☆1-10☆最悪の初授業 (終)
「敵を倒してここから脱出を致します!」
緊張が張り詰めた空間の中で、アイリスは冷静にそう言い切った。先ほどまでの混乱を断ち切るような、毅然とした声だった。
「出口は分かるのか?」
状況が状況だけに、ノエルはすぐに問い返した。
「分かりません」
「堂々と言ったな」
「分からないから探すのです」
「いや、まぁ正論だけど!」
ノエルは思わず声を上げる。反論したいのに、内容自体は否定できないのが余計に厄介だった。アイリスは周囲を一度見渡し、冷静に状況を整理するように言葉を続ける。
「このまま無秩序に動けば、先ほどと同じことが起きる」
アルベルトが周囲を見回すと、複数方向から迫る魔物の気配がそこにあった。
「個々に戦うだけでは駄目だ」
「珍しく意見が合いましたわね」
「珍しくは余計だ!」
軽い応酬のあと、空気は一気に引き締まった。
「では、役割を決めます」
アイリスは迷いなく全体を見渡し、即座に配置を定めていく。
「わたくしが前衛を務めます。進路を確保し、全体の指揮も執ります」
「自分で指揮役を決めるのか?」
「他に適任がいますの?」
その視線が自然とノエルへ向く。
「俺は道に迷う」
次にアルベルトへ視線が移る。
「僕は指揮もできる!」
『すぐ怒るからやめた方が良い」
『指示が長い』
「できる!」
ソルとルナの冷静な補足に、アルベルトが反論する。そして最後にカティアへ視線が向いた。
「わ、私は……皆さんへ指示を出すなんて、とても……」
「決まりですわ」
「判断が早いな」
「時間がありませんもの。アルベルトさんは氷魔法で通路と敵の動きを制御してください」
「攻撃役ではなく?」
「あなたの氷は、地形へ大きな影響を与えます。敵を倒すより、味方が戦いやすい状況を作る方が有効です」
アルベルトは一瞬反論しようとしたが、先ほど自分の氷が崩落を止め、全員を救ったことを思い出し、言葉を飲み込んだ。
「……分かった」
「ノエルさんは、ソルさんとルナさんを通じて索敵を」
「二人に任せるってことか」
『妾たちは優秀』
『ノエルよりは優秀』
「比較しなくていい!」
「幻影で視界が信用できない以上、お二人の感覚が頼りです」
『任された』
『菓子一個分働く』
「後でちゃんと買うよ」
『じゃあ、二個』
『命懸け価格』
「値上げしたけど、命懸け価格にしては安い!」
「カティアさん」
「は、はい!」
「支援魔法は使えますか?」
「少しだけなら……」
カティアは胸元で手を組む。本来なら高度な精神魔法や複数属性の攻撃魔法を自在に扱える実力者だが、今は気弱な新入生を装っているが為に、その力を隠し、実力を見せるわけにはいかない。
「身体能力を高める魔法と、痛みを和らげる魔法が使えます」
「十分です。わたくしたち三人へ、可能な範囲で付与してください」
「分かりました」
カティアは小さな杖を取り出した。一見すると簡素な木の杖だが、その内部には刃が仕込まれている。もちろん、今は抜かない。
「風よ。迷える者の足へ宿り、傷ついた心身を支えたまえ──《軽身》《安息》」
淡い風が四人の体を包み、足取りが軽くなる。
「すごい」
ノエルは手を開閉した。
「少ししか使えないって言ってなかった?」
「こ、これくらいしか使えないという意味です」
「十分だろ」
「ありがとうございます」
「来ますわ!」
通路の奥から、黒い霧で構成された巨大な狼型の魔物が飛び出した。四つの赤い目が不気味に輝き、口の奥では紫色の術式が回転していた。
「アルベルトさん、右に壁を!」
「命令するな!」
「指揮に従うと言ったでしょう!」
「分かっている!」
アルベルトは右手を振る。
「《氷壁》!」
通路の右半分は分厚い氷の壁によって完全に塞がれ、進路を制限された魔物は逃げ場を求めて左側へと体を寄せたが、そこにはすでにアイリスが踏み込んでいた。
「《光刃》!」
白銀の剣が横一文字に閃き、魔物の前脚を切り落とす。断面は黒い霧となって霧散したが、幻影の身体はすぐさま再生しようと蠢き始めた。
『核は首』
『少し下』
「アイリス、首の下だ!」
「承知しました!」
アイリスは剣を返すと、その切っ先が魔物の喉元へ突き刺さった。紫色の核が砕け、魔物の体は霧散していった。
「まずは一体!」
『後ろから二体』
『速い』
アルベルトは振り返り、床へ魔力を流した。
「《凍結領域》!」
地面が一気に凍りつき、後方から迫っていた二体の魔物は足を滑らせて制御を失い、そのまま巨体を壁へと叩きつけた。一体は蝙蝠の翼を持つ獅子で、もう一体は巨大な蟷螂だった。
