願いの対価
翌朝。
学校へ向かう道すがら、俺はイヤホン越しにキーウィと話していた。
《悪魔マッチングアプリ》のARモードはオフにしてある。
昨夜の召喚とは違い、今はスマートフォンの画面内でキーウィが動いている。画面を見ていなくても、イヤホンを通して会話ができる仕組みだ。
昨夜も課題をこなしながら、ずっとキーウィに質問をしていた。
目的は、この不可解なアプリの正体に迫るためだ。
分かったことはいくつかある。
まず、キーウィには確かな個性があった。
受け答えに綻びはなく、自分なりの考えや好みを持っている。
そして何より、召喚されたばかりとは思えないほど知識が豊富だった。
ただし、その知識には妙な偏りがある。
そもそも、キーウィがいつから存在していたのかさえ分からない。本人に尋ねても、召喚される前のことはよく覚えていないらしい。
肝心のアプリの開発元についても、何も知らなかった。
スマートフォンを取り出し、画面を覗く。
キーウィはいつものように、細い脚を前に投げ出して座っていた。
「なあ、キーウィ。俺の魔人覚醒も、怪人変身と同じ《補完の魔人》だったんだけど、どんな違いがあるんだ?」
パカッ。
鳥の頭部が持ち上がり、フードのように首の後ろへ倒れる。
癖っ毛の少女が顔を出した。
「ルカートに分かりやすく説明するとね、怪人と魔人の関係はハードとソフトってことだね」
「……分かりやすいな」
「でしょでしょ?」
キーウィは嬉しそうに笑った。
「怪人は身体、魔人は魂に働きかけるの。だから、同じ人でも必ずしも同じ性質になるとは限らないんだよ」
「俺はどっちも《補完》だけど、違う能力になるやつもいるってことか?」
「そういうこと!」
「肉体と精神がバラバラってこと?」
「ううん、そうとも限らないよ。身体と魂に違う性質が現れるだけで、どっちもその人の一部だからね」
「なるほどな。じゃあ、同じ性質になる人の方が多いのか?」
「んー、そこは分かんない!」
「分からないのか?」
「だって、怪人も魔人も、実際に見たのはルカートだけだもん。情報不足かな?」
キーウィは小さな肩をすくめた。
「理屈は知ってても、実際にどうなるかは見てみないとね!」
「……確かにそうだな」
知識はあるのに、実例がない。
キーウィには、そういうことが少なくなかった。
「ところで、キーウィ」
「なあに?」
「キウイフルーツは知ってるか?」
「知ってるよ! 甘くて酸っぱい果物でしょ? 食べてみたいなあ!」
「じゃあ、キーウィっていう鳥は?」
「鳥?」
「ニュージーランドにいる、飛べない鳥だよ。お前の姿にちょっと似てるんだ」
「へえー! そんな鳥がいるんだ?」
「キウイフルーツの名前も、その鳥が由来なんだよ」
「そうなの!?」
画面の中でキーウィが身を乗り出した。
「じゃあ、食べてみないとね!」
「……ああ、そのうちな」
「やったー!」
相変わらず、よく分からないやつだ。
怪人と魔人の違いを説明できるのに、自分の姿によく似た鳥のことは知らない。
食べたことのない果物の味は知っているのに、その名前の由来は知らない。
膨大な知識がありながら、妙なところが抜け落ちている。
しかも、知らないことを尋ねても、考えて思い出そうとするより、初めて知ったことを素直に喜ぶ。
昨夜から話していて感じたのは、知識の量よりも、その偏り方の奇妙さだった。
単なるAIなら、こういう偏り方をするだろうか。
少なくとも、こいつは単なる受け答えのプログラムには思えない。
(……こいつ、本当に何者なんだろうな)
「ねえ、ルカート!」
「今度はなんだ?」
「マッチングできて良かった!」
イヤホンの向こうで、キーウィが楽しそうに笑った。
「ああ、よろしくな、相棒」
結局、アプリの正体については何一つ分からないままだ。
それでも、こいつと話していると、不思議と退屈しなかった。
「電車の中じゃ話せないから。また後でな」
「はーい! またね、ルカート!」
通話を切り、イヤホンを外した。
改札を通り、ホームへ向かう。
間もなく到着したリニモに乗り込み、空いている席に腰を下ろした。
すると、後ろの席から女性たちの話し声が聞こえてきた。
「例のアプリ、配信者がこぞってインストールしてるでしょ?」
「そうそう。大人は警戒して入れない人も多いけど、気にはなってるからね」
「どの配信も、再生数がすごいことになってるみたい」
「日本語版しかないらしくって、海外でも話題になってるらしいわよ」
どうやら、ここでもあのアプリの話らしい。
昨日、シャーペンの芯が一度くっついた、あの不可解な出来事。
もしあれが見間違いでなかったとしたら、アプリには現実に干渉する力があるのかもしれない。
同じような現象が起きていないか、昨夜からSNSをこまめに確認していた。
