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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第一章 王立アストル魔法学院編
16/25

☆1-2☆ 王都アストル魔法学院

ベージュブラウンの長い髪が、柔らかな光を受けて静かに揺れていた。人の流れが絶えない学院の広場の中で、その色合いは周囲に溶け込みながらも、どこか印象に残る淡さを持っている。

 細い銀縁の眼鏡が、その顔立ちに知的な印象を添えていた。レンズ越しに覗く視線は穏やかで、どこか頼りなげにも見える。

桃色の瞳は柔らかく、優しげでありながら、奥底には別の光を秘めているようにも感じられた。

 学院の新入生用制服を身につけ、胸元にはカティア・リューゲンという名が刻まれた仮登録証をつけている。その名札は、彼女がこの場にいる理由を示す唯一の証明だった。

 少女は両手で教本を抱え、肩を縮めていた。人の波に押されるように立ち尽くし、どこへ進めばいいのか分からない新入生のように見える。

 周囲から見れば、人混みへ馴染めずに立ち尽くしている新入生にしか見えない。誰も彼女に注意を払わず、ただの一人として流れていく。

 だが、眼鏡の奥の視線は正確にノエルを追っていた。人混みの隙間を縫うように、その姿を見失うことなく捉え続けている。


 ダークブラウンの髪に小柄な体、頭と肩を行き来する二体の妖精、共に歩く四人へ次々とツッコミながら、中央受付棟へ向かっていくその様子は、周囲の視線を自然と引き寄せていた。


「到着しましたか」


 カティア───オウルアイは、誰にも聞こえないほどの小さな声で呟いた。その言葉は人々のざわめきに紛れて消えていく。

 先ほどまで、ニグルムがノエルのすぐそばにいた。その存在は確かに感じられていたが、今はもうそこにはない。

 学院の門を境に、二人は別れた。あの瞬間を思い出すように、オウルアイの視線がわずかに細められる。


 もっとも、完全に離れたわけではない。ニグルムの魔力は、ノエルの精神境界へ僅かに残っている。その痕跡は薄く、しかし確実に存在していた。


 守護、目印。あるいは、他者が触れたことを知るための印。


「用心深いこと」


 オウルアイの桃色の瞳が細くなる。わずかな感心と警戒が、その奥に浮かんでいた。ノエルの隣にいる四人にも視線を移す。人混みの中でも、その存在感は際立っていた。


 【聖剣】アイリス・ステラルーチェ


 【天千眼(テンセンガン)】フィン・クローバー


 【魔法騎士】アルベルト・ノービリタス


 【星詠神宮】シャスール・フォレスティ


 学院側が集めた今年の有望株。その顔ぶれは、ただの新入生とは思えないほどの重みを持っていた。

 それぞれが単独でも、今後の王国へ大きな影響を与えかねない称号を持っている。その力は、まだ未熟であっても確実に未来へ繋がっていくのだろう。

 