「何だ、あの組み合わせ!」
『コンラッドの趣味』
『理解できない悪い趣味』
「本人が聞いたら怒られないか?」
『事実を言っただけ』
『事実、見た目が悪い悪趣味』
蟷螂が鎌を振り上げるのを前に、ノエルは即座に剣を抜き、カティアを守るようにその前へと立ちはだかった。
「下がって!」
「ノエルさん!」
鎌が振り下ろされるのを、ノエルは剣の腹で受け流した。金属同士がぶつかるような衝撃が腕へと走る。実体のない幻のはずなのに、その一撃は異様に重い。魔力によって感覚そのものへ直接、衝撃が叩き込まれているのだ。
「重っ!」
『右からも来る』
「先に言ってくれ!」
獅子の爪が横から迫る。
「ノエルさん、伏せて!」
カティアの声に反応し、ノエルは反射的に身を沈めた。頭上を風の刃が通り抜け、そのまま獅子の顔面へと命中する。カティアのわざと威力を抑えた魔法だったが、それでも敵の動きを逸らすには十分だった。
「助かった!」
「先ほどのお返しです!」
「じゃあ、これで貸し借りなしだな!」
ノエルは軽く、いつも通りの調子で笑った。
その笑みは何の重さもないように見えたが、カティアは一瞬だけ言葉を失う。救った命でさえ貸し借りとして、大きな対価を求めないその在り方に戸惑いを覚えたのだ。ノエルはただ当然のことのように、それを「当たり前」として受け止めていた。
「ノエルさん、左へ避けなさい!」
アイリスが駆け込み、ノエルが横へ跳んだ瞬間、光を纏った剣が蟷螂の胴を両断した。
『核は違う』
『鎌の付け根』
「アルベルト!」
「言われなくても!」
氷の矢が放たれ、蟷螂の右鎌を貫いてその内部に隠されていた核を砕くと、残る獅子は翼を広げて空へ舞い上がろうとした。
「逃がしませんわ!」
「上を塞ぐ!《氷籠》」
アルベルトが空へ手を向けると、氷柱が一斉に伸びて鳥籠のように獅子の進路を包み込み、その行き場を失った魔物はやむなく高度を下げた。
「核は?」
ノエルが尋ねると、ソルとルナは同時に目を細めた。
『見えない』
『霧が邪魔』
「近づけば分かる?」
『多分、分かると思う』
『ノエルが囮になって』
「急に危険な役を振るな!」
「ノエルさん」
アイリスが獅子へ剣を向けた。
「囮をお願いします」
「アイリスまで!」
「大丈夫です。わたくしたちが支えます」
その言葉に、ノエルは目を瞬かせた。
支える──先ほど、自分を穴から引き上げた時と同じだ。一人で飛び込むのではなく、仲間を信じて前へ出る。
「分かった。行くぞ!」
ノエルが剣を構えて前に出る。
すると凍った床を蹴り、獅子が咆哮しながらノエルへ爪を振り下ろしてきたが、ノエルは真正面から受けず紙一重で横へ滑った。
「ソル! ルナ!」
二人は獅子の周囲を旋回し、陽と陰の微かな光が黒い霧を照らした。
『あった』
『左の翼』
「左の翼だ!」
「アルベルトさん!」
「任せろ!《氷鎖》」
氷の鎖が床から伸び、獅子の後脚へ絡みついて動きを奪い、そのまま魔物は傾いた。
「カティアさん!」
「はい!《旋風》」
風の魔法がノエルの背を押し、体は一気に加速した。
「うわっ、速すぎ!」
「ご、ごめんなさい!」
「でも届く!」
ノエルは獅子の背へ跳び乗り、左翼の根元へ剣を突き立てると、紫色の術式が露出した。
「アイリス!」
「お任せなさい!」
白い光が一直線に走り、アイリスの剣から放たれた光刃が露出した核を正確に貫いた。獅子の巨体はそのまま崩れ落ち、黒い霧が四人の周囲へと広がるが、やがて空気へ溶けるように消えていく。静寂が訪れ、新たな魔物の気配はもうどこにもなかった。
『いなくなった』
『今は安全』
ソルとルナの短い報告に、四人はようやく緊張を解き、同時に息を吐いた。張り詰めていた空気が一気に緩み、戦闘後の静けさだけが残る。
「できたな」
ノエルが肩の力を抜きながら笑う。
「最初からこの形で動いていれば、もう少し楽でしたわ」
アイリスは剣を静かに収め、周囲の残滓を確認しながら言う。
「最初は役割なんて分からなかったから仕方ないだろ」
「それを判断するのも試験のうちなのでしょう。今回は即席の班としては悪くありませんでした」
「それ、褒めてる?」
「ええ」
「珍しい」
「取り消しますわよ」
「素直に受け取る!」
ノエルとアイリスのやり取りの間に、アルベルトは氷の檻を解除していた。崩れていく氷の粒が光を反射し、静かに地面へ落ちていく。
「僕の地形制御が優れていたからだ」
「アイリスの指示も良かった」
「僕の氷が優れていたからだ」
「カティアの支援も助かった」
「僕の氷が──」
