第71話 豊前国企救にて
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木村重成にとって、千姫という人物はどうにも評し難い相手であったといっていい。
千姫が自らの乳兄弟であった秀頼に嫁いで、はや二年。
最初、美しいが、どこにでもいる姫であるという感想でしかなかったが、実際に接してみると、当初の自身の見る目の無さに忸怩たる思いを抱くほどである。
ふたを開けてみれば、とんでもない姫であったと言う他ない。
基本、大坂城では猫を被っているものの、さほど積極的に被っているわけでもなくなって、久しい。
傲岸不遜で我が物顔で大坂城を闊歩し、実に好き放題やっているのではあるが、二年を経て自然、それを受け入れる雰囲気が醸成されつつあることに、むしろ戦慄を覚えるほどだ。
千姫は単なる我が儘な姫、というわけではない。
いや、かなり我が儘であり、振り回される方はたまったものではないのだが、それに対する見返りを必ず寄越してくれるのが、かの姫だった。
それは金銭であったり、物であったり、情報であったり、手助けであったり場面によって様々ではあったものの、必ず何かを対価として支払ってくれるのだ。
例えば今回の伊予訪問において、伊達家は千姫一行をもてなすのに相応の銭を消費したが、千姫はその出費に勝るだけの礼金を、政宗へと渡していた。
政宗が別れ際にぽかん、となっていたくらいである。
千姫は豊臣家に輿入れする際に、化粧料として十万石を得て嫁いできた。
化粧料とは実家からの小遣いのようなもので、千姫はその領地を自分の好き勝手に経営し、そこから収益を得ていることもあって、今回の旅にかかる費用は全てそこから賄われているのである。
少なくとも豊臣家には、一切の負担を強いていない。
実に太っ腹なのである。
重成は今回、千姫が旅に出るという話を耳にし、これに同行することを望んだ。
普段、あれこれ千姫の我が儘を聞いている対価を、ここで請求してみたのである。
ごく少人数での旅を考えていたらしい千姫は、最初少し考え込んだものの、すぐにも承知してくれた。
まあいい経験になるだろ、とは千姫がぽつりと洩らした言葉である。
秀頼の命により、千姫の護衛という体裁をとった上での随行となった。
もちろん、秀頼自身が単純に千姫のことを心配していたこともある。
色々不思議なことではあるのだが、秀頼と千姫の夫婦仲は悪くない。
あれだけ横暴な姫の普段を知っている重成としては、さぞかし秀頼も尻に敷かれて苦労していると思いきや、そんなことは全くないらしいのだ。
ともあれ妻を心配する秀頼の意思に先駆けて、重成は千姫に同行を望んだものの、それとは別に、単純にその一挙手一投足が気になったからでもあった。
千姫が嫁いでから、少し大坂城の雰囲気が変わったような気がする。
太閤秀吉の死去や、関ヶ原の戦いにより西軍が敗退し、豊臣家の威信が失墜し始めた頃からあった閉塞感のようなものが、徐々に打ち払われつつある。
その中心となっている千姫へと、興味が尽きないのは何も重成だけではないはずだ。
他の豊臣家臣たちも、少なからず感じていることだろう。
とはいえ。
こうも予想外の展開に付き合わされる身になってしまうと、差し当たってそれらはひとまずどうでもよくなってしまう。
重成たちは、ある意味窮地であった。
というか進んで窮地に飛び込んでしまったのだ。
もちろん、その先陣を切ったのは、あろうことか千姫その人である。
そして当人にしてみれば、窮地でも何でもなかったのかも知れない。
ただ嬉々として、太刀の代わりに氷扇を振り回している姿を見て。
色々と、訳が分からなくなったものである。
/色葉
伊予国を立ったわたしの次の目標は、筑前国である。
無事に海を渡り、その道中である豊前国小倉をまず目指したのであるが、この日は時間が足りず、近くの文字ヶ関村で一泊しようという話になったのだった。
案内してくれたのは、いつの間にやら随行者の一人となっていた、伊達成実だ。
政宗の奴が強引に押し付けてきて、多少面倒には思ったものの、案内人がいるのは心強い。
「もう少し急ぎましょう。このままでは日が暮れてしまいます」
「ん、のんびり行けばいいじゃないか。別にわたしは野宿でも構わんぞ?」
「お戯れを。夜道は危のうございますぞ」
わたしは割と本気で野宿でも構わないと思ったのだけど、周囲はとんでもない、と歩く速度を速めてしまう。
まあ、あちこち物見遊山をしながらのんびり過ぎる旅を堪能したことで、予定よりもかなり遅れてしまったのは、確かにわたしの責任だ。
誰もそれを指摘しないけど、ちゃんと分かってはいる。
分かっていたところで、反省しないのもわたしであるが。
「――お待ちを」
周囲を警戒しながら先頭を歩いていた景成が、不意に足を止めた。
先頭は景成と隆基が、後備は直澄と重成が、そして中央は直隆と成実がわたしたちを護るように、固めている。
「どうされた、山崎殿」
「いや……音が……聞こえたような気がしてな」
「音、とは?」
首を傾げる隆基に、景成は深刻な顔になって答えた。
「刃と刃が重なる音……戦のような音だ」
「戦とはまた穏やかではないな?」
ひょこ、と二人の間から顔を覗かせて、わたしは景成を見上げる。
