特異点
朧げな夢を見た。
どこまでも広がる大地を、空から見下ろしている。
山があり、川があり、深い森があった。
やがて人が現れ、集落が生まれる。
人が生まれ、人が死ぬ。
土が盛られ、墓が立つ。
時が流れる。
集落は村になり、村は町へと姿を変えた。
古墳が築かれ、朝廷が生まれ、幾度となく争いが繰り返される。
人が死ぬ。
また、墓が増える。
季節が巡り、時代が移る。
城が建ち、旗が翻る。
無数の兵が大地を駆け、刃を交える。
戦いが終わる。
首塚が築かれ、耳塚が残された。
血に濡れた槍が池で洗われる。
水面が赤く染まる。
やがて池は埋められ、その上を人々が歩いていく。
また、時が流れる。
煙突が立ち並び、工場が生まれる。
大地を覆っていた森が消え、町が広がっていく。
そして、空から火が降った。
町が燃える。
家が崩れ、人が倒れ、炎がすべてを呑み込んでいく。
焼け野原になった大地に、墓が増える。
一つ、また一つ。
数えきれないほどの墓が、町の至るところに立ち並んだ。
やがて、奇妙なことが起きた。
町中に散らばっていた墓碑が、動き始めたのだ。
まるで引き寄せられるように。
一つ、また一つ。
幾千、幾万もの石が運ばれ、丘陵の一角へ集まっていく。
墓が並ぶ。
どこまでも、どこまでも。
その周囲を、目には見えない何かが巡り始めた。
大地の奥深くで、幾筋もの流れが生まれる。
それらは絡まり、重なり、やがて一つの巨大な渦となった。
時が流れる。
丘の麓に、学校が建った。
校舎が伸び、運動場が広がり、生徒たちが行き交う。
見慣れた景色だった。
尾張ミヤズ高校。
空から見下ろしていた視界が、ゆっくりと降りていく。
校舎の屋根を抜け、天井をすり抜ける。
教室。
並んだ机。
その一つに、誰かが座っていた。
無造作な黒髪に、見慣れたブレザー。
――俺だ。
視線がさらに下がっていく。
机の下。
床の下。
大地の、その奥へ。
そこには、途方もない奔流があった。
無数の光が渦を巻き、暗い地中を流れている。
それはまるで、数えきれない人々の魂が、一つの大きな川になったようだった。
奔流がうねる。
渦が向きを変え、地上へと這い上がっていく。
床を突き抜け、俺の足元に達した。
光が脚に絡みつく。
腰を覆い、胸を包み、首へと這い上がる。
逃げようとしても、動けない。
奔流が俺を呑み込んだ。
何も見えなくなる。
どれほどの時が過ぎたのだろう。
やがて光は静まり、地中へと還っていった。
教室の真ん中に、一人の生徒が立っていた。
いや。
もう、人間の顔ではなかった。
白い陶器を思わせる仮面。
不規則に欠けた亀裂を、金色の継ぎ目が走っている。
その隙間から、漆黒の素顔が覗いていた。
――《補完の怪人》。
仮面の奥にある双眸が、こちらを見上げた。
目が合った。
――ガバッ!