『アルベルトしつこい』
『褒めてほしいから何回も言ってる』
「黙れ!」
ソルとルナの容赦ない一言に、アルベルトが反応する。その様子を見て、ノエルは苦笑した。
「アルベルトの氷もすごかったよ。足場や体を固定してくれなかったら、俺もカティアも落ちてた」
「……当然のことをしただけだ」
アルベルトは視線を逸らし、ぶっきらぼうに答えた。だが耳の先はわずかに赤い。
『喜んでる…良かったね』
『ツンデレのデレが出た』
「違う!」
「本当に分かりやすいな」
「君にだけは言われたくない!」
カティアは三人のやり取りを少し離れた場所から眺めていた。先ほどまで、この四人は班とは呼べなかった。アイリスとアルベルトは互いの主導権を主張し、ノエルは考えるより先に動き、カティア自身は正体を隠すことだけを優先していた。それが、一度の救出を境に変わった。誰か一人が優れていたからではない。足りない部分を、互いが補ったのだ。それは金糸雀挽歌には存在しない関係だった。組織の仲間は目的のために利用するもの、失敗すれば切り捨てるもの、弱みを見せれば喰われるもの、それが当たり前だった。
「出口を探そう」
ノエルの声が思考を遮る。
「ソル、ルナ。どっちだ?」
『目の前』
『光がある』
「よし。進もう」
「お待ちなさい」
アイリスがノエルの襟を掴んだ。
「何で止めるんだ?」
「役割分担を忘れましたの?」
「あ」
「前衛はわたくしです」
「俺が先に行ってもいいだろ」
「罠へ落ちる可能性があります」
『高い』
『非常に高い』
「そこまで信用がないのか!」
「行動実績に基づく評価ですわ」
「反論できない!」
アイリスを先頭に一行は通路を進み、その後ろにアルベルト、中央にノエルとソル、ルナ、最後尾にカティアが続いた。途中には崩れかけた床や偽の分かれ道が次々と現れたが、ソルとルナが魔力の流れを読み取り、アルベルトが危険な足場を瞬時に凍結し、アイリスが的確に進路を選び取っていく。さらにカティアの支援魔法が全員の疲労を和らげ、隊列は乱れることなく前進を続けた。そしてやがて、通路の先に白い光が見え始めた。
「出口!」
ノエルが声を上げる。
「まだ油断してはいけませんわ」
「出口に見せかけた魔物かもしれない」
アルベルトが警戒する。
『大丈夫』
『本物の出口で間違いない』
「本物みたいだ」
四人は足を速め、白い光の中へ飛び込むと、視界が一瞬で真っ白に染まった。
☆
「おかえり」
穏やかな声が響いた。
目を開けた時、ノエルたちは一年A組の教室へ戻っていた。机、椅子、黒板、そして窓の外に広がる景色──すべてが試験開始前と何一つ変わらないままそこにある。
しかし教室の中の光景だけは大きく異なっていた。床に崩れ落ちるように座り込む者、机に突っ伏したまま動けない者、互いに肩を支え合いようやく立っている者、そして涙を流しながらも教師を睨みつけている者、それぞれが幻術による試験の余韻から抜け出せずにいた。
肉体に傷はないし、衣服も乱れていない。それでも心に刻まれた疲労だけは隠しようがなく、全員の顔には濃い消耗の色が浮かんでいた。
教壇には、試験開始前とまったく変わらない穏やかな笑みを浮かべたままのコンラッドが立っている。その姿だけが、まるで何事もなかったかのように静かだった。
ノエルはふと違和感を覚えた。あれほど長く感じた幻術の世界の体験が、現実ではどれほどの時間だったのか。慌てて教室の時計へ視線を向けると、針は驚くほどわずかしか進んでいない──まだ二十分程度しか経っていなかった。
「……は?」
思わず声が漏れる。信じられずコンラッドへ視線を向けると、彼はいつもの穏やかな調子で肩をすくめた。
「ああ、言っていなかったかな。幻術と空間魔法を組み合わせた僕オリジナルの魔法領域では、効率化のための調整がされていて、体感時間と実時間は一致しないんだよ」
まるで当然のことのような口ぶりだった。あの濃密で現実と区別がつかなくなるほどの体験が、わずか二十分に圧縮されていたという事実は、どうしても受け入れがたかった。
ノエルはしばらく言葉を失ったまま、静まり返る教室を見渡した。誰もが同じように、時間の感覚を壊されたまま、現実へと引き戻されていた。
「最悪だ……」
ノエルは床へ膝をついた。
『初授業は最悪』
『精神的に疲れる授業だった』
「意見が合ったな」
ソルとルナの淡々とした評価に、ノエルは力なく同意するしかなかった。そのとき、一人の男子生徒が勢いよく立ち上がる。
「先生!こんな試験、聞いていません!」
「抜き打ち試験だからね」
