魂の選択
「えー、つまり、物体に働く力と加速度の関係は――」
教師が黒板に向き直ったところで、チャイムが鳴った。
「おっと、ここまでか。続きは次回な」
教科書を閉じ、鞄にしまう。
今日も放課後は文化祭の準備だ。
「いやー、もう何が何だか分かんねえな」
ボンドがスマートフォンを片手に話しかけてきた。
「ネットニュースもSNSも、何が本物で何がフェイクか見分けがつかねえわ。メリルの件のあとだと、全部本物に見えてくる」
「確かにな。……なあ、ボンド。これを見てくれ」
俺はスマートフォンを取り出し、ニュースの動画を再生した。
映し出されたのは、桜島の上空。
山頂から立ち上る噴煙の中に、巨大な卵のような形が浮かんでいる。
ケビンから送られてきた映像とは、別の角度から撮影されたものだ。
「うわ、なんだこれ……」
「桜島の噴煙らしい」
「報道されてるってことは、少なくとも実際に撮影された映像ってことか。とんでもねえな」
ボンドが画面に顔を近づける。
「なあ、ボンド。アプリが先か、異変が先か。どう思う?」
「ん? どういうことだ?」
「この異変をアプリが引き起こしたのか。それとも、異変が起きるからアプリが配信されたのか」
「……ああ、なるほどな」
ボンドが腕を組んだ。
「アプリが引き起こしたにしちゃ、規模がおかしいってことか」
「これに関してはな」
「でも、それなら誰が配信したんだ?」
「分からない。配信元も目的も、善意なのか悪意なのかさえ不明だ」
「つまり、異変が起きるのを知ってた誰かが、先回りしてアプリを配った可能性もあるってことね?」
いつの間にか、ララが会話に加わっていた。
「まあな。確かめようがないけど」
「確かめに行った、どこかの情報通の仮病は重篤みたいね」
「……あいつ、風邪を治しに九州まで行ったからな」
ボンドが呆れたように笑った。
「せっかくMRゴーグルを使うのに! 現実の方がよっぽどすごいことになってるよ」
ニコが口を尖らせた。
「確かにそうね」
ララがくすりと笑う。
とはいえ、文化祭の準備は待ってくれない。
俺たちのクラスが企画しているのは、MRゴーグルを使った脱出ゲームだ。
当初の構想は、呪われた古代遺跡からの脱出。
ミイラや罠をかいくぐり、秘宝を手に入れて脱出するという、至ってまともな冒険ものだった。
ところが、制作が進むにつれて事態はおかしな方向へ転がり始めた。
誰かが動く人体模型を作り、別の誰かがピアノを弾く怪物を追加した。
挙げ句の果てには、トイレの花子さんまで登場する始末だ。
もはや古代遺跡の面影など、どこにもない。
そして紆余曲折の末、採用された設定がこれだ。
――無数の異世界へとつながる扉がある、奇妙な洋館からの脱出。
……無理やりにもほどがある。
今日は、校舎の一部を使ったテストプレイだ。
MRゴーグルを装着すると、いつもの校内に奇妙な装飾や扉が重なって見える。
その中でも、ひときわ目立っていたのがトイレの前に立つ少女だった。
「トイレの花子さんのクオリティがまた上がってる……コンセプトめちゃくちゃだろ」
「だって、学校なんだから花子さんはシンボルでしょ」
ニコが当然のように胸を張った。
「洋館なんだろ?」
「トイレはあるよ」
「そういう問題じゃないだろ……」
「しかもニコ、校内のトイレ全部に花子さん置いてるんだぜ」
ボンドが呆れたように笑った。
「……全部?」
「うん! どのルートを選んでも会えるようにしたの」
「どんだけ見せたいんだよ」
「だって、頑張って作ったんだもん、見なきゃ損だよね?」
ニコは得意げに続ける。
「それにね、みんなちょっとずつ違うんだよ。コンセプトもあって……顔とか、髪型とか、服装とか」
改めて目の前の花子さんを見る。
赤いスカートをはいた少女の胸元には、小さな名札がついていた。
――たんぽぽ。
「……たんぽぽ?」
「うん! その子はたんぽぽさん」
「花子さんじゃないのかよ!」
「トイレにいるでしょ?」
「……そういう問題じゃないんだよなあ」
ボンドがとうとう吹き出した。
