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セイレーンは終焉を歌わない 〜十二の曲と六芒獣〜  作者: 白雪藤
第一章 王立アストル魔法学院編
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☆1-1☆ 新入生

「新入生の方は、青い案内板に従って進んでください!」


 学院の門をくぐり、その先へと足を踏み入れると、制服姿の上級生が大きく息を吸い込み、周囲の喧騒に負けないように声を張り上げていて、その声は広場全体へと響き渡り、初めてこの場所へ訪れた新入生たちの耳へとしっかり届いている。


「本日の手続きは中央受付棟です! 荷物預かり所は右手、保護者待機所は左手になります!」


 門の内側に広がる光景は、外から見た印象とは比べものにならないほど広大で、思わず足を止めてしまいそうになるほどだった。

 中央には大きな噴水があり、その周囲を囲むようにして広場が広がっている。水音が絶えず響き、陽光を受けてきらきらと輝く水面が、どこか非現実的な美しさを感じさせた。

 そこからは石畳の道が放射状に伸びており、それぞれが異なる建物や施設へと繋がっているようだった。


 右手には赤い屋根が印象的な建物が並び、整然とした造りからは機能性と格式の高さが感じられ、左手には広大な庭園が広がっており、手入れの行き届いた草木や花々が、訪れる者の目を楽しませていた。

 そして正面の遥か先には、ひときわ目を引く時計塔を備えた中央校舎がそびえ立っている。その姿は圧倒的な存在感を放ち、この学院の中心であることを強く印象づけていた。


「青い案内板……」


 ノエルは周囲を見渡しながら、小さく呟く。そして少しでも視界を確保しようと、背伸びをして人混みの向こうを覗き込もうとした。

 しかし、周囲には同じように新入生やその関係者が溢れており、人の波が絶え間なく動いているため、目的の案内板はなかなか見つからない。


『ノエルが小さい』

『視界が悪い』


「わざわざ言わなくていい!」


 頭上から聞こえてくる淡々とした声に、ノエルは即座に反応して言い返す。ソルとルナは軽やかに空へと舞い上がり、上空から状況を確認しようとしていた。


『右に行けばいい』

『たぶん』


「たぶんで案内するな!」


 頼りになるのかならないのか分からない案内に、ノエルは思わず声を荒げる。しかしその間にも、新入生たちの流れは止まることなく続いており、ノエルの体は自然と前へ前へと押し流されていった。


「ちょっと、押すな!」


 周囲からの圧力に耐えきれず、思わず声を上げる。しかしその声も、ざわめきの中に紛れてしまい、誰の耳にも届いていないようだった。


『ノエルが流されていく〜』

『まるで木の葉のように〜』


「実況してないで助けろ!」


 上空からの冷静な観察に対し、ノエルは必死に抗議する。だがその間にも状況は悪化していくばかりだった。左側からは大きな荷物を抱えた人物が迫り、視界を遮るように近づいてくる。右側からは整然とした動きで進む使用人の一団が通り過ぎ、その流れに巻き込まれそうになる。前方には背の高い男子生徒が立ちはだかり、進路を塞ぐような形になっている。

 さらに後方からは急ぎ足の少女が迫ってきており、押される力が一層強まっていた。

 どの方向へ避けようとしても、必ず誰かとぶつかってしまいそうな状況で、身動きが取れない。


「王都は人が多すぎる!」


『ここは学院の中』

『王都だけど王都じゃない』


「細かい!」


 的確なのかどうか分からない指摘に、ノエルはツッコミを入れる。

 その時、前方の人混みにほんのわずかな隙間が生まれた。ほんの一瞬だけ開いたその空間を見逃さず、ノエルは体を滑り込ませるようにしてそこへ入り込む。

 押し流される流れから抜け出そうとするその動きとほぼ同時に、横道から一人の少女が広場へと足を踏み入れてきた。

 人の流れに紛れることなくまっすぐ歩くその姿は、周囲の喧騒とは一線を画す凛とした空気を纏っている。しかし、その進行方向はノエルとわずかに重なっていた。互いに気づくのがほんの一瞬遅れた。


「危な──」

「きゃっ!」


 短い声が重なり、次の瞬間、二人の肩がぶつかる。衝撃は大きくないが、不意を突かれたノエルはよろめき、踏みとどまるまでに一拍の間があった。一方、少女も一歩後ろへ下がり、抱えていた書類を支えきれず数枚を落としてしまう。白い紙が宙に舞い、風に煽られて石畳へ散らばった。