「説明になっていません!」
「抜き打ち試験を事前に説明すると、抜き打ちではなくなるからね」
「そういう意味ではありません!」
教室の各所からも、次々と不満の声が上がる。
「巨大蜘蛛を出す必要があったんですか!」
「蛙に食べられました!」
「仲間が途中で僕を置いて逃げました!」
「それは僕じゃない! 足場が崩れただけだ!」
「私のところには、母親の姿をした魔物が出たんですけど!」
「個別の恐怖へ対応した結果だね」
「対応しないでください!」
コンラッドは生徒たちの抗議を静かに受け止めてはいるが、悪びれる様子は一切ない。
「まず、君たちへ伝えておこう」
彼が指を鳴らすと、教室に残っていたざわめきがすっと消えた。音そのものが奪われたわけではないのに、全員の意識が自然とコンラッドへと引き寄せられていく。それはまるで空気ごと視線を支配するような感覚で、これもまた彼の幻術の一端なのだろうと誰もが理解した。
「今回の試験で、実際に命を失う危険はなかった。試験領域は学院最高位の結界師によって保護され、精神への過度な負荷も僕が調整していたから大丈夫だった」
「いや、過度の負荷ありました」
「僕の基準だから仕方がないね!」
「堂々と認めたぞ」
『悪い教師』
『生徒会長の忠告は正しかった』
「グレイシア君は、僕を優秀な教師だと言っていなかったかな」
「遅刻を勧めないとも言ってた」
「優秀な教師の授業には遅れない方がいい」
「自分で優秀って言った!」
コンラッドは気にすることなく黒板へ文字を書き、「能力」「判断」「信頼」という三つの言葉を並べた。
「今回の試験は、君たちの戦闘能力や魔力量を測るためだけに行ったものではない」
静かな教室に、コンラッドの声だけが落ちるように響いた。生徒たちは一斉に顔を上げ、緊張と疑問が混ざった視線が前方へ集まった。
「では、何のためですの?」
アイリスが即座に問い返す。その声音には、納得できないという明確な意志が含まれていた。
「入学試験で、基礎的な能力は既に確認されているはずです」
「その通り」
コンラッドは落ち着いたまま頷く。否定ではなく、前提の確認だった。
「強い魔法を使える者もいる。優れた剣術を持つ者もいる。頭の回転が速い者も、危険を察知する能力に長けた者もいる」
教室をゆっくりと一人ひとりの顔を確かめるように視線を動かした。
「けれど、それだけでは学院で生き残れない」
「学院で生き残るって言い方、おかしくないか?」
ノエルが思わず口を挟む。その疑問は、場の空気に小さな揺らぎを生んだ。
「そのうち慣れるよ」
「慣れたくない!」
「今回、君たちが見たものの大半は幻だ。しかし、試験中に生まれた疑念は本物だ」
そう言うと、彼は黒板へ向き直り、白墨を走らせた。
【疑わしい仲間】
その言葉が、黒い板の上にくっきりと刻まれる。
【突然、同じ班へ組み込まれた相手】
白墨が静かに線を引き、文字の下にさらに言葉が続く。
【何を考えているか分からない相手】
その一文が書かれた瞬間、教室の空気はわずかに張り詰め、カティアの指先が机の上で誰にも気づかれないほど僅かに動いた。
【足手まといになるかもしれない相手】
その言葉に、数人の生徒は自分の中に浮かんだ誰かの顔を無意識に否定するように視線を逸らした。
【自分を裏切るかもしれない相手】
教室の空気はさらに重く沈み、誰も笑わず、誰も冗談にすることもなく、ただ静かに言葉だけが残っていた。
「この試験で見ていたのは、そんな相手を君たちがどう扱うかだ」
ノエルは後ろへ視線を向け、カティアと目が合ったが、彼女はすぐに俯き、コンラッドは静かに指を立てた。
「助ける者、見捨てる者、利用するする者、守られることを当然と考える者、そして誰も信じず、一人で行動する者、どれが必ず正解というわけではない」
「仲間を見捨てることも、正解になり得ると?」
アイリスの声が僅かに硬くなる。
「状況によってはね」
コンラッドは淡々と答えた。
「一人を助けるために、十人を危険へ巻き込む。それは正しい行為だろうか」
「それは……」
「敵に操られた仲間がいる。救う方法は分からない。その仲間を守ろうとすれば、他の仲間が殺される。君ならどうする?」
アイリスは即答できなかった。完璧主義の彼女でさえ答えを持てない問いだったのだと、その沈黙が重く物語っていた。
「学院を卒業すれば、君たちは様々な場所へ向かうだろう。騎士団、魔術師団、冒険者組合、教会、研究機関、貴族家の護衛、他にもきっと沢山の道がある。その時、正体の分からない者と協力しなければならないことがあるだろう。仲間だと思っていた者が、敵である可能性もある」
