第70話 伊予国をあとに
「……なぜと聞かれてもなあ」
わたしを直接討ったのは、わたしの家臣であった明智光秀であって、秀吉ではない。
とはいえあの本能寺の変は不可解なことも多く、その動機や真実については、当事者であるわたし自身、よく分からないのだ。
「運が無かった、としか答えようがないな。わたしはわたしの最期を予見できなかった。だからああいう結果になった。あとは周囲が勝手に判断すればいい」
「……家臣の謀反ならば、確かにそうかもしれませぬが。では、もう一つ」
「言ってみろ」
「その秀吉の遺した豊臣家に入ったのは、何故なのです?」
たぶん、深読みし過ぎているなあ……政宗の奴。
わたしが手にしかかっていた天下を、後からかすめ取った秀吉の遺した豊臣家に、今わたしがいる。
色々と勘繰りたくもなるだろう。
「再び天下を、目指すおつもりなのですか」
わたしのことを知る者は、みんなわたしがそのつもりでいると思い込んでいる。
当時のわたしをよく知らない政宗ですら、伝聞やら何やらでそう判断してしまうのだから、朝倉色葉という人物像は、かなり固定されてしまっているのだろう。
「そのつもりなら、徳川に残った方が楽だったと思うぞ?」
「自らの天下をかすめ取った豊臣家を乗っ取る形で天下に君臨するならば、多少は溜飲も下がるのではないかと」
なるほど。
そういう考え方もあるか。
「かもしれないが、秀吉本人はすでにあの世に行っている。勝ち逃げされたようなものだ。意趣返しもくそもないだろう。……それに経緯はどうあれ、わたしに代わって天下に号令できたのだから、秀吉もなかなかの人物だった、と評しておいた方が腹も立たないぞ?」
「いえ、わしにはそうは思えぬ。秀吉など、所詮は百姓出の成り上がり者であったとしか、思えぬのです」
「ふぅん……。ずいぶんな低評価だな?」
むしろ恨みすら籠っているその言葉に、わたしは面白そうに政宗を眺めやった。
まあ、理由は大体分かる。
晩年の秀吉の所業は、それなりに常軌を逸したものだったはずだ。
半分くらいは乙葉にたぶらかされた結果であろうけど、それが無くても同じ道を辿っていたであろうことは、わたしの知る史実が証明していることでもある。
しかも今回は乙葉の影響もあって、政宗などはかの秀次事件であおりを食らい、先祖伝来の土地を失って伊予国に減転封される始末だ。
秀吉に対し、良い感情が湧こうはずもない。
「それゆえわしは、秀吉の死後、姫の祖父であられる大御所様に近づいたのです」
「当然の判断であるし、お前だけがそうしたわけじゃないだろう」
「ですが。もし姫が豊臣家として天下を目指されるのであれば、徳川に接近するのは愚策となりましょう」
……まったくこの伊達政宗という男は、機を見るに敏な奴である。
自身の野心を知りながら、時の流れに応じて秀吉、家康、と乗り換えてきただけのことはある。
そして今はその嗅覚が、このわたしを捉えたのだろう。
迷惑なことである。
「つまりこういうことか? 今の豊臣家はただの一大名。天下の趨勢は、幕府を開いた徳川家にほぼ傾いてしまっている。しかしもしこれが逆転することがあれば。そしてその時にお前がいの一番にわたしに従ってこれを助けていれば、当然その見返りは大きいと判断した、ということだな?」
「実に遠慮の無い物言いですな」
「迂遠なのは嫌いだ」
話は早い方がいいのである。
「分の悪い賭けだぞ?」
「そうとも思えませぬ」
「ほう。どうしてそう思う?」
「姫が本当に朝倉色葉様であるのならば、徳川家との縁をさほど気にするとは思えませぬ。そして大御所様はご高齢。不吉な話ではありますが、もし大御所様がお倒れになった場合、今の幕府では盤石とは言い難く、必ず争乱が発生することでしょう。幕府にこれを収めることのできる力があるか否か。姫が大坂におられなければ、あるいは可能であったのやもしれませぬが」
「……わたしがその千載一遇の好機を見逃すはずがない、と言いたいわけか」
「ご明察であります」
……政宗には色葉のことが、とんでもない野心家に映っているのだろうな。
そしてその色葉を、今のわたしにも投影している。
確かにわたしもその辺りの理屈について、思いをはせたことはあった。
