりの魔力反応を把握し、異常が起きれば教師へ通知する。火災が起きれば区画を封鎖し、魔力暴走が起きれば周囲の魔力を遮断する。外敵が侵入すれば、侵入経路を切り離す」


「そんなことまでしてるのか」


「当然だろう」


 アミュの青い瞳がノエルを見る。


「ここは学院だ。才能ある子どもを集めて、危険な魔法や剣術を教える場所であるから、事故が起きる可能性は普通の学院より遥かに高い」


「普通の学院?」


「例えだよ。だから、教師は危険を教えるだけじゃ足りない。危険が起きた時、生徒を守れなければ意味がない」


ディオーネがゆっくりと頷いた。


「この学院にいる四十名の教師は、全員が同じ覚悟を持っておる」


「四十人全員?例外なく?」


「例外なくじゃ」


 その言葉と同時に、ディオーネの穏やかな表情にわずかな鋭さが宿る。小柄で童女のような外見に柔らかな声。だがその言葉の奥には、永い刻を生き抜いてきた者だけが持つ重みが確かにあった。


「生徒の命を脅かす者が外敵であろうと、貴族であろうと、王族であろうと関係ない。たとえ教師の中に生徒を害する者がおったとしても同じじゃ。わしらは容赦せぬ」


 その瞬間、空気が静かに震え、ディオーネの周囲に細い雷が走る。それは威圧でも怒りでもない、ただ事実としてそこに存在する、圧倒的な力の余波だった。

 普段の彼女は飄々としており、可愛いものに目がないという致命的な残念さを持つ。しかしそれはあくまで日常の顔に過ぎない。

 ひとたび学院長として立つとき、彼女は世界有数の雷魔導師としての本質を隠さない。

 ノエルは思わず背筋を伸ばした。怖い、と感じる一方で、不思議な安心感も胸に広がる。この人たちは本気で生徒を守るのだと、はっきり理解できたからだ。

 身分も出身も関係ない。入学してまだ一日しか経っていない自分たちのために、学院の防衛設備にすら無茶な干渉を行うほどの覚悟がそこにはあった。


「でも、立入禁止区域に入った俺たちも悪いんだよな」


 ノエルは目の前にそびえる大きな扉を見上げながら呟いた。重く閉ざされたそれは、ただの扉というよりも、何かを拒絶する境界そのもののように見える。

 その言葉に対し、コンラッドは静かに首を横に振った。


「君たちが自分から入ったならね」


 穏やかな口調だが、事実を切り分けるような冷静さがあった。


「今回は違う。部屋から転移させられた。…確認しているよ。寮の部屋から、この地下へ向けて強制転移の痕跡が残っていた」


 その説明に、空気が一段重くなる。

 アミュが眉をひそめ、周囲の魔力残滓を思い返すように視線を落とした。


「この地下区画は、学院の立入禁止区域の中でも最上位だ」


「最上位?」


 ノエルが思わず聞き返す。


「生徒立入禁止どころか、教師も許可なく入れない。僕でさえ、普段は結界の外から監視するだけだ」


「先生でも?」


「学院長の許可が必要になる」


 その言葉に、ノエルは隣の人物へ視線を向けた。


「わしは入れるぞい」


 ディオーネは胸を張り、当然のように言い切る。


「学院長だから当然でしょう」


 コンラッドは軽く息を吐き、指を立てながら説明を続ける。


「学院には立入禁止区域がいくつかある。危険な魔導具を保管する倉庫、封印された召喚獣を管理する部屋、教師用の研究区画、それから、学院の建設以前から存在する遺跡」


「ここか」


 ノエルの視線が再び黒い扉へ戻る。


「そう。立入禁止区域には必ず理由がある。教師が秘密を独占したいから隠しているわけじゃない」


「研究区画は?」


「色々と見られたくない教師もいる。散らかっているとか、趣味が知られると恥ずかしいとか」


「それは危険とは関係ないだろ!」


「精神的な危険だ」


 コンラッドは涼しい顔で言い切った。


『大人の事情』

『触れない方がいい』


 ソルとルナが淡々と補足する。


「お前たちは妙なところで理解があるな!」


 ノエルの叫びに、コンラッドは小さく苦笑した。


「まあ、そういう例外もあるけれど、基本的には生徒を危険から遠ざけるためだよ」


 アミュも真面目な表情で頷く。


「規則で縛ることが目的ではない。命を守ることが目的だ」


 ノエルは小さく頷いた。

 入学前、彼は学院という場所に対して、どこか偏見を抱いていた。貴族が多く集まり、規則に縛られ、教師が生徒を厳しく管理する──そんな堅苦しい場所だと思っていたのだ。

 しかし、実際は違った。規則にはすべて理由があり、結界にも明確な意味がある。教師たちはただ権威を振りかざして命令しているのではなく、危険を知っているからこそ止めているのだ。そして本当に危機が訪れた時には、誰よりも先に前へ出て、生徒を守るために戦う。助けに来てくれる。