そして、その中心にいるのが


 【召喚士】ノエル・メレディス


「偶然にしては、出来すぎていますね」


 その配置、その巡り合わせ。そのすべてが、あまりにも整いすぎているように感じられた。

 シャスールが、不意に足を止めた。歩調が乱れ、周囲の流れからわずかに外れる。

 金色の瞳が、ゆっくりと後方へ向けられる。その視線は鋭く、ただの違和感では終わらせない強さを持っていた。

 オウルアイは瞬時に魔力を抑えた。呼吸を浅くし、存在感を限界まで薄める。

 肩を小さく震わせ、道に迷った少女の顔を作る。視線を落とし、教本へ意識を向けることで、完全に無害な存在を演じる。

 シャスールの視線が、人混みを静かに撫でる。まるで風が通り抜けるように、しかし確実に何かを探していた。


「どうした?」


 フィンが尋ねた。軽い調子だが、その声には仲間を気遣う色がある。


「誰かに見られている気がした」


「俺たちは目立ってるからな」


 ノエルが周囲に視線を巡らせながらも、どこか納得したように肩をすくめる。


「主にアイリスとアルベルトのせいで」


「なぜ、わたくしのせいなのですか?」


「公爵家が二人もいれば目立つだろ」


「頭に妖精を二人乗せた君が一番目立っている!」


 アルベルトが反論する。声を張り上げ、明らかに納得していない様子だ。


『妖精王』

『六度目』


「しつこい!」


 そのやり取りに、周囲の空気がわずかに緩み、五人は再び歩き始めた。流れに乗るように、中央受付棟へと進んでいく。

 シャスールだけが最後まで後方を見ていたが、やがて仲間たちの後を追う。その背中には、まだわずかな警戒が残っていた。


 オウルアイは眼鏡を押し上げた。指先でフレームを整えながら、静かに息を吐く。


「さすが星詠神宮。やはり、鋭いですね」


 笑みは浮かべない。ただ事実を確認するように、淡々と呟く。

 今の一瞬で、シャスールは視線だけではなく、魔力の僅かな揺れまで感知した。その感覚は、常人の域を明らかに超えている。

 正面から監視すれば、早い段階で気づかれる可能性がある。その判断は、すでに確定していた。


「彼にも注意が必要ですか」


 オウルアイは教本を抱え直し、袖口へ右手を滑り込ませた。周囲からは見えないように、自然な動作で隠す。制服の内側には、一本の黒い羽根が隠されている。冷たい感触が指先に触れる。オウルアイ自身の魔力から生み出した梟の羽根。その存在は、彼女自身の意思と直結していた。指先で羽根へ触れると、桃色の光が一度だけ脈打った。微かな光が、すぐに闇へ溶ける。遠く離れた場所へ繋がる魔力の糸が開く。見えない回線が、静かに接続された。


「《こちら、オウルアイ》」


 唇をほとんど動かさず、囁く。その声は極めて小さく、周囲の雑踏に完全に紛れていた。人々の声に紛れ、その言葉を聞く者はいない。


「《学院への搬入は完了。予定通り、魔導具は各所へ運ばれています》」


 中央受付棟へ入っていくノエルの背中を見つめる。その姿を見失わないように、視線を固定する。

 その姿が扉の向こうへ消える直前、ノエルが突然、こちらを振り返った。オウルアイは瞬時に視線を落とす。反射的な動きだった。

 気弱な少女を演じ、教本の表紙を見つめた。呼吸を整え、存在をさらに薄める。


「どうした、ノエル?」


 遠くからフィンの声がする。軽い調子だが、仲間の変化を見逃さない。


「いや……誰かに見られてた気がした」


 ノエルは首を傾げながら答える。その視線はまだ周囲を探っていた。


「シャスールと同じこと言ってるな」


 フィンが苦笑するように言う。


『気のせいではない』

『変な匂いがする』


 ソルとルナが同時に呟く。その声は小さいが、確信に満ちていた。


「変な匂い?」


 ノエルが眉をひそめる。理解できないという表情だ。


『甘くて膿んだ果実の匂い』

『不快になる匂い』


「どんな匂いだよ…」


 ノエルたちの声が、受付棟の中へ消えていく。扉が閉まり、外の喧騒と切り離される。

 オウルアイはゆっくりと顔を上げた。先ほどまで伏せていた視線を戻し、桃色の瞳に僅かな興味が宿る。その光は、観察者としてのものだった。

 昨日作ったばかりの精神境界が、既に他者の視線を違和感として捉え始めている。その成長速度は予想以上だった。


「想定よりも成長が早い」


 袖口の羽根へ、最後の言葉を流し込む。通信の終端へ向けて、簡潔に伝える。


「《学院へ潜入成功しました》」


 黒い羽根が、小さく震えた。応答の代わりに、微かな魔力の波が返ってくる。

 オウルアイは通信を閉じ、何事もなかったように歩き出す。再び人の流れへ溶け込んだ。向かう先は、ノエルたちと同じ中央受付棟。足取りはゆっくりだが、迷いはない。


 身分確認、称号の仮登録、寮の決定、そして所属クラスの発表。


 新しい学院生活はまだ始まってすらいない。だが、その準備は着実に進んでいる。それでも既に、五つの特異な称号と、一つの悪意が同じ場所へ集まり始めていた。



           ☆


王立アストル魔法学院


王都ミネルヴァの北東部に位置するその学院は、貴族街と商業区の境界に広がる巨大な学院都市である。白亜の城壁に囲まれた敷地は一つの都市そのもので、中央には王城に匹敵する規模の本館がそびえ立ち、その左右には尖塔を備えた校舎群が幾重にも連なっている。

学院の門から歩いてすぐの場所に様々な書類や手続きを行う中央受付棟、その少し離れた場所に男子寮と女子寮があり、また本館から少し離れた場所に円形の訓練場、硝子張りの温室、そして湖に浮かぶ小塔がある。