「そうおっしゃいながら、その楽しそうなお顔は何なのですか」
「ん、見間違えだろう」
「何でも厄介事に首を突っ込もうとされるのは、是非お控えなされ」
「ふうん。厄介事だとお前はそう思うのか」
必要な情報だけ抜き取ってあとは無視すると、わたしも倣って耳をすませてみた。
ここら辺りは海岸に近く、波の音がうるさくてよく分からない。
狐憑きの姿であったならば、聴力も各段に良くなるから気づけたのかもしれないが、今のわたしではさっぱりだった。
「重成。お前には聞こえるか?」
「……いえ。波の音ばかりでよくは……」
「ふむ。ということは、景成の空耳か。……老いたな、景成?」
「ご自分が聞こえないからといって、それがしを貶めるのはおやめ下され。あと、そんなに歳はとっておりませぬ」
景成の抗議の声など無視して、もう一度耳をすませてみる。
「うーん、やっぱりよくわからないな……」
「……姫様、山崎殿の言、まことその通りかと存じます」
景成に助け船を出したのは、隣にいた隆基だった。
「なんだ。お前も聞こえるのか?」
「聞こえませぬ、が……」
なんだ。
聞こえないのか。
「山崎殿の指し示す方向に、妖しい気配が集まっているように思われます」
「妖しい気配?」
「は。説明するのは難しくありますが、我々と同じ気配と申せばよろしいでしょうか」
「……ふうん?」
隆基の言い回しに、わたしはもう一度周囲をよく観察してみた。
今度は音ではなく、気配を拾う努力をしてみる。
しかも拾うのは、人に非ざる気配だ。
「……うーん。やっぱり今のわたしでは厳しいか」
自身の妖気を抑えるのにかなり力を割き、その結果として力を減退させているのだから、この姿のわたしではさほど人の子と変わらないのである。
妖気を抑えたまま、感覚器官を鋭敏にできるようにもなりたいが、今のわたしではちょっと無理だろう。
日々精進が必要、というわけだ。
やれやれである。
「朱葉、何か分かるか?」
わたしは少し後ろに下がり、黙したままの朱葉へと尋ねてみる。
恐らく、今の面子の中で最も関知能力に優れているのは朱葉のはずだ。
何しろ生前のわたしが、図らずも全身全霊をかけて産み落とした肉体である。その潜在能力の低かろうはずがない。
「……北の方で、何か諍いが起こっているようです」
「そうか」
北の方というと、本当に海沿いだな。
「よし。行ってみよう」
「……危険は避けるものですぞ」
まただよこのひとは、みたいな心情を思いっきり顔に出して、景成が言う。
思うのは勝手だが、顔に出してくれるな。
まったく無礼な奴である。
「危険なものか。これだけの面子だぞ? むしろ出会った相手の方が、不幸というものだ」
こっちには直隆ら三人に加え、剣の腕だけは確かな景成もいるし、ついでに勇猛で知られる成実もいる。
それだけでも十分な戦力なのに、わたしや朱葉までいるのだ。
よほどの化け物か、大軍が相手でも無い限り、どうとでもなる戦力である。
「……確かに、どのような悪党であったとしても、姫様に出会ったことこそを不幸であったと呪うことでしょうな」
「わたしを疫病神みたいに言うな」
「触らぬ神に祟りなしと言いますが、姫様の場合は触らずとも祟りますからなあ」
うん、決めた。
景成はあとで折檻してやる。
「景成。お前が先陣だ。先に行け。隆基と直澄はついて来い。直隆と朱葉は重成と千代保を守って待機だ。成実、せっかくだからお前も来い。実力を見てやる」
「はあ……」
何やら呆気にとられたような成実だったが、わたしの護衛を目的に随行を望んだ以上、わたしを放って高みの見物というわけにはいかないだろう。
ちなみにこの一行の中で、年齢的にも体力的にも一番厳しいのは千代保であり、今日も今日で疲れ果て、今や直隆の腕の中で眠りについている。
そういうわけで、必然的に直隆は千代保担当になってしまっていたのだ。
「――待って下さい。私も参ります!」
と、ここで反論の声が上がる。
意気込むのは重成で、それに応えたのはわたしではなく、朱葉だった。
「主……いえ、姫様のご命令なのです。大人しくしていて下さい」
「ですが、私も武士のはしくれです! 女子に守られる覚えはありません!」
それなりに誇り高くあるようで、わたしの乳母に守られるなどあり得ないと、子供ながらに思ったのだろう。
まだ幼いはずなのに、なかなかの気概である。
そんな言葉に、わたしはじっと重成を見返した。
重成の剣の腕は、凡庸。
弱くはないが、強くもない。
とはいえそれは今の年齢からすれば、という話であり、大人から見ればまだまだ半端者に過ぎない実力だ。
本人は色々頑張っているようだけど、才能というものは確かに存在するのである。
とはいえ、意気込みや良し。
わたしはにんまりと笑い、それを見た重成がぎょっとなって一歩引いてしまった。
しまったと思ったのかもしれないが、もう遅い。
「ならば初陣と洒落込むか?」
「――姫様。木村殿はまだ戦場に出るは早いかと思いまするが」
隣にいる直隆がそんなことを言うが、今さらである。
「なに、特別にわたしが守ってやろう。いい余興が見れそうだな?」
腹黒く笑うわたしに。
周囲から同情の眼差しが重成に向けられたことは、言うまでもないことだった。