「ごめん!」


 ノエルは反射的に謝り、すぐにしゃがみ込んで書類を拾おうとする。その視界の端に、さらりと流れる白銀の髪が映る。少女も同時に手を伸ばしたため距離が一気に縮まり───ごつん、と鈍い音が響いた。二人の額がぶつかる。


「痛っ!」

「……っ」


 短い悲鳴と息を詰める声が重なり、二人は額を押さえて動きを止めた。ほんの一瞬、静寂が流れる。


『二回目』

『相性が悪い』


 頭上から淡々とした声が落ちる。


「まだ会ったばかりだろ!」


 ノエルは反射的にツッコミを入れながら顔を上げ、ようやく少女の姿を正面から捉え、思わず言葉を失う。

 そこにいたのは、見惚れるほど整った容姿の少女だった。陽光を受けてきらめく長い白銀の髪、澄み切ったロイヤルブルーの瞳。背筋は真っ直ぐに伸び、立ち姿に隙はない。青と白を基調とした上品な服装は質の高さが一目で分かり、胸元には公爵家を示す徽章が輝いていた。


「大丈夫?」


 ノエルは額を押さえながら声をかける。少女はゆっくりと手を離し、静かにノエルを見下ろした。身長差のため自然と見下ろされる形になる。その視線には苛立ちと冷静な観察が混ざっていた。


「まず、謝罪を最後までなさってください」


「え?」


 予想外の言葉にノエルは間の抜けた声を漏らす。


「先ほど、あなたは『ごめん』とだけ仰いました」


「謝っただろ」


「初対面の相手へ対する謝罪として、言葉が軽すぎます」


「ぶつかっただけだぞ?」


「ぶつかったことではありません」


 少女は書類を拾いながら淡々と続ける。


「不注意によって他者へ迷惑をかけたのですから、相手の無事を確認し、非を認め、誠意を込めて謝るべきです」


「大丈夫かって聞いた」


「順番が逆です」


「順番まで決まってるのか?」


「礼節には適切な形があります」


『面倒』

『非常に細かい』


 ソルとルナが淡々と評する。少女の視線がそちらへ向いた。


「そちらの妖精にも、発言を改めるようご指導なさるべきです」


『妖精王』

『指導される立場ではない』


「話をややこしくするな!」


 ノエルは慌ててツッコミを入れつつ書類を拾い集め、少女へ差し出す。今度は言葉を選ぶ。


「悪かった。前をちゃんと見てなかった」


「敬語がありません」


「同じ新入生だろ?」


「身分に関係なく、初対面では節度ある言葉遣いを心掛けるものです」


「俺の村じゃ、最初から普通に話す」


「ここは、あなたの村ではありません」


 その一言がノエルの胸にわずかに刺さる。正論ではあるが、どこか見下されたようにも感じた。


「王都のやり方が全部正しいのか?」


「少なくとも、謝罪の礼節に都会も地方も関係ありません」


「謝る気がないわけじゃない」


「ならば、最初から正しく謝ってください」


「そっちだって、横から出てきただろ」


 少女の眉がわずかに動く。


「わたくしにも非があると?」


「あるだろ。俺だけが悪いみたいに言うなよ」


「わたくしは周囲を確認しておりました」


「俺が見えてなかったなら、確認できてないだろ!」


『正論』

『ノエルが珍しく優勢』


「珍しくは余計だ!」


 ノエルが即座に反論する。少女は一瞬言葉を詰まらせ、瞳を細めた。ほんのわずかな沈黙が、二人の間に落ちた。


「あなた、随分と生意気ですわね」


 白銀の髪を揺らしながら、少女は一歩も引かずに言い放った。その声音には、明確な苛立ちと、揺るぎない自信が混ざっている。周囲の空気がぴりりと張り詰め、まるで見えない火花が散っているかのようだった。


「そっちこそ、随分と偉そうだな」


 対するノエルも、負けじと言い返す。眉をひそめながらも、その口調には遠慮がない。腕を軽く組み、真正面から視線をぶつけるその姿勢は、明らかに引く気がないことを示していた。