カティアは息を潜めた。コンラッドが自分を見ているような錯覚を覚えたが、彼のピーコックグリーンの瞳は教室全体へと向けられていた。
「疑え。だが、疑うだけで終わるな」
黒板へ、さらに言葉が加えられる。
【観察】 【判断】 【選択】
「相手を観察し、自分で判断し、選択しろ。そして、その選択へ責任を持て」
「先生」
ノエルは手を上げた。その仕草はいつも通り軽いが、声にはわずかな緊張が混じっていた。
「何かな、ノエル君」
コンラッドは穏やかに応じる。だがその視線は、すでに全員の行動を一度見終えた者のそれだった。
「俺たちが何をしたか、全部見てたんですか?」
「見ていたよ」
即答だった。迷いも誤魔化しもない。そのあまりに自然な肯定に、ノエルは一瞬だけ眉をひそめる。
「やっぱり、趣味悪いな」
短く吐き捨てるような言葉に空気がわずかに止まる。
『悪趣味』
『確定』
ソルとルナが、肩の上で淡々と追従した。コンラッドはそれを聞いても、表情を崩さなかった。
「教師へ向かって随分な言い方だね」
軽い冗談のように返すその声色には責める気配はなく、むしろ観察対象としての興味がわずかに滲んでいたため、ノエルは肩をすくめた。
「穴に落としたり、魔物に襲われているのを見てた人にだけは言われたくない」
その一言で場の空気がほんの少しだけ緩み、コンラッドは小さく笑ったが、否定も肯定もせず、ただ事実として受け取ったような静かな反応を見せた。
「君は迷わず、カティア君へ手を伸ばした」
その言葉は、評価でもあり、確認でもあった。ノエルは一瞬だけ視線を落とし、カティアが魔物に黒い穴の中へ引き摺り込まれていく光景と、そこへ必死に手を伸ばした自分の姿を思い出していた。
「同じ班だったから」
短く、事実だけを返すそこに飾りはなく、理由としてはあまりにも簡素で冷たくすら聞こえるほどだったが、コンラッドはそこでようやく目を細めた。
「それだけ?」
静かな問いは、試すようでもあり、確かめるようでもあったが、ノエルは一度だけ息を吐き、そしてまっすぐに答えた。
「それ以外に理由がいる?」
教室の視線がノエルへ集まる中、ノエル自身は特別なことを言ったつもりはなかった。ただ同じ班で、一緒に試験へ放り込まれ、目の前で魔物に襲われて穴に落ちそうになっていたから助けただけであり、それ以上の理由はなかった。コンラッドはしばらくの間、そんなノエルを静かに見つめていた。
「君の選択は美しい」
声から、普段の軽さが消えていた。そこには冗談も茶化しもなく、ただ静かな重みだけが残っている。
「でも、美しい選択がいつも皆を救うとは限らない」
ノエルは何も答えなかった。言葉を探すように一度視線を落とし、沈黙のまま立ち尽くす。
「君が飛び込んだことで、アイリス君とアルベルト君も危険へ近づいた。結果として四人は助かった。けれど、もし二人の力が足りなければ、全員が落ちていた」
淡々とした事実の列挙。それは責めるためではなく、ただ現実を正確に並べるための言葉だった。
「それでも、俺は──」
ノエルが口を開きかける。
「次も助ける?」
コンラッドの静かな問いだった。感情の揺れを一切含まない、確認だけの一言。ノエルは胸元のお守りを握る。布の感触が、わずかに指先へ力を返した。
「多分」
「即答ではないんだね」
「同じ状況になるとは限らないから」
ノエルは少し考えながら言葉を選ぶ。あの時の判断は、あの時の空気と恐怖と、目の前の命があったからこそ成立していた。
「カティアを助けたいって思ったのは本当です。でも、次は先に二人へ助けを求める」
衝動ではなく、手順としての答え。それは彼なりの成長でもあった。
「僕も含まれているのか?」
アルベルトが振り返る。わずかに眉をひそめながらも、どこか確認するような声音だった。
「同じ班なら当然だろ」
「君は僕の指示を聞かないではないか」
「お前も俺の指示を聞かなかっただろ」
「君の指示が雑だからだ!」
「氷で何とかしろ、で何とかなったじゃないか」
「僕が優秀だったからだ!」
噛み合わない応酬が始まる。緊張していた空気が、少しだけいつもの形へと戻っていく。
『やはり褒めてほしい』
『大型の栗』
「栗から離れろ!」
ソルとルナの淡々とした声に、ノエルがツッコミを入れる。そのやり取りに、わずかな笑いが混じった。重かった空気の中に、小さな温度が戻り、教室には静かな笑いが広がる。張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ緩んでいくのを誰もが感じていた。
