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第71話 豊前国企救にて


     ◇


 木村重成にとって、千姫という人物はどうにも評し難い相手であったといっていい。


 千姫が自らの乳兄弟であった秀頼に嫁いで、はや二年。

 最初、美しいが、どこにでもいる姫であるという感想でしかなかったが、実際に接してみると、当初の自身の見る目の無さに忸怩たる思いを抱くほどである。


 ふたを開けてみれば、とんでもない姫であったと言う他ない。

 基本、大坂城では猫を被っているものの、さほど積極的に被っているわけでもなくなって、久しい。


 傲岸不遜で我が物顔で大坂城を闊歩し、実に好き放題やっているのではあるが、二年を経て自然、それを受け入れる雰囲気が醸成されつつあることに、むしろ戦慄を覚えるほどだ。


 千姫は単なる我が儘な姫、というわけではない。

 いや、かなり我が儘であり、振り回される方はたまったものではないのだが、それに対する見返りを必ず寄越してくれるのが、かの姫だった。


 それは金銭であったり、物であったり、情報であったり、手助けであったり場面によって様々ではあったものの、必ず何かを対価として支払ってくれるのだ。


 例えば今回の伊予訪問において、伊達家は千姫一行をもてなすのに相応の銭を消費したが、千姫はその出費に勝るだけの礼金を、政宗へと渡していた。

 政宗が別れ際にぽかん、となっていたくらいである。


 千姫は豊臣家に輿入れする際に、化粧料けしょうりょうとして十万石を得て嫁いできた。

 化粧料とは実家からの小遣いのようなもので、千姫はその領地を自分の好き勝手に経営し、そこから収益を得ていることもあって、今回の旅にかかる費用は全てそこから賄われているのである。


 少なくとも豊臣家には、一切の負担を強いていない。

 実に太っ腹なのである。


 重成は今回、千姫が旅に出るという話を耳にし、これに同行することを望んだ。

 普段、あれこれ千姫の我が儘を聞いている対価を、ここで請求してみたのである。


 ごく少人数での旅を考えていたらしい千姫は、最初少し考え込んだものの、すぐにも承知してくれた。

 まあいい経験になるだろ、とは千姫がぽつりと洩らした言葉である。


 秀頼の命により、千姫の護衛という体裁をとった上での随行となった。

 もちろん、秀頼自身が単純に千姫のことを心配していたこともある。


 色々不思議なことではあるのだが、秀頼と千姫の夫婦仲は悪くない。

 あれだけ横暴な姫の普段を知っている重成としては、さぞかし秀頼も尻に敷かれて苦労していると思いきや、そんなことは全くないらしいのだ。


 ともあれ妻を心配する秀頼の意思に先駆けて、重成は千姫に同行を望んだものの、それとは別に、単純にその一挙手一投足が気になったからでもあった。


 千姫が嫁いでから、少し大坂城の雰囲気が変わったような気がする。

 太閤秀吉の死去や、関ヶ原の戦いにより西軍が敗退し、豊臣家の威信が失墜し始めた頃からあった閉塞感のようなものが、徐々に打ち払われつつある。


 その中心となっている千姫へと、興味が尽きないのは何も重成だけではないはずだ。

 他の豊臣家臣たちも、少なからず感じていることだろう。


 とはいえ。

 こうも予想外の展開に付き合わされる身になってしまうと、差し当たってそれらはひとまずどうでもよくなってしまう。


 重成たちは、ある意味窮地であった。

 というか進んで窮地に飛び込んでしまったのだ。


 もちろん、その先陣を切ったのは、あろうことか千姫その人である。

 そして当人にしてみれば、窮地でも何でもなかったのかも知れない。


 ただ嬉々として、太刀の代わりに氷扇ひょうせんを振り回している姿を見て。

 色々と、訳が分からなくなったものである。


     /色葉


 伊予国を立ったわたしの次の目標は、筑前国である。

 無事に海を渡り、その道中である豊前国ぶぜんのくに小倉こくらをまず目指したのであるが、この日は時間が足りず、近くの文字ヶ関村もじがせきむらで一泊しようという話になったのだった。