「偉そうなのではありません。正しいことを述べているだけです」


 少女──アイリスは、まるで当然のことを言っているかのように、淡々と続けた。背筋を伸ばし、微動だにしないその姿は、まるで揺るがぬ信念そのものだった。


「正しいと思ってる奴が一番面倒なんだよ!」


 ノエルは思わず声を荒げる。自分でも少し言い過ぎたかと思ったが、引く気はなかった。むしろ、ここで引けば負けだとでも言うように、さらに一歩踏み込む。


『ノエルも同類』

『自覚なし』


 肩の上にいるソルとルナが、容赦なく事実を突きつける。小さな体で腕を組み、淡々とした口調で言い放つその様子は、妙に説得力があった。


「今は俺の味方をしてくれ!」


 ノエルは思わず叫ぶが、二人は特に反応を変えない。むしろ、わずかに視線を逸らしただけで、完全に他人事のような態度を貫いている。

 そのやり取りを見ていた周囲の新入生たちは、いつの間にか距離を取り、遠巻きに様子を窺い始めていた。最初は興味本位だった視線も、次第に緊張を帯びていく。


 ざわざわと小さな声が広がる。


「あれ、ステラルーチェ公爵家の……」


「アイリス様だ」


「聖剣の称号を持つっていう……」


 ひそひそとした囁きが、波紋のように広がっていく。名前が出るたびに、周囲の空気がさらに張り詰めていくのが分かった。

 しかし当の本人であるアイリスは、そんな周囲の反応などまるで気にしていない様子で、ただ真っ直ぐにノエルを見据えていた。その瞳には、一切の迷いも揺らぎもない。


「最後に、もう一度だけ機会を差し上げます」


 静かだが、有無を言わせぬ口調だった。まるで判決を下すかのような重みがある。


「何の?」


 ノエルは眉をひそめながら問い返す。腕を組んだまま、わずかに首を傾げる。


「適切な謝罪です」


「どう言えば満足なんだ?」


「自分で考えなさい」


「面倒くさい!」


 思わず本音が漏れる。ノエルは口を押さえることもなく、そのまま言い切った。


「心の声を口に出さないでください!」


「わざとだよ!」


 言い合いは止まる気配がない。むしろ、互いに一歩も引かないことで、さらに熱を帯びていく。


『喧嘩』

『入学初日に公爵令嬢と』


 ソルとルナが淡々と状況を整理する。その言葉は簡潔だが、状況の異常さを的確に表していた。


「公爵令嬢?」


 その言葉に、ノエルはようやく違和感を覚えた。今さらながら、周囲のざわめきと視線の意味を理解し始める。

 視線を下げ、アイリスの胸元にある徽章を見る。王都へ来る途中で見かけた貴族の紋章とは比べものにならないほど、複雑で精緻な意匠だった。細部まで彫り込まれたそれは、明らかに格の違いを示している。