コンラッドはその様子を見て、再び穏やかな笑みを浮かべた。
「今の答えなら、及第点を与えよう」
コンラッドは淡々と告げた。感情の揺れはほとんどなく、評価だけを切り取ったような声音だった。
「及第点だけですか?」
生徒の一人が思わず聞き返す。
「最初の授業で満点を取れるほど、学院は甘くないよ」
『菓子は甘い』
『学院も甘くするべき』
「教育方針を菓子に合わせるな」
「試験の評価は、後日それぞれへ伝える」
コンラッドは名簿を開き、淡々と視線を落とした。
「ただし、今日の結果だけで成績は決まらない。失敗した者も、自分がどのような選択をしたか考えておくように」
その言葉に、数人の生徒が小さく息を呑み、一人の生徒が恐る恐る手を上げた。
「あの、仲間を置いて逃げた場合は……」
「理由を書いて提出してほしい」
「罰はありますか?」
「理由に納得できなければ、補習を行う」
「どんな補習ですか?」
「今日の試験を一人で最初から」
「反省します!」
「素直でよろしい」
コンラッドは軽く頷いた。そのやり取りを見ていたアイリスが、小さく呟く。
「脅迫ではありませんの?」
「教育だよ」
『教師は怖い』
『学院は危険』
ソルとルナの言葉に、周囲の生徒たちが一斉に肩を落とす。
「入学初日に確信したくなかったな……」
ノエルは波瀾万丈に始まった学院生活に不安を覚えるのであった。
☆
試験後の簡単な休憩を挟んだのち、学院生活に関する説明が始まった。内容は授業時間の詳細から始まり、食堂の利用方法、寮の門限、決闘申請の手続き、図書塔の立入制限など多岐にわたる。さらに校舎内で魔法使用禁止区域や、学院内でも立ち入り禁止場所といった厳格な規則も説明された。加えて、爆発事故が発生した際の避難経路や、教師が行方不明になった場合の連絡先まで細かく定められており、学院がいかに安全管理と秩序維持を徹底しているかが強調される内容となっていた。
「最後の説明、本当に必要か?」
「学院では、教師も行方不明になりますの?」
ノエルが小声で尋ねると、アイリスも眉を寄せている。
「研究へ没頭して、三日ほど研究室から出てこない先生はいる」
コンラッドが答えた。
「それは行方不明と呼ぶのか?」
「本人がどこにいるか把握していないからね」
「この学院の教師、大丈夫なのか?」
そんなやり取りの中、アルベルトは真面目に説明を書き留めていた。
だが、その机の端には、先ほどノエルから没収した“問題の紙”が置かれていた。
『妾たちの最高傑作返して』
『妾たちの最高傑作、欲しかったら菓子と交換』
ソルとルナはアルベルトの机の前に陣取り、小さな手を必死に紙へと伸ばしていた。その光景を見たアルベルトは、眉間に皺を寄せる。
「返すか! それにこの絵はなんだ!」
机を叩く勢いで指差す。
「なぜ僕が炎を吐いているんだ!」
紙に描かれていたのは、髪を逆立てた大男のアルベルト。口からは豪快に炎を吐き、両手には巨大な氷塊を構えているという姿である。
『怒ると熱い』
『氷雪の魔法騎士なのに』
「炎と氷は属性的に矛盾しているではないか!」
『芸術』
『現実を超える』
「芸術を逃げ道にするな!」
アルベルトは頭を抱え、そのまま肩を震わせる。
その様子を見ていたアイリスが、冷ややかな視線を向けた。
「アルベルトさん、静かにしてください」
「僕だけが悪いのか?」
「声量では、あなたが最も悪いです」
「妖精たちが先に話しかけたんだ!」
『責任転嫁』
『問題児、略して問騎士』
「問騎士と言うな!」
再び教室には静かな笑いが広がり、カティアも控えめに口元を緩めた。その笑みは作られたものではなく、本人すら気づかないほど自然で小さなものだった。説明が一区切りついたところでコンラッドは黒板へ次の日程を書き始める。明日は入学式、式の後には称号測定、午後には校内施設の詳細確認、そして翌日には一年生合同授業がある。生徒たちが黒板へ視線を向ける中、カティアは小さな声でノエルを呼んだ。
「ノエルさん」
「何?」
「少し、聞いてもよろしいですか?」
「いいよ」
「どうして……私を助けたのですか?」
カティアは机の下で両手を強く握りしめていた。答えはすでに分かっている。コンラッドとの会話の中でも、ノエルは「同じ班だから」と当然のように答えていた。それでも彼女は、どうしてももう一度だけ、本人の口から確かめたかった。
「だから、同じ班だったから」
ノエルはさっきと同じ答えを口にする。
「でも、私は足手まといだったかもしれません」
