十一話
100万人達成から月日は流れ、駆とみずきも大学4年生の冬を迎えていた。
配信者としての活動は絶好調。ヒューガのチャンネル登録者数は150万人を数え、VTuber界における「唯一無二のツッコミ司会者」としての地位は揺るぎないものになっていた。
だが、どれだけネット上で「神」「ツッコミの司令塔」と持ち上げられようと、現実は容赦ない。
「終わらん……卒論が1ミリも終わらん……!」
自室のデスクで、駆はPCのキーボードに頭を叩きつけていた。
提出期限まで、あとちょうど48時間。
テーマは『現代におけるバーチャルコミュニティの言語的コミュニケーション分析』。
配信活動の合間を縫って書いてはいたものの、文字数は目標の2万字に対して、まだ半分にも達していない。
『ピコン!』
デスクトップにDiscordの通知が鳴る。嫌な予感しかしない。
『ヒューガさ〜ん! 大変です! 今すぐボイスチャットに来てください〜!』
通話に入ると、みずきの焦りきった声が響いた。
「どうした天野、俺は今人生最大の危機(卒論)と戦ってるんだが」
「ヒューガさん! ミルクの卒論のデータが入ったUSBメモリを、実家の犬が飲み込んじゃいました〜〜〜っ!?」
「犬に食わせるな!! どんな不注意したら卒論データ入ったUSBを犬が完食するんだよ!! 胃洗浄行け!!」
「冗談です! 本当は……誤ってゴミ箱に入れて空にしちゃいました……」
「犬のくだり要らんかっただろ!! 脅かすな!! 復元ソフト使え復元ソフト!!」
開口一番の爆速ツッコミ。みずきは「きゃはは! 久しぶりのツッコミ助かります!」と嬉しそうに笑う。
「助かるな!! こっちは命削ってんだよ! で、お前の卒論の進捗はどうなんだ?」
「えーっと……表紙と、名前と、あと『はじめに』の『はじめ』まで書けました!」
「『に』まで書いてから出直してこい!! ほぼ白紙じゃねーか!!」
頭を抱える駆。だが、みずきは呑気に「そこで提案なんですけど!」と声を弾ませた。
「一人で書いてても終わらないので、今から【緊急耐久! 卒論が終わるまで終われません作業配信】をやりませんか! リスナーさんに見守ってもらえば、集中して進むと思うんです!」
「作業配信……? いや、俺たちは画面に向かって文字打つだけだぞ? 地味すぎるだろ」
「大丈夫です! ミルクが盛り上げるので!」
――これが、新たなる惨劇(神回)の始まりだった。
22時。緊急で枠が立てられた作業配信。
告知なしにもかかわらず、同接数はあっという間に7万人を突破した。
【急な作業配信助かる】
【卒論やばいのかwww】
【大学生Vのリアルな悲鳴】
【みるくちゅーにゅうの作業雑談きた!】
「はい、というわけで今夜は急遽、卒論を終わらせるための作業配信となります。静かにカタカタ作業するだけなので、皆さんも作業用BGM代わりにどうぞ……」
駆が落ち着いたトーンで配信を開始した、その3分後。
「ヒューガさ〜ん! 『はじめに』が書けたので読んでいいですか!?」
「静かにやれって言った先から声を張るな!……まあいいや、読んでみろ」
「はい! 『はじめに。現代社会において、家を建てることは非常に困難である。特に深夜、リアルで大工仕事をしようとすると警察が来る』」
「第1章の事故配信の反省文かそれは!! 論文の序文に個人的な警察沙汰(未遂)を書くな!!」
【wwwwwwwwwwww】
【100%不合格の論文で草】
【教授泣いちゃうだろ】
【開幕から腹痛いwww】
さらに1時間後。
「ヒューガさん! キーボード打つ手が疲れたので、音声入力に切り替えたら大変なことになりました!」
「どうした」
「『VTuberのツッコミ表現における社会的役割』って喋ったら、PCが『豚のツッコミ病気におけるしゃもじの役割』って認識しました!」
「どんな奇病だよ!! 豚のツッコミ病って何だよ!! しゃもじで治るんかそれ!!」
「あと、集中するためにコーヒー淹れようとしたら、間違えてお湯じゃなくていちごミルク注いじゃって、ドリッパーがピンク色の泥みたいになってます!」
「厨房出禁になれお前は!! 機器の破壊者か!!」
リスナーの作業を応援するはずの配信は、いつも通り天宮ミルクの圧倒的奇行と、ヒューガの怒濤の限界ツッコミが吹き荒れる大暴走空間へと変貌を遂げた。
コメント欄は作業どころではなくなり、「腹がよじれて卒論が進まない」「集中力ゼロになる配信」「腹筋崩壊作業用BGM」と大絶賛(?)の嵐。
同接数は気づけば15万人に達していた。
――明け方、午前5時。
「……できた……。2万字……書き切った……」
駆は画面の前で力尽きるようにデスクに伏した。
極限状態の中で繰り出された怒濤のツッコミと脳内活性化のおかげで、奇跡的に最高品質の卒業論文が完成したのだ。
「ヒューガさ〜ん! ミルクも書けました〜! 『おわりに』までバッチリです!」
「……そうか……お疲れ……。天野、よく頑張ったな……」
「はい! 『おわりに。やっぱり家はマイクラの中で建てるのが一番安全である』で締めくくりました!」
「最後まで原点回帰すな……」
かすれた声で最後のツッコミを入れ、駆は配信の終了ボタンを押した。
【二人とも完走おめでとうwww】
【歴史に残る作業配信だった】
【卒論提出頑張れよ!】
【最高の夜をありがとう!】
画面が暗転し、静まり返った自室。
窓の外からは、冬の澄んだ朝焼けの光が差し込んでいた。
スマホを見ると、みずきからLINEが届いていた。
『日向くん、卒論手伝ってくれて(?)ありがとうございました! 大学出たら、お祝いに本物のいちごタルト食べに行きましょうね! キャベツ乗ってないやつ!』
駆はふっと温かい溜息をつき、画面をタップした。
『当たり前だ。普通のタルト奢れよ。……それと、卒業しても配信、付き合ってやるからな』
『はい! 一生ボケ続けます!』
返信の速さに苦笑しながら、駆はPCの電源を落とした。
プロになろうが、社会人になろうが、何歳になろうが関係ない。
彼女がボケ続ける限り、自分は世界で一番近くでツッコミ続ける。
奇跡(事故)から始まった二人の日常は、これからもずっと、賑やかに続いていくのだから。