「お前、公爵家なのか?」


「今さら気づいたのですか?」


 アイリスは呆れたように言う。ほんのわずかに眉を寄せ、その視線には軽い失望が混じっていた。


「徽章なんて見ても分からない」


「王国の主要な家紋は、入学前に学んでおくべきです」


「試験範囲になかった!」


「一般教養です!」


「村じゃ使わない!」


「ここは村ではないと、先ほど申し上げました!」


 再び火花が散る。言葉と言葉がぶつかり合い、周囲の空気がさらに熱を帯びる。


『相性が悪い』

『確定』


 ソルとルナが同時に頷いた。その結論はあまりにも的確で、誰も否定できないものだった。


 その瞬間だった。


「ちょっと待ってくれ!」


 人混みの向こうから、明るくよく通る声が響いた。張り詰めていた空気を、強引に切り裂くような声だった。


「そこのダークブラウンの髪の子!」


「俺?」


 ノエルが振り返ると、一人の少年が人々を掻き分けながらこちらへ走ってくるのが見えた。周囲の生徒たちが自然と道を開ける。

 栗色の髪に、ヴァイオレットの瞳。人懐こそうな柔らかい表情をしていて、背はノエルよりもかなり高く、学院の新入生用制服を少しだけ着崩しているのが印象的だった。


「動かないでくれ!」


「何だよ」


「今、確認するから!」


 少年はそう言うと、ノエルの周囲をぐるりと一周した。足取りは軽く、まるで何かを探るように視線を動かしている。

 足元から始まり、鞄、上着の袖、腰に差した剣へと視線を移し、最後に顔を覗き込む。


「近い!」


 ノエルは思わず顔を引く。距離の近さに、わずかに身を引いた。


「ごめん。でも大事なことなんだ」


「何が?」


 少年は真剣な表情で問いかけた。その瞳には、冗談ではないという強い意志が宿っている。


「財布、落としただろ?」


「落としてない」


「え?」


「持ってる」


「本当に?」


「ほら」


 ノエルは腰の小袋から財布を取り出して見せる。それは村を出る時に母から渡された、小さな革製の財布だった。使い込まれた質感が、どこか温かみを感じさせる。


 少年は財布とノエルの顔を交互に見比べる。


「じゃあ、あれは誰のだ?」


「あれ?」


 少年が後方を指差す。


 そこには、石畳の上に落ちている立派な黒革の財布があった。陽光を受けてわずかに光り、金具には銀の紋章が刻まれている。


「俺の近くに落ちてたから、俺のだと思ったのか?」


「うん」


「どうして?」


「財布から見える魔力の色と、君の周りにある色が少し似てたから」


「何を言ってるんだ?」


『変な人間』

『魔力の色が見えるらしい』


 ソルとルナが興味なさそうに呟く。その評価は簡潔だが、的確だった。


「俺、フィン・クローバー」


 少年はにこやかに笑い、右手を差し出した。その仕草は自然で、警戒心を感じさせない。


「人や物の魔力が色で見えるんだ。遠くの物も少し透かして見える」


「急に自己紹介?」


「誤解したから、まず名乗った方がいいと思って」


「謝る方が先ではありませんか?」


 アイリスが冷静に指摘する。腕を組み、わずかに顎を上げたその姿は、まるで教師のようで、フィンは目を丸くする。


「あ、そうか。ごめん!」


「軽いです」


「えっ」


「初対面の相手へ対する謝罪として、誠意が足りません」


「俺も同じこと言われた」


 ノエルはフィンの肩に手を置き、苦笑する。どこか同情するような視線を向けた。


「気をつけろ。謝り方の先生だ」


「先生?」


「違います!」


『謝罪教師』

『とても厳しい』


「妖精まで……」


 アイリスは額に指を当て、軽くため息をついた。その仕草には、わずかな疲労が滲んでいる。