だがその程度の流れは、賢しい者ならば読めることだ。
当然家康も、だ。
だからこそ史実での家康は、先手を打った。
自身が死ぬ前に、豊臣家を完全に滅亡させたのである。
そして今のわたしの悩みどころは、まさにそこだった。
この世界でも豊臣家は同じ運命を辿る公算が高い。
そうなった時、わたしはどうするのか。
実はこれまで、あまり考えないようにしてきたことでもある。
「……で、政宗。お前は徳川ではなく豊臣に忠誠を誓うと、そう言うわけか」
「そうではありませぬ」
「ん、では何なんだ?」
「千姫様に……いえ、朝倉色葉様にならば、賭けてみるのも面白いかと」
「――――」
その野心に満ちた片目を向けられて、わたしはらしくもなく息を飲み込んでしまった。
やめて欲しい。
そういうのはもう……いいと思っていたんだから。
「……わたしを、煽るな」
「色葉様がその気であるならば、伊予三十八万石とこの政宗の命、お預けする所存」
「やめろ」
政宗の瞳を見ていられなくて、わたしは視線を逸らす。
「先にも言ったはずだ。世の中平和が一番だと」
「確かに。されどこうも仰せられた。望む望まずに関わらず、火の粉は降りかかってくるものであると。……しかし、それを待つのは姫らしくありますまい」
「いい加減にしろ。ここで松山城もろとも滅ぼされたいか」
これ以上は耳にしてはならぬと感じ、怒気を込めて政宗を睨む。
妖気すら滲んでいたその威圧に、しかし政宗は耐えて動じなかった。
……この場に臨むのに、そうとう覚悟したのだろう。
「……は。ですぎたことを、申しました」
「饗応の礼だ。無礼は許す。今の話も聞かなかったことにする。お前も忘れろ」
「……かしこまりました」
これでいい。
今は望んで乱を起こしたいとは思っていない。
生前のわたしが得られなかった平穏を、少しでも長く享受したいのだ。
それを堕落だの怠惰だの言われたとしても、構うものか。
でも政宗の言葉に心が動かされたのも事実だった。
だから強引に話を打ち切った。
わたしの性根はわたし自身が知り抜いている。
だから誘惑しないで欲しかったのだ。
/
「……行かれてしまいましたわね」
「うむ」
名残惜しそうにそう洩らす五郎八へと、政宗は重々しく頷く。
伊達家の重臣たちが見送る中、千姫一行は新たな目的地である筑前を目指して旅立っていった。
その道中は特別に、伊達成実がこれを護っている。
千姫こと色葉はこれを煙たがったが、しかし政宗は強引に同行させたのだった。
ここで色葉との繋がりを断ってしまうことは、伊達家にとって益無しと判断したからでもある。
「……お父様? 千姫様にはすげなく断られてしまったそうですわね?」
難しい顔の政宗とは対照的に、ころころと笑いながらそう言うのは五郎八だ。
政宗は自らの意思を娘には伝えていなかったが、しかし色葉のことを探るためにあれこれ五郎八に尋ねたこともあってか、彼女は父親の考えを正確に見抜いていたのである。
これもまた、聡明で末恐ろしい娘であった。
「一度滅ぼされ、もう懲りたということか。しかし……」
そうは思えない。
それが政宗の判断だった。
色葉は自身の死について、さほど忌避するようには語ってはいなかった。
信じがたいことであるが、自身の死を受け入れてしまっているなど、むしろ相当な器であるとしか思えない。
そのため害した者のことをさほど恨んでいないようでもあったが、だからこそ天下統一に失敗したことに対し、懲りているようにも思えなかったのである。
単に、別の理由が本来の意思を邪魔しているように、政宗などは感じたのだ。
つまり、何かきっかけがあれば、容易に心は傾く、ともとれる。
だからこそ、色葉から目を離すわけにはいかなかった。
「五郎八よ」
「はい。お父様」
「そなたは忠輝殿に嫁ぐが、決して千姫様との縁を蔑ろにするでないぞ。また徳川の内情は、逐一わしに報せよ」
「はい。お父様」
五郎八は笑う。
「再び乱世が来るのでしょうか」
「わからん。わからんが……今から準備を整えても、早すぎることはあるまい」
「そうですわね。とても愉しみですわ」
本来ならば耳を疑ったであろう娘の期待に満ちた声音に。
しかし政宗もまた、同感であったのだった。






