第75話 平家の亡霊③
わたしの傲慢な態度に腹を据えかねたのか、教経は太刀を振り上げ、一歩一歩とわたしへと迫ってくる。
「教経!」
「御止メナサルナ! 死シテ尚、恥辱ヲ受ケルハ能ワズ!」
もはや知盛の制止の言葉も聞かない教経を前に、わたしは笑みを零す。
実に分かり易い脳筋ぶりではあるが、その実力は油断がならない。
平教経といえば、あの源義経ですら壇ノ浦で逃げ回るしかなかったとかいう猛将のはずだ。
相手にとっては不足無し、である。
「本当はもう少し会話を楽しみたかったが……。刃を合わせるのがお前の会話だというのならば、それもいい。付き合ってやろう」
「死ネイッ!」
渾身の一撃が、わたしに向かって振り下ろされる。
受けようと思って、寸前で止めた。
嫌な予感がしたからだ。
回避。
僅かな判断の遅れが、その切っ先がわたしを捉えるのには十分だったといっていい。
「――――」
ほんのかすり傷だったが、斬られていた。
なかなか尋常でないその一撃は、初見でまともに受けていてはちょっと危なかったかもしれない。
やはり、先ほどまでの落ち武者どもとは格が違う。
四百年以上の怨念が教経を存在たらしめているのであるならば、その力はそこらの大妖怪に劣らない。
「四百年か。何の因果か知らないが、ちょうど乙葉が生まれ変わった頃だな」
壇ノ浦の戦いといえば、寿永四年のこと。
乙葉が討伐されたのは鳥羽上皇の世のことであるから、壇ノ浦より遡ること半世紀ほど前の、平安時代のことだ。
その乙葉を討って、何の因果か生まれ変わった乙葉をそれと知らずに育てた三浦義明なる将に、あれは五十年ほども一緒にいたということになるのだから、その情の深さが知れようというものである。
そしてその三浦義明が討死したのが、治承・寿永の乱の最初期に起こった衣笠城合戦だったか。
壇ノ浦の戦いが治承・寿永の乱の最後の戦いであったのであるから、育ての親を失った乙葉はまさに源平合戦を目の当たりにしていたはずだ。
つまり乙葉にしても教経にしても、歴史の生き証人というわけか。
まあ教経の場合は死んでいるが、話ができるのなら些細なことでもある。
色々聞きたくはあったが、とりあえずそれは後だ。
今はこの果し合いを愉しむのみである。
「お前を乙葉と同格とみなして相手をしてやる。侮る気も無い。油断もしない」
俄然、やる気になったわたしは、刃が頬をかすめて刀傷となった場所から滲み出した血を舐めとり、数歩下がって間合いをとった。
「行くぞ」
踏み込む。
だがそれよりも早く、教経が動いていた。
機先を制す。
戦いの勘とでもいうのか、そういったものが優れているのを実感させる、そんな動きだった。
わたしには無いものである。
「っ!」
先制のつもりが、後手に回った。
振り下ろされる太刀の一閃を、避けずに受け止める。
今度は先ほどとは違う。
妖気を十全に込めた氷扇は、その重い一撃を確実にさばききっていた。
「――ふん」
それでも手が痺れた。
その斬撃は鋭く、重くて。
勢いに押され、わたしの身体が左にずれる。
元々軽い身体だ。
わたし自身にどれだけ怪力があろうとも、両の足を地につけて踏ん張りでもしない限り、質量の差で負けてしまう。
だから敢えて逆らわない。
いったん間合いが開いたが、教経が二の太刀に繋げるよりも、わたしが勢いを受け流し、再度飛び掛かる方が早い。
身軽なわたしに対し、教経は鈍重だ。
扇を開き、教経の右前方から飛び込んだわたしは氷扇を一閃させる。
「――お」
肩口を狙った一閃は、固い音と共に拒絶された。
教経が振り上げた刃が、扇の一閃の迎撃に成功したのだ。
思ったより速い。
というかとんでもない馬力の為せる技だな。
「ヌウンッ!」
身体が浮いたところを、間髪入れずに太刀が振るわれる。
左薙ぎ。
その勢いや、身体を両断するに十分過ぎるものだったが――
「舐めるな」