スマートフォンを取り出し、投稿を眺める。
『悪魔マッチングで契約解除したら、もう誰も来ないんだが。先に言っとけクソ運営』
『俺の悪魔、アーとかウーしか言わないんだが! 会話機能爆死w』
『悪魔マッチング、綺麗なお姉さん悪魔のデータが入ったスマホアカ300万で買い取ります』
『ツンデレ悪魔きた! 勝ち確w』
どれも好き勝手なことを言っている。
アプリに関する投稿は増え続けているものの、肝心の仕組みについては相変わらず謎だらけだった。
(……ケビンに聞いてみるか)
あいつなら、また何か情報を仕入れているかもしれない。
藤が丘で地下鉄東山線に乗り換え、四駅。
星ヶ丘駅の改札を出ると、見慣れた女生徒が自転車に乗って近づいてきた。
「リゼ、おはよう」
「ルカ! おはよ!」
昨年、同じクラスだった一色リゼだ。
リゼは自転車から降りると、俺に並んで歩き始めた。
「ルカも入れたんでしょ? 例のアプリ」
「リゼのところにもケビンが来たか」
「うん。ルカもやってるって。あいつ、面識ない子にまで勧誘してたよ」
「……あいつらしいな」
思わず苦笑する。
「そういえば、ちょっと気になることがあってさ」
「なになに?」
俺は昨日、シャーペンの芯が勝手にくっついた出来事を話した。
「……へえ。ルカがそこまで言うなら、見間違いじゃないのかもね」
「自分でも信じられないような話なんだけどな」
「ううん、ルカが言うなら信じるしかないわ」
「ありがとな。リゼならそう言ってもらえるかもと思って」
「私も調べてみる。悪魔たちにもあとで聞いてみるね」
「え? 悪魔“たち”?」
「うん。私、三体いるの」
「三体?」
「そう。悪魔マッチングの適性が星五つだったからかな?」
「……そんなに契約できるのか」
キーウィ以外にも悪魔が存在するのは知っていたが、複数と契約できるとは思わなかった。
「仲良くなってランクを上げたら、契約できる悪魔が増えていったの。私の場合、ランク3で三体ね」
「ランク?」
「うん。ランク2には仮想容量が12TB、ランク3には24TB必要みたい。だから、容量の使い方には気をつけてね」
「なるほど……そういう仕組みなのか。じゃあ、32TBが上限なら、今はランク3までか」
「そうそう。あまり手広くアプリを入れちゃうと、一つのランクを上げられなくなるみたいね」
「なるほどな。ランクを上げる恩恵が大きいことも分かった。助かるよ」
「うん! また何か分かったらメッセージ送り合おうね」
「ああ、また連絡するよ」
「じゃあ、またね!」
リゼは軽く手を振り、自転車を押して別の方へ歩いていった。
俺も片手を上げて応え、校舎へ向かった。
二年N組の教室に入る。
「おはよう」
「ルカくん、おはよー!」
「おはよう!」
「うぃっす」
「おう! ルカート! 待ってたぞ!」
ネットも学校も、例のアプリの話題で持ちきりだった。
配信元不明。アンインストール不可。常識外れの機能をうたう七つのアプリ。
話題性に秘匿性、そして危険性。
未知のテクノロジーは、若者たちの好奇心を刺激するには十分すぎた。
「情報交換しようぜって顔だな」
ボンドにそう言うと、あいつはにやりと笑った。
「おうよ! 聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「その前に、ケビンは?」
「風邪引いたってよ。このタイミングで」
「仮病だな」
「確定でな」
「あとでメッセージ送ってみるよ」
机に荷物を置き、椅子を引いた。
そのとき、廊下から慌ただしい足音が近づいてきた。
勢いよく教室の扉が開く。
「トーラス! 見て見て! どこが変わったでしょーか?」
教室に飛び込んできたのはトーラスの彼女メリルだった。
「わあ、メリルちゃん可愛くなってる! あっ、二重だ!」
「ニコちゃん正解!」
メリルは満面の笑みを浮かべ、トーラスに向き直った。
「ねえ、トーラスは? どう?」
「……ああ、可愛くなったな」
「でしょー!」
嬉しそうにトーラスの腕に抱きつくメリル。
だが、トーラスはなぜか困ったような顔をしていた。
「……なあ、メリル」
「ん?」
「俺たち、付き合ってるんだよな?」
「……は?」
「いや、覚えてるんだ。付き合い始めたことも、デートしたことも」
トーラスは自分の胸元に手を当てた。
「でも……なんでだろうな」
「……トーラス?」
「お前のこと、大好きだったはずなんだけど……」
その言葉に、メリルの笑顔が消えた。
「……今、何も感じないんだ」
教室が静まり返った。
「……嘘、でしょ?」
メリルの震える声に、トーラスは何も答えられなかった。
そのとき、彼女のスマートフォンが小さく震えた。
画面には、《贄と奇跡》からの通知が表示されていた。
――《贄の受領が完了しました》
――05日10時間23分41秒