「っ……!」
勢いよく上半身を起こした。
自分の部屋だ。
荒い息を吐きながら、両手で顔を触る。
額。頬。鼻。口元。
指先に伝わるのは、いつもの肌の感触だった。
仮面はない。
亀裂も、金色の継ぎ目もない。
「……人間、だよな」
もう一度、頬を撫でた。
夢の中で、あの目がこちらを見上げてきた感覚だけが、妙にはっきりと残っていた。
「悪い夢でも見た? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫、ありがとキーウィ」
スマホが震えた。
画面を見ると、ケビンからメッセージが届いていた。
『有門、昨日のメッセージ読んだぞ』
『俺からも経過報告だ』
『全国の異常報告を地図に落としてみたんだ』
『そしたら、火山や古い神社、寺院、霊山なんかの周辺に、妙な偏りがある』
『偶然かもしれないけどな。霊的な力場ってやつがあるなら、こういう場所なのかもしれない』
『愛知県内だと、熱田神宮、豊川稲荷、鳳来寺山でも異常が報告されてる』
『ただ、ネットの情報だから裏が取れてないものも多い』
『俺はこういう場所を、ひとまず特異点って呼ぶことにした』
『ミヤズ高校もきな臭い』
『お前も含め、星5が妙に多いのも引っかかる』
『何か起きてもおかしくない。気をつけろよ』
『正直、何が起きてるのか俺にも見当がつかない』
『ただ、カウントダウンがゼロになるまでには、できるだけ真相に近づいておきたい』
『また何かあったら教えてくれ。有門』
俺はしばらく画面を眺めていた。
火山、神社、寺院、霊山。
昔から人々が特別な場所として扱ってきた土地に、異常が集中している。
ふと、今朝の夢が頭をよぎった。
墓が集まる丘陵。
その麓に建つ学校。
地中を流れる、無数の魂。
(……特異点か)
俺は返信を打った。
『分かった。こっちでも気をつける』
『そっちも無茶するなよ。今頃は出雲大社辺りか』
ほどなく、返信が届いた。
『おい! 俺の目的地を読むな!』
「……まさか当たってないよな?」
思わず苦笑した。
学校へ向かうリニモと地下鉄の中で、俺は全国の異変に関する情報に目を通していた。
検索すれば、出るわ出るわ。
空を飛ぶ龍。巨大な鬼。海から現れた怪獣。
いかにも作り物めいた映像ばかりだった。
だが、ケビンの話もある。
大量のフェイクに紛れて、本物が混じっている可能性は十分にあった。
「……それっぽいのは、このあたりか」
まず目に留まったのは、富士山のニュースだった。
『富士山上空に巨大な逆さ富士? 謎の渦雲が出現』
画面には、見慣れた富士山と、その上空に浮かぶ逆さまの富士山が映っていた。
もちろん、上にあるのは雲だ。
だが、山頂同士が向かい合うほど整った形をしており、その周囲では幾重もの雲が渦を巻いている。
激しい気流のためヘリコプターも近づけず、登山道も封鎖されているらしい。
二つの頂点の間に何があるのか、誰にも分かっていなかった。
続いて、出雲大社周辺のニュース。
『出雲大社周辺で謎の地響き 巨大生物の足音との証言も』
周辺では、巨大な何かが歩いているような物音や振動が断続的に観測されているという。
映像には、突然揺れる木々や、一斉に飛び立つ鳥の群れが映っていた。
まるで、目に見えない巨大な生き物がそこに居座り、ときおり身体を動かしているようだった。
もっとも、その姿を確認した者はいないらしい。
さらに画面をスクロールする。
『鳳来寺山で異変? 上っても終わらない石段』
愛知県新城市の鳳来寺山では、石段を上り続けても目的地にたどり着けないという報告が相次いでいた。
引き返せば問題なく下山できるものの、再び上ると同じことが繰り返されるという。
道に迷っただけではないか、という意見も多かった。
……さすがに、これは信じがたい。
さらに画面をスクロールする。
『豊川稲荷周辺に多数のキツネ 昨晩、一斉に鳴く様子を撮影』
薄暗い境内の一角に、何匹ものキツネが集まっていた。
どのキツネも同じ方向を見つめ、何かに反応するように鳴き続けている。
周辺住民によれば、この地域で普段からこれほど多くのキツネを見かけることはなく、どこから集まってきたのか分かっていないという。
……なんとも奇妙な光景だった。
自然現象。動物の異常行動。道に迷っただけの話。
一つひとつなら、そう説明できるのかもしれない。
だが、これだけ立て続けに起きるものなのか?
