異世界転棲
理科室には、文化祭で使うMR用の小道具や機材が並んでいた。
俺たちは人体模型の表示位置を元に戻し、近くの机を囲んだ。
ゴーグル越しに見る人体模型は、相変わらず決められた動作を繰り返している。
腕を上げ、首を回し、元の姿勢へ戻る。
まるで壊れたおもちゃのようだった。
「……まず、確認させて」
ララが口を開いた。
「剣崎カメオ。私たちは君を知らない。だけど、君は私たちを知っている。そういうことよね?」
『ああ。俺たちはクラスメイトだ』
「それを証明できる?」
『この人体模型のMR映像を作ったのも俺だよ! 文化祭の準備で、何日もここにいたんだ!』
「それだけ?」
『席だって知ってるし、先生の名前も、クラスのみんなの名前も言える!』
カメオは次々と名前を挙げ始めた。
『ルカートはINTJの建築家! トーラスはENTJの指揮官! ボンドはESTPの起業家!』
「……MBTIか」
『玉響ララさんと小鳥遊ニコさんは……まだ分析中だけど!』
妙に俺たちを観察していたらしい。だが、そんなクラスメイトがいた記憶は、どうしても浮かんでこなかった。
冗談や悪戯だと片づけるには、あまりにも具体的だった。
「……おい」
それまで黙っていたトーラスが、不意に声を上げた。
「これ……この感覚……!」
その表情が変わる。
「まさか……!」
「どうした?」
俺が尋ねると、トーラスは人体模型を睨みつけた。
「《贄と奇跡》か……!」
思わず息を呑んだ。
そうか。
存在を失う。
誰からも覚えてもらえなくなる。
そんなことができるとしたら。
「……アプリを使ったのか?」
「そうだ!」
トーラスが一歩踏み出した。
「おい、剣崎カメオ! お前、何を願った!?」
『……え?』
「何を贄にしたんだ!」
「トーラス、落ち着きなさい」
ララが間に入った。
「……すまない」
トーラスは深く息を吐いた。
俺は人体模型へ向き直った。
「カメオ。話してくれないか。何があったんだ?」
しばらく、返事はなかった。
人体模型だけが、同じ動きを繰り返している。
そして、ようやく声が聞こえた。
『……異世界転生だよ』
「異世界転生?」
『悪魔の世界があるって聞いてさ。だったら、そこに行けるんじゃないかと思ったんだ』
声が小さくなる。
『この世界での存在と肉体を捧げて、悪魔たちのいる異世界に転生したいって……そう願った』
「…………まじ?」
ニコが呟いた。
ボンドはしばらく黙っていたが、やがて人体模型を指差した。
「……で、気づいたらそこにいたのか?」
『正確には、入ったんだよ』
「入った?」
『身体が消えて、何もないところに放り出されたみたいになってさ。何かないかって探してたら、この人体模型が見えたんだ』
人体模型が、ぎこちなく腕を上げる。
『中に入ったら、こうして動けるようになった。でも、こいつに設定した動きしかできない』
「……自分で作った模型に閉じ込められたってことか」
『そういうことになる……』
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
「……こんなつもりじゃなかったんだ」
カメオの声が震える。
『俺、異世界に転生したかったんだよ。こんな、MRの中なんかじゃなくて……!』
人体模型が、また腕を上げた。
その動きが、ひどく場違いに見えた。
「ルカート」
トーラスがこちらを見る。
「記憶の補完はできないか?」
「……すまない。できる気がしない」
俺は首を横に振った。
「人間の記憶をどう補えばいいのか、まったくイメージが湧かないんだ。頭の中をいじるようなことも、正直、怖い」
「……そうか」
トーラスは静かに頷いた。
「いや、いいんだ。無理を言った」
ララが腕を組む。
「この世界での存在と肉体を捧げた……それで、現実ではなくMRの世界にいる……」
「転生とは言えない状態だな」
俺が言うと、カメオは小さく笑った。
『……そうなんだよ』
「今のカメオは、意識だけがMR空間に存在してるってことか?」
「でも、待って」
ニコが顔を上げた。
「カメオくんって、アプリからも消えちゃったの?」
『……アプリ?』