 フィンはまだ状況を完全には理解していない様子で、首を傾げながらも笑顔を崩さない。


「じゃあ、どう謝ればいい?」


「ご自分で考えてください」


「ええっと……財布を落としたと勝手に思い込んで、変な確認をしてごめん。嫌な気持ちにさせたなら、本当に悪かった」


「俺は別に気にしてない」


「良かった!」


「合格です」


 アイリスが小さく頷いた。その表情はわずかに柔らいでいる。


「何でお前が判定するんだよ!」


『謝罪教師』

『権限を持った』


「持っていません!」


 フィンは石畳に落ちていた財布へ歩み寄り、それを拾い上げる。手に取った瞬間、その重みを確かめるように軽く振った。


「でも、これ誰のだろう」


 財布を光にかざしながら、じっと観察する。瞳がわずかに細められ、集中しているのが分かる。


「中に金貨がかなり入ってる」


「透けて見えるのか?」


「うん。それと、持ち主の魔力が少し残ってる」


「どんな色?」


「金色と緑色。かなり目立つ」


「それ、僕の財布だ!」


 背後から、よく通る大声が響いた。周囲の空気が一瞬で変わる。

 人々の間を割るようにして、一人の少年が現れた。ひときわ背が高く、存在感がある。


 金色の髪に、翡翠色の瞳、鍛えられた体つきに、仕立ての良い衣服。その上から学院指定の外套を羽織っている。

 少年は長い脚で一気に距離を詰め、フィンの手から財布を取り返した。


「どこに落ちていた?」


「そこ」


「中身は見たのか?」


「透かして見た」


「透かした!?」


 少年の顔が引きつる。驚きと困惑が入り混じった表情だった。


「勝手に他人の財布の中を見るな!」


「称号の力で自然に見えたんだ」


「目を逸らせ!」


「珍しい金貨があったから、つい」


「完全に見ているじゃないか!」


 少年は慌てて財布を開き、その中身を素早く確認し始めた。指先が忙しなく動き、金貨の枚数や状態を確かめていく。

 周囲には新入生たちのざわめきが広がっているが、彼はそれを気にする様子もなく、視線を財布の中へ落としたままだった。


「金貨が二十三枚、銀貨が四十一枚、王城発行の商品券が──」


 無意識に口へ出してしまったらしいその独り言は、思いのほかはっきりと周囲へ響いた。近くにいたノエルは思わず眉をひそめ、呆れたように口を開く。


「自分で全部言ってるぞ」


 ノエルが指摘する。その声に、少年の指先がぴたりと止まった。空気が一瞬だけ固まり、少年はゆっくりと顔を上げる。


「……聞くな」


 低く押し殺した声でそう言いながら、少年は財布を閉じようとする。しかしノエルは肩をすくめ、あっさりと言い返した。


「そっちが言ったんだろ」


 当然の指摘に、少年の表情がわずかに歪む。耳の先が赤くなり、焦りを隠しきれていない。


「忘れろ!」


 半ば叫ぶように言い放つ少年。その様子を見て、ノエルの頭上にいるソルとルナが、いつもの調子で淡々と口を挟んだ。


『金持ち』

『菓子を大量に買える』


 無遠慮な評価に、少年の視線が一気に鋭くなる。財布を握る手に力が入り、彼はノエルたちを睨みつけた。


「君たちは何者だ!」


 警戒と困惑が混ざった声だった。だが妖精たちはまったく動じない。


『妖精王』

『甘味を要求する』


 堂々とした自己紹介に、ノエルは即座にツッコミを入れる。


「要求するな!」


 騒がしいやり取りの中で、ようやく金髪の少年はノエルへ視線を向けた。じっと観察するように、頭から足元までゆっくりと目を動かす。   

 使い込まれた旅装。ところどころに補修の跡があるが、丁寧に手入れされているのが分かる。腰に差した剣は、華美ではないが実用的な造りだ。腕の良い鍛冶師が打ったものだろう。

 