「足手まといじゃなかった。実際、支援魔法で助けてくれただろ」
「それは、助けられた後の話です」
「助ける前には分からなかったな」
「もし、私が何もできなかったら?」
「それでも助けたと思う」
「もし、私があなたを騙していたら?」
ノエルはカティアを見つめた。桃色の瞳が、静かにこちらを映している。試験中に落とした眼鏡は、幻影領域の消滅とともに元の位置へ戻り、今は机の上にそっと置かれていた。その眼鏡を外したままの顔は、先ほどまでよりもどこか少しだけ強く見えた。
「騙されてるって分かったら、その時に考える」
「怒らないのですか?」
「内容による」
「では、敵だったら?」
「止める。でも、敵だって決めつける前に、話くらいは聞く」
「なぜ……」
「同じ班だったから。それに、今は同じクラスだろ?」
ノエルはそう言って笑った。
その笑顔と言葉に、カティアの胸の奥では罪悪感と戸惑い、苛立ち、そして羨望にも似た得体の知れない感情が渦を巻いていた。自分のような者に対しても迷わず手を伸ばすその在り方を、美しいと思ってしまったのかもしれない。
コンラッドの言葉が脳裏をよぎる。──美しい選択が、いつも皆を救うとは限らない。
その通りだ。ノエルの優しさは、いつか彼自身を破滅へ導く危うさを孕んでいる。
そして、その破滅をもたらすのが自分の役目だ。金糸雀挽歌のオウルアイとして、ノエルの心へ入り込み、必要な情報を引き出すために。
それなのに───
「ありがとう……ございます」
口から出た言葉は、あらかじめ用意されたものではなかった。衝動のままに零れたそれは、カティア自身 でも少し意外なほど自然に、空気へ溶けていく。
「さっきも聞いたぞ」
「何度でも、言いたいので」
「そっか」
短いやり取りのあと、場には穏やかな沈黙が落ちる。その静けさの中で、ソルとルナがノエルの頭上から淡々と告げた。
『カティア』
『少し変わった』
カティアの肩が、ほんのわずかに揺れる。
自分のことを指摘されたことに対する戸惑いと似た感情が入り混じった微細な反応だった。
「変わった、ですか?」
『受付の時と違う』
『今は本当に笑っている』
その言葉に、カティアは一瞬だけ視線を落とす。胸の奥に、静かに波紋が広がる。
「……そうでしょうか」
カティアは自分の頬にそっと触れた。そこには確かに、緩んだままの口元があった。慌てて表情を引き締めようとするが、一度ほどけた感情は完全には戻らず、わずかな笑みだけが残っていた。
「笑ってる方がいいと思う」
ノエルが、何気ない調子でそう言った。
教室の空気は夕焼けの緩さを残しており、窓から差し込む光が机の上に柔らかい影を落としている。
「眼鏡がない方が綺麗な顔もよく見えるし」
続けて放たれたその一言に、カティアの動きがぴたりと止まった。
「え……」
頬が一気に熱を帯び、視線が泳ぐ。手元のノートに落としていた視線を上げられないまま、耳まで赤く染まっていく。
「ノエル」
前の席から、アルベルトがゆっくりと振り返った。その表情は呆れと警戒が半分ずつ混ざっている。
「君は無自覚に何を言っている」
「顔が見えるって言っただけだろ」
ノエルは首を傾げる。まるで本当に何も問題がないとでも言うような顔だった。
「それが問題なのだ!」
アルベルトの声が一段強くなる。周囲の生徒がちらりとこちらを見るほどの勢いだった。
『女心が分からない』
『将来が不安』
ソルとルナが、淡々とした声で追い打ちをかける。
「お前たちにまで心配されたくない!」
ノエルが反論するが、教室の空気はすでに別の方向へ傾き始めていた。
「授業中に女性を口説くとは、余裕がありますわね」
アイリスが静かに目を細める。その笑みは冷たく、刃のような圧を含んでいた。
「口説いてない!」
ノエルは机を軽く叩きそうな勢いで身を乗り出し否定をする。
「では、わたくしが眼鏡を外しても同じことを言いますの?」
「アイリスはそもそも眼鏡をかけてないだろ」
「仮定の話ですわ!」
「何で怒ってるんだよ!」
「怒っていません!」
『かなり怒っている』
『乙女心は複雑』
「あなた方は黙っていなさい!」
小さな騒動が教室の一角へ広がる中、コンラッドは黒板へ文字を書き続ける。
背後で交わされるやり取りをすべて聞いており、振り返ることはないが、その口元にはどこか楽しげな笑みが浮かんでいた。
「随分と余裕が戻ったようだね」
「誰のせいで余裕がなくなったと思ってるんですか!」
「元気で何よりだ」
「全然反省してない!」
その時だった。ノエルの契約紋が、ほんの僅かに熱を帯びた。