「うん。7つのアプリの中に、カメオくんの情報が残ってたりしないかなって」
ララの表情が変わった。
「なるほど……」
「何か思いついたのか?」
「現実世界での存在を失ったとしても、あのアプリが同じように扱うとは限らないわ」
ララは人体模型を見た。
「試してみる価値はあるんじゃない?」
「……確かに」
ボンドが頷く。
「なあ、お前のスマホ、どこだ?」
『スマホ……』
「最後に使った場所は?」
トーラスが尋ねる。
『放課後、ここに来て……準備室だ』
「……行ってみよう」
理科準備室の床に、それはあった。
制服の上下。
靴。
そして、一台のスマホ。
まるで着ていた人間だけが、忽然と消えてしまったようだった。
「……うわ」
ボンドが低く呟く。
「本当に、身体だけなくなったんだな……」
俺はしゃがみ込み、スマホを拾い上げた。
「カメオ。パスコード、教えてくれるか?」
『ああ。七、七、七、七、七、七』
「……全部七か」
『なんだよお、悪いかよ』
「いや、別に」
ニコが何とも言えない顔をした。
ロックを解除する。
ホーム画面には、見覚えのあるアプリが並んでいた。
《贄と奇跡》もある。
「……まずは普通の情報から確認するか」
電話帳を開く。
何も表示されない。
「……空だな」
通話履歴もない。
メッセージアプリを開いても、やり取りが残っていなかった。
写真も、本人が写っていたと思われるものは見当たらない。
「……徹底してるな」
ボンドが眉をひそめる。
「現実での存在を捧げた、か……」
ララが呟いた。
俺はアプリの一覧を見直した。
「……《怪人変身アプリ》は入れてないんだな」
『ああ。適性が低かったからさ』
「そうか……」
俺は自分のスマホを思い出した。
画面に表示された、白い陶器の仮面。
《補完の怪人》。
あの姿は、現実の俺とは違っていた。
だが、確かに俺自身のものとして表示されていた。
「……せめて、怪人の姿だけでも確認できないかと思ったんだが」
「……それ、面白いわね」
ララが頷いた。
「アプリがカメオを認識するかどうか、試してみましょう」
『やってくれ!』
カメオの声が響いた。
「じゃあ、インストールするぞ」
『頼む』
俺は《怪人変身アプリ》のアイコンを選択した。
――インストール中……
画面の中央で、小さな表示が明滅する。
しばらくして、文字が切り替わった。
――インストール完了。
「……入った」
「起動してみて」
ララに促され、アプリを開く。
画面が暗転した。
そして、ゆっくりと一つの人影が浮かび上がる。
最初に目に入ったのは、黒い頭巾のような覆面だった。
目元には、ごつごつとした暗視ゴーグル。
口元には、顔の半分を覆う酸素マスクが装着されている。
不気味な、しかし妙に実用的な姿だった。
画面の下に、文字が現れる。
――《潜伏の怪人》。
――剣崎カメオ。
「……剣崎カメオ」
思わず声に出した。
「出たの!?」
ニコが身を乗り出す。
「ああ。《潜伏の怪人》だってさ」
「……認識されてる」
ララが小さく呟いた。
「少なくとも、アプリの中には剣崎カメオが存在してるってことよね」
「……なんだ、これ」
俺は画面を見つめた。
黒い覆面に、暗視ゴーグルと酸素マスク。
顔だけは怪人らしい姿をしているのに、首から下は見慣れた人体模型そのものだった。
「これ、あの模型じゃない?」
ララが画面を覗き込む。
「ああ。そっくりだな」
『……え? 俺、そんな姿になってんの?』
「見てみるか?」
『う……直視できねえ、って言いたいのに……瞼がねえ』
「ぶほぁっ!」
ニコが吹き出した。
アプリはカメオを認識している。
けれど、それだけだった。
「駄目か……」
「良い考えだったと思うわ。認識や存在の《補完》を考えたんでしょう?」
「……待てよ」
ボンドが不意に声を上げた。
「お前、その人体模型を作ったんだよな?」
『……ああ』
「だったら、動けるようにすればいいんじゃね?」
『は?』
「いや、だからさ。プログラムを書き換えれば、自由に動かせるようになるんじゃないかって」
『……ああ!』
カメオが声を上げた。