 案内してくれたのは、いつの間にやら随行者の一人となっていた、伊達成実だ。

 政宗の奴が強引に押し付けてきて、多少面倒には思ったものの、案内人がいるのは心強い。


「もう少し急ぎましょう。このままでは日が暮れてしまいます」

「ん、のんびり行けばいいじゃないか。別にわたしは野宿でも構わんぞ?」

「お戯れを。夜道は危のうございますぞ」


 わたしは割と本気で野宿でも構わないと思ったのだけど、周囲はとんでもない、と歩く速度を速めてしまう。


 まあ、あちこち物見遊山をしながらのんびり過ぎる旅を堪能したことで、予定よりもかなり遅れてしまったのは、確かにわたしの責任だ。


 誰もそれを指摘しないけど、ちゃんと分かってはいる。

 分かっていたところで、反省しないのもわたしであるが。


「――お待ちを」


 周囲を警戒しながら先頭を歩いていた景成が、不意に足を止めた。

 先頭は景成と隆基が、後備は直澄と重成が、そして中央は直隆と成実がわたしたちを護るように、固めている。


「どうされた、山崎殿」

「いや……音が……聞こえたような気がしてな」

「音、とは?」


 首を傾げる隆基に、景成は深刻な顔になって答えた。


「刃と刃が重なる音……戦のような音だ」

「戦とはまた穏やかではないな?」


 ひょこ、と二人の間から顔を覗かせて、わたしは景成を見上げる。


「そうおっしゃいながら、その楽しそうなお顔は何なのですか」

「ん、見間違えだろう」

「何でも厄介事に首を突っ込もうとされるのは、是非お控えなされ」

「ふうん。厄介事だとお前はそう思うのか」


 必要な情報だけ抜き取ってあとは無視すると、わたしも倣って耳をすませてみた。


 ここら辺りは海岸に近く、波の音がうるさくてよく分からない。

 狐憑きの姿であったならば、聴力も各段に良くなるから気づけたのかもしれないが、今のわたしではさっぱりだった。


「重成。お前には聞こえるか?」

「……いえ。波の音ばかりでよくは……」

「ふむ。ということは、景成の空耳か。……老いたな、景成?」

「ご自分が聞こえないからといって、それがしを貶めるのはおやめ下され。あと、そんなに歳はとっておりませぬ」


 景成の抗議の声など無視して、もう一度耳をすませてみる。


「うーん、やっぱりよくわからないな……」

「……姫様、山崎殿の言、まことその通りかと存じます」


 景成に助け船を出したのは、隣にいた隆基だった。


「なんだ。お前も聞こえるのか?」

「聞こえませぬ、が……」


 なんだ。

 聞こえないのか。


「山崎殿の指し示す方向に、妖しい気配が集まっているように思われます」

「妖しい気配?」

「は。説明するのは難しくありますが、我々と同じ気配と申せばよろしいでしょうか」

「……ふうん?」


 隆基の言い回しに、わたしはもう一度周囲をよく観察してみた。

 今度は音ではなく、気配を拾う努力をしてみる。

 しかも拾うのは、人に非ざる気配だ。


「……うーん。やっぱり今のわたしでは厳しいか」


 自身の妖気を抑えるのにかなり力を割き、その結果として力を減退させているのだから、この姿のわたしではさほど人の子と変わらないのである。


 妖気を抑えたまま、感覚器官を鋭敏にできるようにもなりたいが、今のわたしではちょっと無理だろう。

 日々精進が必要、というわけだ。

 やれやれである。


「朱葉、何か分かるか?」


 わたしは少し後ろに下がり、黙したままの朱葉へと尋ねてみる。


 恐らく、今の面子の中で最も関知能力に優れているのは朱葉のはずだ。

 何しろ生前のわたしが、図らずも全身全霊をかけて産み落とした肉体である。その潜在能力の低かろうはずがない。


「……北の方で、何か諍いが起こっているようです」

「そうか」


 北の方というと、本当に海沿いだな。


「よし。行ってみよう」

「……危険は避けるものですぞ」


 まただよこのひとは、みたいな心情を思いっきり顔に出して、景成が言う。

 思うのは勝手だが、顔に出してくれるな。

 まったく無礼な奴である。


「危険なものか。これだけの面子だぞ? むしろ出会った相手の方が、不幸というものだ」


 こっちには直隆ら三人に加え、剣の腕だけは確かな景成もいるし、ついでに勇猛で知られる成実もいる。


 それだけでも十分な戦力なのに、わたしや朱葉までいるのだ。

 よほどの化け物か、大軍が相手でも無い限り、どうとでもなる戦力である。


「……確かに、どのような悪党であったとしても、姫様に出会ったことこそを不幸であったと呪うことでしょうな」

「わたしを疫病神みたいに言うな」

「触らぬ神に祟りなしと言いますが、姫様の場合は触らずとも祟りますからなあ」


 うん、決めた。

 景成はあとで折檻してやる。


「景成。お前が先陣だ。先に行け。隆基と直澄はついて来い。直隆と朱葉は重成と千代保を守って待機だ。成実、せっかくだからお前も来い。実力を見てやる」


「はあ……」


 何やら呆気にとられたような成実だったが、わたしの護衛を目的に随行を望んだ以上、わたしを放って高みの見物というわけにはいかないだろう。


 ちなみにこの一行の中で、年齢的にも体力的にも一番厳しいのは千代保であり、今日も今日で疲れ果て、今や直隆の腕の中で眠りについている。

 そういうわけで、必然的に直隆は千代保担当になってしまっていたのだ。


「――待って下さい。私も参ります!」


 と、ここで反論の声が上がる。

 意気込むのは重成で、それに応えたのはわたしではなく、朱葉だった。


「主……いえ、姫様のご命令なのです。大人しくしていて下さい」

「ですが、私も武士のはしくれです! 女子に守られる覚えはありません!」


 それなりに誇り高くあるようで、わたしの乳母に守られるなどあり得ないと、子供ながらに思ったのだろう。

 まだ幼いはずなのに、なかなかの気概である。

 そんな言葉に、わたしはじっと重成を見返した。


 重成の剣の腕は、凡庸。

 弱くはないが、強くもない。


 とはいえそれは今の年齢からすれば、という話であり、大人から見ればまだまだ半端者に過ぎない実力だ。

 本人は色々頑張っているようだけど、才能というものは確かに存在するのである。


 とはいえ、意気込みや良し。

 わたしはにんまりと笑い、それを見た重成がぎょっとなって一歩引いてしまった。


 しまったと思ったのかもしれないが、もう遅い。


「ならば初陣と洒落込むか?」

「――姫様。木村殿はまだ戦場に出るは早いかと思いまするが」


 隣にいる直隆がそんなことを言うが、今さらである。


「なに、特別にわたしが守ってやろう。いい余興が見れそうだな?」


 腹黒く笑うわたしに。

 周囲から同情の眼差しが重成に向けられたことは、言うまでもないことだった。

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