ニコは満足そうに笑っている。
「そういや、花子さんじゃないけどさ。校舎の大時計、針の位置が変わってるって知ってるか?」
「……大時計?」
「おう。昼休みに動いてるのを見たってやつもいるらしいぜ」
「へえー! あの時計、ずっと止まってたのにね!」
ニコが驚いたように目を丸くした。
「……そうだな」
俺は曖昧に相槌を打った。
どうやら、あの時計はまた止まってしまったらしい。
それでも、確かに動いていた。
俺たち以外にも、それを見た人間がいたということか。
その後、俺たちは校内を巡りながら、各エリアのギミックを確認していった。
音楽室では、怪物がピアノを弾きながら謎の旋律を奏で、理科室では人体模型が突然動き出す。
図書室では、本棚に隠された暗号を解くと、次の扉が現れる仕組みになっていた。
どれも思いのほかよくできている。
そして最後にたどり着いたのが、ゴール地点の視聴覚室だ。
最後の仕掛けを作動させると、目の前に巨大な扉が出現した。
ゆっくりと扉が開き、まばゆい光とともに『脱出成功』の演出が浮かび上がる。
こうして、ひととおりの動作確認を終えた。
「ここだったか。みんな、いろいろとすまない。迷惑をかけたな」
視聴覚室にトーラスが顔を出した。
「おう、トーラス。もう大丈夫なのか?」
ボンドが声をかける。
「ああ。心配かけたな」
「で、どうなんだ? 何か思い出せたのか?」
「いや、何も変わっちゃいない。メリルのことは全部覚えてる。ただ、好きって感情だけがすっぽり抜け落ちてるんだ」
「……そうか」
「だがな、俺はこのままでいるつもりはないぞ」
トーラスは拳を握り、にやりと笑った。
「たかがアプリごときに、俺の心を好き勝手にされてたまるか」
その声には、迷いがなかった。
「俺の感情は俺のもんだ。奪ったなら、取り返してやる。絶対にな」
――ピロン。
不意に、トーラスのスマートフォンから通知音が鳴った。
「……ん?」
画面を確認したトーラスが、目を見開く。
「どうした?」
「《名もなき魔人》が《反骨の魔人》に覚醒した、だとよ」
「……反骨?」
トーラスは一瞬きょとんとしたが、すぐに豪快に笑った。
「ははっ! 上等じゃねえか!」
「お前らしいな」
ボンドが笑った。
「メリルとも話してきた。もう一度、二人でやっていくつもりだ」
「でも、好きって気持ちは戻ってないんだろ?」
俺が尋ねると、トーラスはあっさり頷いた。
「おう。だから取り返すんだろ?」
当然のことのように言って、トーラスは笑った。
「まずは《贄と奇跡》について調べるつもりだ。何か手掛かりがあるかもしれん」
「……トーラス。判断は慎重にな。それと、何かあったら相談してくれ。俺も力になりたい」
「ああ、頼りにしてるぞ。ルカートの言いたいことは分かってる」
「メリルに奇跡が起きたのに、贄になったのはトーラスだったってことだろ?」
ボンドが言葉を継いだ。
「それに、奇跡はほんの少し顔が変わっただけなのに、代償は恋愛感情そのもの。釣り合ってないのが気になるのよね?」
ララまで続ける。
「……ああ。だから、みんなも十分に気をつけてくれ」
俺が頷くと、ニコが呆れたように両手を広げた。
「エスパーかよ! みんな、ルカくんのなんなのさ!」
思わず笑いが起きた。
まったく、頼もしい連中だ。
「そういうわけだ。俺にも何か手伝わせてくれ。いつまでも落ち込んでる場合じゃないからな」
トーラスはそう言って、いつもの調子で笑った。
文化祭の準備を切り上げ、いつものメンバーと駅で別れた。
地下鉄の改札へ向かおうと階段を降りていると、見覚えのある姿が上がってきた。
「あれ、シシリー?」
「あ、有門くん。こんばんはー」
「どうしたんだ?」
「地下鉄、人身事故で止まってるんだって。上下線とも運転見合わせみたいだよー」
「うわ、まじか……」
階段の下を覗くと、改札の方にはいつもより多くの人が集まっていた。
「しばらくかかりそうだな。よかったら、そこのコーヒーショップで時間潰さないか?」
「うん、いいよー」