 そして何より、貴族家の徽章がどこにもない。観察を終えた少年は、わずかに顎を引いた。


「君も新入生か?」


 確認するような口調だった。ノエルは特に気にする様子もなく頷く。


「ああ」


 短い返答に、少年はさらに踏み込む。


「どこの家だ」


 その問いには、明確な意図があった。身分を測るための質問だと分かる。


「メレディス家」


「聞いたことがない」


「ルーベ村の平民だからな」


 その言葉を聞いた瞬間、少年の眉がわずかに上がる。


「平民?」


 驚きとも確認ともつかない反応だった。その声音に、ノエルの眉がぴくりと動く。


「悪いか?」


「悪いとは言っていない。ただ、随分と王都に不慣れな様子だったから納得しただけだ」


「どういう意味だよ」


「田舎から出てきたばかりなのだろう」


「そうだけど」


「学院内で恥をかかないよう、最低限の礼儀と規則は覚えた方がいい」


 忠告のつもりなのだろうが、その言い方はどこか上から目線だった。ノエルは思わず声を荒げる。


「また礼儀か!」


 苛立ちを隠さず、ノエルは隣にいるアイリスへ視線を向ける。


「王都の人間は、最初に礼儀の話をしないと死ぬのか?」


「わたくしと一緒にしないでください」


「お前が最初に言ったんだろ!」


 そのやり取りを見ていた金髪の少年が、さらに眉を寄せた。


「君、アイリス・ステラルーチェに向かって『お前』と呼んだのか?」


 信じられないものを見るような目だった。ノエルはあっさりと頷く。


「そうだけど」


「彼女は公爵令嬢だぞ!」


「知ってる」


「今さっき知った顔だな!」


「身分で呼び方を変えないと駄目なのか?」


「当然だ!」


「同じ新入生なのに?」


「身分には相応の礼節がある!」


「お前も公爵家なのか?」


 その問いに、少年は胸を張る。


「僕はアルベルト・ノービリタス。ノービリタス公爵家の次男だ」


「そうか」


 誇りを込めた名乗りだった。だがノエルの反応はあまりにもあっさりしていて、アルベルトは一瞬、言葉を失う。


「それだけか?」


 信じられないという表情で問い返し、ノエルは首を傾げた。


「何て言えばいいんだ?」


「驚くとか、敬意を示すとかあるだろ!」


「公爵家が二人目だから、少し慣れた」


 ノエルは肩をすくめながら、さらりと言い放つ。その言葉に、アルベルトの顔が一気に赤くなった。


「僕を二人目扱いするな!」


『二番』

『本人も次男』


「次男は関係ない!」


 必死な様子に、ノエルは思わず口元を緩める。アルベルトはどうやら感情が顔に出やすいらしい。その分かりやすさが、ノエルには少し楽しく感じられた。


「それで、アルベルト」


「いきなり名前で呼ぶな!」


「同級生だろ」


 当然のように言うノエルのその言葉に、アルベルトは一瞬言葉を詰まらせる。


「せめて家名を───いや、同級生なら名前でも……しかし平民が公爵家を……」


 ぶつぶつと葛藤する様子に、ノエルは呆れたように言った。


「面倒くさいな、お前」


「誰が面倒だ!」


『アイリスと同じ』

『王都の貴族は細かい』


 淡々とした評価に、アイリスとアルベルトが同時に反応した。


「一緒にしないでください」「僕を彼女と比較するな!」


 二人の声がぴたりと重なる。その様子を見て、フィンが楽しそうに笑った。


「二人とも息が合うな」


 軽い調子の言葉だったが、当人たちは否定する。


「合っていません!」「合っていない!」


 再び声が重なる。その様子に、周囲の空気が少し和らぐ。


『合っている』

『仲良し』


 妖精たちが追い打ちをかけるように言うと、二人はさらに強く否定した。


「違います!」「違う!」


 その声もまた重なり、周囲の視線がますます集まっていく。ざわざわとした空気の中で、ノエルは頭を抱えた。


「学院に入って少ししか経ってないのに、どうしてこんなに騒がしくなるんだ?」


『ノエルがいるから』

『騒動が集まる』


「俺のせいかよ!」


 その様子を見て、アルベルトが腕を組みながら言った。


「概ね君のせいだろう」


「どこがだよ!」


 アルベルトは指を折りながら説明を始める。


「最初にアイリスへ無礼を働き、次に財布を落としたと騒ぎ───」


「財布は俺じゃない!」


 即座にツッコミが入る。アルベルトは気にせず続けた。


「そして妖精を頭に乗せている」


「最後は関係ないだろ!」


 ノエルの抗議に、ソルとルナが淡々と補足する。


『妖精王』

『四度目の訂正』


「まだ数えてたのか!」


 ノエルが叫ぶ中、フィンは拾った財布が無事に持ち主へ戻ったことに満足した様子で頷いていた。


「でも良かった。これで全員解決だな」


 穏やかな笑顔でそう言うフィンに、ノエルは否定する。


「何一つ解決してない」


 現状を見れば明らかだった。フィンは首を傾げる。


「財布は戻ったぞ?」


「俺とアイリスの話も、アルベルトとの話も残ってる!」



「───では、全員で謝ればよいのではないかな」


 聞き慣れない声が、すぐ近くから響いた。穏やかで落ち着いた声音だったが、その場の空気を一瞬で変える力があった。


「誰だ?」


 ノエルたちは同時に振り返る。視線の先に立っていた人物を確認しようと、それぞれが振り向いた。

 いつの間に現れたのか、噴水を囲む低い石壁の上に、一人の少年が腰掛けていた。水面に反射する光が揺らめく中、その姿はまるで最初からそこにいたかのように自然に溶け込んでいる。ピンクブロンドの長い髪を三つ編みにして束ね、金色の瞳には魔法陣のような紋様が浮かんでいた。小柄で中性的な顔立ちだが、耳は細く長く尖っており、人間とは明らかに異なる種族であることを示している。