ケビンの言う特異点という言葉が、妙に引っかかった。
そのとき、関連記事の中に一つの見出しが目に入った。
『政府、正体不明のアプリに関する緊急対策チームを設置』
政府は昨日、全国で急速に広まっている七つの正体不明のアプリについて、関係省庁による緊急対策チームを設置したと発表したらしい。
配信元の特定や安全性の調査を進めるとともに、各地で相次ぐ異常現象との関連についても情報収集を行うという。
さらに、すべてのアプリに共通するカウントダウンについても、終了時に何が起こるのか確認できていないとして、引き続き新規インストールを控えるよう呼びかけていた。
「……ようやく国も動いたのか」
記事には、記者会見に臨む官房長官の写真が掲載されていた。
カウントダウンがゼロになるまで、あと数日。
果たして、それまでに何か分かるんだろうか。
スマホから顔を上げ、窓の外へ目を向けた。
いつもと変わらない街並みが流れている。
少なくとも、今のところは。
学校の裏手へ続く細い道に差しかかった。
この時間、生徒たちはほとんど正門へ向かうため、遠回りになるこちらの道をわざわざ通る者は少ない。
ふと、木々の向こうに広がる平和公園の丘陵が目に入った。
あの向こうには、数えきれないほどの墓碑が並んでいる。
普段なら気にも留めない景色だった。
だが、今朝の夢を思い出す。
街の至るところから集められていく墓碑。
地中を流れる、無数の光。
そして、俺を呑み込んだ魂の奔流。
もし、あれが本当に存在するとしたら。
この地面の下には……。
足元へ視線を落とした。
古いアスファルトの舗装に、細長い亀裂が走っていた。
……《補完》か。
これまでに起きた現象を思い返す。
シャーペンの芯。そして、学校の大時計。
どちらも、壊れたものが元の状態へ戻るような現象だった。
なら、このひび割れはどうだろう。
これほど長い亀裂でも、補完できるんだろうか。
それに、もし直せるとしたら。
どこまで直る?
辺りを見回した。
前にも後ろにも、人影はない。
念のため、少し待ってみたが、誰かが通る気配もなかった。
……少しくらいなら、試しても大丈夫だろうか。
俺はその場にしゃがみ込み、亀裂の上にそっと手を添えた。
地中を流れていた、あの光の奔流を思い描く。
――《補完》。
次の瞬間。
割れ目が埋まり、アスファルトが滑らかにつながっていく。
俺の手元から、一メートル。
二メートル。
三メートル。
ひび割れが、次々と消えていく。
「おいおい……」
四メートル。
五メートル。
そこで終わるかと思った。
だが、補完は止まらなかった。
道端の金網フェンスが、小さな音を立てた。
見ると、破れて垂れ下がっていた金網が持ち上がり、切れた針金同士がつながっていく。
「……え?」
さらに、その先。
道端に佇む古い道祖神。
風雨に削られ、顔の一部が欠けていた石像に、ゆっくりと輪郭が戻っていく。
失われていた頬が形を取り、鼻筋が現れた。
そのとき、どっと身体から力が抜け始めた。
「っ……!」
膝が震える。
息が上がり、視界がぐらついた。
それなのに、補完は止まらない。
遠くから、誰かの話し声が聞こえてきた。
……まずい。
声は少しずつ近づいてくる。
『ルカート! 力を止めて! 使い過ぎだよ!』
耳元でキーウィの声が響いた。
「くっ、わ、分かった……!」
地面に添えていた手を、何とか持ち上げる。
支えを失った身体が傾き、片膝をついた。
途端に、全身を襲っていた脱力感が和らいだ。
同時に、目の前の景色が変わり始める。
滑らかになっていたアスファルトに、再び亀裂が走った。
つながっていた金網が切れ、破れた部分が垂れ下がる。
道祖神の顔も、補われていた輪郭が失われ、元の風化した姿に戻っていった。
……全部、元通りだ。
「はぁ……はぁ……」
まるで全力疾走した後のように、身体が重い。
何とか立ち上がると、少し先に二人の女子生徒が立ち止まっていた。
「ひゃっ! 今、そこの石像の顔が欠けなかった!?」
「えっ? 私、地面が割れたように見えたけど……」
二人は道祖神とアスファルトを交互に見つめた。
「……最初から、こうだったっけ?」
「SNSの見過ぎかもね……」
顔を見合わせ、困ったように笑う。
俺は思わず視線を逸らし、背を向けて歩きだした。
重い足を、できるだけ速く動かす。
……危なかった。
いや、完全に見られている。
幸い、俺がやったとは気づいていないらしい。
『大丈夫、ルカート?』
「ああ……なんとか」
誰もいないことは、ちゃんと確認したつもりだった。
まさか、あれほど広がるなんて。
差し出していた手を見つめる。
そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。
取り出してみると、見慣れないシステム画面が表示されていた。
――《怪人変身アプリ》
――拡張条件を満たしました。
――ランク2に拡張しますか?
――【はい/いいえ】
……ランク2?
――04日10時間32分31秒