回避できないと察したわたしは、ただ純粋に腕の力だけをもって扇を迫る刃に打ちつけ、これを叩き落としてみせた。
「ヌ!」
その思わぬわたしの怪力に、教経の身体が下方にやや沈む。
ちょうどわたしの眼前に、素っ首が晒される体勢。
踏み込む。
狙うは首一つ。
広げた氷扇は、わたしが振るえば凶器以外の何者でも無い。
その一閃を――
「温イワッ!」
「!」
驚いた。
扇がその首に届く寸前、教経の太刀の束の部分が猛烈な勢いで引き揚げられ、扇の軌道を逸らしたのである。
確実にとった、と思ったのに、この反応の良さと粘り強さには素直に感心してしまう。
打ち上げられた扇だったが、しかしそれを手放すほどわたしも温くない。
扇を手にした右腕は真っ直ぐ伸びてしまったが、まさにもう一度教経の首を狙うに絶妙の位置取りとなっていた。
このまま袈裟斬りに振るえばいい。
だがそれは相手も同じこと。
教経は打ち上げた太刀を即座に返し、同じく袈裟斬りにわたし目掛けて振り下ろしてくる。
どちらも渾身の一撃であって、迷わない。
まさに乾坤一擲。
どちらの得物が先に相手を捉えるか。
そういう勝負だった。
何かが舞って、重々しい音と共に地に落ちる。
それが結果。
「――主様っ!」
やや切迫した、実に珍しいそんな朱葉の声が響く。
「――ん、助太刀は無用だぞ?」
吸い込んでいた息をようやく吐き出す気分で、わたしは駆け寄ってくる朱葉へとそう言った。
「勝負はついた」
その言葉に反応したわけでもあるまいが、今さらのように眼前にあった教経の胴体が崩れ落ちていく。
その胴に首から上は無い。
わたしの一閃が、過たず刎ねたのだ。
もっとも――
「ああ、痛いな。平教経か。直隆よりも強いとは恐れ入った」
素直な感想である。
わたしの直隆よりも、間違いなく教経の方が強かったといっていい。
直隆では今のわたしはおろか、生前のわたしにすら傷一つけられない程度には、力の差があった。
しかし教経は、見事に一撃をわたしに入れてみせたのだ。
「しかしなあ……。確実に左腕は持っていかれたと思ったんだが」
改めて、わたしは自身の左腕を眺める。
そこには教経の振るっていた太刀が、深々と抉り込み、刺さったままになっていた。
激痛はもちろんのこと、出血も夥しい。
朱葉が見ていられずに飛んできた理由でもある。
骨に切り込んで止まった――そんな印象。
しかしそれが解せなかったのだ。
どうして腕がついているのだろう、と。
「ひとまず手当を」
「ん、この程度ならば放っておいても治るだろう?」
「だからといって、放っておく理由にはなりません。――主様、少々ご辛抱を」
朱葉は深く食い込んだ太刀を、まるで親の仇でも見るかのように睨みつけ、それを細腕で引き剥がす。
一瞬、激痛が酷くなったが、我慢して声は出さない。
そしてどばどばと血が溢れたものの、朱葉は文字通り手を当て、自身の妖気を使って賦活を促進してくれる。
「――さすがにお前とは相性がいいな」
見ていて感心した。
ほどなく出血は止まり、痛みも薄らいでいく。
朱葉はかつてのわたしが産んだ子であり、その妖気の親和性は誰よりも高い。
むしろ同じものといっていいほどである。
そして今のわたしの身体を整えたのは、他ならぬ朱葉自身だ。
この身体のことは、わたしよりも朱葉の方が遥かに詳しいのである。
とか思って眺めていたら、朱葉が妙なことをし始めた。
「こらこら」
朱葉わたしの傷痕の周辺に塗れた血痕を、舌で丁寧に舐めとり始めたのである。
「それ、意味があるのか?」
「――主様のものを、例え血の一滴でも損なうことは、この朱葉、我慢できません」
「……まあ、好きにすればいいが」
「好きにします」
動物が傷口を舐めるのとは訳が違い、人の姿の朱葉が血に染まった真っ赤な舌で嘗め回す姿は、何というか背徳的に過ぎる気もするけれど……まあいいか。






