揺るがぬ大地
「ちと、遅くなっちまったな」
ボンドがスマホで時刻を確認した。
「お腹空いたぁー」
ニコが大きく伸びをする。
校門を出る頃には、すっかり日が暮れていた。
街灯に照らされた歩道を、俺たちは駅へ向かって歩いていく。
ピーポー、ピーポー……。
ウウウゥゥゥ……。
遠くで救急車のサイレンが鳴っていた。
それを追いかけるように、別のサイレンが重なる。
「……増えたよな、緊急車両」
トーラスが呟いた。
「事故も事件もね。犯罪も増えてるみたい」
ララが答える。
以前なら、こんなに頻繁にサイレンを聞くことはなかった。
最近は、どこにいても耳にする気がする。
「……みんな、気をつけて帰れよ」
「ルカくんもね」
「また明日ね!」
ニコが手を振った。
「ルカート。まあ、なんだ……また明日、顔を出してやろうぜ」
ボンドが少し照れくさそうに言った。
誰のことかは、聞くまでもない。
「そうだな」
「じゃあ、また明日な」
トーラスも片手を上げた。
俺たちはそれぞれの帰路についた。
鳴りやまないサイレンに背を向け、地下鉄星ヶ丘駅の階段を降りる。
電車に揺られながら、スマホを取り出した。
気になっているのは、やはり《贄と奇跡》だ。
剣崎カメオ。
あいつの願いと、支払った代償。
あんなことが、本当に起こり得るのか。
SNSを開き、関連する投稿を探してみる。
ほどなくして、気になるスレッドを見つけた。
――《贄と奇跡》成功例まとめスレ
【名無しの怪人】
若さを捧げて大人になる
【名無しの怪人】
毛を捧げて脱毛に成功した。ただしハゲる
【名無しの怪人】
失敗してて草
【名無しの怪人】
色素を捧げて髪色白くした
【名無しの怪人】
それ白髪では?
【名無しの怪人】
ハズレアプリ乙
「…………」
思わず画面を見つめた。
……何だ、このスレ。
カメオの件を知った後だと、笑っていいのかも分からない。
【名無しの怪人】
声を捧げたら彼女の耳が聞こえるようになったんだ
【名無しの怪人】
マジならすげえ
【名無しの怪人】
で、お前は喋れなくなったの?
【名無しの怪人】
うん。でも初めて俺の歌を聞けたって喜んでくれた
【名無しの怪人】
声出ないんじゃないの?
【名無しの怪人】
バンド組んでて、昔の音源だ
【名無しの怪人】
泣いた
【名無しの怪人】
ちなみに来月、彼女は別の男と結婚する
【名無しの怪人】
おいおま……バカか
【名無しの怪人】
漢と書いておとこと読むってやつか
【名無しの怪人】
幸せになれよ、お前も
(……捧げるもの次第で、奇跡の意味も変わるのか)
画面をスクロールすると、ニュースサイトの速報が目に入った。
――政府、相次ぐ異常事案について関係省庁で情報共有。
――官房長官、特定アプリとの関連について「現時点では確認中」。
――米政府、日本国内の不可解な事案について情報収集。
(……政府まで動いてるのか)
記事を開いてみたものの、原因は依然として不明らしい。
コメント欄には、陰謀論やら宇宙人説やら、好き勝手な推測が並んでいた。
……どれも荒唐無稽な話だ。
もっとも、喋る人体模型と一緒にいた俺が言えたことじゃない。
そんな記事を読んでいるうちに、電車は藤が丘駅へ到着した。
改札を抜け、リニモの乗り場へ向かっていると――。
「おー、ルカじゃん。おひさー」
聞き覚えのある声に振り向いた。
「モミジか。久しぶりだな」
佐々間モミジ。
別の高校に通う、昔からの幼馴染だ。
片手には買ったばかりらしいたこ焼き。上機嫌でこちらへ歩いてくる。
「たこ焼き食べない?」
「一個だけもらおうかな」
アーケードの下を並んで歩き、駅前にある石のテーブル脇の長椅子に腰を下ろした。
「ずいぶん遅いね? お互い様だけど」
「ああ。でもモミジは、いつもの部活だろ?」
「大会近いからねえ。今回はいける気がしてるんだ」
「前も言ってたけどな、その台詞」
「あちゃー、言ってたかぁー」
モミジはわざとらしく、ぺちんと自分の額を叩いた。
「薙刀界隈じゃ、モミジは有名人だからな」
「ルカだって、辞めなければ剣道で有名人だったのに」
「どうだかな」
差し出されたたこ焼きを一つ、爪楊枝で刺して口に運んだ。
「ほぉふ、ほぉふ……!」
熱い。
思っていた以上に熱い。