「先生たちって、ちゃんと俺たちを守ってくれてるんだな」


 ノエルは少し照れたようにぽつりと呟くと、それを受けてコンラッドは穏やかに微笑んだ。


「ちゃんと、とは何だい?」


「いや、もっとこう……授業して、宿題を出して、怒るだけかと」


「君は教師を何だと思っていたのかな?」


「…宿題を増やす人」


「認識を改めようか」


 軽いやり取りが、神殿の重い空気をわずかに和らげる。その横で、ソルとルナが淡々と口を挟んだ。


『コンラッドは試験で生徒を騙した』

『幻術で迷わせた』


「教育的な試験だよ」


『アルベルトは顔面から地面に落ちた』

『教育的激突』


「思い出させるな!」


 アルベルトの叫びが神殿に響き、アミュが腹を抱えて笑った。


「ははは! コンラッド、入学初日から随分恨まれてるじゃないか!」


「アミュ先生も笑っていないでください。結界の維持は大丈夫なんですか?」


「大丈夫、大丈夫」


 そう言いながらも、アミュの笑顔はわずかに引きつっている。


「あと四分くらいなら」


「短くないか?」


「だから急いで出るぞ」


 ノエルは神殿の奥にある黒い扉を見上げた。古代の封印が施されたその扉は、微かに脈動しているようにも見える。


「でも、閉まってる」


「入ってきた穴から戻る」


 アミュは背後を顎で示す。そこには、円形に開いた結界の穴があり、その向こうに学院地下の暗い通路が続いている。


「全員が出たら、僕が穴を閉じる」


「また入れなくなる?」


「簡単にはな」


「こいつらはどうするんだ?」


ノエルが視線を巡らせると、四体の守護機兵はそれぞれ異なる動きを見せていた。一号機は大剣を床に静かに立てたまま衛兵のように直立不動で待機し、二号機は教師たちの魔力を測定しているのか赤い光を細かく揺らしながら周囲を観測している。三号機はコンラッドとアミュの動きを忙しなく追って記録するように視線を走らせ、四号機は壊れた床を修復しつつも、なぜか学院長から距離を取るように慎重に位置を調整していた。


「この場へ残す。安全性が確認できるまでは、地上へ持ち出せない」


 アミュが答えたその直後、一号機が声を上げた。


《異議。暫定契約者への随行を要求》


「随行?誰の暫定契約者だい?」


 コンラッドが首を傾げた。

 ノエルの肩が小さく跳ねると、その動きに反応するようにアルベルトが無言で視線を向け、さらにソルとルナも同時にノエルを見つめた。気づけば、周囲にいた四体の守護機兵までもが一斉にノエルへと顔を向けていた。


「何でみんな俺を見るんだよ!」


『ノエルだから』

『契約者』


コンラッドの笑みが固まる。

その変化に呼応するように、アミュもゆっくりと振り返る。


「契約者?誰が?」


《ノエル・メレディス。当機群はノエル・メレディスを暫定契約者として認定》



 一号機が明確に答える。沈黙が神殿を支配し、一切の音が途絶えたまま空気だけが重く沈んでいく中、コンラッドは静かにノエルへ視線を向け、アミュもまた言葉を失ったまま同じようにノエルを見つめていた。ディオーネはキラキラした目でノエルを見つめ、アルベルトは両腕を組んで短く息を吐くと、諦めにも似た表情でその場の空気をただ受け止めていた。


「一応言っておきますが」


 アルベルトは教師たちへ説明する。


「一体だけではありません」


「……どういう意味かな?」


 コンラッドが尋ねる。


「四体すべて、です」


再び長い沈黙が落ちた。先ほどよりもさらに重く、場の空気は静かに固まっていく。

 そんな中、四体の機体はまるで空気を読まないかのように、それぞれ機体番号を名乗りながらポーズを取っていた。一号機は胸を張って堂々と前へ出て、二号機は弓をわずかに掲げて狙いを定めるような姿勢を見せる。三号機は槍の石突きを床に静かに突き立て、揺るがぬ構えを取った。そして四号機だけは一号機の背後からそっと顔を覗かせ、恐る恐る周囲の様子をうかがっていた。


《全機、同一契約網へ所属。暫定契約成立を確認》


アミュはわずかに口を開いたまま固まり、コンラッドの穏やかな表情も凍りついたように動かない。世界で三指に入る大魔導師であるディオーネが唯一目をきらめかせる中で、ノエルだけが居心地の悪さに耐えきれず、頬を掻いていた。


「……頼んだら、止まってくれた。戦うのをやめてほしいって言ったら、それで契約が成立したらしい」


教師たちは、四体の古代の守護機兵とノエルを交互に見比べ、言葉を失っていた。

 その沈黙の中で、ソルとルナが静かに呟く。


『教師二人絶句、学院長だけ目を輝かせている』

『流石ノエル』


学院地下最深部のテラの神殿内にて、教師たちの目の前で起きた現象は常識の範疇を完全に逸脱しており、平民の少年が四体もの古代守護機兵と同時に契約したという事実を前に、学院長を除く彼らは揃って言葉を失った。

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