「いつからいた?」


 アルベルトが一歩前に出て、警戒した声で尋ねる。視線は鋭く、いつでも動けるように体勢を整えていた。


「そこの彼が財布を落とす少し前から」


 少年は肩の力を抜いたまま、あっさりと答える。その声音には緊張感がなく、むしろ穏やかさすら感じられた。


「最初からじゃないか!」


 ノエルが思わず声を上げる。アルベルトも眉をひそめ、周囲を見回した。


「誰も気づかなかったぞ」


 フィンが首を傾げながら言う。彼の瞳は興味深そうに少年を観察していた。


「気づかれないようにしていたからね」


 少年は軽く笑いながらそう言うと、石壁から立ち上がる。だが、ほとんど音がせず、まるで風が地面に触れたかのような静けさだった。


『エルフ』

『年寄り』


 ノエルの肩に乗るソルとルナが、淡々とした声で告げる。その言葉には遠慮が一切ない。


「初対面で年寄りは失礼じゃないか?」


 ノエルがソルとルナに注意するが、少年は苦笑しながらも、怒る様子はない。むしろ楽しんでいるようにも見える。


「僕は百二十四歳だから、人間の基準なら間違いではないよ」


 さらりと告げられた年齢に、その場の空気が一瞬止まった。


「「百二十四!?」」


 ノエルとアルベルトが同時に声を上げる。アイリスは冷静さを保ちながらもわずかに目を見開き、フィンはますます興味を深めた様子で少年を見つめていた。


「すごい。色が人間と全然違う」


 フィンが無邪気に言う。その視線はまっすぐで、悪意はまったく感じられない。


「勝手に見るのは、あまり行儀が良くないかな」


 少年は穏やかに注意するが、その口調は柔らかい。


「あ、ごめん」


「構わないよ。悪意はないようだから」


「今の謝罪は許すのですか?」


 アイリスが腕を組み、やや厳しい視線で問いかける。


「僕は気にしていないからね」


「謝罪の適否は受け手が決めるものですが、最低限の礼節は───」


「まだ続けるのか?」


 アイリスがさらに言葉を続けようとしたところで、ノエルが呆れたように口を挟む。肩をすくめながら、やれやれといった表情を浮かべていた。

 少年はそんなやり取りを楽しむように五人を見渡し、口元に笑みを浮かべる。


「面白い組み合わせだね」


「組み合わせ?」


 ノエルが首を傾げる。


「公爵家が二人、大商人の息子、召喚士の少年、そして僕」


 少年は指折り数えるように言った。


「どうして俺の家が分かったんだ?」


 フィンが驚いたように目を丸くする。


「クローバーという家名と、君の持つ魔導鞄。それにヴァイオレットの瞳」


「有名なのか?」


「アリーナルムル共和国では特に有名だよね。クローバー商会は大陸中へ支店を持っているらしいよ」


 フィンは照れくさそうに笑いながら頭をかく。


「そこまでじゃないよ。父さんの妻は六人で、兄妹が俺を入れて十四人いるくらいだ」


「商会の規模じゃなくて家族の規模を話すのかよ!」


 ノエルが即座にツッコむ。


『多い』

『名前を覚えるのが大変』


「慣れれば平気だぞ。誕生日は全員分覚えてる」


 フィンは胸を張る。


「十三人分?」


「父さんと母さんたちを入れると二十人分」


「多すぎる!」


 アルベルトが顔を引きつらせる。


「家庭内の祝いだけで一年が終わるだろう」


「実際、毎月誰かの誕生日がある」


「楽しそうだな」


 ノエルがぽつりと呟くと、フィンは嬉しそうに頷いた。


「すごく楽しいぞ。今度、皆の話をするよ」


『長くなりそう』

『一晩では足りない』


「二人の話も聞きたいな」


『菓子があれば』

『商人の息子が選ぶおすすめの菓子』


「そこでも菓子を要求するのか!」


 ノエルが思わず叫ぶ。

 少年はそんなやり取りを静かに見守りながら、一歩前に出て名乗った。


「僕はシャスール・フォレスティ。エルフの郷シルヴァンから来た。称号は星詠神宮(ホシヨミシングウ)、よろしく」


「星詠神宮……」


 アイリスがその言葉を繰り返す。記憶を辿るように目を細めた。


「確かエルフの郷シルヴァンで、神官候補へ与えられる称号だったはずです」


「よく知っているね」


「称号学の基礎です」


「俺、初めて聞いた」


「あなたは一般教養を学び直してください」


ノエルが素直に言うとアイリスが即座に切り捨てる。


「また俺だけ怒られた!」


 ノエルが抗議する。アルベルトはシャスールの体格をじっと見つめ、疑問を口にした。


「エルフといえば弓術に優れると聞くが、君も弓を?」


「使うよ」


「その体格で?」


「試す?」


 穏やかな声のまま、空気が一瞬張り詰める。次の瞬間、アルベルトの背後にいた小さな虫が、音もなく真っ二つに裂けて地面へ落ちた。


「え?」


 ノエルが目を凝らすと、シャスールの指には一枚の木の葉が挟まれていた。


「今、何をした?」


「虫を落としただけ」


「木の葉で?」


「弓を出すほどでもなかったから」


 アルベルトは顔を青くし、ゆっくりと頷く。


「……体格についての発言は訂正しよう」


「素直だね」


『強い』

『小さいのに』


「小さいは余計かな」


シャスールは微笑みを浮かべる。


