第76話 平家の亡霊④
「それよりも朱葉。どうして腕がついているんだろうな? 教経の首はとったが、代わりに腕をくれてやる羽目になったと思ったんだが」
「それは――」
顔を上げた朱葉が、舐めとった血をこくりと飲み込み、当然とばかりに答えてきた。
「あのような雑兵如きの刃、主様の腕を落とすなどあり得ぬことですから」
朱葉は雑兵とか言うが、はっきり言って直隆はもちろん、下手をすれば乙葉よりも強い一撃だったはずだ。
こちらがいくら首を落としたとはいえ、別段先んじてというわけでもなく、ほぼ同時に相手を捉えていたはずである。
こんな小娘の腕の骨一つ、断ち切れぬ一閃であったとは思えない。
「詳しく話せ」
「……神通川の時のようなことは、私も嫌だったのです」
「神通川? ああ、謙信にやられた時のことか」
天正五年九月。
越中国神通川において、わたしは上杉謙信と一騎打ちに及び、完膚無きまでに敗北したことがある。
あの時のわたしは、尻尾と左腕を肩口から斬り落とされて、あれでよくもまあ生き延びることができたとむしろ笑ったほどの重傷を負ったのだ。
朱葉にしてみれば、苦い記憶だったのだろう。
「今の主様のお身体ならば、妖気を通せばその骨格の強度は金属に勝ります。なまくら刀などでは、表皮はともかく、その骨には傷もつけられないでしょう」
「金属って、なあ」
朱葉の言に、ちょっと呆れてしまった。
とはいえ納得はできた。
この姿の私であれば、肉を切らせても骨を断つことは叶わない、ということなのだろう。
わたしの身体は、生前のわたしの肉体と、朱葉自身の身体を経験にして試行錯誤した結果、いわゆる第三世代型とでもいえる傑作だとか、朱葉が妙な自慢をしていたことがあった。
腕が斬り落とされなかったのは、朱葉のおかげで頑丈になったから、とひとまずは理解しておくことにする。
まあ直隆を始めとする亡者どもも、わたしの妖気で骨を強化してやっているし、同じような理屈かな。
しかし逆に考えれば、朱葉が傷つくことはないと豪語し、自慢するわたしの骨に、教経の一太刀は斬り落とせないまでも、確実に傷をつけたということになる。
つまり、それほどの相手だった、ということだろう。
参戦していた直澄や隆基であったならばともかく、生身の者ではまず相手にならなかったと考えた方がいいわけで、わたしが相対して正解だったというわけか。
「朱葉、もういいから離せ。まだ色々と終わっていない」
「ですが」
「あとでじっくりお前に診てもらうと約束する。せっかくの身体に傷をつけたことも謝る。油断はしていなかったが、少し見誤っていたことには反省だ」
とりあえず殊勝な言葉を並べておいたことで、朱葉は名残惜しそうにわたしの腕から手を離した。
「さて、と」
改めて、わたしは残った亡霊を見返した。
視線の先にあるのは、平知盛と海御前の亡霊。
わたしと朱葉とのやりとりの間、まったく動きはなかったが、正確には動けなかった、といったところだろう。
教経が倒れたことで、わたしの力は理解しただろうし、な。
「……向こうも片がつきそうだな」
他の落ち武者の亡霊どもも、その数をかなり減らしている。
あっちには直澄や隆基、それに景成もいるのだから、まあ戦力としては十分だ。
それに重成も健在か。
よしよし。
他に脱落者もいないようで、まことにけっこうだ。
「ん、なかなか重いな」
わたしは数歩進み、砂浜に転がっていた教経の首を拾い上げる。兜のせいもあって、なかなか重い。
「――何ノツモリカ」
わたしの行動に、それまで一度も動かず語らずにいた女が、一歩前に出ようとして――知盛に制された。
わたしへの問いかけというか、詰問も、知盛の発したものである。
「ナルホド我ラデハ、貴殿ニ敵ワヌハ自明ノ理。ナレド一門ヲ辱メルトアラバ、看過デキヌゾ」
知盛の言に、敵意が込められる。
なるほど、誇り高い将のようだ。
「別にそんな気は無い」
短く答え、わたしはその物言わぬしゃれこうべを両手で抱え込む。
その意図にすぐにも気づいたのは、さすがと言おうか朱葉だった。
「! 主様――」
「いいから何も言うな」
ぼんやりと、わたしに抱きかかえられたしゃれこうべが淡く光る。
薄暮にあって、その光はむしろ妖しい雰囲気を醸し出す。
実際、ろくなものではない。
何しろこれは、わたし妖気そのものなのだから。
「ほら。とっとと甦れ」
適当な量の妖気を分け与え、手にしていた頭を放り投げる。
投げた先には倒れた胴がある。
それらが不気味に動き出し、胴に頭を繋ぎ止めた教経だったものが起き上がるのに、そう時間はかからなかった。
「――気分はどうだ? さっきよりは身体が軽いだろう。四百年分の怨念はなかなかのものだったが、そんなものはただの根性の塊に過ぎない。もう少し、そのぼろぼろの身体にも気を遣ってやれ」
強化されていたわたしの身体とは対照的に、教経の身体は脆かったといっていい。
もちろんわたしにとっては、だが、それでも攻めに特化し過ぎているとしか言いようがない。
「……何の真似か」
「お、発声も滑らかになったな。そっちの方が耳にいい。感謝しろ」
偉そうなわたしの態度に、教経は敵意を向けてきたものの、暴発はさせなかった。
一度首を飛ばされて、少しは頭が冷えたのだろう。
結構なことである。
「何の真似かと尋ねている」
「大したことじゃない。お前たちとは縁の無いわたしが首を突っ込んだのは、ただの興味本位だ。愉しめたし、思わぬ強敵だったお前に勝てて、気分もいい。結果としてはそれで十分。良い余興になった。あとはわたしの知らないところで、源氏狩りでも何でもすればいいというものだ」
家臣どもは襲われているひとを救うことが当然、のような行動をとったし、わたしもそれに乗ったが、見知らぬ連中が亡霊に襲われて死のうが、正直どうでもいい。
この地はわたしが治める所領でも無いし、わたしの民というわけでもないからだ。
このような亡霊をのさばらせているのは、この地を治める者の責任であり、その責任においてどうにかすべきことである。
「……そのような戯言で、我らの邪魔をしたか」
「ああ、そうだ。運が無かったとはこういうことを言うのだろうな?」
「ならばその運とやらを、斬り伏せるまで」
「なんだ。またやるのか?」
わたしも戦や果し合いは嫌いじゃないが、例えば乙葉ほどの戦闘狂でもない。
一度満足できれば、ひとまずはそれで十分なんだがな。
「――お待ちを。ならば相手は私がしましょう。次はこの世に一切の痕跡を残さず、滅ぼします」
などと言うのは朱葉である。
教経に負けないくらいの敵意を相手に向けて、底冷えする声音で宣言する様は、ちょっと怖い。
朱葉はわたしの身体が傷つけられたことに大層立腹しているようで、しかもそんな教経にわたしが情けをかけたことで、さらに不満が増してしまったらしい。
わたしの外見に特段のこだわりと愛情を注いでいる朱葉にしてみれば、当然の反応ではあるがな。