俺たちは駅を出て、近くのカフェに入った。
シシリーはカフェラテを、俺はアイスコーヒーを注文し、窓際の席に腰を下ろした。
「そういえば、シシリーの《加速の怪人》だけどさ。何か変わったことはないか?」
「え? 変わったこと?」
シシリーは小首を傾げた。
「うーん……何もないと思うけど。有門くんは何かあったの?」
「いや、何もないならいいんだ」
そう答えかけて、少し迷った。
「……いや、何か起きる前に話しておいた方がいいか」
俺は、シャーペンの芯が勝手につながったことと、昼休みに大時計が動き出したことを話した。
「ええーっ! そんなことがあったの?」
シシリーが目を丸くする。
「私、こんなだから……動くのもトロいし、気づいてないだけかもっ」
「いや、何もない方がいいに決まってる。悪い、変なこと言ったな。気になっても、無理に試したりしないでくれよ」
「うん、わかったよー」
シシリーは両手でカップを包み、ゆっくりとカフェラテを啜った。
「でもね、私も気になって、怪人とか魔人についてネットで調べてたんだー」
「何かわかったのか?」
「ううん。有門くんが体験したみたいな出来事は、見つからなかったよ?」
「俺も探したけど見つからなかった。だからって、ほかに起きてないとも思えないんだよな」
「それって、有門くんが星5だからかもしれないねー」
「……星5?」
「うん。なんか、おかしいの。ネットだと星4でも珍しいみたいで、星5なんて全然見つからないんだよ」
シシリーは少し考えるように視線を落とした。
「隠してるっていうより、そもそもいないみたいな感じなんだよねー」
「……それは俺も気になってた」
ネット上では、星5の適性者がほとんど見つからない。
なのに、俺の周囲には何人もいる。
偶然にしては、少し出来すぎている気がした。
「また何かわかったら、情報交換しないか?」
「うん! もちろんだよー」
そのとき、シシリーのスマートフォンが小さく震えた。
「あ、地下鉄、運転再開したみたい!」
「お、助かったな。じゃあ、そろそろ行くか」
「うん!」
シシリーは残りのカフェラテを、ゆっくりと味わって飲み干した。
……運転は再開しても、シシリーの時間はいつもどおりらしい。
その後、地下鉄に乗り込んだ俺は、スマホでSNSを眺めていた。
『俺が星5怪人だ!』
添付されていたのは、どこかで見た特撮ヒーローの怪人コスプレだった。
『俺も星5だけど名乗り出る勇気ねーわ』
『↑お前、昨日オール3って言ってただろw』
『名もなき怪人ナカーマ』
『そもそも星の最大が5って誰が決めたん? ソースは?』
『白抜きの星あるだろ』
『最大が5とは限らんだろ』
『それはそう』
『京都か奈良の巫女さん、魔人覚醒が星5らしいぞ』
『ソースよこせ!!!』
『ちなみに可愛さも星5らしい』
『可愛さ星5の巫女さんと聞いて』
『画像はよ』
……駄目だこりゃ。
まともな情報がまるで見つからない。
星4ですら、確かな報告はほとんどない。
星5に至っては、噂や冗談ばかりだった。
それなのに、うちの学校には何人もいる。
……どう考えてもおかしい。
帰宅してからも、しばらく情報を探してみた。
《贄と奇跡》については、願いを叶えたという報告が少しずつ増えていた。
同時に、何かを失ったという書き込みも目につくようになってきた。
今のところ、大きな事件として報じられているものはない。
もっとも、トーラスの件だって、外から見れば何も起きていないように見えるだろう。
これでまだ、世界が変わる前だというのだから。
……あと五日。
いったい何が起こるんだろうな。
俺はケビンに今日の出来事を簡単にまとめて送った。
大時計が再び止まったこと。トーラスの覚醒。そして、うちの高校に星5の適性者が異様に多いという話。
返信はまだない。
スマートフォンを枕元に置き、ベッドに潜り込む。
「ルカート、おやすみ」
キーウィの声がした。
「ああ。また明日な。おやすみ、キーウィ」
部屋の明かりを消した。
――04日20時間39分11秒