学院のあちらこちらに存在する庭園では、石造りの獅子像がまるで生き物のように昼寝をしており、その隣では魔導人形が丁寧に花壇へ水を注いでいた。


また、遠くの尖塔からは紫色の煙が立ち上り、鐘の音とともに誰かの悲鳴が響いてくる。


「入学初日から爆発してるぞ」


 ノエルは足を止め、遠くに見える光景を呆然と見上げた。常識の範囲を軽く踏み越えた日常が、そこには当たり前のように存在している。


『実験』


 頭の上に座ったソルが、まるで当然の事実を告げるように短く言った。


『学院では日常』


 右肩に乗るルナも、同じく淡々と続ける。


「まだ何も知らないのに、日常だって決めつけるなよ」


 ノエルは思わずツッコミを入れるが、その声にはすでに諦めにも似た響きが混じっていた。

 そんな彼の隣で、アルベルトは真顔のまま学院を見上げている。


「いや、おそらく日常だ」


 風に金色の髪を揺らしながら、遠くで煙を上げる校舎へ視線を向けるその横顔は、妙に慣れているようにも見えた。


「兄上から聞いたことがある。昨年度は校舎が三度半壊したらしい」


「三度も?」


 ノエルが目を丸くする。


「正確には三度と四分の一だ」


「四分の一って何だよ」


「壁だけが消えた」


「十分に壊れてるだろ!」


 ノエルの叫びは、中央受付棟に行く道中に虚しく響いた。

 そのやり取りを聞きながら、フィンは朗らかな笑顔を浮かべている。

 背中には大きな鞄があり、その両側からは鍋や水筒、乾燥食料らしき袋がいくつもぶら下がっていた。歩くたびに金属と陶器がぶつかる音が鳴り、まるで小さな商隊のようだ。


「安心して、ノエル!建物が壊れても、お金があれば大抵は直せるよ」


 フィンは軽い調子で言いながら、肩の荷物を揺らす。


「命は直らないからな?」


 フィンは一瞬だけ目を瞬かせ、それから肩をすくめた。


「命を扱う店は、さすがにうちにもないなあ」


 その言葉に、空気が少しだけ緩む。

 だが、すぐにソルとルナが肩の上で淡々と告げた。


『将来入荷する可能性はある?』

『ノエル、予約しておく?』


「俺を何だと思ってるんだ」


 ノエルが即座に突っ込むと、二人は無表情のまま視線だけを向ける。


『よく危険へ飛び込む子ども』

『予備の命が必要な子ども』


「売ってても買わないからな!」


 ノエルの叫びに、フィンが笑いをこらえきれず吹き出した。


「売っていれば、僕が一つ贈ろう」


 その横で、シャスールが何の躊躇もなく言い放つ。彼は学院の尖塔を見上げながら、まるで珍しい獲物でも観察するような目をしていた。

 風に揺れるピンクブロンドの三つ編みが、陽光を受けて淡く輝く。


「誕生日祝いに」


「重すぎるだろ。もっと普通のものにしてくれ」


 ノエルが拒否すると、シャスールは少し考えた後、あっさりと言い直した。


「では、矢尻」


「贈り物の選択肢が矢尻なんだよ!」


 ノエルのツッコミに、シャスールは首を傾げる。


「森では喜ばれる」


「ここは王都だ!」


 五人の少し前を歩いていたアイリスが、そのやり取りに深い溜息をつきながら振り返った。

 白銀の髪が朝の光を受けて眩しく輝き、まるで一枚の絵画のような存在感を放っている。


「中央受付棟の入り口で騒ぐのはおやめなさい。学院の品位が疑われますわ」


「俺たちはまだ学院生じゃないぞ」


 ノエルが肩をすくめると、アイリスは即座に言い返した。


「今日から学院生になる者としての自覚を持ちなさいと言っています」


「入学前から厳しいな」


「当然です。王立アストル魔法学院は、かつて三大英雄の一人、聖剣テラ様との関わりがある由緒ある──」


『長い』

『中央受付棟に入る前に日が暮れる』


 ソルとルナが同時に淡々と告げ、アイリスの眉がぴくりと動いた。


「……妖精でなければ、礼儀作法を一から叩き込んでいるところですわ」


『妾たちは妖精王』

『叩き込まれる側ではない』


「なら、王としての品格を身につけなさい」


『菓子を要求する』

『王の権利』


「その権利は学院では認められません!」


 アイリスの声が一段強くなる。

 そのやり取りを見ていたアルベルトが、額に手を当てながら声を上げた。


「全員、もう少し静かにできないのか!」


 彼はとても大きな中央受付棟を見上げ、これから始まる学院生活に早くも不安を覚えていた。