「ぷっ。何やってんの、ルカ」
モミジが楽しそうに笑った。
「俺は文化祭の準備で、ちょっとな……」
「今週末だっけ? 一般公開、行こっかな」
「あ、ああ……それよりモミジ。トクサでは、おかしな出来事とか起きてないか?」
「おかしな出来事?」
「ほら、例のアプリ絡みでさ」
「ああ、あれね。悪魔とお喋りできるって、みんな盛り上がってるよ。なんだか変なブームになってるよねえ」
「……それだけか?」
「それだけって?」
「《贄と奇跡》を使ったやつとか、いないのか?」
「なになに? ネットの噂、信じちゃってるわけ? ルカが?」
モミジが面白そうに俺の顔を覗き込む。
「……いや。何もないなら、それでいいんだ」
「何それ、変なの」
モミジは首を傾げると、残っていたたこ焼きを頬張った。
……ずいぶん温度差がある。
同じアプリが広まっているのに、トクサ高校ではまだ、ただの流行り物として扱われているらしい。
「……ルカ、何かあった?」
「いや」
「嘘。そういうとこ、昔から変わんないね」
モミジは少し考えるように首を傾げた。
「んーと、そうだねぇ。うちでは《悪魔マッチング》が流行ってるかな。《贄と奇跡》も話題にはなってるけど」
「……ほかは?」
「《箱舟》とか《怪異WALK》は、まだまともに動かないって話だし。《怪人変身》なんて、加工アプリとしても下の下だよ?」
モミジは肩をすくめた。
「私が知ってるのは、それくらいかな。少しは参考になった?」
「……ああ。ありがとう」
「でも、《悪魔マッチング》は結構面白いよ。私も毎日お喋りしてるし」
「へえ。どんな悪魔なんだ?」
「んー、内緒!」
モミジはいたずらっぽく笑った。
「そのうち紹介するよ」
「……何だよ、それ」
「ふふっ。お楽しみに!」
俺たちは藤が丘駅からリニモに乗り込んだ。
他愛もない話をしているうちに、モミジの降りる駅が近づいてきた。
「あ、次だ」
モミジが立ち上がった。
「じゃあまた! 文化祭、顔出すからね!」
「ああ。たこ焼き美味かった。またな」
モミジはひらひらと手を振り、ホームへ降りていった。
扉が閉まると、リニモは静かに走り出した。
窓の外を流れる街の明かりを、ぼんやりと眺める。
ブウォッ、ブウォッ、ブウォッ!
「うわっ!?」
突然、車内のあちこちから警報音が響いた。
緊急地震速報。
慌ててスマホを確認する。
――強い揺れに警戒してください。
俺は反射的に手すりをつかんだ。
周囲の乗客も、身構えている。
十秒。
二十秒。
……何も起きない。
「……地震?」
「揺れてないよね?」
乗客たちが顔を見合わせる。
不意に、足元の振動が変わった。
リニモが速度を落としている。
やがて、車両は静かに停止した。
『ただいま緊急地震速報を受信したため、安全確認を行っております』
数分後。
スマホにニュース速報が届いた。
――緊急地震速報を発表も、強い揺れは観測されず。気象庁が確認中。
「……誤報かよ」
思わず息を吐いた。
その瞬間。
ブウォッ、ブウォッ、ブウォッ!
「……また!?」
車内が一斉に騒がしくなる。
今度は静岡県沖が震源と表示されている。
さっきは長野県北部だったはずだ。
しかし、やはり揺れは来ない。
さらに数分後。
ブウォッ、ブウォッ、ブウォッ!
「もう、何なのよ!」
「いい加減にしてくれよ……」
あちこちで不満の声が上がった。
俺もスマホを確認する。
SNSには、全国各地から同じような報告が殺到していた。
――北海道も鳴ったぞ。
――東京も。三回目。
――地震なんか起きてないだろ。
――気象庁、大丈夫か?
そのとき、新たなニュースが流れた。
――全国の複数の地震観測点で異常な信号を検出。原因は不明。
「……複数の観測点?」
機械の故障なら、まだ分かる。
でも、全国で同時に?
俺はスマホから顔を上げた。
車内には、相変わらず警報を気にする乗客たちの姿があった。
誰も揺れを感じていない。
それなのに、地震計だけが何かを捉え続けている。
……一体、何が起きているんだ?
――気象庁、緊急地震速報の異常発表を受け、一部の自動配信を暫定停止。
――複数の観測点で異常信号が継続。機器の故障を含め原因を調査中。
――03日21時間11分55秒