『そっか! お前らなら操作できるじゃん!』
「どういうこと?」
ニコが首を傾げる。
『今の俺は、あらかじめ登録された動作しかできないんだ。でも、動作の組み合わせや移動の設定を変えれば、もっと自由に動けるはずだ』
「だったら、やってみましょう」
ララが立ち上がった。
「カメオ、プログラムはどこにあるの?」
『準備室のパソコンだ。俺の名前のフォルダに入ってる』
カメオの指示に従って制作データを開くと、画面には人体模型の立体モデルと、いくつもの動作が並んでいた。
腕を上げる。首を回す。お辞儀をする。
ほかにも、来場者を追いかけるための移動処理が用意されている。
「へえ、結構作り込んであるんだな」
『まあな。何日か徹夜したし』
「どこかの花子さんといい勝負だ」
ボンドが笑った。
「それほどでも……やっぱ、あるかぁー!」
ニコが何故か照れている。
『まず、移動の制限を変えてくれ。今は決められた範囲を往復するようにしてある』
ララが画面を操作する。
「これ?」
『そう、それ』
「でも、制限を外すだけだと、勝手に歩き回るんじゃない?」
『ああ。だから、俺が選べる動作を増やしたいんだ』
カメオの説明によると、今でも腕を上げたり、首を回したりはできるらしい。
ただし、あらかじめ決められた動作の中からしか選べず、移動も追いかけるだけのごく限られた範囲に制限されているという。
そこで、既存の動作を組み合わせ、移動する方向や距離をカメオ自身が指定できるようにしていく。
もっとも、言うほど簡単ではなかった。
「……よし、試してみろ」
『おう!』
人体模型が右脚を踏み出した。
次に左脚。
右、左、右、左。
「あ、だめね、足踏みして進まないわ」
「体重移動と重心と……これは難しいな」
『人間って、案外すごいだろ?』
人体模型は相変わらず足踏みしている。
それを見て、俺たちは思わず笑ってしまった。
ララが画面を確認する。
「ちょっと待って。直すから」
数分後。
今度は人体模型が、猛烈な足踏みをしたまま廊下を滑るように進んだ。
「…………」
「…………」
「……こっわ」
ボンドが呟いた。
するとニコが、ぶふっ、と吹き出した。
「ちょっ……あはははは! 何それ! おかしいけど進んでる!」
『笑うなよ! 俺だって必死なんだぞ!』
「ご、ごめっ……あははは!」
ニコはお腹を抱え、目尻の涙を拭った。
「……次はちゃんと歩けるようにしよう」
俺が言うと、カメオが大きく頷いた。
いや、首が勢いよく胸に埋まった。
「うわっ!?」
「ひぃっ……あはははは!」
ニコがとうとう涙を流し始めた。
その後も、試行錯誤は続いた。
関節があり得ない方向に曲がるたび、思わず顔をしかめてしまう。
そのたびにボンドが悲鳴を上げ、ニコが笑い転げる。
それでも、少しずつ動きは改善されていった。
歩行と移動を連動させると、ようやく人体模型はそれらしい足取りを見せ始めた。
『……前へ』
右脚が動く。
左脚が続く。
ぎこちない足取りではあったが、人体模型はゆっくりと歩き出した。
一歩。
二歩。
三歩。
「……おお」
ボンドが感心した声を漏らす。
「今度は一応歩いてるぞ」
『……歩ける』
カメオが呟いた。
少し進んでから、立ち止まる。
今度は自分で向きを変え、俺たちの方へ戻ってきた。
『俺、自由に動けるぞ!』
「やったね、カメオくん!」
ニコが両手を叩いた。
「まだ動作は不自然だけど、これなら少しずつ直せそうね」
ララも満足そうに頷く。
人体模型が俺たちの前で立ち止まった。
『……ありがとう』
カメオの声が、少し震えていた。
『さっきまで、あの場所から動けなかったんだ。それが、こんなに歩けるなんて……』
俺はゴーグル越しに、その姿を見つめた。
骨格も筋肉もむき出しの、奇妙な人体模型。
現実のカメオを取り戻せたわけじゃない。
学校の敷地からも出られない。
それでも、こいつは今、自分の意思で歩いている。
「……悪い。俺たちには、これぐらいしか思いつかない」
『いいんだ』
カメオは、ゆっくりと頭を下げた。
『ありがとう、ルカート。みんなも、本当にありがとう』
――03日22時間24分41秒