『ノエルより二センチ大きい』

『シャスール勝者』


「身長で勝負してない!」


 ノエルが即座に反論する。だが、自分とシャスールを見比べながら、少し悔しそうに呟いた。


「本当に二センチくらいしか違わないな」


「僕は百二十四年でこの身長だよ」


「慰めになってない!」


「むしろ絶望では?」


 アイリスが真顔で言う。


「お前、酷いこと言うな!」


「事実を述べただけです」


『ソルと同じ』

『冷徹で的確』


「わたくしを妖精と一緒にしないでください」


『妖精王』

『五度目』


「もう数えなくていい!」


 フィンが楽しそうに手を打つ。


「これで五人だな」


「何が?」


 ノエルが怪訝そうに聞き返す。


「今ここにいる新入生」


「周りにもっといるだろ」


「何となく、俺たちはこれから多く関わる気がする」


「根拠は?」


「色!」


「また色か」


「全員の色が変に繋がって見えるんだ」


 フィンの瞳が五人を順に追う。その視線は真剣で、冗談ではないことが伝わってくる。


「ノエルの周りに、アイリスとアルベルトとシャスールの色が細い糸みたいに伸びてる」


「私の名を勝手に呼び捨てにしましたね」


 アイリスがすぐに反応する。


「同級生だからいいだろ?」


「……先ほどの方よりは自然なので、今回は不問とします」


「俺との扱いが違わないか?」


「あなたは最初から態度が悪かったので」


「ぶつかったのはお互い様だろ!」


「まだ謝罪が完了していません」


「いつまで続くんだよ!」


 シャスールがふと視線を落とし、書類を指差した。


「その書類、二枚足りないよ」


 ノエルたちが慌てて確認すると、風に飛ばされた紙と、フィンの靴に張り付いた紙が見つかった。


「あ、本当だ」


「ごめん。踏んでた」


 フィンが申し訳なさそうに言う。

 靴跡のついた紙を見て、アイリスがわずかに眉を動かした。


「今の『ごめん』は軽かったけど」


「……状況が異なります」


「どう違う?」


「フィンさんには悪意がありません」


「俺にもなかった!」


『不公平』

『謝罪教師が贔屓した』


「贔屓ではありません!」


 フィンは改めて姿勢を正し、丁寧に頭を下げる。


「本当にごめん。書き直せるものなら、俺も手伝うよ」


「これは合格証の写しです。再発行は可能ですから、問題ありません」


「だったら俺の書類が落ちた件も問題なかっただろ!」


「ぶつかったことと書類の問題は別です!」


 言い争いが再びヒートアップしかけたところで、


「もういい加減にしろ! 受付が閉まるぞ!」


 アルベルトが声を張り上げる。その一言で場の空気が引き締まった。


「お前が一番まともなことを言った!」


 ノエルが感心したように言う。


「僕は常にまともだ!」


『財布を落とした』

『金貨の枚数を自分で公開した』


「忘れろ!」


 アルベルトが顔を赤くする。シャスールは空を見上げ、時計塔の位置を確認する。


「閉まるまで、まだ時間はあるよ」


「なぜ分かる?」


「時計塔が見えるから」


 確かにまだ余裕はあるが、アルベルトは先に進もうと踵を返す。


「君たちと一緒にいると、無駄に時間を使う」


「先に行けばいいだろ」


「言われなくてもそうする!」


 歩き出したアルベルトは、数歩進んだところでふと立ち止まり、振り返った。


「受付は、あちらだ」


「……知ってた」


『嘘』

『完全に逆』


「案内板が見えなかっただけだ!」


「いや、その身長だと見えるだろ」


「…身長の小さいお前よりもマシだ」


「身長をバカにするな!礼儀知らずだぞ!」


「礼儀の話なら、まずアイリスと決着をつけろ!」


「なぜ、わたくしへ戻るのですか!」


 フィンが笑いながら間に入る。


「皆で行こう。どうせ同じ受付だろ?」


「俺たち、いつの間に一緒に行くことになったんだ?」


「今」


「勝手に決めるなよ」


『一緒でよい』

『迷子防止』


「お前たちまで!」


 シャスールも自然な流れで歩き出す。


「僕も行くよ。同じ新入生だからね」


 アイリスも小さくため息をつきながら歩き出した。


「仕方ありません。受付までは同行します」


「仕方なくなのか?」


「あなたが再び誰かへぶつからないよう、監督する必要があります」


「俺の保護者になるな!」


『保護者が増えた』

『ニグルムが嫉妬する』


「今はいない奴の話をするな!」


 ノエルは鞄を背負い直し、四人の後を追う。出会って間もないはずなのに、すでに騒がしく、妙な疲労感すら覚えていた。


「学院生活、大丈夫かな……」


『楽しそう』

『ノエルに合っている』


「どこがだよ!」


 ノエルのツッコミが響き、五人は言い争いながらも中央受付棟へ向かっていく。


 その背後、人混みに紛れるようにして、一人の少女が静かに彼らを見つめていた。彼女の視線は揺らぐことなく、まるで何かを確かめるように、じっと彼らの背中を追っていた。

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