「学院へ入る前から問題を起こしたと思われるだろう!」


 その言葉に、ノエルたちは揃ってアルベルトを見た。


「一番声が大きいぞ」


「誰のせいだ!」


『アルベルト』

『自己責任』


「君たちのせいだ!」


 アルベルトの叫びが朝の空に響く。

 その横で、フィンは楽しそうに笑っていた。


「アルベルト君は元気だねえ」


「君まで他人事のように言うな、フィン!」


 そんな騒がしい一行の前で、中央受付棟の門を守る左右に配置された二体の石像が、ゆっくりと動き出した。

 槍を持った騎士像と杖を持った魔術師像。まるで生きているかのように魔力を揺らめかせていた。石でできたはずの表面には淡い紋様が浮かび、石像そのものが意思を持つかのような異様な気配を放っている。

 二体の光る瞳が五人を順番に見つめる。その視線は冷たく、同時にどこか楽しんでいるようでもあった。


《新入生と思われる五名を確認》


 石像の胸部から響く低い声が中央受付棟の入り口前の空気を震わせる。周囲の新入生たちが一斉に振り返り、ざわめきが広がった。


《騒音水準、基準値を超過》


 無機質な報告が続く。まだ何もしていないはずのノエルたちは、すでに問題児扱いされている空気の中心に置かれていた。


《中央受付棟への入場を許可》

《問題児候補として記録する》


「待て!」


 アルベルトが即座に前へ出る。靴音が石畳に強く響き、石像へ詰め寄った。その表情はすでに戦闘時のそれに近い。


「なぜ入る前から問題児候補になる!」


 石像の瞳が一瞬だけ明滅する。


《抗議行動を確認》


 淡々とした声。感情という概念が存在しないかのようだった。


《問題児候補から問題児へ変更》


「悪化したぞ!」


 アルベルトの声が裏返る。後ろでノエルが肩を震わせているのが見えた。必死に笑いを堪えているのが丸わかりである。


《金髪の長身男性のみ先行登録》


 石像の視線がアルベルトに固定される。


《他四名は候補のまま継続》


「僕だけか!」


 アルベルトは両手を広げて抗議するが、石像は一切動じない。むしろ当然の処理のように淡々としている。

ノエルはついに堪えきれず、顔を背けた。


「良かったな。最初の称号が決まって」


 肩を震わせながら言う。声は笑いで少し掠れていた。


「僕の称号は魔法騎士だ!」


 アルベルトが訂正するが、ソルとルナは間髪入れずに追撃した。


『問題騎士』

『略して問騎士』


「勝手に増やすな!」


 アルベルトの叫びが中央受付棟の正門前に響く。周囲の新入生たちは完全に足を止め、遠巻きに見守る構図になっていた。

 アイリスは額へ指を当て、深く息を吐く。すでに諦めの色が混じっている。


「先が思いやられますわ」


 その言葉には、これから始まる学院生活への確信めいた疲労が滲んでいた。


「アイリスも同じ集団だと思われてるぞ」


「わたくしはあなた方を監督しているのです」


 その言葉に、石像の瞳が再び光る。


《同伴者》

《連帯責任》


「納得できませんわ!」


 アイリスの声が珍しく感情を強める。だが石像は一切の揺らぎを見せない。むしろ事務的に処理を続けるだけだった。


 石像は最後に一言だけ告げた。


《ようこそ》

《王立アストル魔法学院へ》


 

 ノエルは胸元のお守りへそっと触れる。布の感触が指先に残る。


 ( ようやく、ここまで来た )


 ルーベ村を出てから、まだそれほど長い時間が経ったわけではない。それでも、故郷はひどく遠く感じられた。

 父の言葉、母の歌、妹の笑顔、そしてニグルムと交わした約束、そのすべてを胸の中へしまい、ノエルは一歩を踏み出す。石畳を踏む音がやけに大きく響いた。


「行こう」


 その一言は、これから始まる日々への宣言だった。

 ソルとルナが肩の上で小さく揺れる。


『入学祝いの菓子が必須』

『まずは菓子の探索』


「目的を変えるなよ」


 ノエルは突っ込みながらも、口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。

五人と二体の妖精は、王立アストル魔法学院の中へと歩みを進めていく。

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