「ん?」
あまりに微かな変化だった。痛みはなく、光も目を凝らさなければ分からないほど弱い。ノエルは右手を持ち上げると、そこに刻まれた陽を示す紋様と陰を示す紋様──ソルとルナへ繋がる二つの契約紋が、脈打つように一度だけ明滅した。
『ノエル』
ソルが声を低くする。空気がわずかに張り詰め、周囲の温度が一段階下がったような錯覚すら覚える。
『何かいる』
ルナも教室を見回した。普段の無表情とは違い、わずかに警戒の色が混じっている。視線だけが、見えない何かを追っていた。
「何かって?」
ノエルは小声で尋ねた。周囲に気取られないようにしながらも、自然と背筋が伸びる。空気の異変は、彼にもはっきりと感じ取れていた。
『かなり強力な結界』
『とても強くて大きい』
ソルの言葉は短いが、そこに含まれる意味は重い。ただの魔力反応ではない。異質な圧が空間の奥に沈んでいる。
「学院の結界じゃないのか?」
ノエルは確認するように問いかける。この場所全体を覆う結界魔法は、常に稼働しているはずだった。それとは別の存在があるという感覚が、どうにも現実味を持たない。
『学院の結界と同じ魔力』
『でもかなり近い場所に感じる』
その言葉で、空気がさらに重くなる。
同じ系統の結界、だけど学院のものとは別の意志で、すぐ近くに重ねられている。まるで、既存の防御の上に、もう一つ別の層が貼り付けられているかのように。
二人の妖精王は同時に教室の後方へ視線を向け、ノエルもその視線を追った。最後列、先ほどまで誰も座っていなかったはずの席に、一人の青年が腰掛けている。
薄紫色の短い髪に涼しげな青い瞳、透き通るような白い肌と中性的で整いすぎた美しい顔立ち。椅子に深く座って長い脚を組み、片手で頬杖をついたその姿は、教師用の外套を肩に掛けているにもかかわらず厳格さの欠片もなかった。彼がいつ教室に入ったのか誰も気づいておらず、扉が開く音も足音もなく、そこに人がいると認識している生徒すらいないようだった。青年はソルとルナの視線に気づくと面白そうに口角を上げ、人差し指をそっと口元へ当てる──静かに、と告げる仕草だった。
「……誰だ、あの人」
「何のことですの?」
アイリスがノエルの見る方角へ振り返るが、彼女の視線は青年の上を通り過ぎた。
「後ろに先生がいるだろ」
「先生?」
アルベルトも後方を見る。
「誰もいないではないか」
「いるって」
『いる』
『強い』
ソルとルナの声が、僅かに警戒を帯びる中、青年は楽しそうに目を細めた。教壇に立つコンラッドも黒板へ向いたまま、静かに口を開く。
「今日はここまでにしよう」
生徒たちが一斉に立ち上がり、椅子が引かれる音が重なる。安堵の声と荷物をまとめる気配が教室を満たしていく。その喧騒の中で、ノエルは一度だけ瞬きをした次の瞬間、教室の最後列にいた薄紫色の髪の青年の姿は、まるで最初からそこにいなかったかのように消えていた。
残されたのは静寂と、右手の甲に刻まれたソルとルナの契約紋が、微かに熱を帯びている感覚だけだった。
『消えた』
『でも近くにいる』
「何なんだよ……」
ノエルは誰もいない後方の席を見つめた。
☆
一方、教室の外で廊下の壁へ背を預けたアミュ・プロテクシオンは、楽しそうに笑っていた。
「なるほどな」
右手の指先には、薄い結界の膜が浮かんでいた。学院全域を覆う巨大結界の一部が、ノエルの契約紋へ触れた瞬間、陽と陰──二つの異質な力が、ほんの僅かにこちらへ反応した。
「ただの高位妖精じゃねえとは思ってたが」
アミュは教室の扉越しに、ノエルの気配を探る。
「こいつは、想像よりずっと面白そうだ」
背後の空間が歪むと、いつの間にかコンラッドが隣へ立っていた。
「僕の生徒へ、勝手にちょっかいを出さないでほしいな」
「お前が言うと説得力がねえよ」
「彼は繊細なんだ」
「底なし穴へ落とした奴の台詞か?」
「幻術上では八百メートルだよ」
「同じだ!」
アミュは豪快に笑い、廊下を歩き出す。
「まあいい。挨拶は次に取っておく」
「普通の挨拶にしてくれると助かる」
「俺を誰だと思ってる」
「普通の挨拶が最も苦手な教師」
「よく分かってるじゃねえか」
薄紫色の髪が夕方の光を受けて揺れる。
学院の番人───強大な結界を操る破天荒な教師、アミュ・プロテクシオン。
その存在に反応した契約紋の意味を、ノエルはまだ知らない。
それに加え、最悪の初授業は終わったが、王立アストル魔法学院には、コンラッド以上に厄介な教師が、まだ三十九人も残っていることも、またノエルは知らないのであった。




