九話
秋のイベントから季節は巡り、冬の足音が聞こえ始めた頃。
その日は、何気ない平日の夜だった。
自身のチャンネルで新作ホラーゲームの単独配信を行っていた駆は、画面の右端に表示されている「チャンネル登録者数」のカウンターが、目まぐるしく変化していることに気づいた。
【999,998人】
【999,999人】
【1,000,000人】
「……あ」
思わず声が漏れた。
コメント欄が一瞬で「おめでとう!!」「ミリオン達成!!」「個人勢の偉業だ!!」という祝福の言葉と、色とりどりのスーパーチャット(投げ銭)で埋め尽くされる。
半年前まで同接4人、登録者数300人だったただの個人勢Vが、ついにチャンネル登録者数100万人という最高峰の頂に到達した瞬間だった。
【100万人おめでとうヒューガ!】
【底辺からここまで登りつめたの熱すぎる】
【最強のツッコミ司令塔!】
【みるくちゅーにゅう最高!】
「みなさん……ありがとうございます。正直、実感がないです……。僕ひとりの力じゃ、絶対にここまで来られませんでした」
画面の向こうのリスナー、そして誰よりも自分のボケで人生を変えてくれた「あの存在」に感謝を述べながら、駆の胸には温かいものが込み上げていた。
――配信終了後。
自室で一息ついていると、スマホにライブプロダクションの赤坂マネージャーから着信が入った。
『ヒューガ様、チャンネル登録者数100万人達成、誠におめでとうございます』
「赤坂さん、ありがとうございます。赤坂さんや事務所の皆さんのおかげです」
『いえ、全てはヒューガ様ご自身の才能とご努力の成果です。……つきましてはヒューガ様、本日はひとつ、重要なご提案がございます』
赤坂の声が、いつになく真剣なトーンに変わった。
『我が社ライブプロダクションとして、ヒューガ様を【正式な所属タレント】としてスカウトさせていただきたいのです。給与面やサポート体制、専用の3Dモデル制作など、最高条件をご用意いたします。これだけの規模になられた以上、個人勢としての限界も出てくるかと存じます。プロの配信者として、弊社で本格的に活動されませんか?』
「……大手への、正式加入……」
駆は息を呑んだ。
VTuberをやっている者なら誰もが夢見るような、破格のオファーだった。企業勢になれば、権利関係のトラブルに怯えることもなくなり、より大きなイベントや企画に挑むことができる。
「……少し、考える時間をいただけますか」
『ええ、もちろんです。大事なご進路ですので、ゆっくりお考えください』
通話を切った後、駆は部屋の天井を見上げた。
プロの配信者になる。それはつまり、大学卒業後もこの道で生きていくことを意味する。
自分はただのツッコミ体質なだけの大学生だ。本当に企業勢になり、プロとして「配信」を職業にしてしまっていいのだろうか。
配信を仕事にすることで、あの「ただただボケとツッコミを楽しんでいた純粋な楽しさ」が失われてしまわないだろうか——。
数日後。大学の屋上。
冬の澄んだ空の下、駆は缶コーヒーを手にベンチに座っていた。
隣には、いちごミルクの紙パックを飲んでいる天野みずき(天宮ミルク)がいる。
「日向くん、スカウトの件……断るつもりなんですか?」
みずきが、心配そうに上目遣いで尋ねてきた。赤坂から話を聞いていたのだろう。
「断る……っていうか、悩んでるんだ。企業に入ったら、もっと自由が効かなくなるんじゃないかとか、配信が『仕事』になっちゃうんじゃないかとか、考えてさ」
駆は苦笑しながら、缶コーヒーのあたたかさに指を滑らせた。
「俺が配信を始めたのは、大物になりたかったからじゃない。誰かと笑い合いたかったからだ。お前と事故コラボして、怒鳴り散らしてツッコんで……あの時が一番楽しかったんだよな」
みずきは、じっと駆の横顔を見つめていた。
そして、紙パックを両手でギュッと握りしめると、真っ直ぐな瞳で言った。
「日向くん。ミルクはね、日向くんが企業勢になっても、個人勢のままでも、どっちでもいいです」
「……え?」
「だって、日向くんがどこにいても、名前が『ヒューガ』でも『日向駆』でも……ミルクのめちゃくちゃなボケを、世界で一番面白く拾ってくれるのは日向くんだけだもん。形なんてどうでもいいです。ミルクは、日向くんと一緒に笑っていたいだけです!」
天真爛漫な、けれど揺るぎない言葉。
(そうか……)
駆の胸のつっかえが、すーっと消えていくのが分かった。
企業勢か個人勢かという「肩書き」に囚われていたのは、自分の方だったのだ。
自分が大切にしたいのは「プロという立場」ではなく、「自分が心地よくツッコめる場所」と「大切な相方と楽しむ時間」なのだから。
「……ありがとな、天野。吹っ切れたわ」
駆は立ち上がり、缶コーヒーを飲み干した。
「よし! 赤坂さんに返事をしに行くか!」
「えへへ! どんな返事にするんですか〜?」
「『今まで通り、一番使い勝手のいい「外注の相方」として好き勝手やらせてください』ってな!」
こうして、駆は大手事務所からの破格のスカウトを辞退し、「100万人を突破した最強の個人勢」として、これからも自由かつ奔走する道を選んだのだった。
そして物語は、二人の絆を祝う最高のアニバーサリーへと続いていく——。




